プロローグ 前篇
白い、ただ白いだけのその場所に輝く球体が八つ浮かんでいる。その対面には八つの揺らめく色とりどりの光があった。光の一つが球体の一つと重なり消える。光は我先にと球体に触れては消えていく。最後に残された光がその周辺を漂う。少しして意を決したかのように球体に向かう。球体に重なる前に一度停止して、勢いよく、球体にぶつかるようにして重なった。そして消える。
白い空間には何も残っていなかった。徐々に白い空間そのものが崩れていき、そこには何も残らない。
人類の歴史は戦いの歴史だった。大穴と呼ばれる場所より、突如現れたモンスターによって、人類は僅かな生存圏で生きることを余儀なくされる。モンスターの脅威に怯え、ただただ、隣の誰かと明日を迎えることを望む。モンスターという怪物の前では、人間など殺されるだけだった。
だが、それはある時現れた。人々の希望を背負い、明日に光を灯す者達。強大な怪物を前にしても折れず、挫けず、立ち向かい勝利する者達。
英雄
人々は彼らをそう呼んだ。
かつて、一つの都市を解放した英雄がいた。最後にはその呼び名を奪われたが、彼が原初と呼ぶべき英雄だったことには変わらないだろう。
かつて、笑顔を絶やすことのなかった英雄がいた。彼を道化と呼ぶ者もいるが、彼は間違いなく英雄達の始まりとなった英雄なのである。
かつて、強大な黒き竜を退けた英雄がいた。今も尚、彼を超える者はいないだろうと言われる最強の英雄である。
原初の英雄がいた。始まりの英雄がいた。最強の英雄がいた。彼らが繋いだ道が、大穴をふさぐ結果を生み出した。天上よりそれを見届けていた神々は、その姿に感動し、また自分達も彼らと共に歩みたいと願った。神の力を自ら封じ、人の子と変わらぬ身体で永遠に地上の子ども達とともに生きようと降りてきたのだ。
神々は塞がれた大穴の上に巨大な塔を作り、恩恵という怪物と戦うための力を子どもたちに与えた。そうして、ここに神時代の幕が開けたのだ。
大穴はダンジョンと呼ばれるようになり、かつて傭兵と呼ばれた者達はその地へ向かう。彼らはダンジョンに潜り、怪物達と戦い、時にダンジョンが生み出す資源を地上に持ち帰った。ダンジョンという未知の世界に挑む者達、傭兵は命をかけて未知に挑む冒険者となったのだ。
そして、ダンジョンの上に、その周囲に、人々は家を、店を、数多くの物を築き生活を始めた。そこは次第に大きくなり、街になった。かつていがみ合ってすらいた数多くの人間種達が、冒険に、伝説に、英雄に憧れこの街に集まってくる。
ここは冒険者の街、英雄の生まれる場所、迷宮都市オラリオ
――冒険者ギルド発行『オラリオガイド』より抜粋
迷宮都市オラリオ、その正門を抜けてすぐの場所で、一人の少年がこの街の光景に圧倒され、立ちすくんでいた。白い髪、赤い瞳、幼さの残る顔立ちの少年、彼の名はベル・クラネル。生まれ育った山奥の村で二年前に育ての親である祖父を亡くし、先日師に別れを告げてこの街にやってきた。
山奥で育った彼には、世界の中心とまで言われるこの街の姿は刺激が強すぎたのだろう。大勢の人、たくさんの種族が自分の横を、前を、後ろを通り過ぎていく。それだけで、眩暈がしてしまいそうになる。
だが、彼はここで立ち止まっている暇などない。彼には確かな願いと誓いがあるのだから。
(よしっ、行こう! あっ……)
「す、すいませんっ!」
一歩を踏み出し、人にぶつかる。慌てて何度も頭を下げながら謝罪を口にした。周囲の人々は、明らかに田舎から出てきたばかりといった風な少年を微笑ましく見ている。中には嘲りも混ざっているが、今の少年がそれに気付くことはできない。
こうしてベル・クラネルは胸に抱いた願いのために一歩を踏み出すことになった。
街を歩けばどこも活気に満ちており、露店では様々な商人が自慢の一品を並べて客を呼び込もうとしていた。
「これは、つい先日見つかったばかりの伝説の鎧鍛冶の作った鎧の一部! それがなんとたったの四千万ヴァリス、かの名匠の一品、篭手の一部とはいえこれほどお買い得なものもないぞ!」
などと、本物かどうか怪しいものまで売られているが、どちらにせよ少年には関係のない話である。また、酒場の前を通れば今晩吟遊詩人が語る演目の宣伝をしている。
「うちでは今晩は、最新の英雄、かの金色の英雄王の詩を読むよー。是非、今晩はうちの酒場で食事をしてっておくれ」
「こっちでは、エピメテウスとその親友パンドラの詩だ! 是非夕飯はうちの店で!」
少年の足が止まる。七年前に亡くなった最新の英雄である金色の英雄王、遥か昔、始まりの英雄より前の英雄であるエピメテウスと、その親友パンドラ、どちらも少年の好きな英雄譚の一つである。
後ろ髪を引かれる思いはあるが、堪えて歩を進める。彼はこの街に観光に来たわけではない。確かな目的をもってここまでやって来たのだから、足を前に進めなければいけない。
とは言っても、田舎から出てきたばかりの少年にこの街はいささか誘惑が多いようで、何度も足を止めることになる。そうやって、時間をかけながらではあったが、前へと進んでいると、ようやく目的の建物が見えてくる。
街の中心、そこに聳え立つバベル、そこから少しだけ歩いた場所にその建物はあった。少年は建物の入り口までくると、一度足を止めて後ろを振り向く。視線の先にあるのは天にも届くのではないかというほど巨大な塔バベルだった。
この塔の一番下の階にはダンジョンへの入り口がある。入り口をくぐれば、その先にあるのはモンスターという怪物達が跋扈する魔境である。多くの冒険者が希望を胸にこの入口をくぐり、そして帰らぬ人となった。
少年は一度腰に差した短刀を握ってから再び前を向いて、建物の扉に手をかけた。その先に少年の冒険への道がある。少年が進むと決めた道が続いている。だから少年は迷うことなく、確かな意志を腕に込めて扉を開いた。この場所は冒険者ギルド、冒険者の道を見守るこの街一番の組織である。
――
――それでも、それでも、僕は英雄になりたい。アルゴノゥトのような、時代を切り開いてきた人たちのような、そんな英雄に僕はなりたいんです。僕はまだ■■■■■■■■■を見てないからっ!
半月後、そこには元気にミノタウロスから逃げ回るベル・クラネルの姿があった。ここはダンジョンの五層、本来ミノタウロスがいる十五層よりも遥かに上の階層である。何故かそんな階層にまで上がって来たミノタウロスに、アドバイザーから禁止されていた五階層に何故かいるベル・クラネルが追いかけられているのだ。
(な、なんでミノタウロスがここにっ!? 追いつかれたらやられる!)
――坊が英雄ねぇ。もし、なれはったら、そら随分と様変わりな英雄やろなぁ。だってなぁ、坊ってへなちょこやし。
逃げ回った少年が辿り着いたのは、行き止まりだった。これ以上先に進むことはできない。後ろに迫るのは恐ろしい怪物、彼が師の下で修業した六年、その程度の経験では才能に乏しいと言われ続けた彼はこの窮地を脱することが適うはずもない。
もはや、ただ怪物に自分が潰される瞬間を待つことしかできない。彼は自分の頭部を両腕で覆い、恐怖から僅かに目を背けた。
――坊、やっぱりおらりおに行くんはやめん? うちな心配なんどす。坊が行ったかて……。堪忍な、もう言わへんつもりやったんやけどなぁ……。
「坊はつくづく、運命に愛されとんのやねぇ。牛公と仲よう追いかけっこなんて、随分と楽しそうやないの」
死を覚悟した少年の耳に聞きなれた声と鈴の音が響く。目を開けてみればミノタウロスが前に進もうと足掻き、少年に向けて手を伸ばしている姿が見えた。よく見れば、腰の辺りに帯のようなものが巻き付いている。
「あんた、邪魔やねぇ。坊の顔が見えんやないの」
その言葉と同時にミノタウロスが後ろに引っ張られ、後方へと投げ飛ばされる。そうして、少年の目の前に現れたのは、後ろで結った黄金色の美しい髪、肩と胸元を大きく露出した着物、男性なら誰しも目が向いてしまうような妖艶さを纏う女性だった。だが、何よりも目に付くのは頭部に生える二つの狐の耳と、臀部から生える尻尾である。
『
人間種の一つ、高い身体能力と優れた五感を持つ獣人種族の一つであり、高い魔力が特徴の種である。そして彼女は……。
「えっ、師匠なんで?」
そう、少年の師であり、幾度となく少年を才能がないと罵倒していたその人である。少年が村を出る時に、その村に残るからと別れたはずであった。
「そら、もちろん坊が心配やからに決まってはるやろ。実際、こうして牛公と遊んではるし」
その心配は間違っていない状況だけに、少年としては反論し辛い話だった。と、ここで少年はその心配の元であるミノタウロスが気になって師の後ろへ視線を向けてみれば、そこには長い帯状のものが頭に巻き付いて動けない奴の姿があった。
「そこの子、牛公追って来はったんなら、さっさと始末しておくれやす」
後ろを振り返ることもせずに、師がそう告げると後ろの曲がり角から金色の髪を靡かせる少女が姿を現す。手に持つのは一目で業物とわかる剣、その姿はこのオラリオでは知らぬ者はいないと言われている。
『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタイン
この街で最も有名な二大派閥、その片割れロキ・ファミリアのLV5である。これより上は今のオラリオにはLV6とLV7しか存在しない。そんな彼女が姿を現したことに、少年は驚愕で固まってしまっている。
「えっと、……ごめんなさい」
登場早々、何故か謝罪する剣姫、少年の頭ではそれを理解することはできない。が、師の方はそうでもないらしく、小さくため息を吐いていた。
「やるなら、早ぅしておくれ……」
「あ、はい」
少女が数度剣を走らせるとそれだけで、ミノタウロスの身体は切り裂かれ、複数のパーツに解体されてしまう。その後、その身体は灰になって消滅して小さな石だけが残される。モンスターが死後残す魔石と呼ばれる物で、それを使った様々な技術が生み出された。それを安定供給できるオラリオが、世界の中でも特別扱いされる理由の一つになっている。
「あの、改めて、ごめんなさい。このミノタウロスは、私達が逃したもので……」
「んー、その話、今やないとあかんの? うちの坊がもう限界やの」
アイズが被害者の少年に視線を向けると、口を開けた表情のまま固まって動かない姿が目に入った。師との再会、それに加えて剣姫の華麗な剣技を見たことで、頭が限界に達してフリーズしてしまったようだ。
「堪忍なぁ。坊はちょぉっと抜けてはるんよ。だから、まぁ、話は次に
「えっと、はい」
少女の返事を聞いて、師は弟子を抱えて出口へと向けて歩き始める。そこで、少女は大事なことを聞いてないことを思い出して声をあげた。
「あの、名前聞いてもいいですか?」
「ええよぉ。坊はベル・クラネル、うちの名前は
そう言葉を残して彼女は鈴の音とともに去っていった。アイズはこの日出会ったどこか懐かしい雰囲気を纏う少年が、己の主神と似た喋り方をする女性が、自分の今後に深く関わるとは思いもしなかった。
彼女は後ろから仲間に声をかけられるまで、ずっと二人の去った方へと顔を向けていた。
「え、待って、待って、アイズイベは? 憧憬一途どうなんのこれ?」
仲間の一人が誰にも聞こえないように呟いた言葉はダンジョンに溶けて消えていった。
というわけで、プロローグになります。こちらは超不定期更新です