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「なんやの? ゴブ公蹴散らしてみれば、おったんは子兎やないの。なんや、人でも襲われてはるんかと思たわぁ」
その少年が彼女と出会ったのは偶然か、それとも運命か、その答えを持つ者はいないだろう。それでもこの二人は出会ってしまった。そして、彼女は口を開くや否や、失礼な言葉を並び立てる。
だが、少年にとってはそんなことよりも、羽衣を巧みに使い、ゴブリンの群れを切り裂く姿が天女の舞のように見えたことの方が重要だったようだ。彼の瞳は輝き、その視線はまるで憧れの人でも見るかのようだった。
「おねーさんはてんにょ様なんですか?」
思わずそんな質問が口から飛び出してくる。七歳かそこらの少年にしては博識と思うかもしれないが、これは祖父の聞かせてくれる英雄譚の中に極東のものも混じっていたからだ。天女という神の使いの話は時折出てくるので、それで知っていたにすぎない。
「うちの耳見はれば、わかりますやろ? うちは天女やのうて、狐人どす」
その答えを聞いて、少年は肩を落としてしまう。
「助けてもろうた相手にその態度、ええ度胸やないの? なぁ、坊?」
そう言って女性は少年の両頬を摘まんで引っ張った。少年は逃れようともがくが、力の差がありすぎて逃れることができない。数十秒ほど、そうして少年の頬を引っ張っていた女性が急に手を離して、少年の顔に自身の顔を近づけてその瞳を見つめた。女性の
「坊、言うこと、あるんやないの?」
「えっと、あの、ありがとうございます?」
このような美しい女性に見つめられ、囁くように言葉を紡がれる経験など山奥に住む少年にあるはずもない。緊張で身体を強張らせながら、なんとか言われたことに対する答えを導き出す。最後が疑問形になってしまったのは仕方のないことだろう。
「まま、ええやろ。坊はこないな所でなにしてはったん? ゴブ公と遊んではった訳やないんやろ?」
「あ、はい。ぼくは水をくみにきただけです。そしたらゴブリンがいて……」
先ほどまでの出来事で忘れていた恐怖が蘇ってきたのか、少年は顔を青くして震え出してしまった。
「まったく、しゃぁない子やねぇ……」
そう言って、女性は少年を抱きしめる。そうして背中を叩きながら口を開いた。
「怖かったんやろ。辛かったんやろ。せやったら、泣いたらええ。泣いて、泣いて、そしたら、最後に涙を拭うんや。泣くのも転ぶのも恥ずかしゅうことやあらしまへん。そのまんまでおることも恥ずかしゅうことやあらしまへん。立ち上がれたら万歳したる。ただ、それに蓋をしてまうんわ、あかん。それだけはしたらあかん。坊は人や、人の子や。やから、人として泣いてええんよ」
少年は自然と声をあげて泣いていた。ただ、縋るように泣き続けた。そんな少年の背中を彼女は優しく叩きながらあやす。帰りが遅いことを心配した祖父が少年の下に現れた時には彼は女性に抱きかかえられて眠っていた。幼子が母の胸の中で眠るように、静かな寝息をたてて。
この言葉を少年は生涯忘れることはないだろう。泣いてもいい、転んでもいい、自分は最後には必ず立ち上がりたい。その想いを常に胸に抱いてきた。
(おじいちゃん、でも、それでも師匠抱えられてダンジョンから帰還するのは恥ずかしいです)
彼がフリーズから復帰したのは、ダンジョンを出た後だった。つまり、それまでずっと師に抱えられていたわけである。周囲から向けられる視線はとても微笑ましいもので、ついつい彼は顔を俯かせてしまう。尚、顔色は瞳と同じく真っ赤である。
ギルドに到着した時、彼は師に外で待っていてもらうように伝えて一人で中に入っていった。
ギルドに入って五分、彼はソファーの上でセイザをしていた。目の前には長い耳をした栗色の髪の女性がいる。
「五層でミノタウロスにねぇ。五層まで言ったってどういうことかな、ベル君? 冒険者になって半年で、ミノタウロスと遭遇して生き残るってすごく運がいいことだってわかってる?」
この調子でずっと説教されていた。彼女、エイナ・チュールはギルドの受付嬢であり、同時にベルのアドバイザーという、助言者のような立場である。
「いつも言ってるよね。冒険者は冒険しちゃいけないって」
ベルはある事情から先達の力を借りるということができない。そのため、アドバイザーという存在は欠かせないと言ってもいい。そんな彼女はまだ、ベルには五階層は速いと考え、それよりも上の階で活動するように伝えていた。五階層というのは最初の関門とも言える階層であり、新米殺しと言われるモンスターが出現する。冒険者になって半年、それもソロで潜るような場所ではない。
「はい……」
いつも親身になって相談に乗ってくれる相手に、ここまで言われてはベルも肩を落とすしか他ない。落ち込んだ様子の彼を見て、彼女は少し困ったような表情を浮かべている。彼と彼女の関係は冒険者とアドバイザーというだけではある。だが、今まで多くの冒険者がダンジョンから帰らなかった経験や、彼の危なっかしさなど、そういったこともあって、彼女としては弟の様に思っている節もあった。
「せやねぇ、冒険いうんは飛び込むもんやのうて、おのずと出会うもんやろしなぁ。進んで必要のない危険を冒すんは冒険いうより、ただの死にたがりやねぇ」
二人しかいないはずの空間に第三者の声が響いた。エイナが驚いて声の聞こえた方へ顔を向けると、そこには胸を大きくはだけた狐人の姿があった。
「えっ、師匠!? 外で待っててくださいって言ったじゃないですかぁ!」
慌ててベルが彼女をこの場から押し出そうとするが、師は微動だにすることなくそこに立ち続けている。いきなり気配もなく現れた女性、この場所は個室というわけでないので誰かが来る可能性がないわけではない。しかし、それでも音一つなく表れたことにエイナは驚きを隠すことができなかった。
「えっと、ベルく……ベル・クラネル氏のお師匠様でよろしかったですか?」
「ええよぉ、そない言い直さんかて、いつも通りベル君呼んだらええ」
突然でも公私を分けようとしたのはさすがの一言だろうが、既に後の祭り、雪姫は笑みを浮かべながらそう言い返した。エイナとしては本人の前だけならともかく、あまり知人以外にこのような姿は見られたくない。
「そうはいきません。ギルド職員として……」
「ええやないの。そもそも、ギルド長があの見た目なんやし、ギルド職員云々なんて今更どす」
この冒険者ギルドの長というのは、本質はともかく風体と風聞、どちらもあまりよろしくない人物であり、エルフの恥とまで言う者がいるくらいだ。エイナは急いで周囲を見渡し今の発言が誰かに聞かれていないか、確かめた後ため息を吐いた。よろしくない評価を受けている人物とはいえギルド長であることには変わりがないので、あまり聞かれたい話ではないのだ。
「ところで、師匠はなんで中に入って来たんですか?」
ベルが気になって質問を口にするが、彼女は少し困ったように顎に指を当てて考え事でもしているようなポーズを取る。これはエイナも聞きたいことであったので、口を挟まずに答えを待つ。
「いやねぇ、坊は今晩何か食べたいもんでもあるかと思て聞きにきたんやけど、中々話が終わらんようやったから横入りさせてもろたんよ」
要は夕飯の献立を聞きに来ただけなのである。
「折角、会いにきたんやし、料理の一つも作ってあげなと思てなぁ。坊もなり立てやし、見た目弱そうやし、大きいとこは入れんやろから、小さいとこで食費もそこそこに頑張ってるんやろなぁ。っていう、うちの優しさやね」
図星だったのか、ベルは顔を背けてしまう。エイナもこれには苦笑いするしかない。これでは師匠と言うより、母親ではないかと思えてしまうが、それを口に出すことはない。
「あなたは自分のファミリアに戻らなくていいんですか? ミノタウロスを軽くあしらえるのは彼から聞いています。それなりの冒険者なんですよね?」
「えっ、うち、ふぁみりあに入ってるなんて一言も言ってないどすえ?」
瞬間、その場の時が止まる。正確には止まっているのはエイナの思考であるのだが、彼女にとっては世界そのものが静止したように感じていた。
(え? え? ミノタウロスを軽くあしらえるのに、ファミリアに入ってない?)
冒険者は
「あぁ、どこかの国家系ファミリアの所属なんですね」
故に彼女が出した結論はそれである。ファミリアにはいくつかの種類がある、探索、商業、医療など、多岐に渡る。その中の一つに国家系というものが存在するのだが、それはこのオラリオには存在しない。何故なら、国家系とは、文字通り一つの国家そのものをファミリアとしたものだからだ。
エイナは彼女が『オラリオのファミリアに入っていない』と解釈したのだ。
「あえて、所属を言うなら、そうやねぇ、朝廷やねぇ」
気になる言い方ではあるが、外のファミリアに所属しているなら、ダンジョンで戦えるのにも納得できる。
「まぁ、そういうことにしといておくれやす」
この言葉はあえてエイナに聞こえないように言った。『真実』を知っているベルとしては苦笑いするしかない。
「夕飯は師匠に任せます。でも、いきなり連れていって、神様大丈夫かなぁ……」
それだけ聞くと、雪姫は現れた時とは逆に、鈴の音を鳴らしてその場を離れていく。揺れる尻尾よりずっと上、その背中ははだけた着物のせいで半分近く隠せていない。
エイナはその姿を黙って見つめることしかできなかった。オラリオの冒険者と比べて圧倒的にLVが上がり辛い環境にいる、外のファミリアのメンバーがLV2に相当するミノタウロスを圧倒する。それはあり得るのか、彼女の中にはその疑念が渦巻いていた。
「あっ、師匠にホームの場所教えてない……」
「えっ?」
ベル君の痛恨のうっかりである。
もうお説教という空気でもないので、軽く今後のことを話してベルはギルドを出ていく。その際に『エイナさん大好きー』と大声で叫んでいったため、少し恥ずかしい思いをしたが、可愛い弟の悪戯と思えば我慢できる。
(朝廷か。少し調べてみようかな……)
そんなことを考えながら受付窓口へ向けて歩き始めた。周りは先ほどのベルの発言で盛り上がっている。ハーフエルフの女性、エイナ・チュールの苦難はこうして幕を開けた。
いまだ登場しない紐神様、次回は出るよ。ステイタスもね!