盛岡レース場に高らかと鳴り響くファンファーレ。
交流重賞マイルチャンピオンシップ南部杯、ゲートインが始まる。
三番人気ヘリオポーズは内側三枠三番。
二番人気は六枠七番ノボトゥルー。
そしてアドマイヤドンはその隣、五枠六番で一番人気となっている。
レース前、ヘリオポーズは牧場に今回の走り方は追走でいくことを告げていた。最後尾からの追い上げで、どうしても確認しなければならないことがあると。
過去何度か後ろからのレースを試みたが勝率はあまり芳しいものではなかった。それを承知の上である。
「君がそこまで言うんなら止める理由はない。思うように走ってこい」
ゲートが開き、スタートする。
先頭はアドマイヤドンが取り、バ群の中程にノボトゥルー、ヘリオポーズは当初の計画通りに最後尾に位置してレースは進んでいく。
バ群が長く伸びることもなく、平均的な、すごく平均的なレース。
先頭のアドマイヤドンが第三コーナーを周り、第四コーナーへと差し掛かろうと言うところでレースは動き出す。固まっていたバ群もばらけ始め、勝負どころは今だと手招きするかのように状況が変動していく。
それらを無視して、ヘリオポーズは最後尾外側からの観察に徹した。
そして第四コーナー。アドマイヤドンが曲がり切る前にヘリオポーズはスパートをかける。一バ身、二バ身と差が縮まる。ヘリオポーズの持つ全身全霊のパワーと瞬発力、スタミナをもってスピードへと変換していく。
外から追い上げるヘリオポーズ、二番手のノボトゥルーを無視してさらに追い上げていく。だがそれ以上アドマイヤドンとの差は縮まることはなかった。
レースはアドマイヤドンの完勝。六バ身差という完璧なレース。
レースのタイムは一分三五秒二。一六〇〇メートルのレースでは速い方とはいえ、六バ身も差をつけられるようなタイムではない。タイムで言えば、前回のかしわ記念の方がコンマ三秒速かった。これでヘリオポーズは確信する。
落ち込むでもなく悔しがるでもないヘリオポーズの姿が、アドマイヤドンには少し不気味だった。なにかを企んでいる、そんな印象を持った。
困惑しているアドマイヤドンの背中を叩き、
「ほら、どうした大将。シャキッとしてライブに挑もうぜ」
なんていつもの笑顔で言うものだから、彼女はさらに混乱するしかなかった。
——諦めてるようにももちろん見えない。ポーズは何を考えてる……?
ウイニングライブが始まっても、疑念というモヤは晴れることがなかった。故に彼女は、初めての失態を犯した。
【アドマイヤドン、歌詞を間違える】
翌日のスポーツ紙にデカデカと載っていたのは、南部杯でのウイニングライブの模様。数年前にあった某ウマ娘の伝説の棒立ちライブの時のような見出しである。
その日、アドマイヤドンは恥ずかしさのあまりずっと顔を隠していた。だが目を閉じれば、ライブ後のニヤついたポーズの憎たらしい顔が浮かびそれもまた不愉快だった。
ロビーで実物とすれ違う。
「おう、ドン。昨日は大変だったなー」
労いなのかからかいなのか判然としない口調が火に油を注ぐ。
「全部お前のせいだ! 合宿ではあんなに泣き喚いてたくせに!」
感情を持て余し思わず爆発させたが、その刹那に状況を悟った。近くに居合わせたすべてのウマ娘が、何事かと注意を払っている。
「え、いまのドン先輩? あんな声出すんだ」
「なになに、修羅場?」
「え、こんなところで痴話喧嘩? ドン先輩とポーズ先輩って付き合ってたの?」
なんて声が聞こえてくる。恥ずかしさで真っ赤になったアドマイヤドンはヘリオポーズの手を引き、急いで階段を上がっていった。去り際
「私はこいつと付き合ってなんかいない‼︎」
という言葉を残していく。
「お前、恥ずかしいやつだなぁ……公衆の面前でよくもまぁあんなこと……」
「いや、君にだけは言われたくないぞ。豆腐メンタルウマ娘」
「どっちかっていうと、今はドンの方が豆腐メンタルだけどな」
「うるさい」
校舎の屋上。
ここは静かで高く、府中の街が一望できた。少し離れたところには東京レース場も見える。
「で、何がわたしのせいだって?」
「南部杯のことだ。君はなんで、南部杯の時ああだったんだ」
「ん? ちょっとお前が何を言ってるのかよくわかんないよ、ドン」
「とぼけるな。いつもの君だったら、悔しがるとか凹むとか、何かしらそういうリアクションがあったはずなのに、昨日はなかった。何もだ。なんでだ! たった一度の肝試しでギャン泣きしたからってそんなすぐ変わるはずないだろ。なにか企んでいたはずだ」
「お前な……失礼なことをよくもまぁずけずけと言ってくれるよ……。つまりあれだろ、昨日わたしが六バ身も離された上での二着だったのにも関わらず、悔しがりもせず泣きもせず落ち込みもしなかったのが不可解で理解し難くて、考えすぎたら歌詞間違えたんで腹いせにその責任を転嫁しようってわけだ」
「っ」
そこまでは言ってない、と言いたかったが言い返せない。自分の主張はまさにその通りである。
「確かに、わたしはまだ虫は嫌いだしホラーも全部嫌いだ。あんなの、この世に存在していい理由が何一つないとまじで思ってる。お前の言うように、人はそんな簡単に成長したりなんてしやしない。昨日わたしがお前に負けて悔しくなかったかと言えば、そんなことはないよ。悔しいに決まってる。当たり前じゃないか。でも昨日はまた別の目的があったからな。負けるのはまぁ、織り込み済みだったというか」
その表情は、どこか遠くを見ているように感じた。アドマイヤドンの知らない、どこか遠い別の何かを。
そして、ある可能性に思い当たってしまう。
「ポーズ、君はもしかして……もう私なんか、眼中にないのか……?」
ひどく震えた声で、寂しそうな表情で。
彼女は言った。
——もしそうだったら?
答えは出ない。ただすごく胸が苦しい。
撫でるような風が吹き、綿埃が舞う。
ヘリオポーズは真顔のまま、アドマイヤドンの耳に触れた。びっくりして半歩後退りしては壁に阻まれる。
「なんだ可愛い声出して。ほら、ゴミだよ」
一五センチほど身長差のあるヘリオポーズと壁に挟まれ、アドマイヤドンは震える声で一言、
「みみに、さわるな」
としか言えなくなっていた。今度は羞恥心のためか真っ赤になっている。
それが面白くてヘリオポーズは少し意地悪をした。前屈みになり、アドマイヤドンの耳元で囁く。
「わたしはお前しか見ていないよ、ドン」
「ふわぁぁぁ」
ふにゃりと蕩けてしまいそうな変な声を出しながら耳を抑えるアドマイヤドン。
それを見て満足したのか、ヘリオポーズは一言残して立ち去ることにした。
「わたしがお前を捕らえるも時間の問題だ。あと少しでわたしはお前に勝つ。絶対逃さないから、覚悟してろ。じゃあな」
キザっぽく手を振り、ドアの向こうへと消えた。
一際大きく重々しいドアの閉まる音が響いたあと、
「みみをさわるな、ばかぁ」
と弱々しい声が屋上に響いたが、それを聞いたのはたまたま先客として来ていたものの出そびれて、尊さのあまり気を失いかけているアグネスデジタルだけだった。
十月最終週のJBCレディスクラシック、ヘリオポーズは一番人気からの堂々一着でゴールした。
二着との差は七バ身。レース展開は差しでいくつもりが前に出てしまい、先行に急遽切り替えたものだったがこれが功を奏した形となった。
タイムはチャンピオンズカップよりも一秒以上速い。ここで、ようやくマイルの出口が見えてきた。
「ポーズ、可能性だが、マイルの攻略法として先行もありかもしれない」
「わたしは先行バじゃないぞ」
「わかってる。だけど脚質の適性を、有り余るスタミナで補えるとしたら? トップクラスの瞬発力は末脚勝負ではなく、前に出るためのものだとしたら?」
「なるほど……。実際、ドンのやつとのスピード差は無くなって来てはいるけど、ただそれだけだしな。先に前に出て速度差が無ければ、あとはスタミナ勝負になるってわけか」
「そう。ただ最後の踏ん張りに関してはチャンピオンズカップにはまだ間に合わないだろうから、今年は差しを狙いつつ、前に出ることを意識しながら走ってくれ。来年は先行でマイルを走れるように調整していこう。中距離に関しては要検討だが」
もし、ダートGⅠに二四〇〇メートルがあったら、なんて考えてしまう。アドマイヤドンとヘリオポーズの立場は変わっていただろうかと。
国内のダート重賞はほぼ全てがアドマイヤドンに対して適正のある距離だ。ヘリオポーズにとってはその多くが適正外。だからこそ、得意とする脚質を生かそうと努力してきた。
しかし、また別のアプローチではどうだろうか。
結果を出してきたいくつかのレースが、それを物語っていた。気付くのが遅かったかもしれない。だが、間に合う。これからだ。
牧場はそう信じている。
中京レース場でのチャンピオンズカップ。
ヘリオポーズは始終アドマイヤドンに張り付き、すぐ後ろからプレッシャーをかけ続けた。しかしアドマイヤドンは持ち前の強靭な精神力を遺憾無く発揮し、プレッシャーを跳ね返した。
一番人気アドマイヤドンは一着、二着には二番人気のヘリオポーズ。だがその差は南部杯での六バ身から二バ身へと縮まっていた。
タイムは一分四九秒四。前走のヘリオポーズのタイムの方が速い。
もはや確信に変わっていた。マイルでは確実に先行したヘリオポーズの方が速い。
あとは中距離も前に出るか、脚を貯めるか。
「その判断は次の東京大賞典で下すか」
有馬記念が終わり、東京大賞典が始まる。
暮れも暮れ、多くの会社は仕事納めも終わっている。
今年一年の全てのレースの中で、最後のGⅠがこの東京大賞典だった。
以前耳にしたことがある。とある芝ダート問わずの万能ウマ娘が、東京大賞典だけは出走を拒んだこと。
「有馬なら出ます。東京大賞典は無理です。理由? 年末だからです! 当日は流石に無理‼︎」
という、わかるようなわからないような理由だったとか。
今年もアドマイヤドンは有馬に出走、ヘリオポーズは東京大賞典となった。
今年最後の大レースと意気込んでいたアドマイヤドンだったが、四番人気も逃げバテて十六人中十六着。
彼女のキャリアの中で二桁、まして最後尾でのゴールは初めてのことだった。
変わってここは大井レース場。
ダート二〇〇〇メートルのGⅠで、ヘリオポーズは一番人気を獲得していた。
二番人気にはコアレスハンター。
三番人気にはロードバクシンという順である。
ヘリオポーズは大外枠ということもあり差しで行くことにしたのだが。
『さぁ、第三コーナーのカーブに入ります!
先頭はナイキアディライト、まだ粘ります。
二番手はNHKマイルカップの勝ちウマ娘サイレントディール。
サイレントディール、先頭に襲いかかって来た!
後続も追い上げてくる!
第四コーナーを回って、先頭はサイレントディール!
二バ身から三バ身引き離す!
二番手にヘリオポーズ、上がって来た!
残り二〇〇メートル、これは届くかヘリオポーズ!
逃げ切るかサイレントディール!
一騎打ち! 一騎打ちだ!
逃げるサイレントディール!
追いかけるヘリオポーズ!
しかしここまでだ! ここまでだ!
サイレントディール、一バ身差を守り切りダートGⅠを初制覇!』
——おいおいおいおいマジかよ!
完全な伏兵だった。メイクデビュー以降は芝の路線で戦っていたサイレントディールが、突如ダートに切り替えたのが先月の武蔵野ステークス。チャンピオンズカップにも出ていたが六番人気の七着。クラシック級でヘリオポーズより下だったために全くのノーマークだった。
昨年に引き続き、またも一番人気から二着となったヘリオポーズ。
「ちっくしょおおおおお!」
去年と全く同じ雄叫びが冬枯れの大井レース場に響いたのだった。