お祭りのようなURAファイナルズが終わり、新たなシーズンも始まった。
あいも変わらずトレーニングの日々。
ヘリオポーズの次戦は三月一週のエンプレス杯だったが、アドマイヤドンはその一つ前の週にあるフェブラリーステークスだった。
「なんだ、フェブラリーステークスに出てくると思ってたのに」
いつからか、昼は一緒に食べるようになっている。食堂で二人はいろんな会話をしながら、走りのヒントを共有した。もちろん、全くどうでもいい話もすることもある。
だがそんな日常が、互いに切磋琢磨することに繋がっていた。だからこそ尚のこと、フェブラリーステークスにヘリオポーズが出ないことをアドマイヤドンは疑問に思うのだ。最後に戦ったのは十二月のチャンピオンズカップだ。
「まぁ、いろいろとな。調整がまだ思うようにいってないっていうか。これ、ちょっと見てくれよ」
歯切れ悪く取り出したのは一冊の雑誌。ウマ娘のレース雑誌だ。
「うちのトレーナーが見つけてきたんだけどさ、これ。ここの記事」
指し示されたところには、ヘリオポーズとアドマイヤドンのことが書かれてある。戦績やタイム、走り方などいろんなデータをもとに結論づけられた一つの言葉。
「宿命の、ライバル……?」
二人は、他者からそう見られていたのだ。ただのライバルでなく、宿命のライバル、と。
倒すべき相手としてひたすらに打ち込んできた。時に気をかけたり、衝突したり、笑ったり弱みを見せたこともあった。
他者の評価を見て改めてお互いのことを鑑みるに、やはりなくてはならない存在だったのだなと実感する。
「お前がいなかったらわたしもここまで頑張れなかったと思うんだよ。なくてはならない存在ってやつ? だから中途半端な状態じゃ戦いたくないって言うかさ」
「へっ? あ、うん。そうだな」
心を見透かされた気がして一瞬声が裏返る。
「どうせそのあとまたドバイ行くんだろ? 流石にもうあんなところ行きたくないから、次の勝負はその次のレースってことになるな」
「ど、ドバイから帰ったら少し休養するから、帝王賞がその、ちょうどいいと思う」
——何を意識してるんだ、私は。こんなの、いつもの会話となんら変わらないじゃないか。
「ドン」
「な、なんだ」
「大丈夫か? もしかして、お前もドバイに行きたくないのか? 嫌なことはちゃんと嫌ってトレーナーに伝えたほうがいいぞ」
「あー、いや、そういうことじゃない。大丈夫だ、から。それより、帝王賞までにはちゃんと仕上げてくるんだろうな?」
「もちろん。もうお前に寂しい思いはさせないからさ、存分にわたしの後ろ走ってていいぞ」
「は⁉︎ 寂しくなんかないし尻尾追いかけて悔しがるのは君のほうだ! あ、こら、どさくさ紛れににんじんを持っていくな!」
三月のエンプレス杯はヘリオポーズの走れるダートレースの中で数少ない二一〇〇メートルのレースであり、二月一週目に行われたJⅠ川崎記念と同一のコース、同一の距離のJⅡレースだ。クラシック級限定の関東オークスは二年前に走って勝利しているが、シニア級になった今再び参加することはできない。
つまり、川崎記念の練習にはエンプレス杯に出るしかないのだ。
たかが一〇〇メートルだがされど一〇〇メートル。伸びることで何が起きるかわからない以上、先行策でも良いタイムを出せるかの検証が必要だった。
そして、川崎記念にこだわる理由に、来年の目標がある。まだ誰にも言えないが、芝のクラシック三冠を狙い春秋ダート制覇も成し遂げたアドマイヤドンの挑戦と偉業に触発されての目標。
やはりヘリオポーズは、アドマイヤドンがいればこそなのであった。
そして、エンプレス杯。ヘリオポーズは関東オークスで出したタイムを三秒も短縮し、二着のラヴァリーフリッグに八バ身という大差をつけてレースを勝利した。
フェブラリーステークスを三着となったアドマイヤドンは、再びドバイに挑戦したものの精彩を欠いたのか九着となり、失意とともに帰国。気を取り直して帝王賞に向けてのトレーニングを再開した。
かしわ記念ではヘリオポーズは二番人気ながらも、一番人気ノボトゥルーを抑え込み先行で逃げ切る。差しから先行への作戦変更も、この頃にはもう信頼できる程度には習熟していた。
そして待ちに待った六月の帝王賞。
昨年、チャンピオンズカップ以来半年ぶり、待ちに待った直接対決が行われる。
ダートレースを愛する全てのウマ娘ファン、トレーナー。そして、ヘリオポーズとアドマイヤドン自身が待ち望んだ対決だ。
盛り上がらない要素はなく、テレビも新聞も雑誌も、そしてインターネットも。芝の三冠レースのような盛り上がりを見せていた。
その要因はヘリオポーズとアドマイヤドンの対決だけではない。調子を上げてきたマルカセンリョウ、実績を持ちつつもラストシーズンになるノボトゥルーと話題には事欠かないJⅠだ。人気も、ヘリオポーズに続いてノボトゥルーが二番、三番にマルカセンリョウ。アドマイヤドンは芝のレースでの実績が伸び悩んだのが響いたがそれでも四番人気となっていた。
レース前日に放送された番組では、意気込みを語るアドマイヤドンの姿が見られた。
「人気では遅れをとりましたが、大事なのは本番で一番最初にゴールすることです。先輩たちにもヘリオポーズにも、前を譲る気はありません。それに、一番人気を喰ってこそ、レースの面白さがあるでしょ?」
夏本番を前にして、熱い火花が散る。
『帝王賞、まもなくファンファーレですが、今日のレースを待ちに待ったファンは多いんじゃないでしょうか。今年限りで引退するノボトゥルー、最近存在感を増してきたマルカセンリョウ。そしてそして、ヘリオポーズとアドマイヤドンの宿命のライバル対決。今日の帝王賞、果たして一体誰が勝利の栄光を掴むのか、全く予測ができません』
大井レース場に集まるファンもまた、同じく誰が勝つのか予測できる者はいない。誰が勝つかより、誰を推すのか。結局はそこに話題は行き着いた。
推しを精一杯応援する。もはやそれしかできることはないのだ。
運命のファンファーレが鳴る。
大井の砂の上をウマ娘たちが歩いて行く。十四人分のゲート。この中でたった一人、そう、たった一人のウマ娘だけがダートの帝王となる。
『一番人気のヘリオポーズか、宿命のライバル、アドマイヤドンか。はたまた百戦錬磨のノボトゥルーか、古豪のマルカセンリョウか。
ゲートインが終わり、いま勝負のとき!
さぁ、スタートしました!
前に行くのは誰だ、ヘリオポーズだ。
ヘリオポーズが飛び出してまず先手を取りました。
その後ろにアブサロムナイル、さらにアドマイヤドンも続いて行く。
マルカセンリョウがその後ろ、パールラヴェンダーがその隣で様子を伺う。
内からはヒルピクチャー、後ろからノボトゥルー、隣にメジロキルデア。
内からテレサブルティナ、外にトニージェント。
この辺りで各ウマ娘、第一コーナーにかかります。
ネイティブハート、並びかけてくる。
その後ろからラップゼット、並んで古豪シンディスラム。
最後尾にシャットグリーリーと続いて向こう正面に入ります』
バ群は十バ身ほどの長さになっていた。
先頭を行くのはヘリオポーズ。それを一バ身ほど離れてアドマイヤドンが追いかける。
——私を相手に先行勝負か、ポーズ。面白い、逃げられるものなら逃げてみろ。
砂埃を挟んで背中に受けるプレッシャーを、ヘリオポーズは感じていた。だが二〇〇〇メートルの先行逃げ切りには少なからぬ自信があった。たとえそれが、アドマイヤドン相手であっても。
——絶対逃がさないって意志が気配と足音から伝わってくる。ははは、おっかねー! でもな、ドン。お前こそ、ついて来れるつもりならついて来てみなよ。
そしてほんの一瞬振り向く。それは後ろを走るアドマイヤドンにはよく見えた。不敵な笑み。それはヘリオポーズの宣言だった。
絶対に追いつかせはしない、との。
「‼︎」
第三コーナー入り口で、アドマイヤドンが仕掛ける。三番手で追走していたアブサロムナイル以下、後続を引き離す勢いでのスパート。しかし。
——差が、縮まらない……!
ヘリオポーズもスパート。第四コーナーを回り切る頃には、並びかけるどころか三バ身以上ものリードを許していた。
——くそ、逃すものか!
全力で追いかけるアドマイヤドン。
ウマ娘たちの砂の蹴る音、スタンドの歓声、風を切る音、それらが意識の外に飛ぶほどのコンセントレーション。しかし、ヘリオポーズの背中は徐々に遠ざかって行く。
次第に浮上してくる跳ねるような鼓動と苦しいほどの息吹。それに気づいた時には、マルカセンリョウに並ばれかけていた。
「うおおおおおおおおおお!」
雄叫びを上げながら追い上げるマルカセンリョウだったが、アドマイヤドンは意地で踏ん張り二着を死守。それはアタマ差のゴールだった。
——心臓が飛び跳ねるようだ……!
ヘリオポーズの速さは、去年とは比べ物にならなかった。全力を出したのに逃げ切られた。呼吸が乱れ、疲労から足がもつれそうになる。
ダートでここまでやって勝てなかったことはかつて無かった。その相手がヘリオポーズであることに、奇妙な喜びがあったことをアドマイヤドンは心密かに自覚していた。
——センターがポーズでその隣が私のウイニングライブ……一昨年のチャンピオンズカップぶりか。
それまで、ダートを走ればアドマイヤドンがセンターだった。多くの場合、その隣にはヘリオポーズがいた。
この日まで八戦六勝。今日で二敗目。
——つまりポーズの隣で歌うのが今日で二回目ということ。
ふと笑いが込み上げてくる。悔しいが、やはりライバルはこうでなくてはとアドマイヤドンは思う。
勝者に近寄り、声を掛ける。
「勝利おめでとう、ポーズ。今日で六勝二敗だ。でも残念だけど、君の隣で私が歌うのは今回限り。次はない」
「ほー、そいつは楽しみだ。けど悪いな。わたしもドンにこれ以上センターを譲る気はないんだ」
お互いの力を認め合うからこその憎まれ口。
しかし。
アドマイヤドンがヘリオポーズの隣で歌うことは、彼女たちが想定しているのとは違う形で、この先二度と訪れることはなかった。