八月のブリーダーズゴールドカップ、十月初めのレディスプレリュードとヘリオポーズは一番人気一着とクラシックダート女王としての貫禄を見せ続けた。
アドマイヤドンは九月のセントライト記念、二番人気からの二着と、追い詰めるところまでは行くもののまたもシンボリクリスエスに敗れる。
しかし実力を出し切りやりきったようで、ダートに戻ってくる頃にはすっかり晴れやかで清々しい表情になっていた。
十月の最終週はすぐにやってくる。
大井レース場、JBCクラシック。
このGⅠクラスの交流重賞では、シニア級のウマ娘たちも参加する。
『注目はシニア級のゴールドプルーフ、トーシンブリザードでしょうか。
ロードバクシン、コアレスハンター、そしてクラシック三冠を狙いに行っていたアドマイヤドンからも目が離
せませんね』
——なんでわたしは六番人気なんだ?
パドック裏でヘリオポーズはひとり首を傾げていた。
彼女が築き上げた今年の実績は、先輩たちにも見劣りしないはずだった。人気トップスリーには入ると思っていたのだが蓋を開けた見ればこの有り様。
今年初のダートレースでもあるアドマイヤドンの方が人気上位というのもあり、やはり納得がいかない。
「ん〜〜〜?」
腕を組み唸る。その肩を、南関東の砂の女王トーシンブリザードが叩いた。
「どーしたよ、中央校の女王さん。もしや人気順が不満なのか?」
「あ、シンブリ先輩。いや、まあ。そーすね」
その表情がおかしかったのか、トーシンブリザードは笑い出す。
「あっはははは。まぁ、当日の人気順なんてのはあってないようなもんだ! 不満ならレースの結果で見せつけてやればいいのさ。『このあたしを一番人気にしなかった節穴はその目か!』ってな」
笑いながらバンバン背中を叩く。
「ま、走ってみりゃ何もかもわかるさ。少なくとも、あたしは二番人気なんてもん覆してやる気で走る。お前もその気があるんならかかってきな。あたしに追いつければ、だけどな」
一年上の先輩として容赦無く、初対決直前のこの場で威圧していく。
「ポーズ」
「あぁ、ドン。いよいよだな」
「待たせたね。それにしても大丈夫か?」
「は、なにが?」
ヘリオポーズは気づいていない。言うべきかどうか迷って、結局指摘はせずに意気込みだけ語った。
「今日は思い切り走ろう。
「当たり前さ。逃がしゃしないから、ゴール前では背後に気をつけな、ドン」
拳を突き合わせて別れる。
——ポーズ、雰囲気に飲まれかけてるな。先輩たちとの勝負も初めてなら、プレッシャーもかかるか。
振り向き、遠目から観察する。やはり動きがどことなく硬い。
「……」
だとしても、彼女にかけてやれる言葉はもはやなかった。できることといえば、背中を見せるだけ。目が覚めるほどの。
ファンファーレが鳴り、ゲートへと誘導されるウマ娘たち。
フルゲート十二人と少なめの出走で競われる二〇〇〇メートルのダート重賞GⅠ、JBCクラシック。
昨年参加したJBCジュニア優駿も含め、アメリカのブリーダーズカップをベースに創設されたJBC競争の一つ。
クラシック級以上のダートウマ娘たちによる中距離頂上決戦が、今はじまる。
『さぁ大井レース場から、交流重賞競争JBCクラシック、ゲートイン完了。
今スタートです。
各ウマ娘、綺麗なスタートを切りました。
ハナに立つのはどのウマ娘か。
レギュラーメンバー、前に行きそうです。トーシンブリザードがそれに続く。
並びかけるのはスリーピングライフ、そして四番アドマイヤドン。
これは激しい先頭争い。
その後ろからはイエローパワー。
それに続いてサプライズパワー。
その隣にはコアレスハンター、その外からゴールドプルーフ。
その後ろにミツアキサイレンス、リージェントブラフと続いて各ウマ娘、第一コーナーに差し掛かります。
九番ロードバクシンの後ろ、しんがりはヘリオポーズとなっています』
ヘリオポーズは得意な差しから、無意識に最後尾からの追走で様子見する作戦に切り替えていた。パワーと瞬
発力に自信があるが故の作戦変更でもあったが——
『向こう正面に入りました。前の方からもう一度見ていきましょう。
先頭は三番、レギュラーメンバー。
二バ身離れてイエローパワー続いています。
アドマイヤドンはすぐ後ろ。その内側にはスリーピングライフ。
サプライズパワーはその外から。並んで六番コアレスハンター。
その外にはトーシンブリザード。前を伺っています。
ロードバクシン、リージェントブラフに並びかける。
ここで各ウマ娘、淀みのないまま第三コーナーへ差し掛かりました』
ヘリオポーズはまだ最後方。そろそろ仕掛け期を見つけたいところだったが、なにぶん前は経験豊富な百戦錬磨のウマ娘たち。そう易々と道を開けたりはしない。
——こんなに塞がれてちゃスパートがかけられない。しくった……。
もう少し前に出ておくべきだった、そう思ってもすでに遅かった。レースは第四コーナーに差し掛かる。
『アドマイヤドン、仕掛けていきました!
おっとそしてGⅠウマ娘ヘリオポーズ、大外からスパートをかけていく!
しかしこの位置から果たして届くのか!』
第四コーナーを回りきり、後続が一気に追い上げていく。
直線で先頭はレギュラーメンバー。しかし二番手のアドマイヤドンが並びかけたかと思うと、すぐさま追い抜いていく。
『アドマイヤドン、先頭に立ちました!
ヘリオポーズはまだ後ろ!
後ニ〇〇メートル!
トーシンブリザード、アドマイヤドンに並びかけてくる!
トーシンブリザードか! アドマイヤドンか!
トーシンブリザード、抜けたか!
いや、抜けない! アドマイヤドン、粘る! 粘る!
アドマイヤドン、逃げ切るか!
トーシンブリザード、ねじ込めるのか!
あーっと今同時、同時にゴールイン!
大激戦のゴール前、勝ったのははたしてどちらのウマ娘なのか!』
レースは写真判定となった。
どっちが勝ってもおかしくないこのレース、しかし制したのはアドマイヤドン。ハナ差でトーシンブリザードから逃げ切って見せた。
大歓声に沸く大井レース場。しかし、ヘリオポーズはひとり呆然と掲示板を眺めて立ち尽くす。そこに、自分の番号はなかった。
——初めて、掲示板を外した……!
苦手の芝でさえ四着で掲示板入りしたヘリオポーズが着外どころか掲示板にすら入らなかった。
人気通り、六番人気の六着。それがヘリオポーズの今日の結果だった。
不満を抱いていた人気順。トーシンブリザードに悔しかったら走りで覆してみせろと言われ、そのつもりで走
った。が、結局はこの着順。
しかし勝ったのは、五番人気を大きく上回ったアドマイヤドン。一年先輩のトーシンブリザードをねじ伏せて見せた。今年初のダートで、ダートGⅠで。
自分は今日、何をしていた……?
自問自答を繰り返す。
——自惚れていた……。たかが一度、同世代相手のGⅠに勝ったくらいで……。
それを自覚した途端、自らの振る舞いの恥ずかしさを思い知ってしまう。勝利インタビューで大見栄切ったこと。今日は雰囲気にビビって最後尾から追走なんてらしくないことをやったこと。それがこの、こんなにも惨めで恥ずかしいレースになった。
——レース前は差しで行くと決めていたのに……!
土壇場で競り合うことから逃げてしまった。なんて、なんて——
——なんてカッコ悪いんだ、わたしは……!
視界が歪む。これが初めて、ヘリオポーズがレース後に実感した己の不甲斐なさだった。
誰にも見られないように、悟られないように、掲示板方を向いたまま観客席に背を向ける。アドマイヤドンに向けられる大声援。その中で自分に向けられているであろう目線もあるだろう。振り向けない。晒せない。今のこんな顔は……。
俯いたまま、ヘリオポーズは走り去った。早くこの醜い顔を、砂と共に洗い流さなくてはならない。でなければ、この後のライブ、バックダンサーとして相応しい自分になれない。
ライブが始まる頃には、平常心に戻っていた。
アドマイヤドンと走れたことに嬉しく思いつつ、先輩たちから受けたGⅠという洗礼、そのお返しはきっちりしてやると心に誓う。
今だけは、声を出さずに済んでいることをありがたいと思った。心は落ち着いたが、とても歌えやしない。
否、まだ心は穏やかなんかじゃない。悔しさがまだ渦巻いている。
ライブが終わる頃には夜もふけ、走ったウマ娘もクタクタになる。遠方のレースならばホテルに一泊するが、都内隣県であるならトレーナーの車に乗って寮へと帰るのが一般的だった。
今日もその例に漏れず、トレーナーの使い古されたミニバンに乗っての帰路。
夜の首都高を静かに走る。聞こえるのはロードノイズとリズム良く乗り越える継ぎ目の音くらい。横羽線からレインボーブリッジが見える。
「なぁ、トレーナー」
「……なんだ」
顔は外の景色に向けたまま、静かに問う。
「二人だとこの車、広すぎないか」
元気がない。覇気もない。こんなに落ち込むヘリオポーズを見るのは初めてだった。
「まぁ、二人だとそうだな。でも他に乗せることもあるしな」
この年、担当するウマ娘は二人増えていた。どちらもヘリオの名を冠する有望な子達だった。
「今日は幻滅したろ」
「なにに」
「……わたしに」
少し言いにくそうに。自嘲気味に。
罵られても構わなかった。お前はダメなやつだ、と。勝てるレースを落としたんだ。大見栄を切って恥ずかしい真似をしたのだと。
むしろ自分が自分自身に対してそう罵倒したいくらいだった。他のヘリオと比べても言い訳できないくらい酷い出来だったと思っている。
だが、トレーナーはそうはしなかった。
「今日のお前に、幻滅するところなんてなかったよ」
「……お世辞はいいよ、わたし自身が一番よくわかってんだから」
無理にフォローされる方が傷つくと付け加える。しかし、トレーナーは譲らない。
「無理なフォローでもなんでもない。俺はお前の走りも何もかも、幻滅なんてしていない。相変わらずポーズの走りやライブパフォーマンスに惚れ込んでるからな」
「は、はぁ? いきなり何を」
思わずトレーナーの顔を見る。運転しているため前を見ているが、至って表情は真面目だった。冗談とか茶化しとかそういうものではない。
「俺はむしろ、お前の才能を引き出し切れてやれなかったことを悔やんでいる。メンタルの部分も含めて。今日お前は会場の雰囲気に呑まれていたろ。同世代同士のレースとは違って、ガチンコのバトルだ。初めての経験で上がっちまっても無理はない。それに対して先手を打っておけなかったのは俺のミスだった。油断していたのは他でもない俺自身だ。悔しい思いも恥ずかしい思いも情けない思いも、ぜんぶ俺がお前にさせてしまった。本当にすまない」
ヘリオポーズは口をつぐんでしまった。
「チャンピオンズカップまで五週間。それまでに、絶対勝てるお前に仕上げてやる。名実ともに、ダートの女王にふさわしいヘリオポーズに。だから、もう少しだけ俺を信じてくれ。そして、どうか自分を責めないでくれ、ポーズ」
それには答えず、シートを倒して丸くなってしまった。
「少し寝る。着いたら起こして」
「わかった。おやすみ」