bloody camellia   作:ぽわぽわもっちー

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第一話:プリエール

 

 館から出て少し行った先、小菊の路を歩いていくと、そこには樹齢一千年は下らないとされる銀杏の木があった。いつもは小さな子供達の遊び場なのだが、今日は誰もいない。可愛らしい声の童歌が聴こえてくる筈の時間帯、何があったのかと飛び出してみると木の下には人間の幼な子がいる。眠っているのか気絶しているのかは判然としないが、触れた彼女の頬は仄かに温かい。薄く、水色を帯びた銀の髪は類を見ない程に幻想的で美しい一方で、服はカジュアルで飾り気のないワンピース。長く美しい髪には髪飾りの一つもつけておらず、物足りなく感じられる。ただの人間ではない故の魅力があるからなのか、それとも気まぐれなのかは分からないが、俺は彼女を抱き抱え連れ帰ることにした。空を見上げると、朱色の陽光が、雲をも優しく包み込んでいる。そんな夕暮れだった。ジャケットのポケットから携帯電話を取り出し、

「悪いな、追加で頼みてえことがあるんだが」

それだけを吹き込む。

 木製の古く、大きな、けれども凝った装飾が施されたドアを開け、

「ただいまー」と誰一人いない玄関ホールに挨拶をする。誰も出迎えてはくれないが、変わらず窓には陽光が差し込み、古い蓄音機からは、遠い昔に外の世界で作られた映画の中で使われていたという、子供の歌が流れてくる。それはどことなく牧歌的な一方で、深淵の底にいるような気分にさせてくれた。例えるなら、まるでマザーグースのような、死が身近にあるような世界。或いは幼な子達が人生で最初に出会うであろう残酷な童話。

 少し開け放した窓から隙間風が吹いてくる。壁の柱時計は既に四時をさしていて、陽が落ちるのはとても早いなと思いつつも気怠げに本を読んでいた時のことだ。同居人のロップモンが帰ってきたのか、ドアがゆっくり開いた。小さくも愛おしいその影は重たそうに何かが沢山入った袋を抱えている。

「ただいま、ベルゼブモン。頼まれたモノ、全部買ってきたぞ」

「おう、ご苦労さん。それじゃ……」

「おい、ベルゼブモン。何か聞こえぬか?」

「どっからだ」

「あっちの方からだ。ソファに見慣れぬ奴が眠っておる」

ロップモンが指差した方向を見ると、そこにはついさっき拾った少女を寝かせてあるカウチソファがあった。

「ヒトの子か?」

「そうだ」

「にしては珍しい色の髪だな」

「滅多に見ねえな、確かに」

ひそひそと囁きあっていると、目の前の少女がゆっくりと目を開けて起き上がる。鮮血のような、妖しく煌めくピジョンルビーのようなその瞳は、寝ぼけているのか光は鈍い。長く艶やかな銀髪も相まって、触れたら壊れてしまいそうな繊細なガラス細工か、あどけない少女のビスクドールを連想した。

「お、はよ……」

「おはよう」

ゆっくりと、それでいて辿々しく言霊が紡がれていく。年頃の少女の声ではあるが、その声は瞳と同じく虚に聞こえる。

「お前は……」

「ボクは……。分からない、ボクは誰……?何もかも溶けて、解けて……。ボク、は……」

まるで壊れた人形のようだった。いや、彼女自身、既に壊れているのだろう。それでも僅かに繋ぎ止められている自我が、彼女を成り立たせているのか。ロップモンが彼女の白い手を握る。

「心配するな、我々はそなたの味方だ」

「みかた……?」

「そうだ、お前が元の世界に帰れるまで傍にいてやる」

「そう、な……の……?」

ぎこちなくも愛らしい笑顔。洞の奥の小さな光を、俺は何と呼べばいいだろうか。彼女が思い出したように呟く。それは俺たち二人の名前。

「ルナ……、クロ……」

「ルナ?俺が?」

「ぅん、小さいのがクロ……」

「なら、お前はレナータだ」

「それ、ボクの名前?綺麗……」

「お前が名前をくれたから。名前がないなら、お前に合う名前を。何もかも失ったのなら、お前には生まれ変わるチャンスがある」

虚ろな瞳はほんの少し輝き始め、同時に涙がこぼれ落ちる。頬はうっすらと赤みを帯び、彼女はついに泣き崩れてしまった。様々な哀しみが入り混じった涙は澄んでいて、雲母のような儚さがある。細くか弱いその姿は、華やかな百合の花ではなく、荒地に咲く蒲公英の花。小さなそれは、遠目から見ても分かるくらいに目立つ花と比べると小さいが逞しく、美しい。一人だけでも花を愛する人がいたならば。それが自分だとしたら、彼女は漸く仲間と逢えたということになるのだろうか。以前の自分なら、花を愛でることは愚か足を止めずに、轢いていただろう。近づく者は皆殺めていたから。椿の路を辿り、得たものは。答えはとうの昔に解っていた筈なのに。誰一人として教えてはくれなかった、真の強さの意味。今なら分かる、仲間と共に見つけられたから。今度は彼女に教える番だ。

 居間では、レナータとクロがテレビを見ている。彼女はぬいぐるみのように抱きしめられ、耳や角を幼い手で撫でられていた。穏やかな笑みを浮かべ、菓子と紅茶を嗜む少女は服も相まってお嬢様に見える。いや、元は本物のお嬢様だったのかもしれない。自分とは釣り合わないだろうな、と思いながら俺はその場を後にした。

 誰もいない客間のソファに寝っ転がり、本棚から取り出した詩集を開く。あまりにも雅で美しい世界は、理解不可能な領域であり、読み進めようとすると頭痛がした。元々は此処に引っ越してくる前からあった代物で、いつからあったのかは分からない。更にはこの館も前の家主から安く買い取ったもので、引っ越してからまだ少ししか経っていない。空っぽだった家はかつての自分のようで、夜になると自然と虚無感を抱えるようになった。生きる為ならどこまでも非情になれてしまった自分が悪いとは分かっている。独りになったのもそのせいだと。けれど、今なら失った者の気持ちが分かる気がする。漸く手に入れたからこそ、奪われた時には人一倍涙するのだ。誰もいない部屋で静かに泣き始めた俺は、躰の奥から黒いものが出て行くのを感じた。もう陽はすっかり落ちていき、夜が始まろうとしていた。

 柱時計のチャイムが鳴り響く。その音に起こされ、目を覚ますといつの間にか午後六時になっていた。可愛らしい足音が近づき、ドアが開く。

「ルナ、入るぞ」

「何だお前か。クロ、レナータと一緒じゃなかったのか?」

「今、夕飯の下拵えをしてる也。貴様の出番だ」

そう言って、クロはあの銀髪の少女がいるというキッチンへ俺を引っ張っていった。いつもは俺一人で調理しているが、今回は違う。きっと、彼女が「やらせて欲しい」「一緒にやりたい」とでも言ったのだろう。だとしたら。

「危ねえぞ?」

「どうしても手伝いたいと聞かなくてな。ルナ、後は貴様に任せたぞ」

「ちょ、待てよ‼︎おい‼︎」

キッチンに向かうと、レナータは確かにそこに居た。けれど何をすれば良いのか分からないのか、ボーっと立ち尽くしているようだ。流し台の上には、クロが今日買ってきたばかりの食材が手付かずの状態で放置されている。

「レナータ?」

「ルナ、ボクは何、すれば……」

「お前は居間で待ってろ。飯作ったら持ってってやるから」

「折角置いてもらってるから、手伝えること、ないかなって……」

「ねえよ、今は」

「……そっか。ごめん、ね」

彼女は悲しそうな顔でキッチンを後にした。去り際に向けたその笑顔は寂しく、悲しみを帯びているように見えた。

 一通り三人分の食事を作り終え、居間に持っていくとレナータの姿が見えない。

「レナータは何処行きやがった?」とクロに訊くと、彼女は客間の方向を指さした。面倒くさいと思いつつ、呼びに行こうと居間を出ると辺りは既に暗くなっていた。漆黒にも似た紺色の空の中、耀く小さな金平糖が浮かんでいる。静寂に包まれた回廊を進んでいくと、客間が見えてきた。風の音に混じってオルゴールの旋律が聞こえてくる。心地良いその音色は俺の耳を擽り、ノスタルジックで物哀しい旋律は心臓を締め付けた。三回ノックをしながら丸いドアノブ回し、客間の中へと入る。

「レナータ……?」

「あ、その……、えっと……」

「さっきは怒鳴って悪かった」

「ううん、いいの……」

「まあ、とりあえず俺が作った飯でも食って元気出せよ」

「うん……!」

 今日のメニューは炒飯とキノコのスープ、そしてクラゲのサラダ。割とボリューム的には物足りないが、小さな躰の彼女に合わせて態と少なくした。彼女は小さな手で行儀良く、それでいてゆっくりと食べる。その顔は庭の隅に咲いた鈴蘭のように可愛らしい笑みで、漸く年相応の表情が見られたのだった。おかわりは要求して来ず、

「ありがと……」

と小さな声で呟き、クロをぬいぐるみのように抱きしめるのだった。

「クロ、あったかい……」

「我はそんなに抱き心地がいいのか……」

「まあいいじゃねーか」

正直、この時ばかりはクロを心から羨ましいと思った。自分が抱きつかれるサイズで、あそこまで可愛かったら。プライドや何もかもをかなぐり捨てて優しくなれたのなら。自分の目の前で仲良くくつろぐ二人がとても妬ましい。彼女は少し迷惑そうだが。後ろから抱きしめることが許されたなら……。

「レナータ、かわいいな……」

 風呂から上がった後、俺はレナータの着替えを用意するために客間へと向かった。クロに頼んで少女らしい服や靴、それと下着やら何やらを買ってもらったのだ。全て映画の中にいる若い令嬢やクラシカルな西洋人形などを思わせる上品なものである。彼女が元々着ていた飾り気のない服や靴は暖炉に焚べておいた。元の世界へ二度と戻ろうとは思わぬように。燃え盛る焔が、布を焦がしてゆき遂にはカケラすらも残らなくなった。その間にベッドメイクを済ませておき、彼女がここに来るのを待つが、焔は少しずつ勢いを増していた。それはまるで自分の心の内を表しているようで、いつかこの種火が彼女を包み込んで灼き尽くしてしまう。そんな気がしていた。レナータを愛そうと思えば思うほどこの腕が壊してしまうだろう。犯して穢して、狂わせて。あの妖しい瞳は輝きを喪って、そうして漸く躰だけは手に入れられる。

 これは俺の妄想だろうが、何も持っていないあの少女は完璧な形で生まれ変わることが出来た。もし独りであるならば、自分が傍にいた方がずっといい。そんなことを思っていると部屋のドアが開き、バスタオル一枚のレナータがクロを抱えて入ってきた。

「寒い………」

「着替え、置いといたからな」

「ありがと……」

「それじゃ、早く寝ろよ?おやすみ」

「おやすみ……」

「おやすみなさいなり」

そう言って俺は部屋の外に出た。暗く、灯り一つない廊下は、ランプを灯さなければ進むことすらままならない。使われていない部屋を二、三部屋通り過ぎた後、漸く自室に入ることが出来た。中は閑散としていて酷く冷たい。独りで眠るのがこんなにも心細いのはいつぶりだろうか。そんなことを考えながらベッドに躰を横たえ、目を閉じようとした時、不意に涙が零れてきた。言葉にならない想いを噛み締め、今度こそ眠りにつく。同時に時計のチャイムが鳴った。

 

 

 

 

 目が覚めた時には地面に横たわっていた。クロも側にいる。天を見上げればぽつぽつと雨が降ってきて、透明な雫が頬に当たりひやりと冷たく感じる。目の前にはツタで閉ざされた扉があるが、

「クロ、どうする?」

「已むを得ん、入るしかあるまい」

ランタンを灯し、廃城へと侵入した俺達。中は当然静まり返り、時折聞こえる雷の音と雨音以外は何も聞こえない。暗闇の中を歩いていると、靴に硬い何かが当たり、程なくして乾いた音と共に崩れ落ちる。廊下には砕けたガラス片以外にも、踏むとぐにゃりと歪む代物が落ちていた。ひび割れた窓からは沢山の蔦が屋内へと入り込んでいる。これだけでも不気味だというのに外ではずっと雷鳴が轟き続けているのだ、早く出ようにも出られないのがたまらなく嫌だ。

「………」

「どうした?クロ」

「……ルナ、貴様がさっき踏んだモノが何なのか分かるか?」

「?」

「アレは、人間の屍だ」

「なっ……⁈ちょ、そんならもっと早くに言ってくれよ‼︎」

「それも、長いこと放置されていたようでな。ここは夢の中だが……」

「まさか……」

小さな灯を携え、地下へと降りていくとそこには簡素な、だが鍵のかかった小部屋があった。近づく度に女の怒鳴り声が聞こえて来ると同時に、男か女かも分からない幼子の泣き声が耳に入ってくる。叱りつけるだけならまだしも、何も知らない幼子に暴力まで振るうとは。

「何してんだこのクソアマ‼︎」

扉を蹴破るとそこには。

「………⁈」

質素な服を着せられた、見覚えのある少女の姿。踵の低い茶色の靴を履き、足には水色のリボンを巻いている。彼女は原型を留めない程ボロボロになったベッドに腰を下ろしながら、俯き泣いていた。顔は見えず、一枚のシーツを被っているが、涙がスカートの裾に染み込んでいるところを見る限りは、随分と長い間独りで泣いていたのだろうか。

「レナータ、なんでそんなところに」

「ずっと前から私はここにいたよ⁈気づかなかったのは貴方達でしょう……。醜いからって私を除け者にしようとして。みんな、みんな意地悪だ……。私何も悪いことしてないのに‼︎誰も私を愛してはくれなかった‼︎どうして、どうして私はこんな姿に生まれてきたの、誰か教えてよ……ねえ‼︎」

言い終わると、彼女はこちらに向かって手鏡を投げつけてきた。鏡は壁に当たり、砕け散るも破片は一つも当たらない。真っ暗だからというのもあるだろうが、感情の赴くままに投げつけているからか当たりどころが悪過ぎるのだ。終いには棚にあった鋏を持ち出し、じりじりと近寄ってきて自分の上に跨ってきた。

「ま、まさか……」

「殺してやる‼︎」

そう言って脇腹に鋏を突き刺した。心臓ではなかったのが不幸中の幸いか。息を切らしながら、深いところに刺さった刃を抜くと、そこから紅い血が漏れ出て来る。

「痛え……」

「貴方を殺して、私も死んでやる‼︎」

「やめろっ‼︎」

 刹那、静まり返った筈の部屋に発砲音が響いた。刃は乾いた音と共に床へ。躰を起こし、彼女を抱き上げる。真紅の目からは未だに涙が零れているが、その顔は怒りではなく悲哀で満ちていた。

「どうして、そんな………」

「その眼も、髪も。全て愛おしいから。誰がお前を嫌おうと、俺だけはお前の味方だからな」

「私、貴方に酷いことしたのに……?」

「過ぎたことじゃねえか。それに俺も長いこと独りだったからさ、お前の気持ちが解らねえ訳じゃない」

「ありがと……」

俺はレナータを膝に乗せてキスをした。細い喉へ軽く口付けを落とすが、彼女はくすぐったいのか少し目を細めている。その後、手の甲にキスをするも、彼女は目を丸くしていた。

「どうした、の?」

「ここまで俺のことを受け入れてくれた奴はいねえからな」

このまま朝まで抱き合おうか。お前の中の雨が止むまで。そのままベッドの中へと倒れ込み、俺は彼女に寄り添いながら眠ってしまった。

 朝日がカーテンの隙間から差し込み、刻告の鐘が部屋中に響き渡る。小鳥の囀りと共に、物哀しくも懐かしいメロディが流れてきた。美しく心地良いメロディを一体誰が弾いているのだろうと、レナータが眠っている筈の部屋を覗いてみると、彼女はピアノを弾いていた。小さな手は滑らかに、それでいて慣れた手つきで音の欠片をつむぎ合わせ、一本の糸を生み出していく。二分半ほど経ったところで、彼女は演奏を終えていた。

「レナータ、お前凄いな」「だな」

「え、あ……。ありがと………」

叶うことならずっと彼女のピアノを聴いていたかった。けれど彼女は、

「ルナ、お願いが……」

「何だ、言ってみろ」

「ボク、お友達が欲しい。ぬいぐるみさんが」

「幾らでも買ってやるよ。お前の為なら……」

レナータちゃんとこゆきちゃん、どっち派?

  • レナータちゃん
  • こゆきちゃん
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