メンタルが弱過ぎてこんなに遅くなってしまいました
何かを知らせるようにして鈴の音が鳴る。首に、縛られるようにして括り付けられた鈴には、小さな少女の無垢な想いが込められている。ソレは我からすれば枷に等しいものではあったが、鎖のように冷たいものではなかった。幼く、甘ったるい声とともに彼女は小さな手で我の角を撫で、抱きしめる。他にもぬいぐるみはベッドにもソファにもあるだろうに、それらを押し除けて我の身だけを。
「あなただけはボクのこと嫌いにならないでね、クロ……」
天蓋付きの、白く華やかなソファの上に座る小さな少女は泣きそうな声でそう呟いた。ソファの上には触り心地のいい、大きなエビフライやおにぎりといった食べ物のぬいぐるみがクッションの代わりに置かれている。彼女は、それらと同じように我を愛でる。我自身も心地よさそうにしているからか、鈴の音もどことなく安らかだ。あの黒い魔王には殆ど見せないであろう、穏やかで優しい笑みを我とこゆき達にはちゃんと見せていた。この幸福は、小さな少女が更なる力さえ求めなければきっとどこまでも続いていたのだろう。本来ならば。
この物語(モノ騙リ)はいつ終わりを迎えてもおかしくはない。その結末が如何に呆気ないものであっても、終幕に向かって進みゆく歯車を止めることは、我に出来る筈もない。屈強で大きな腕から幾人もの命が零れ落ち、幼くも妖しい命までもが奪われるという幕切れなど、本来ならば相応しいものでさえない筈だ。そんなことが起こった暁には、我々は泣きながら天に問うているだろう。
バイクを走らせること二時間半。丘を越え、荒野を抜けた先の険しい岩山の麓にその洞穴はあった。入口付近には松葉色の苔が生えた穴が口を開けている。一見なんの変哲もない洞窟のように見えるが、床や壁から水晶(クォーツ)のように透き通った宝石が生えていた。淡く光るそれは優しい色でありながら、少しすると色が変わるという不思議なものだった。削られたり、折られたりした跡が一つも見当たらないソレを、宝石として加工したらサマになりそうなものだが、採掘している奴を一人も見かけない辺り、そこまで価値がないモノなのだろうか。今日の俺達はそんな石ころモノに用はない。此処に来たのは『潮凪』の為だ。力を求めるレナータの為に、俺達はやって来た。だからあの白いチビ達二人はいない。足手まといになる位なら、と思い連れてこなかったというのもある。洞窟の中は冷たく、陽の光さえ当たらないので茸の一つも生えていない。蝙蝠のような獣の鳴き声も聞こえては来ない。生きているモノは俺達以外にはいなかった。ふと小さな少女を見遣ると、寒さ故か、それとも怯えているのか、震えているように見える。クロの小さな躰をぎゅっと抱きしめた彼女は、変わらず薄水色の髪を二つに纏め、二つのリボンで飾られた黒いベレー帽を被っていた。今日は黒い安物のヘアゴムで髪を纏めているが、髪を下ろせば人形のように見えるだろう。黒にも見える紺色のドレスには袖と裾にスカートと同じ色のフリルが散りばめられ、腰はまるでベルトのように蝶々結びのリボンで結ばれていた。
灰色のストライプの長靴下(ニーハイソックス)に、少し大人びて見える黒いパンプス。決して踵が高い訳ではなく、地に足が付きそうなくらい低い。長く歩くのが苦手な彼女の為に、俺が買って来たのだ。足首には細いリボンが結ばれていて、洞窟の中だというのにこれ以上ないくらいのお洒落をしている。否、俺の手でさせられている。そんな小さな少女は、小さな足で必死についてくる。靴は昨日下ろしたばかりだというのに、もう土まみれになり、輝きが徐々に失われていた。そんな彼女に、俺は、
「怖く無えのか?レナータ」
と問うた。彼女からは、
「クロも、ルナもいるから……」
と、泣きそうな声で返事が返ってきた。本当は怖いのだろう。クロが器用に耳を使って少女の頭を撫でている。お礼のつもりなのか、少女は優しく小さな角を撫でた。
「どうして」と。
進んでみたところで石ころだらけの何もない道が続くだけだったが、数秒おきに色が変わる水晶のお陰で何とか最奥まで無事に辿り着きそうだ。少し泥濘んだ道を通る二つの靴音だけが聞こえる。恐ろしいくらいに静かなところだった。レールやトロッコの一つもなく、今まで誰も来ていないことが窺い知れた。
愛車(ベヒーモス)で爆走出来そうもないような、曲がりくねった道を歩いていくうちに、遠目から何か細長い棒のようなモノが見えてきた。長いのと短いのと二つ、鎖で縛り付けられていて、近くから見ると意外と平べったい。完全に真っ直ぐという訳ではなく、緩やかにだが曲がっていりはようにも見える。封印の主たる真ん中の御札には、何故か朱色のインクで訳の分からないマークが描かれていた。俺が長い方の刀に触れようとすると、
「……誰ぞ」
と低い声がした。
目の前には頭の手前に甲羅を背負った大蛇がいる。クロはソイツを見るなり、
「……『潮凪』を我々に寄越せ」
「それは出来ぬ。幽世の王が後ろにいるではないか!それに、そなたは……」
「今の我はレナータにとって『導の鈴』也。我々の邪魔をするなら容赦はせぬぞ」
その顔は静かな怒りを宿している。だが、大蛇は、
「今のそなたは力を失っている。その形(ナリ)で我に勝てるとでも思っておるのか?」
と嘲笑った。
「……構わぬ、かかって来い‼︎」
そう言うと、小さな兎の躰は桜色の淡い光に包まれ、見たこともない文字の輪っかと共に大きく再構成されていく。手、足、耳と何もかもが少女の腕に抱かれていた時よりも大きく、逞しくなっていた。そうして小さな少女の一番の友達は、大蛇に立ち向かっていく。
かつての同胞は幼き姿にされた挙句、幽世の王へ寝返っていた。紅い眼の人間の少女が泣き喚き出そうがこちらの知ったことではない。それよりも、悪しき者へ寝返った兎と、後ろに控えている魔王を殺めなければ。力を奪われたことに絶望したのか?それとも、より強い力に屈したのか?あまり信じたくはないが、王への恩返しか?答えは分からなかった。あの黒ずくめの蜥蜴が憎々しい。小さな人間の少女をその手で穢し、支配下に置いているのだから。我は今、怒りに震えている。
「……さあ、どうしてくれようか」
我は魔王に鉾先を向けた。この剣は悪しき者に渡ってはならない。持つべきは正しき心を持つ者でなければ。だから、どれだけ陰湿な手を使ったとしても罪にはなるまい。
王の前に懐かしい姿を見せつつも立ち塞がる同胞の眼は、悪しき者達と同じ色をしていた。混じり気のない、鮮血のような紅。だが、忌むべき色の中には確かに光が在った。その紅が、両の腕(かいな)が縁を断ち切ろうとも。我はあの小さな禍人(マガビト)を屠るだろう。この身が朽ちたとしても。それは我の身に予め叛けぬ命令として刻み込まれている。だから、あの小さな少女の心臓を鉾で突き殺すことにも躊躇いはない。だが、目の前の兎は彼女を護るようにして我の身に重い一撃を叩き込む。斧に変えた右腕で、肉を削ぎ落とすようにして。我も負けじと太い尾で鉾の柄を掴み、兎の一撃よりも速く刺し貫こうとするが、左手で防がれてしまう。まるで盾にするかのようにして鉾先を弾くのだ。怒りに歪んだ目つきからして、恐らく誰を狙っているのか解っているのだろう。やはり気に食わない。我の同胞であった時からこの兎の目つきは気に食わなかった。何を考えているのか解らぬ双眸は、しっかり我を捉えながら小さな禍人を護っている。我々と弱き者に見せる目つきはいつも凪のように穏やかで。それが気に食わなかった。そのうち彼女は尾に向かって小さな竜巻を放ってきた。アレに巻き込まれてしまえば命はない。よしんば命が助かったのだとしても、そこだけ削ぎ落とされることは免れないだろう。現に、当たった箇所は掻き出された挽き肉のように、汚らしく紅が入り混じり、鉾は粉々になっていた。しかし、その点は心配しなくていいだろう。鉾は失っても無限に手に入れられるし、今度は口に咥えて振り回せばいいだけなのだから。しかし、この時の我は目の前の兎に気を取られる余り、前しか見ていなかった。
だから、後ろの銃声に気づかなかったのだ。爆風とともに、気づけば我の胸には風穴が開けられ、骨や内臓が剥き出しになり、そこから血が勢いよく噴き出した。肋骨に腸、少し動くだけでも激痛が走る。それでも我はあの禍人に一矢報いる為に身を引きずり、屠ろうと強く思った瞬間、咥えていた鉾は幼い少女の胸目掛けて飛んでいった。
速く飛ぶ鉾を止めることは兎といえども出来ず、小さな胸に刺さった瞬間には既に息絶えていた。どさりと小さな身体が倒れ、微動だにしなくなる。小さな口から血を吹き出し、紅い眼を見開いたまま。それを知るなり、幽世の王は物言わぬ骸に駆け寄り、その小さな躰を抱きしめた。彼の躰は段々と透け、消えつつあるというのに何故だか素直に喜ぶことが出来ない。兎も少女に駆け寄ると同時に元の幼い姿に戻った。つぶらな瞳からは大粒の涙が溢れ落ち、程なくして彼女は頽れた。哀しみ故か、首の鈴が鳴る。まるで小さな禍人を弔うかのようにして。
小さな少女のか細い腕に触れてみると、とても冷たく温もりを感じられない。揺さぶろうとも起きようとはしない、否。起きられない。少しだけ軽く感じられる白く細い躰。瞳孔が大きく見開かれた光のない眼。左胸に出来た血の滲み。我は泣きながらそこに刺さった鉾を引っこ抜く。そうしているうちに無慈悲に時間は過ぎていき、我の側にいる黒い魔王の躰が光とともに消えていく。少女の躰を抱き上げようとしても、彼はそれが出来ない。それ故に啜り泣く声は段々と大きくなっていき、遂にはそれが咆哮になった。口から溢れ落ちていく一筋の血の雫を舐めとろうとしても、地についた薄水色の髪を撫でようとしても。消えゆく彼が彼女に向けられるのは言葉だけだった。
「起きてくれよ‼︎起きろよ、レナータぁ……‼︎お前が死んだら俺どうやって生きればいいんだよ‼︎これからっ、俺達幸せになる筈だったのに‼︎抱っこくらいさせてくれよ……‼︎俺、お前に笑っていて欲しかったのに……。どうしてお前に触れねえんだよ……」
「我とてレナータに触れられぬのは悲しい‼︎何故彼女が死なねばならぬのだ‼︎もう二度と柔らかな手で撫でて貰えぬというのなら……」
そう思った瞬間、我の身から桜色の光が迸り、眼前に魔法陣が形作られていった。一瞬で出来上がったソレは、我とルナ、そしてレナータの骸を取り囲んでいる。何が刻まれているのか分からず、それでもゆっくりと優しげな光を放ちながら回転している陣の上では、ルナの身が消えることなくそのままの姿で在った。静かに目を閉じ、ゆっくりと開けた我は、
「深淵より出づる闇よりの救い手よ、この奇しき御霊を今再び現世に戻したまえ‼︎我が友の無垢なる魂を掬い、虚ろなるその身に宿し、縫い付けたまえ‼︎」
と涙混じりの声で唱えた。すると魔法陣の中から紫を帯びた黒の、泥にさえ見える巨大な手がレナータを取り囲み、ふわふわと我々の周りを頼りなく漂う水色の光球を乱暴に掴んだ
。それを右胸に押しやり、少女は震えつつも漸く起き上がった。同時にルナの躰も元通りになっている。
「……う、うぅ」
「レナータ、俺だ‼︎ルナだ‼︎分かるか⁈」
「ル……ナ……?ク……ロ……?どうしてボクはここにいるの?」
「……潮凪が欲しいと言ったのはそなた自身だ。力が欲しいのだろう?我々を護れる力が」
「ボク、そんなこと言った……?それよりお胸が、痛いよぅ……」
この言葉を受けて我は確信した。目の前の少女からは潮凪に関わる記憶がごっそり抜け落ちているのだ、と。
レナータちゃんとこゆきちゃん、どっち派?
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レナータちゃん
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こゆきちゃん