◇ルゥ(ルーチェモン、進化前)
「僕がなんだって願いを叶えてあげる‼︎」
時計は既に七時を回っていた。夜の公園のベンチに、たった一人で座っていた十五歳くらいの少女に私は声をかける。冬ではないので寒くはないが、涼しい風が肌に触れる季節ではあった。ライン入りのブラウスに亜麻色のスカート。膝丈のようだが、そこからは白い肌が見えない。今の私には触れることさえ叶わぬ、黒くて厚い布の正体はタイツだろう。靴は茶色いリボンが付いたパンプス。良家の娘とまではいかずとも、古き良き庶民の憧れを詰め込んだような姿の彼女は、その偶像たる顔には相応しくない表情を私に向けている。それどころか涙を流してさえいる。彼女の眼をじっと見つめ、過去を少しだけ覗いたが、恐らくは血の繋がりがないだろう父に叱られている。くしゃくしゃになった紙切れには赤く太い文字で六十一と読めた。殆どが彼の罵声で聞き取ることができないものの、目の前の少女に対して八つ当たりにも似た怒りをぶつけていることだけは理解した。制服を着て友達と談笑している時はひまわりのような笑顔を見せているが、その思考までは見えない。本来の父親は離縁したか、他界したかのどちらかで彼女が知る限り、いない。少女の母親は、女手一つで育てるのが辛いからか、それとも全く別の理由からか。彼女が十歳の時に再婚し、妹が産まれてからは家の中に彼女の居場所は無くなった。
「……家に、帰りたくないんです。どこか遠くへ行きたいんです」
「その願い、叶えてあげる!」
私はにこやかにそう告げた。
◇ルゥ(ルーチェモンFM)
ある意味でこの言葉は嘘だと言い切れる。家に帰るどころか、彼女は記憶も自我も失っているからだ。元の肉体は、硬いコンクリートの床に冷たく倒れ臥していた。作業台か陳列台のように簡素な、狭いテーブルの上には電灯のように光り輝くビンが一つある。淡い桜色の光を放ちながら、中の光球はふわふわと頼りなく浮いていた。私の目の前には人間の生き血で描かれた魔法陣があり、四方には黒く塗られた簡素な燭台が、真ん中には、白く真新しいタオルが掛けられた裸の人形がある。桜色の髪は長く艶(つや)やかで、もみあげはくるりと綺麗に巻かれている。腰をゆうに超える内巻きの後ろ髪はリボンで結ばれている。それだけではない。頼りない光に照らされているせいもあるからか、その輝きは腑のようにも揺らめく焔のようにも見える。血など通っている筈もないのに、硝子の眼は潤んでいた。気づけば私の眼は徐々に細められていく。頬の筋肉が自然と持ち上がっていき、ゆっくりと口角が上がる。私以外に誰もいない城の地下、二人だけの狂宴を始める為だけに。私はビンのフタを回し開け、呪文を唱えた。
「彷徨える魂よ、命なきものに宿るがいい‼︎」
命も何も宿っていなかった人形が、螺子が切れかけたおもちゃのように首をぎこちなく動かしてこちらを見る。さらりと揺れる妖しい桜色の髪に触れるだけで、私の心は溶けていく。目の前の少女ならばきっと私の全てを受け容れてくれるだろう。とはいえ、彼女には今何もない。名前も無ければ自我も記憶も無い。己を証明する身近なモノを何一つとして持っていない。私は目の前にいる人形の願いを確かに叶えてやった。彼女が望まないような形で。同時に自分の欲を満たしたい、というのもあった。その証拠に、彼女の見た目は十歳前後の少女にしか見えない。これから暫くの間は愛でてやれる。もう一度過去を覗こうと、自分の掌に桜色の焔を灯す。数分前のもの以外は何も見えない。真っ黒だ。禁術は成功したのだ。ただぼんやりとこちらを見ている人形に、私は一つの名前を与えた。ありふれたソレは、ある意味で幾らでも替えが利く。誰一人としてソレの意味を問おうとはしない。虚ろな愚か者にはとても相応しい名前だろうから。
「お前は今から『リズ』と名乗れ」
「……リズ。私のこと、ですか?」
「そうだ」
「ありがとうございます」
やはり、変わらず虚ろな表情を見せたままだ。声もぼんやりした調子を崩さない。だが、唇は確かに感謝の言葉を形づくっていた。
◇メル(ピーターモン)
一体、目の前で何が起こっているというのだろう。僕の両腕が後ろでキツく縛られているのだ。ギリギリという繊維の硬さや締め付け具合からして、恐らく麻縄だろう。それだけではない。頭を持ち上げることが出来ないのだ。理由はもう明白、自分の頭より大きな足に踏みつけられているから。そのうち、ソレは僕の頬を蹴り飛ばし、ホールの壁際に躰をぶつけた。よく磨かれた大理石の床と、華やかな燭台が掛かった壁に挟まれ、小さな僕の躰は乾いた音と共に倒れる。きっと僕のことを、相手は蟾蜍(ヒキガエル)か溝鼠くらいにしか思っていないのだろう。こっちはもう顔を上げる力さえ残っていないというのに。口の中を舌でなぞると、鉄の味がして、恐らくは歯が一本欠けている。翅を全てもがれ、蟻がそこに集り、喰われるしかない蜻蛉のように僕は死を待つしかないのだろうか。そんな僕の躰を、また大きな足が踏みつけた。今度はぐにっと腹を。上から恐ろしく強い力で押さえつけられているせいか、息が出来ない。骨が折れる音が聞こえないだけまだ慈悲深い方かもしれないが、腸などはかき混ぜられ、いずれは使い物にならなくなる。大きな手が僕の前髪を引っ張り、顔の前にぐいっと近づけてくる。僕とは違い輝いて見える彼の顔は、こちらにとっては理不尽なくらい、怒りで染まっていた。
「誰が私に叛いていいと言った?」
「も、も、申し訳ございません‼︎」
「リズ、コイツに叩き込んでやれ。私に逆らう愚か者には躾が要る」
「畏まりました」
目の前に、愛してやまない幼い少女が現れると同時に、僕の躰は床に叩きつけられた。彼女は鉄パイプを両手で構えている。それだけではない。黒いワンピースに白いフリルのエプロン、よく磨き上げられた新品の革靴。桜色の長い髪を後ろで纏め、薄紅色の硝子を思わせる眼。ぼんやりとこちらを見つめ、ゆっくりとこちらへ近づいてくるやいなや、身動きひとつ取れない僕の躰目掛けて鉄パイプを振り下ろした。一撃、二撃、三撃。僕の躰が鉄パイプを叩きつけられる度に悲鳴をあげる。何も少女は喋ろうとしない。だが、彼女の力は見た目からは想像もつかない程強い。明らかに子供の範疇を超えているのだ。今の彼女にかかれば、きっと鋼鉄もチタンも、踏みつけられたジュースの空き缶のようにへこみ、ひしゃげてしまうだろう。もう、泣き喚くことさえままならない。か細い息だけが僕の口から漏れている。
「リズ、そこまででいい」
そう言って、目の前の魔王が小さな少女の手を止めた。今の僕は足をジタバタと動かすことさえ叶わない。もう息をしているかどうかさえ分からなかった。片目が少女の姿を捉えるも、涙のせいかぼんやりとしか見えない。やがて、細い腕が縛られたままの僕の腕を引っ張り、何処かへと引き摺っていく。抵抗する気力さえ残っていない。今の僕は脆く壊れやすい人形のようだ。糸をだらんと出し、酷く弄ばれたそいつらのようにされるがままだった。
躰中が痛い。いつの間にか頬に涙が一筋通っている。硬い床の上ではない。柔らかなシーツの上だろうか。だとしても、僕の部屋でないことだけは明白だ。掌の上にはふんわりとした感触がある。包み込むように、或いは蜘蛛の糸で縛り付けるように。包帯か何かだということは分かる。胸から腰にかけても同じような感触を覚えた。薄いタオルを大きく、厚くしたような布が全身に掛かっている。にもかかわらず、まるで灼けるようにして躰中が熱を帯びていた。一体誰が僕の躰を運んでくれたのだろうか。ゆっくり目を開けると、未だにはっきりしない視界の中に細身の若い男が現れた。糸のように細い眼に変わった髪型。ファンキーな見た目とは裏腹に、装いは使用人らしく堅苦しい。ループタイに燕尾服。その下には淡いチェリーピンクのシャツ。百年前であれば『紳士』として通っても然程おかしくない格好だ。僕はこの顔に見覚えがある。
「……全く、このまま目を覚さないのかと思いましたよ」
「すみません、僕が、ルゥ様に……」
「全て耳に入ってますよ」
「そうか、あなたに隠しごとは出来ないな。何もかもお見通しなんですね」
ぱっと見は執事のように見えるが、それはある程度正鵠を射ている。あの方の従僕である僕と、目の前の彼は地位が違う。彼は僕の上司であるとはいえ、多少は軽口が叩ける仲だ。腹の内を探ろうとは思わない。穏やかな笑みを崩さぬまま、彼は僕のタオルケットを引っぺがした。
「リズを救いたかったのですね?」
「そうです。あの子はとても純粋で流されやすい子ですから。あんな穢らわしい輩の慰みものにさせてたまるものか‼︎」
静かな怒りと共に、僕はまだ熱を帯びたままの拳を握りしめた。
◇サントス(マタドゥルモン)
未熟な正義というものは時に身を焦がす。それこそ己の躰を毒で蝕みかねない程に。背負った血塗れの斧と身一つでこの城にやってきたメルは、きっとリズに懸想しているのだろう。誰からも石を投げられ、唾を吐かれるような処刑人だった彼を拾ったのは確かにあの方だった。最初こそ違ったかもしれないが、彼は小さな少女に一目惚れしたのだ。自分に向かって石も投げなければ、罵詈雑言の一つも言わない。虚ろな眼差しだけを向けてくる。それでも懸命に働いていた彼女の力になりたいと、彼は考えていた。しかし、彼はある日理解してしまう。ルゥ様が彼女を夜な夜な抱いていたことを。私はここに来てすぐに、そう言った趣味を知った。最初はそれこそ、今私から手当てを受けている青年のように何回も楯突いた。しかし、そんなことをすれば彼は手酷く使用人を痛めつける。メルは生かしたいのか、手加減されているだけまだいい。彼を失うのはあの方にとっても痛いからだろう。その見た目からは分からないが、処刑人時代に培った医術や薬学は無くてはならないものだからだ。材料さえ調達してくれば家庭薬の百や二百は調合出来る、その才能は私としても素直に尊敬できる。それに比べて、私はメルとは比べ物にならないくらい痛めつけられた。私が不死身であるのをいいことに、ある時は目玉を抉られ、またある時は四肢を引きちぎられた後に腸をずるりと掻き出されたり。目を抉られた時には、自分の耳元に視神経がブチブチと千切れる音が入り、主の顔や手は赤黒い血で染まっていく。その顔は理不尽な怒りではなく、恍惚に歪んでいた。四肢を引きちぎられた日は更に酷かった。処刑とも拷問とも言えるような、悍ましいことが閨で確かに行われていたのだから。壁や天井に縛り付けられ、そこら中に吊り下げられた裸の、幼い少女の人形のように、私はまず硬い石の壁に叩きつけられる。その後に胸を何度も踏みつけられ、私が呻くことしか出来なくなった時に、筋肉が千切れる音が聞こえてきた。同時に右腕の付け根から血が勢いよく噴き出す。その様を心底不快そうに見つめる青い眼は、かつての同胞を想起させる。全ての四肢を千切られた後は手刀で腹を貫かれ、真ん中からは大腸が臍の緒のようにずるりと這い出た。床の上は段々と赤く染まっていき、一面が血の海と化していく。耐え難い痛みを抱き締めることしか出来ない私はゆっくりと目を閉じた。
この時の私は人間に見えたらしいが、当然ながら私は人間ではない。幽世で幽鬼がヒトの皮を被っているだけだ。かつての主とそう変わらない、いやそれ以上の傲慢さと冷酷さを備えた魔王に仕えることがどれ程死と隣り合わせなのか。悲しいことに、私はこの生き方しか知らない。何度頭を踏みつけられ、足を舐めさせられたことだろう。王は我々の過去も全て知っているから逃げようとすれば、これまで以上に痛めつけられる。そうして、私は小さな少女を救うことを諦めたのだ。かつての主が毒を盛られて死んだという報せを聞いた時には心底安堵した。屈託のない笑顔さえ浮かべていたと思う。あの白い少女と妖精には気の毒だが、漸く私は自由を得ることが出来たのだから。思い出したくもないような所業を、私の眼前で何度も行ったのだ。まるで子羊のように着いてくる幼い二人とは違って、私の心には荊が巻き付いている。そしてそれは今も解けていない。この城において、かの魔王は絶対だからこそ。今だからこそ分かる。前の主の方が遥かにマシだったと。
メルは髪を下ろしたまま、私の部屋のベッドから未だに痛む身を起こした。吐く息は小刻みで、胸を右手で押さえつけている。涙を流しながら、スピネルの瞳をこちらに向けて、
「……執事さん、僕どうしたらいいんですか?どうしたらリズを助けられるんですか?」
「無駄ですよ。生贄でもいない限りは、ね」
「そんな、そんな……」
ただでさえ幼い少女を愛でるという趣味は決して褒められたものではない。最近はリズにさえ飽いているから、私の推測は当たらずとも遠からず、と言えるだろう。
「生贄……?それでリズが救われるんですか?」
「一度試してご覧なさい」
「何の罪もない、小さい女の子を……。攫って来いってことですよね?」
「そうですよ」
「う、うわあああああ‼︎大人なんて、大人なんて大っ嫌いだああああ‼︎」
絶望故か、彼は泣き崩れた。白いシーツを濡らし、力無く掴みながら。
レナータちゃんとこゆきちゃん、どっち派?
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レナータちゃん
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こゆきちゃん