◇サントス
私のことなど所詮は幾らでも替えの利く存在だ、と思っている輩が世界にどれ程いるだろうか。『執事』という役割を与えられ、押し付けられていく内に、私はそうした生き方しか分からなくなってしまった。惑わされている、とでもいうのだろうか。ベッドの上で泣き喚く少年を介抱しながらそんなことを考えた。
閉じた円環の中にいる以上、そこから出ることは難しい。かといって無理に出たのだとしても、意思なき死人のように生きるのが精々で、それ以上のことは望めないのだろう。何度もこの身を絶え間ない暴力で抉り取られ、また明日も同じ生を繰り返す。泣き喚いて己の不幸を訴えられるだけ、メルはまだ幸せだと云える。だが、それを言葉にしたところで虚しさが胸を支配するだけだ。意味などどこにあるのか。私の涙は涸れ果てている。朗らかな語らいも、二つの小さな楽しそうな足音も、もう遠くに行ってしまった。せめてあの二人だけは鮮やかに色づいた、幸せな世界で暮らせていることを祈る。
この機構(システム)の一部に取り込まれてしまっては、何人(なんぴと)たりとも逃げることは叶わない。考えること一つ無駄なことだと見做され、『自分らしく』生きることは忌むべきものだとされる。冷酷で残忍な主でさえも機構の一部であり、我々は彼の為だけに『在る』。傲慢な彼は下々の者をその中に、明確な暴力を以て取り込もうとする。恐らくは、『個』が在るがままでは孤独だから。そして、一人では何も出来ず、感じられないものもあるから。それでも主は何かを求めている。非道などその過程で生じるプロセスの一つに過ぎない。そうして我々は『染め上げられて』しまった。どれ程の古強者であったとしても、彼の目の前に立てば分かるだろう。我々は最早屠られるのを待つだけの家畜に過ぎないのだ。だが、全てを手に入れてまでこれ以上何を求めようというのだろう。
「………理解不能だ」
「どうか、したんですか?」
少年が眼をこちらに向けて、搾り出すような声で尋ねた。
「いえ、何でもありませんよ。この城で仕えている以上、余計なことを考え、行動に移してはなりませんから」
そう答えるのが精一杯だった。メルの眼を見遣ると、輝いているように感じる。この城に来てからまだ日が浅いから、知らないことも多いのだろう。その眩さはあの小さな少女の、オリーブ色の眼を思い起こさせた。白い妖精と館の中を駆け回っていた、白銀の髪をした小さな少女。かつての同胞の真似をして、後ろ髪を黒いリボンで結んでいたこともあった。彼がただ一人妹のように愛した少女のように濁りのないその眼。見ているだけで涙ぐみそうになるのは何故だろうか。
「あなたは優しいんですね、執事さん」
「私が、優しい……?」
「僕一人の為だけにこうして泣いて下さるんですから。こんなこと、生きて来て初めてなんです。ずっと、世界は冷たくて暗いものだと思っていましたから」
「……そんなものですよ。私がこの世に生を受けた時から、世界は白黒のフィルムのようで冷たく味気ないものでした。そこに色が付いたのだとしてもほんの一時のことです」
口では冷たく言うが、内心は違う。心を殺し切ることは出来ない。現に今も、彼女の笑顔を思い出している。その度に私はいつでもあの館に戻れると思ってしまうのだ。だが、あの夜に焼け落ちたのは充分に理解している。全く以て理解不能だ。
◇ルゥ
抗いさえしないただの人形にはもう飽いた。『個』と呼ぶには余りにも存在が薄すぎる彼女の代わりは、探そうと思えば幾らでもいるのだ。私以外には誰もいないベッドの上で、溜息を吐いたところで何が変わる訳でもない。このベッドは人間一人どころではない。三人で寝ても余裕が生まれ、五人で漸くぴったり眠れる広さに作られている。凡そ三メートルくらい幅があるソレには、ほぼ同じくらいの白いシーツと布団が掛かっている。四隅には天井に届きそうな位の長さがある細い支柱が天蓋を支え、そこからは私の身を隠すようにして重厚なカーテンが垂らされていた。それだけならこの部屋は貴人の寝室として片付けられるだろう。部屋の調度品である上等な木の箪笥や机。飾り棚や椅子の一つに至るまで豪奢なものばかりだ。広い部屋の真ん中を陣取っているベッドであってもそれは同じ。一つひとつ、私が素材にまで拘(こだわ)ったものだ。この私に相応しい一級品の家具で彩られている一方、壁、天井、更には鉄の鳥籠の中にまで壊れた人形がある。全てが全て裸で関節などは剥き出しのまま。それだけではない。靴下と靴だけを履かされ、変なポーズを取らされているだけならまだしも、髪が外れ、首が取れかけて今にも床に落ちそうなものさえ混じっている。手足がもげて人形の形さえ成していないものや、パーツだけが吊り下げられているということさえ珍しくない。最早狂気と呼んでいいレベルの執着は、物心ついた時から私の身をゆっくりと蝕んでいた。ただの人形ではない、きちんと抗ってくれる玩具が欲しい。きっと数ヶ月、いや数日と保たないだろうことは明白だ。それでも私は相応しい生贄を求め続けている。
いつものように、私は頭を踏みつけながら目の前で跪いている少年に命令を下す。やはりというべきか、相変わらず泣きそうなくらい怯えた眼をこちらに向けている。私より更にヒトに近いその身を強張らせ、片目だけを前髪から覗かせている彼に、
「メル、私に相応しい贄を連れて来い」
「……えっと、贄というのは?」
「決まっているだろう。私が愛でるに値する美しく幼い少女を連れて来るのだ」
「畏まりました……」
「お前には幼子を人知れず攫うなど造作もないだろう。期待しているぞ」
言い終えた後に、私は彼の頬を軽く蹴り飛ばした。彼は逃げるように玉座の間を後にし、静かな大部屋には扉が乱暴に閉められる音だけが響いた。
◇メル
『生贄』という言葉が頭の中で何度も反響する。無論、取引を持ちかけたのは僕だ。新しい生贄と引き換えにリズを解放するという、正義もクソもないようなものだが、案外すんなりと応じて貰えた。本人はリズに飽いていたというから丁度良かったのだろう。それにしても、嫌な言葉が重くのしかかって来る。彼にその身を一度でも捧げてしまえば、きっと死ぬまで離しては貰えない。それこそ、寝室に吊り下げられている壊れた人形達のように、躰がもげても、下手をすれば息絶えても愛でられるという最悪のケースさえあり得る。それでも、たった数日でもリズが解放されるのなら。僕はそう思いながら城の門をくぐり、寒空の中を駆けていく。
愛用の斧を担ぎながら空を駆ける僕の身は、少しばかり震えている。無理もない。黒く暗い空には街灯の光はおろか小さな星一つ見つからないのだから。地の底だから当たり前のことではあるのだが。お膝元の貧しい街に碌な人間などいないことは理解している。いたとしても芋臭い外見の、お世辞にも美しいとは言えない子供しかいない。だから地上に出る必要がある。街を抜け、森を抜け、古いトンネルや通路を思わせる洞窟の向こうへ向かい、行き止まりである小さな遺構へと僕は足を踏み入れた。両足を床につけると魔法陣が突然光出し、僕は次の瞬間、原っぱの上にいた。靴の裏には雑草を踏みしめる感触が伝わってくる。芝ではない。白詰草か何かだろうか。空にはダイヤモンドのように光る星が五つ程瞬いている。目と鼻の先にはなだらかな丘が見え、その上には古びた小さな洋館がある。二階建てで、小さなテラスには茶会をする為の白いベンチとテーブルが置かれている。昼であればきっと御伽話のように、小さな女の子達が朗らかにおしゃべりを楽しみながら、茶や菓子を摘むのだろう。そんな天国のような憧憬を頭に思い描きながら、僕は二階のとある部屋に忍び込んだ。
暗い部屋の中には、三人くらい眠れそうな木のベッドと猫足の机、同じくらい上品な椅子、それと飾り気のないクローゼットと鏡台、本棚があった。棚の上にはレコードプレイヤーがあり、ベッドの枕元にはクリーム色の羊と、薄緑色の小鳥のぬいぐるみがある。布団から飛び出し、薄い毛布とタオルケットに包まっているのは、菫(すみれ)色のネグリジェを纏った十二歳くらいの少女と白い、ぬいぐるみのような見た目の妖精だけ。月明かりに照らされた白銀の髪は、真冬の雪のように透き通っていて美しい。この二人には申し訳ないが、少女の方は生贄になって貰う。保って数日だろうが、それでもこれだけ顔立ちが整っていれば、きっと主に気に入って貰えるだろう。泣きそうなくらい強く目を瞑りながら、僕は少女を妖精ごと横抱きにして連れ去った。後には空っぽの部屋だけが残され、カーテンがそよ風で静かに揺れていた。
◇サントス
地下の独房に新しく幼い少女が入れられた、と主の口から聞かされた時には耳を疑った。我々からその子を隠そうとでもいうのだろうか。それとも檻の中で飼い慣らすつもりなのだろうか。彼は未だに件の少女の姿を見ていないという。攫ってきたメルが言うには、彼女の髪は白銀らしい。その上、子狐や子猫のように頭頂部の髪が両側とも跳ねていて、他は内巻きになっているという。虫の知らせというやつだろうか、胸騒ぎがする。何故なら私がよく知る人間の特徴と見事に合致していたからだ。だが、彼女はただの人間。私の記憶違いでなければ、オリーブ色の眼を持ち、前髪で右眼を隠している。
「何ということだ……。それではその子が贄になるというのか……」
「はい、今は眠っていますが……。いずれ地下牢から引っ張り出されるかと……」
私の掌はいつの間にか涙で濡れていた。叫んでさえいた。何の罪もない彼女が何故選ばれてしまったのだろう。近いうちに彼女は弄ばれ、無残な形で殺されるのだ。嗚咽が止まらない。あの笑顔がもう二度と見られないというだけで、温かな雫が頬を伝って止めどなく流れ落ちてくる。今すぐにでも抱きしめてやりたい、という想いを押さえつつ、私は重い足取りで少女が眠る独房へと向かった。
ランタンの灯が私の周りだけを円く照らし出し、地下への階段には乾いた靴音だけが響く。向かうのは階下にある小さな独房で、全ての石段を下り終えた後、狭い廊下を通ると、確かに牢屋とも独房ともつかぬ地下室が目の前に現れた。鍵がかけられた鉄格子の扉を覗いてみると、幼い少女が確かに眠っている。お世辞にも居心地がいいとは言えないものの、小綺麗なベッドの上に、友である白い妖精と共に寝かされていたのだ。その姿はかつての主を兄として慕っていた少女、こゆきそのものだった。他の、私と何ら関係のない子供であればまだ良かったのだろうか?それでも私の心は痛む筈だ。答えの出ない問いが頭の中を駆け巡る。
「……理解不能だ」
扉の前でそう独りごちた。
◇天本恋雪(?)
今何時だろう。もう朝になったのだろうか。妹がベッドから身を起こした。薄暗い、六畳くらいの部屋の中で。眠る時までいた、さっぱりしつつも温かく広いベッドがあるあの部屋とは違う。きょろきょろと辺りを見回してみると、扉に鉄格子がはまっているのが分かる。壁はコンクリートだろうか、触れてみるとひんやりと冷たい。ベッドの前の壁際には箪笥、小さな机と椅子がある。オフホワイトのベッドは一人が眠れる広さで、白いシーツと同じ色の布団、それとフリルの付いた真新しい枕がある。クッションよりもふかふかで、頭を乗せると落ち着く柔らかさだ。机は外の世界にある学習机とそう変わりはなく、温かな光を放つランプスタンドと木目が見えるブックエンドがある。当然というべきか、箪笥の中にも机の抽斗の中にも何一つとしてモノが入っていない。空っぽの部屋に妹は閉じ込められたのだ。
いや、厳密には空っぽという訳ではない。何故だか薄い翠色の丸っこい蜥蜴や、殻の代わりに林檎を背負った蝸牛のぬいぐるみが枕元にあったのだ。妹が着ているのは菫色のネグリジェのまま。だが、この格好で外に出る訳にはいかないし、よしんば出ようとしても扉は開かない。外から鍵が掛かっている。幸いブランは無事に眠ったままだ。可愛らしい寝息が聞こえてくる。壁を見てみると、時計の一つもない。通常であれば円くシンプルな時計の一つもあるだろうに、ここにはない。扉の外を覗き込むが、暗くて何も見えない。ランプを点け、机の周りだけ明るくしたがやはり何も変わらなかった。ブランは一向に起きないし、私としても寒いので布団を被って再び横になることにした。
十分は経っただろうか。靴音が上の方から聞こえてくる。一人だけだが、懐かしい気配を感じる。鍵だろうか。金属がぶつかる音もする。少なくとも一つだけではないことは確かだ。
「……誰だ」
足音はこちらに向かってやってくるようだった。階段を下りてくるのが嫌でも分かる。そのうち音がぴたりと止まり、若い男の、
「お目覚めですか?」
という声と共に扉が開けられた。
レナータちゃんとこゆきちゃん、どっち派?
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レナータちゃん
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こゆきちゃん