◇天本恋雪(?)
時計の一つもない地下の独房に閉じ込められてから、随分と時間が経った気がする。朝方に着せられた服のまま、私はベッドの上に横たわっていた。黒のストッキングは既に脱がされ、裸足になっている。躰を起こして少し経った頃、ベッドの上にあるぬいぐるみの個数が増えたことに気づいた。暗闇の中で眼が慣れつつある中で、その色まで分かってしまった。すみれ色のおばけ、白く小さな身体に水色のふわふわとしたしっぽを持ったモモンガ。小さな茂みにひものような足が生えた、変わったぬいぐるみもある。いずれも妹が目覚めていれば確実に喜んだだろうが、贈った者の意図が分からない。どういうつもりなのだろう。ブランは眠ったまま目を覚まそうとはしなかった。
暗い部屋の中で、おばけのぬいぐるみは淡い緑色に発光している。優しく光っているわけではないからか、今は撫でてやる気にさえならない。にも拘らず、触れるともちもちとしている。底の方にはビーズが詰まっているようだ。この時、こゆきが目を覚ましていれば、即座に飛びつくことは明白だ。
「あの魔王、何を考えている……?」
私は一人、闇の中でぼやいていた。
◇ルゥ
今の今まであんな眼は見たことがなかった。これまで私に楯突いた者の中でも一等愛らしい。怯えどころか蔑みを秘めた藍の眼を思い出す度に抱きしめてやりたくなってしまうのだ。彼女の中には幽鬼おにが巣食っているが、その奥には澱のような怨みが潜み、叛逆者の証が刻み込まれていた。彼女のような者を生まれて初めて見た私の中には、まるで恍惚にも痛みにも似た感情が芽生えつつある。あの小さな足を舐め回したらどんな味がするだろう。髪を撫でてやったら、抱きしめてやったら。左右の眼の色が違うことなど些細な問題でしかない。気になるものか。
本来であれば、彼女の幼い躰は幽鬼の手で食い破られていたに違いない。だが、それでも尚、愛らしい姿を保ち続けている理由は分からない。知ったところで解せるか否か。それでも一度この感情が私の中に根を張ってしまえば、千切れた蔓のように我が身を覆い尽くしてしまうだろう。それしか考えられなくなるのも時間の問題だ。我ながら狂っている、と私はベッドの中で感じていた。
「まあ、精々可愛がってやろうじゃないか」
そう独りごちながら、私は天蓋から吊り下げられていた少女の人形を握り潰す。元々首が外れかけ、裸で四肢も捥げていたそれは、少し力を込めるだけで簡単にただの欠片となる。罅の入った頭が硬い床に落ちた時、それは髪の毛だけを残して砕け散った。もう狂笑が止まらない。支配や暴力ばかりだった私としても、こんなことは長いこと生きてきて初めてだった。きっとあの小さな少女と引き離されたら、今の私は怒りの余り、全てを壊しても可笑しくはないだろう。幾度も古兵の血肉に爪を立て、骨の一つも残さなかった私が、だ。そう在った筈の私が、世の理から外れたかのように。これを狂気と呼ばずして何と呼ぶ?
◇サントス
地下牢へ通じる石造りの階段を下りていくと、二つ三つと同じ造りの狭い独房がある。あの小さな少女は一番奥の三つ目に閉じ込められているようだった。他の二つはベッドも机も使われておらず、埃を被っていて空っぽだ。本来は何の為に使われるのかは分からないが、使われない方がいいに越したことはない。
一番奥の部屋からは白熱電球の灯が漏れ出している。彼女が起きているのだ。大人しくぬいぐるみで遊んでいるのだろうか。可愛らしいそれらを抱きしめ、時には小さな掌で撫でているのか。幾らぬいぐるみ達に囲まれ、ブランが傍にいるのだとしても心細いのは変わらないだろうに。果たして彼女は、モモンガのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめながらベッドの上にいた。だがその眼はどこか警戒しているようにも、奥底に怒りや恨みを秘めているようにも見える。
「こゆき様……?」
「何だ、お前か。こんなところにわざわざ来るとは。余程暇なんだな?それともサボっているのか?」
「違います‼︎あなた様をお連れするよう、ルゥ様から仰せつかっておりまして……」
「ほう、ならばこの子は、ブランはどうするのだ?」
「クリュ?」
「私共が預かります。あなた様が無事でいられる保証はない。あの方に目をつけられれば、何をされるか分かりませんからね……」
「……どういうことだ!あの魔王は何を企んでいる⁈私は何故こんなところにいるんだ‼︎」
「あなた様は生贄ですよ。ルゥ様を愉しませる為だけの、ね。お人形のようなものです」
「そんな、そんな目的の為に……⁈」
目の前の少女は怯えている。いつもは淀んだ光を帯び、表情が感じられない藍色の眼でさえも、今はそれを隠そうとはしない。嫌がる彼女を横抱きにし、私は独房を後にした。後ろからは白い妖精が付いてきている。
「離せ‼︎離してくれ‼︎」
「残念ですが、それは出来ません。大人しくこのままでいてください」
抱かれている少女は軽くだが暴れている。傍にいる妖精は心配そうに見つめていた。これから何がこの子の身に起こるのかは想像したくもない。きっと最後にどうなるのか、私自身嫌という程見てきたからだろう。
◇ルゥ
まるで何十人もの賓客が踊れそうな広さの寝室のドアがノックの音を立てている。サントスがこゆきを連れてきたのだろうか。
「……入れ」
言い終わった後に扉がゆっくり開き、怯えた様子の少女が入ってきた。サントスの姿はない。恐らくこの部屋の真ん前まで送り届けたので、自分が来る必要はないと踏んだのだろう。大きな靴音が遠ざかって行くのが聞こえる。小さな少女は、昼、夕と変わらず怯えた眼でこちらを見ていた。その一方で、隙間から見える藍色の眼は淀み、怒りさえ感じられる。幼いその身に似合わぬその感情を帯びた眼に、私は魅入られてしまいそうだ。私に抗う意思をひしひしと感じる。ベッドの近くまでゆっくりと小さな足は歩みを進め、泣きそうな眼で辺りをきょろきょろと見回していた。
両眼からは一筋の涙が頬を伝い、小さな唇は何かを訴えかけているが、何故だか苦しみに喘ぎ必要以上の呼吸を繰り返している。その様が愛らしいからだろうか、今すぐにでも抱きついて愛でたくなってしまう。震えながらも私に近づいてくる彼女の身を、私は優しく抱きしめた。
「よく来たな、こゆき。私はお前を愛おしく感じるのだ!お前を想う度、胸が蕁麻いらくさの棘で蝕まれるかのように疼き、南瓜かぼちゃの蔓でこの身が締め付けられる‼︎お前の小さな身を抱きしめている今でさえ、私の身は煉獄の焔で灼かれ続けているのだ‼︎今まで私にここまでの感情を抱かせた者はいない。罪深い、実に罪深いぞこゆき‼︎お前も私と共に……」
「……何を言っている?」
小さな少女は私に対して低く、落ち着き払った声で問うた。呆れと蔑みもあるのだろう。それがまた私の胸をときめかせる。そんな眼で私を見た子供などこれまで一人もいなかったからだ。アホ毛と垂れた小さな耳のような髪は、警戒するかのように少しだけ立っている。私はその様でさえ愛らしく思い、撫でようとした。が、次の瞬間、私の右腕には牙のように鋭い犬歯が突き立てられ、そのまま噛みつかれた。
腕には犬歯が撒菱(まきびし)のように食い込んでいる。傷口からは細く、干からびかけた沢のように血が流れ出ているが、咬合力からして私の敵ではない。力そのものは脆弱な人間を遥かに超えてはいるのだろう。それでも、噛みちぎり、引き裂くには足りない。だからだろうか、簡単に振り解けてしまった。とはいえ、手加減はしたので、彼女の小さな躰はベッドの端の辺りに跳ねていった。不死身とはいえ、これくらいのことで泣き喚かれては困る。もっと抗って欲しい。その小さな足で私を思いっきり踏みつけて欲しい。両眼で私を射抜き、もう一度睨めつけて欲しい。だが、私の期待とは裏腹に、彼女の手からは細い鋼線(ワイヤー)が現れた。紅い電撃のようなソレを、少女は後ろに回り込んでから私の背へよじ登り、肩車でもしているかのような体制になった時、それは起きた。
「貴様の首など捩じ切ってやる‼︎」
見ると、私の首には先程のそれが巻きつき、食い込みつつある。短刀でそっと撫でるように付けられた傷が、首に付けられるも、やはり力が弱過ぎるのか刎ねるまでには至らない。だが、少しずつ息が苦しくなっていく。中々に侮れない奴だ。ここまでしてくれるとは。私は指が切れるのも構わず、鋼線を引き千切った。同時に、こゆきの小さな躰がまたしてもベッドの上に転げ落ち、
「ぐっ……‼︎」
一度跳ねた後、仰向けに倒れた。
「大人しく私に抱かれていればいいものを……」
「誰が貴様なんぞに可愛い妹の純潔を捧げるか‼︎」
「ならば、これならどうかな?」
私は掌の中に小さな焔の球を出した。怪火(イルリヒト)だ。だが、幻惑の焔ではなく、目の前にいる者の過去を映し出す焔である。彼女のものは五月の若葉のように瑞々しい黄緑色をしている。コレが彼女の『魂の色』なのだろう。焔の中にはとても鮮やかな色合いで彼女の過去が映し出されていく。どんなカラーフィルムよりも鮮明なソレは、とても哀しい色合いで満ちていた。
目の前の少女、こゆきの人生はこの世界に来るまで決して幸福なものではなかった。生まれてすぐに見知らぬ男に捨てられ、髪や目の色が違うことを理由に、周りの子供達からはいじめられ続けた。唯一守ってくれる親友がいたようだが、彼女はここにはいない。彼女のお陰で潰れずには済んだようだが、それでも自分を捨てた男に引き取られる時はとても晴れやかな笑顔を見せていた。これで彼女が幸福になれたのなら、そこで映像が途切れていてもおかしくはない。それでも映像が続いているということは、彼女の身に何かが起きたのだろう。映像を何倍もの早送りにし、私は恐ろしいものを目にした。
小さな妹の所業は狂っていた。燃え盛る城の中で消えゆく義兄の血を幼い舌でぺろぺろと舐めていたのだ。白い妖精が、
『おなか壊すでクル‼︎』
と、止めようとしても聞こうとする素振りは見せない。吐いた血を舐めるだけではない。その血を飲んで恍惚としていたのだ。涙を流しながら嬉しそうな顔を見せ、口元を血でべっとりと濡らしている。私はそこで映像を消した。もうこれ以上は見ていられない。吐き気を抑えつつ、
「そこまで想われていたとはな。妬ましい……」
「何が羨ましいものか‼︎私は妹の所為でこうして生き地獄を味わっている‼︎」
「心配するな、今すぐ天国へ送ってやろう……。快楽のな」
「嫌だ‼︎離せ‼︎」
私はこゆきのスカートに手を伸ばした。
まず、私はスカートを破かないよう、優しく脱がせてやる。すると、彼女はこちらが驚く程真っ白になったが、藍色の眼は苛ついたままだ。私はそんな少女の腰を持ち上げ、膝の上に乗せてやる。
「魔王、貴様は何を考えている⁈」
「何、その身を愛でてやろうと思ってな。心配するな、すぐに良くなる」
「妹を穢すつもりか?やめろ、やめてくれ‼︎」
「可愛いなぁ、もう」
「話聞け、このロリコンスケベ‼︎」
膝の上に乗せられたこゆきは、暫くの間暴れていた。やがて、私が仔狐の耳のような跳ねっ毛を弄り始めると、頬を膨らませながらも大人しくなった。
レナータちゃんとこゆきちゃん、どっち派?
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レナータちゃん
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こゆきちゃん