ですのでご存知の方のみお進みください
◇ブラン
夢を見ている訳でもないのに、いつの間にかブランとこゆきは陽の光の下にいた。小さな掌が銀の懐中時計を見遣る。ボタンを押し、何も刻まれていないフタを開けると針がお昼過ぎを指していることが解った。
周りを見渡してみると、整った道の向こうにはベンチがある。吹く風は涼しくて、細長い深緑の中からは彼岸花が顔を出していた。犬の散歩をしている人や、小さい子の手を引いて歩く女の人。杖をついているおばあさんに、ランニングをしている男の人。はしゃいで駆け回ったり、ボール遊びをするような子供は一人もいない。ベンチに腰掛けている人の中には、ポケットから四角い何かを取り出して眺めている人もいた。よく見ると、指だけは動かしていて、何かをカチカチと押している。同じようなモノを持っている人は他にも一人か二人いるようだ。こゆきは興味なさそうに通り過ぎていった。
公園を抜けて道路に出ると、何故か車が沢山走っていた。地面は黒に近い灰色で、ところどころ白い線が引かれている。ブランをその細い腕で抱いている少女は何故か戸惑っていた。
「……車、どうしてこんなにいっぱい走ってるんだろう。赤羽じゃ、道路で遊んでる子もそれなりにいたのに」
「クリュ……」
「それに、前は見かけた緑のおばさんもいないし、横断歩道の形だってよく見たら違うよ?」
「本当でクル」
「柱には変なボタンみたいなのが付いてるし。それにコレ、何だろう?」
こゆきは、柱の先に付いている緑と赤の電灯らしきものを指さした。上と下にそれぞれ止まっている人と、歩いている人のマークが描かれている。
「クリュ〜?信号ですよ〜?」
「赤羽にはなかったモノが多くない?それともまさか、私が住んでいた時代と違うの……?」
戸惑いつつも、少女は前へ踏み出した。
横断歩道を全て渡り終え、少し歩くとそこにあったのは見たこともない建物だった。小さなアパートくらいの広さの建物に、黄緑のラインと爽やかな青の字で店の名前が記されている。扉がどこにあるのかは分からないが、店と外を隔てている薄いガラスの板に触れるまでもなく、スッと入口が出来上がっていた。中に入ると、色とりどりの食べ物が並べられた棚が目に入った。オレンジ色の袋に入ったスナック菓子や、シールのおまけが付いたウエハース。ラムネや円いお煎餅、それ以外にもカラフルな飴やチョコレートがある。こゆきは驚き、目を見開いている。棚の中から鮮やかな、それでいて高そうにも見える赤い箱を手に取り、じっと見つめていた。
「嘘……。形が違う……⁈それだけじゃない、ここには私が知ってるモノが殆どない……。何もかも、変わってる……」
「でも美味しそうなのいっぱいあるでーすよ?」
彼女はポロッと箱を落としてしまった。
その後、こゆきとブランは大きなガラス張りの扉の前に立っていた。目の前には変わった形の、プラスチックのビンが入っている。半透明のラベルの下からは茶色のお茶や、紫色のサイダーが見えた。彼女が扉を開けて、そのうちの一本を手に取ると、
「このお茶、冷たい!」
そう言ってレジへと向かった。向かう途中、小さな行列が出来ていて、こゆきは一番後ろの方へ並んだ。途中、おにぎりの棚やアイスケースがあったが、彼女は見向きもしない。調味料やチーズ、ヨーグルトやパンなどがある棚にも立ち止まろうとはしなかった。行列の前には、メガネをかけたおじさんや、スーツを着たお姉さん、黒い制服を着た背の高い男の子、紫のコートを着た男の人がいた。カゴを持って買い物をしている人は少ない。行列はどんどん進んでいき、こゆきの前には一人だけになった。
レジは三カ所あって、カウンターにはエプロンと四角いプレートのようなものをくっつけた人が立っている。彼女の声が聞こえると、こゆきが前に進んだ。慣れていないからか、それとも人見知りだからか、彼女は前髪で片眼を隠したまま困ったような顔を向けている。そんな中でも少女はポシェットの中から小銭入れを取り出して、お金を目の前の人に渡した。それを見たエプロンの人は目を丸くして、
「これ、違うよ?お嬢ちゃん?」
「あの、これ以外ないんです……。すみません……」
よく見ると、それはお小遣いとして貰った二十ドルだった。彼女の小銭入れの中にはドルとセントしか入っていない。ジャラジャラと二十五セント硬貨を五枚出したが、エプロンの人は困り顔のままだ。そのまま壁の高いところに掛かった時計の秒針が一周しようとしていた時、
「買ってあげようか?ソレ一本くらい大したことないからさ」
まるで横入りするような形で、紫のコートを着た男の人がやってきた。
◇及川悠紀夫
何気なく小腹が空いたこともあり、俺はコンビニに行くことにした。家の近くには少なくとも五、六軒のコンビニがある。一つひとつは変わりないように見えても、よく見ると品揃えなどは微妙に違う。おにぎりや弁当以外にも、細かいところでは、菓子やキャンペーン、ホットスナックやジュースの種類なども違う。歩いて五分で行ける距離にあるところよりも、少しだけ遠いところに行ってみたいと思ったからか、俺たちは自然と車に乗り込んでいた。いつものコンビニとは違い、そこの品揃えは狭いながらもいいものだった。賑やかで騒がしい色が、自動ドアの向こうには溢れていた。
ポップな緑のカゴを手に取った後、俺はまずカップ麺のコーナーへ向かった。醤油以外には、シーフードや味噌などがある。うどんや焼きそばなどもあるが、無視して次は弁当のコーナーへ向かうことにした。狭い店の中に客はあまりいない。『レジ休止中』の看板が見える一つを除けば、二つの滞りなく会計が行われていた。初老の、ハゲカツラでも被っているのかと思えるような頭の店員の前を通り過ぎ、俺はおにぎりのコーナーへと向かう。
並べられたおにぎりを横目で見遣るといつも通り。個性が殆どなく、ラベルを見ることで漸く何が置かれているのか分かる。狩衣に身を包んだ内裏雛のように、黒い海苔を纏わせているせいか、黒い三角形が隅から隅まで並んでいるように感じられてしまう。その中から乱暴に三つを取り出してカゴに放り込み、レジへ向かった。途中、見覚えのあるぬいぐるみを胸に抱いた女の子とすれ違った。だが、ソイツはぬいぐるみのように見えるがどうも違う。大分昔にソイツと似たような可愛らしい生き物を確かに見たことがあるからだ。白く、羽根のように見える耳に丸っこい身体つき。クレーンゲームの景品になっていても可笑しくはなさそうだが、不思議なマークが額に付いていた。
俺は横からおにぎりとお茶の代金を支払い、おつりとレシートを受け取り店を出た。車に向かっている途中、ゆっくりとした足音が聞こえ、振り向くとさっきの少女がいた。
「あのっ、さっきは……。ありがとうございました‼︎」
「別に、それくらい大したことないから。お茶一本くらい……」
「それと、私……。帰るところがないんです。一晩だけでいいから泊めていただけないでしょうか?」
俺はその言葉に目を丸くした。本来なら迷子として交番に届けるべきだが、あの白いやつが絡むとそうも行かなかった。
「………仕方ないな」
助手席に少女を座らせ、車を走らせる。前髪で片目を隠した彼女は、可愛らしくもどこか凍てついた眼差しを向けてきた。不思議なくらい冷たい藍色の眼が隙間から覗いている。オリーブ色の目は年相応の無邪気さを秘めているのに、眼の奥に何かが潜んでいるような、言いようのない不気味さを感じた。
「君の親御さんはどこにいるのかな?」
「……私には親がいないんです。生まれてすぐに、二人とも亡くなりましたから」
「……可哀想に」
「それより、今は何年の何月何日なんですか?見たこともない建物がいっぱいあって……。私が見てきた時代と違うみたいなんです」
俺は一瞬耳を疑った。どう見ても今時の子が着ているような服装だ。黒いカーディガンに白のブラウス、紫色のチェックのスカート。幼い割には、着崩したような中学や高校の制服に見える格好をしている。これで通学鞄を提げ、革靴を履いていたらどこかの学校の制服だと言われても納得出来てしまう。だが、スカートには小ぶりながらも黒いフリルが縁取られていることから、漸く私服だと気づいた。頭の中には『時代が違う』という言葉への疑問が生まれつつあった。
「私、この辺りのこと知らないし、お店の品揃えとかが変わってるんです……」
「そうかい?普通じゃないか?」
「私が今まで見てきたものと余りにも違い過ぎるんです」
少女の言葉に言い様のない不気味さを覚えながら、車を走らせると俺達が住んでいるアパートに着いた。階段を上り、鍵を開けている最中に、小さな少女が柵から身を乗り出すのを見た。
「お、おい!危ないぞ⁈」
「車とか自転車が豆粒みたいに見えます‼︎」
「クリュ‼︎」
見ると、ぬいぐるみがにこにこと笑顔をこちらに向けてくる。さっきまで短かった筈の耳が広がり、伸びていることも含めて、作り物には全く見えない。
「まさか、その子は……」
「ブランがどうかしたんですか?」
「信じられない、本物のデジモンなのか……?」
「でじ……もん……?そ、それは何ですか?」
「上がってくれ、君にだけ話してあげるよ」
俺は小さな二人を家に招き入れた。
◇ブラン
狭い玄関にコンロが一つしかないキッチン、ソファーと黒い箱のようなテレビ、素っ気ない折り畳みテーブルがあるだけのリビング。大きな人が三人と、こゆきがいるだけでも息が詰まりそうになる。テーブルの上には小さなお皿と細長い何かが置かれていて、ソレには粒々のようなものが付いている。触ってみると、目の前のテレビに何かが映った。
色が付いている。テレビの中に映っているのは、何かの災害の映像だろうか。つまらない、と思いながらブランは他のボタンを押した。さっきの映像とは違うのが出てきて、悲しい音楽が流れてくる。二人の男が豪華な部屋でお喋りをしていたが、その空気は重たそうに見える。楽しくなさそう、そう考えたブランはまた違うボタンを押した。
一番上のボタンを押すと、今度は色とりどりの動物や丸い頭の人形が楽しそうにしている映像に変わった。こゆきはずっと目を丸くしたまま。どころか、目を輝かせている。そのまま数分くらい見ていると、後ろから声が聞こえてきた。振り向くと、
「こら、リモコン返せ!」
「アタシだって観たい番組があんのよ!アタシにも寄越しなさいよ!」
後ろにいる人達のことを、ブラン達はすっかり忘れていた。
「ご、ごめんなさい!」
「ごめんなさいでクル……」
そそくさと居間から離れると、今度はこゆきが大きな男の人に話しかけられた。
「ちょっといいかな?君」
こゆきの頭に乗って着いて行ったのは、小さな部屋だった。テレビに似たような機械が机の上に置かれていて、ソレを支えるようにベッドがある。コレが彼の部屋なのだろうか。だとしたらあまりにも素っ気ない。
「……ここは?」
「僕はね、君とデジモンについての話がしたいんだ」
「どうしてですか?泊めて下さったことには感謝してますけど。他の子じゃいけないんですか?」
「君はデジモンという生き物を知っているかい?」
「……知りません。ソレが、私とブランとどう関係があるんですか?」
「その白い子はブランって云うんだね。君にはデジモンと友達になる才能があるのかい?」
「クリュ?クリュ?」
こゆきは元より、今はブランも困惑している。聞いたことのない言葉ばかりで全然耳に入って来ないのだ。コンピューターだのデジタルだのという言葉は聞いたことがない。あの世界にいた時でさえも。目の前の少女は理解出来ないせいか、適当な相槌を打っている。が、前髪に隠れた藍色の眼は心なしか不機嫌そうだ。
「……さっきから聞いていたが、貴様の話は信じがたい。そんな莫迦げた話があるものか!あのテレビの中に世界が広がっているだと⁈有り得んな!」
こゆきは鼻で笑った。男の言うことを信じるつもりはないらしい。小さな少女と大きな男の距離は近く、何かを迫っているようにも見える。
「妹はこの世界の裏側、つまりはもう一つの世界にいた。この世界の大きな街にいた私は、この子の願い通りに裏の世界へ連れて行ったのだ」
「君の方こそ信じられない‼︎君は一体何者なんだ⁈」
「さあな、貴様は知らない方がいいかもしれんぞ?」
藍色の眼がせせら笑った気がした。
◇及川悠紀夫
窓の外は真っ暗になり、雲間からは三日月が顔を出していた。部屋から出て来た少女を見るなり、チャンネルを奪い合っていた二人の男女の顔がみるみるうちに青ざめていく。前髪の隙間から見える藍色の眼はまだ不機嫌そうだ。
「ボス、あの子……。目が……」
「ああ、少し前に事故に遭ってね。眼の色が変わってしまったみたいなんだ。だから、そんなに悪く言わないで欲しい」
「でも、ボス……。あの白い子は……。アタシ、あんなの見たことも聞いたこともありません‼︎」
「俺にも信じられないが、彼女のパートナーだろうな。だが、余りにも幼い。どうやって生き延びてきたのか分からない。他のデジモンの進化を手助けする力があるというから尚更な……」
俺たちが噂し合っている間に少女と白い奴は去っていってしまった。しばらくしてからシャワーの音が聞こえたので、風呂場にいるのだろう。安心した俺はテレビのチャンネルを回し、グラスに酒を注いだ。
少女が白いデジモンが風呂から上がり、居間に戻ってきた。男物の、ぶかぶかの黒いワイシャツを着て、首にはバスタオルをかけている。藍色の眼はもう見えない。
「おじさん、お風呂……。空きましたよ?」
彼女は困り顔でおずおずと知らせた。
「もうちょっと後でいいよ。それより君たちは何が食べたいのかな?何でも言っていいからね」
「本当に、ですか?」
少女が着替え終えた後、俺は急いで車を走らせ、五分くらいのところにあるファミレスに向かった。名も知れぬ少女は喋ろうとはしないが、着く直前にたった一言。
「いいか?くれぐれも妹には手を出すなよ?」
凍てついた声が、悪魔のような声が俺の耳に響いてくる。だが、不思議と理性的でどこか優しさを覚えるような声だ。俺の心の声とは大違いだった。
店の中に入り、空いている席に座ると、少女と白い奴が真っ先にメニューを開いた。
「何か決めてるでーすか?」
「そうだねぇ、ハンバーグがいいな」
「ボスは何にするんですか?」
「そうだな……」
少し迷ってから、俺はテーブルの端にあるボタンを押した。
少女の目の前には小さなサラダボウルと、スープカップが運ばれてきた。カップは白い奴の前に置かれ、ソイツはスプーンを手に取ると、掬ったひと匙のスープを冷まし始めた。少女はレタスとピーマンをフォークで刺し、口に運んでいく。
小さな少女は音も立てずにナイフを入れ、一口大に切ったハンバーグを口にする。白い奴には付け合わせのポテトを与えたり、小さな手で千切ったパンを分けている。自分のパンにはマーガリンを塗り、ちびちびと食べていた。
「美味しいかい?」
「はい、とっても!ご馳走、ありがとうございます!」
「美味しいでクリュ!」
さっきまでの雰囲気が嘘のような笑顔だった。子供らしく、穏やかで無邪気なソレが、何故か俺には眩しく見えた。
レナータちゃんとこゆきちゃん、どっち派?
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レナータちゃん
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こゆきちゃん