ようやく覚悟を決め、今後の話を始めるトレーナー。
「私は明日にでもライスのところに戻ります…。
だから、今の仕事場に話をしてきます。
何を言われるかわかりませんが、責任は全部私にあるのですから…それは全部受けいれます」
「うん…お願いするよ。なんならボクも一緒に謝ってあげるよ」
「いえ、私が撒いた種ですから私がけじめをつけなくては…。
社長はまだ会社にいるでしょうから今から行ってきます。
それでは」
決意を込めて歩き始めたトレーナー。
数歩歩いたところで動きが止まる。
「あの…攫われたからわからないんですけど…ここどこですか…?」
結局、皆に付き添われて会社に戻ったトレーナー。
「すいません社長!話があります!」
「うおっ!なんだ新人か。何してんだ、帰ったはずだろう?」
「大切な話があるので戻ってきました」
「話ねぇ…なんだ急に」
トレーナーは格好をそのままで来たため、
服は土まみれ、頬は腫れ、額から血が出ている異様な風体だ。
しかし社長はそこには特に触れることはしなかった。
「ふん、お前…帰る場所を見つけたって顔だな?」
「えっ!?……はい、そうです。
本当に申し訳ないのですが、明日からお暇を頂きたいのです」
「お前と出会った時はずいぶん思いつめた顔してたっけな。
ほっといたら死にそうな顔してたぜ。だからちょっと強引でも雇ってやったんだが…
暫く経って落ち着いてきても、ずっと暗い顔のまんまだったな。
でも今はそう言うのが吹っ切れたって感じがするよ」
「はい…。自分の過去から逃げるのをやめました…。
私…実はトレセン学園のトレーナーだったんです。
だけどそこから逃げ出してここにたどり着きました…」
「ああ…だからトウカイテイオーとメジロマックイーンが来てたのか。
わざわざここまで迎えに来てくれたんだ、帰ってやりな」
「はい…!すいません社長、こんな忙しい時期に急に…!」
「何言ってんだ、お前みたいな新人はいない方が仕事が捗らぁ。
とっとと荷物纏めて出ていきな、二度と戻ってくんじゃねえぞ。
お前の居場所はここじゃないんだろう?」
「ありがとうございます社長…!このご恩は一生忘れません…!」
「何、そんなのすぐ忘れてもらって構わねえ。その代りよ…」
社長がごそごそと机から何かを取り出した。
「この色紙にトウカイテイオーとメジロマックイーンのサイン貰ってきてくんねえか?
オレもあの子らのファンでな…!」
そうしてトウカイテイオーとメジロマックイーン、
そしてさっき会っていなかったミホノブルボンまで加わった豪華なサイン色紙を渡し、
トレーナーはその晩のうちにライスシャワーの元へ帰ることとなった。
学園への帰り道。
トレーナーはずっと深呼吸をしていた。
「スー…ハー…スー…ハー…スー…ハー…スー…ハー…」
「先ほどから呼吸が優れないようですが大丈夫ですか?」
ミホノブルボンが心配そうに聞く。
「うん…大丈夫。大丈夫だけど…戻る覚悟は決めたけど…
でも心に体が少しついて来てくれてないから落ち着かせるためにね…
スー…ハー…スー…ハー…」
「まあ逃げたことに立ち向かうのって大変だからね、気持ちはわかる」
「しかし落ち着きませんわね…。そうだ、先ほどは申し訳ございませんでした。
感情的になって手を上げてしまうなんて…なんと情けない姿を…
治療費や慰謝料はお支払いさせていただきます」
マックイーンはトレーナーをひっぱたいたことを申し訳なさそうに謝罪した。
「いえ、いいのよ。殴られて当然…何なら殺されても仕方ないくらいのことをしたんだもの。
私のことを迎えに来てくれたこと、私に勇気をくれたこと、感謝してます。
だから気にしないで」
「しかし…。その、大丈夫なのですか?歯とか骨とか…」
「うん、口は切っちゃったけど歯とかは折れてないよ。大丈夫大丈夫」
トレーナーたるもの、ウマ娘の攻撃にもある程度耐えられる頑強さは持っているものだ。
「でもビックリしたよ。ボクが殴り掛かったら止めてくれるって言ってたのに、
マックイーンの方が先に殴りに行くんだもの」
「うっ…。トレーナーさん、本当に申し訳ありませんでした。
二度としないように約束しますわ…」
しおらしく反省するマックイーンを見てテイオーが思う。
(うちのトレーナーとかゴルシに対しては割と容赦なく手を上げてたような気がする)
「これから戻る間に、私が知ってるライスさんの状態と経緯をお話ししますわ。
ショックかもしれませんが我慢してください。ライスさんに会う上で必要なことですから」
「は…はい。落ち着け私…スー…ハー…スー…ハー…」
「それでは…」
マックイーンは今までのいきさつを話した。
ライスシャワーが目を覚ました時に大暴れしたこと。
次の日から放心状態になったこと。
それ以降は一度だけ花見で反応があったが、
あとは誰が何をやっても無反応だったこと。
「うえええん…ごめんねえ…ライス…!」
「お医者様が言うには意識はあるし声も聞こえているらしいです。
ですのでライスさんにとって一番重要であろうあなたならきっと…」
「ええ…やってみるわ。それにもし私にも無理だったとしても、
これからは私がライスのお世話をしていきますから」
「お願いします。私たちも手伝いますので」
「うん。待ってて…ライス」
翌朝、ライスシャワーのいる病院に来た四人。
「ハー…ハー…ハー…!」
息を整え続けるトレーナー。
「大丈夫ですか?もう少し休んでから行きましょうか?」
「ハアハア…いいえ、たぶん収まらないと思うからこのままいくわ…。
それに一刻も早くライスに会いたいから。もうあの子から離れたりしない…!」
胸に当てた手をぎゅっと握りしめるトレーナー。
「そうですか、それでは行きましょう」
その姿を見て、ちゃんと覚悟ができているんだと安心するマックイーン。
「あっ…でもちょっと待って…もし私があの子に拒絶されたら…
そうしたらすぐに帰った方が…いいのかな…」
「きっと大丈夫ですわ」
「いえ…でも…」
「その時はその時です!いろいろ覚悟したんでしょう!?行きますわよ!」
「ああああ!!やっぱり怖いよぉ…!!」
トレーナーは三人に引きずられるようにして病室へと向かっていった。
病室のベッドに横たわるライスシャワー。
今日もいつも通り虚ろな瞳で目を開けているだけだった。
そこに聞こえてくる人の声。
「ライスさん、おはようございます!今日は特別な人を連れてきましたわ」
マックイーンの背後から、泣きそうな顔で登場したトレーナー。
「ライス…私よ。ごめんね、ずっと一人にしてごめんね!」
トレーナーが声を出した直後、無反応だったはずのライスシャワーに動きがあった。
顔をこちらに向け、目を見開き、立ち上がる…
いや、立ち上がろうとしてベッドから転げ落ちた。
「あああっ!ライス大丈夫!?」
トレーナーが即座に助けに行き体を支えると、
ライスシャワーはそのままトレーナーに抱き着いた。
「…っ!! !!!」
声にならない声を上げて泣くライスシャワー。
トレーナーもそれを抱きしめ返して、また泣いた。
「ごめんね…!逃げ出してごめんね…!
もう一人にしないから…!これからずっとそばにいるから…!ごめんね…!」
泣きながら抱き合う二人を見て、テイオーたちも涙を零した。
「よかった…。やっぱりトレーナーさんが必要だったんだね」
「そうですわね。何があってもトレーナーさんは一番大切な人なのでしょう…」
「よかったです。これで心は元気になってくれますよね」
「よかったよかった。でもちょっと悔しいね。
ボクらもまあまあ頑張ったけど効果なかったのに一発だよ」
テイオーがそういうと、残る二人も「そうだね」という表情をした。
ライスシャワーはベッドに戻してからもしばらく泣いていたが、
泣きつかれたのか眠ってしまった。
その頬を撫でながらトレーナーが言う。
「ライス…こんな体になっても頑張ってたんだね。
ごめんなさい…私がもっといいトレーナーだったら…
ごめんなさい…私がこんなトレーナーで…」
「ふう…トレーナーさん、あなたがしたことは簡単に許されるようなことではありません。
ですがこれからはライスさんを支えてあげてくださいね。
贖罪の気持ちもあるでしょうが、それだけではなく。
あなたのことをパートナーと、ライスさんはずっと思っているんですから」
「ボクらが何やっても無反応だったのにこれだもんね。
ライスはずっとトレーナーさんを待っていたんだよ」
「うん…。わたしはもう逃げません。
こんな私のことも受け入れてくれた。大切に思ってくれていた。
私もライスのことを何よりも大切にしたい」
「これにてミッションコンプリート、でしょうか。」
「いえ…ライスは反応してくれたけど、まだ今後どうなるかわからないわ。
それに声も出せてなかったように思うから…これからもケアしてあげないと。
でもありがとうブルボンさん、テイオーさん、マックイーンさん。
ライスのことを助けてくれてありがとう。これからは私が引き継ぐわ」
「ミッション『引継ぎ』了解しました。
しかし今度は友人としてお見舞いに来てもよろしいですか?」
「もちろんよ、いつでも来てね」
「ボクも遊びにこよーっと!」
「わたくしも来させていただきますわ」
昼頃になって目を覚ましたライスシャワーは、声は出せなかったが精神は戻ったままであった。
トレーナーたちに声をかけられ、一緒に食事をとり、とてもしばらくぶりの笑顔を見せてくれた。
翌日もトレーナーはライスシャワーの元に来た。
ライスシャワーの介助をしてあげながら声をかけ、昨日と同じく穏やかな時間が流れる。
その日の午後、客がやってきた。
「天晴ッ!どうやらライスシャワーに元気が戻ったようだな!」
「お久しぶりです!ライスシャワーさん、よかったです!」
「あっ、理事長、たづなさん…!」
ライスシャワーはニコニコしながら一礼をした。
「うむっ!メジロマックイーンたちから、
君が戻ってきてからライスシャワーにも元気が戻ったと聞いてな!
是非顔を見たくなったのだ!」
「本当よかったです。私たちもずっと心配してたんですよ」
「ありがとうございます…。心配おかけして申し訳ありません…その…」
「よいっ!細かな話よりもまずは祝うことだ!手土産も持ってきた!たづな!」
「はい理事長!ライスさん、これをどうぞ!」
たづなさんが山盛りのお菓子を取り出した。
「……!」
それを見てライスシャワーが目を輝かせる。
「わあ、こんなに。ありがとうございます!」
「お茶も用意しますね。一緒に食べましょう!」
そうして四人で美味しいものを食べた。
ライスシャワーは身振り手振りで美味しさを表現している。
それを満足そうに見つめる理事長とたづなさんだった。
一通り食べ終わり気分が落ち着いたころ、トレーナーが話を切り出した。
「理事長、たづなさん…お話があるのですがいいでしょうか?」
「ふむ、何だ?」
「ちょっと、その…外で話したいです」
「我々は構わんが…ライスシャワー!少しトレーナーを借りるぞ!」
「ごめんねライス、また戻ってくるからね」
ライスシャワーが頭に?を浮かべて見つめる中、三人は外に出て行った。
人のいない場所に移動した三人。
「うむ、それで話というのは?」
「はい。本来ならこちらから伺うべきだったのですが申し訳ありません。
私…私はライスを放置して逃げてしまった最低の人間です。
何をおめおめと戻ってきたのかとお怒りかもしれません。それはごもっともです。
でも、私にもう一度チャンスをいただけませんか?
もうトレーナーでもない私ですが…ライスのことを支えていきたいんです。
もう二度と逃げたりしません。だから、ライスの体が治るまでを私に任せていただけませんか?」
その言葉を聞いた理事長がにやりと笑う。
「ふむ、何を言っているのかわからんな!
ライスシャワーを支えるのは君の仕事に決まっているだろう!」
「えっ、でも私はもうトレーナーじゃありませんし…」
「君の言うことはよくわからん!君はライスシャワーのトレーナーであろう!」
「えっ…?でも私は辞表を出して失踪して…」
「辞表?たづなは知っているか?」
「さあ…?あ、もしかして前に理事長に見せたアレのことじゃありませんか?」
「ああ、アレか!そういえばそんなことが書いてあった気がするな。
しかし論外ッ!走り書きで内容は曖昧、ハンコも押しておらず、
即日退職などと意味不明な内容だった!
書類として不備がありすぎるため受理できるはずもなく処分したっ!」
「えっ、ええっ!」
「というわけで君は長期の無断欠勤だ!査定に大きく響くと思いたまえ!
代償としてこれからはみっちりと働いてもらうぞ!
まずはそう…ライスシャワーの手助けからだな。
トレーナーとしての役目を全うしたまえッ!」
「り…理事長…ありがとうございます…!」
トレーナーはまた泣きながらお礼を言った。
「これからも頑張ってくださいね、トレーナーさん!」
「はい…!」
理事長が神妙な顔で言う。
「トレーナー君…すまなかったな。実を言うとな、今回のことは私も責任を感じておるのだ。
ライスシャワーが過酷なトレーニングをしていたこと、
それに加えて学園の仕事までしてくれたこと。
君はまだまだ若いトレーナーであるのにも関わらず、
結果が出ているという理由で我々が指導やバックアップを疎かにしたこと。
私もそれは理解していたのに、問題点を放置したまま甘えていたのだ。
ライスシャワーの責任は君の責任でもある。だが君の責任は我々学園の責任でもあるのだよ」
「そんな…学園に責任なんて…」
「ふ、君がライスシャワーに思う気持ちと似たようなものだ。
もちろん君にも責任はある。またライスシャワー自身にも…。
そして私にもな。だから私はライスシャワーの体を治すためにならなんでもしよう!
それがせめてもの償いだ!」
「理事長…」
「君に責任を感じるなとは言わん、むしろ大いに感じたまえ。
だがそれに押しつぶされてはならん。
責任というのなら、ライスシャワーを助けてやることが責任を取るというものだ。
自分の心を壊したり、目の前のことから逃げ出してしまったり…
そんなことをしても何も生まれん。前に進んでいかなくてはな」
「はい…ありがとうございます。
私はこれから、あの子のために頑張っていきます…!」
「うむ、それでよいっ!きちんと頼むぞ!…ちょっとしゃがみたまえ!」
理事長は泣くトレーナーの頭をなでてあげた。
「そうだ、トレーナーさんの家はそのままになってますよ。
大家さんに頼んで処分は待ってもらいました」
「えっ、そうなんですか!?」
「もちろん家賃は払ってますけどね。
あなたの置いていった処分費用から捻出してもらいました」
「ありがとうございます…!これから住む場所どうしようと思ってました。
大家さんにもお礼と謝罪しておかないとですね…」
「そうすると良いっ!明日からもよろしく頼む!」
「はい…!」
三人はライスシャワーの元に戻りそれからしばらく談笑して過ごした。
それから数日。
コミュニケーションが取れるよう回復したライスシャワーの元には毎日誰かがお見舞いに来た。
今日も新たな客が来る。昼過ぎの時刻、訪れたのは樫本理事長代理と桐生院トレーナーだった。
樫本が声をかける。
「お疲れ様です。ライスシャワーさんの様子はどうですか?」
桐生院が言う。
「前にもお見舞いに来たことはあるんですけど、その時は反応が全然なくて。
あなたが戻ってから少し良くなったと聞いて来たんです」
「お疲れ様です…。
えっと、ライスはまだ声は出せないようですが、コミュニケーションは取れるようになりました」
「そうですか。なら今はお休みになられているところですか?」
樫本はベッドで横になっているライスシャワーを見ながら聞く。
「はい、今は単に眠っているだけです。昼食の後のお昼寝で」
「ふむ…ちょうどいいですね。あなたと話をしておきたいので、
ちょっとこの部屋から出て外で話してもいいですか?」
「えっ?わ、わかりました」
樫本に促され、外に出る三人。
人がいない静かな空間に移動した後、樫本が言う。
「あなたは、自分がどのようなことをしたのか理解していますか?」
唐突に言われたが、それが何を指しているのかは考えるまでもない。
自分がライスシャワーを放り出して逃げ出したことに対してだ。
「理解した…つもりです」
「理解…『した』? では、最初は理解していなかったと?」
「最初は…。最初は、私は自分のことしか考えていませんでした。
怖くて、辛くて、逃げたくなって…その理由をごまかして。
あの子を壊した私が、あの子のそばにいる資格なんてないって…
そう自分に言い訳をしてしまいました」
樫本が詰め寄り、トレーナーの胸ぐらをつかんだ。
「あなたはトレーナーでしょう。それなのに担当の子を放置して逃げ出した。
そんなことをしたらどんなことになるのか想像しなかったんですか?
あなたよりも、ライスシャワーさんの方がずっとずっと苦しいとわからなかったんですか?」
「わ…わかっていました。でも、でも私は…
私は自分の苦しさに耐え切れなくて、自分の心にウソをついて、
そうしてあの子を放置して逃げ出したんです」
その言葉を言った後、パシッ、と軽い音が響いた。
樫本がトレーナーに平手打ちをしたのだ。
「ふざけたことを…!担当トレーナーが担当ウマ娘を捨てるとは何事ですか!!
担当のために努力をする、それがトレーナーの役割でしょう!!」
「か、樫本さん…」
桐生院がなだめに来る。
「聞いていますよ!ライスシャワーさんは最初はちゃんと声も反応もあったと!
でも途中からそれができなくなったと!
それはあなたがいなくなってしまったからなんじゃないですか!?」
「弁解のしようもありません…」
トレーナーは何も言い訳はしない。もう自分の罪から逃げたくないから。
せめて自分が傍にいれば、こうはならなかったのかもしれない。
だが後悔しても元には戻らない。どれほど責められても当然だし、受け入れる覚悟はした。
だから、せめてこれからは…少しでも償えるように、
すべてをライスに捧げるつもりで戻ってきたのだ。
樫本もそれはある程度理解していた。
このトレーナーが自分のしでかしたことの重大さを理解せずに戻ってくるような、
厚顔無恥な人間ではないとはわかっていた。
一度逃げ出した人間がそこに戻ってくる。それには相当の覚悟が必要だ。
だからこのトレーナーも、それだけの気持ちを持ってきているとは理解していた。
それでも樫本の怒りは収められるようなものではなかった。
たとえ罪を償う気だったとしても、罪が消えるわけではない。
その罪の大きさはとても許せるものではない。
だけど。
「…あなたは、ライスシャワーさんの何ですか?」
胸ぐらを掴んだ手を放し、シンプルに聞く樫本。
「私は…私はライスシャワーのトレーナーです」
トレーナーもそれに答える。
「そうですか。それならば、彼女のために何をすればいいのかを考え、
きちんと寄り添ってあげなさい。それがトレーナーの役目です」
「はい」
「私はあなたがしたことを許すことはできません。
ですが理事長やたづなさん、桐生院さんやほかの方々はある程度許してくれているようですし…
そして何よりも、ライスシャワーさんに必要な存在であることは事実でしょう。
ですから私も受け入れます、あなたのことを。
しかしもし…もしも次逃げだしたら、私はあなたに何をするかわかりませんよ」
「はい…。肝に銘じます」
樫本の目を見つめて、迷いなく答えるトレーナー。
その姿を見て、樫本の表情も少しだけ緩んだ。
「きちんとやりなさい。あなたはトレーナーなのですから」
そう言い、樫本は離れて行った。
「顔、大丈夫ですか?落ち着いて話すようにとはお願いしてあったんですけど…」
桐生院が心配そうに声をかける。
「大丈夫です、全然痛くはありませんでした」
トレーナーはマックイーンに叩かれた時を思い出し、
あれとは比べ物にならないな、と感じた。
「そうですか、痛くなかったですか」
桐生院はおやおや、と思いつつ相槌を打つ。
「全然痛くなかったんです。樫本さんは厳しい方ですね…」
「え、痛くないのがどうしてですか?」
「痛ければ、それを罰だと考えてしまいます。
痛みを受けることで罰を受け、罪が軽くなったような気持ちになってしまう。
でもあの人はそんなことを許さない人なんですね。
罪は私自らが、ライスに対して償うものだと言ってくれたんです。
とても厳しい…ですが、感謝しています」
「そうですか…。それなら、これから頑張っていきましょうね」
桐生院は内心「痛くない理由はちょっと違うのでは」と思いつつも、それには触れず答えた。
「実は樫本さんも昔、担当の子にオーバーワークをさせてしまい、
レース中の故障を引き起こして担当の子を引退させてしまったことがあるんです。
その時は一度トレーナーを引退していますし、今もずっとそのことを悔やんでいるんです」
「樫本さんにそんなことが…」
「ですから、樫本さんは誰よりもあなたの気持ちを理解できているはずです。
あなたの恐怖も、苦しみも、罪悪感も、全部知っているんです。
だけどそれゆえに、あなたがしたことを許すことができないんですね。
樫本さんは逃げはしませんでしたから」
「すいません…」
「私はあなたを許してはいますが、もちろん怒ってもいます。
覚悟を秘めて戻ってきたこと、これから取り戻していこうとしていることがわかるから、
一応許してはいます。ですが私も樫本さんと同じ意見です。
もしまた逃げ出したら今度は絶対許しません。次は私があなたを殴りに行きますよ。
私は結構鍛えてますから樫本さんの厳しい平手打ちと違って…
食らったら病院送りになることも覚悟しておいてくださいね」
そういい軽くジャブの動きを見せたらしい桐生院。
らしい、というのは、あまりに速いその動きは、
トレーナーの目ではとらえることも出来なかったからだ。
「ヒエッ…き、肝に銘じます」
30分ほどして目を覚ましたライスシャワーはその二人がいることに驚いたようだが、
一緒に仲良くお菓子を食べて仲良く過ごすことができた。
樫本や桐生院はリハビリのアドバイスなど、今後に役立つことも教えてくれた。
それらを真剣に聞くトレーナーの姿を見つめる樫本の瞳には、
少し優しさがこもっているようだった。