迎えた菊花賞。
「ライス。調子はどう?」
「バッチリだよお姉さま。ライスの全力、見ててね」
「ええ。ライス、今日のあなたは二番人気よ。
あなたはこのレースで二番目に期待されているウマ娘なの」
「ライスが二番目…」
「はじめのころ、ブルボンさんに大差で負けていた時とは見違えたわね。
あなたに期待する人もいっぱい増えた。
期待に応えてあげましょう。そしてみんなに教えてやるのよ。
ライスは、ブルボンさんに勝ち、一番になれるウマ娘だってね」
「うん!じゃあ、行ってくるね!」
ずっとミホノブルボンの背を追いかけ続けたライスシャワー。
その姿は、楽しく走る、幸せを届けるというかわいらしい思いで走っていたころとは変わり、
凛々しく逞しい姿となっていた。
「行ってらっしゃい、ライス」
「ブルボンさん…ついてく…ついてく…。それで…ついていって…」
出走前。
ライスシャワーがいつものようにつぶやいていると、ミホノブルボンから声をかけられた。
「ライス。やはり今日も私の事をマークしているようですね。
ですが前に言いましたね。それでも私は一着でゴールします」
「…ライスも、今日こそは負けないよ」
前は眼中にもなかったであろうライスの事を見てくれている。
この嬉しさを、喜びを両足に込めて、今度こそ勝ってみせるよ。
『さあついにこの日がやってまいりました、菊花賞!
クラシックレース最後の栄誉をかけて、18人のウマ娘がぶつかります!
本日の菊花賞は、特別な思いでレースを見つめる人も多いのではないでしょうか!』
『堂々の一番人気、ミホノブルボン。彼女はここまで無敗で二冠を制してきましたからね。
ここで勝利すれば、あの【皇帝】シンボリルドルフ以来の無敗三冠達成となります』
『場内もその期待で湧き上がっております!はたして達成することはできるのでしょうか!』
『二番人気はライスシャワーですね。近頃めっきりと力をつけ、
前回の日本ダービーではミホノブルボンに次ぐ2着となりました。勝利も十分に狙えますよ』
『他にもたくさんのウマ娘が勝利をめざし、ゲートに入って行きます!
さあ菊花賞、ミホノブルボンの無敗三冠が達成されるのか?
それとも他のウマ娘が勝利をもぎ取るのか?今、一斉にスタート!』
(ライス。私を追い越せるのなら、追い越してみなさい!)
(ブルボンさん!今日こそは!)
『さあ向こう上面に入り、レースは淡々としたペースで縦長の展開。
各ウマ娘、虎視眈々と勝負のタイミングを狙っています。
三冠ウマ娘に向けてミホノブルボンは絶好の位置をキープ、
それを追う形のライスシャワーは現在5番手でレースを進めています』
(他の子の事はいい。ブルボンさんに集中するんだ。ついてく…ついてく…)
『坂を上り、ウマ娘たちが第3コーナーへと差し掛かります!
間もなく勝負所!菊花賞も佳境を迎えます!』
『おっと、ここでミホノブルボンが仕掛けた!
三冠ウマ娘に向かってミホノブルボンが一気に先頭へと躍り出たー!』
(追いつきたい!もっと…もっと近くに!)
『強い、強いミホノブルボン!先頭のまま残り200m!
しかしその後ろからライスシャワー!ライスシャワーが迫ってきた!』
背後に迫るライスシャワーの気配を察知したミホノブルボン。
(やはり来ましたね。ですが想定内です!)
『逃げるミホノブルボン!2バ身以上のリード!
しかし外からライスシャワーだ!ライスシャワーが猛然と上がっていく!』
ライスシャワーの、ミホノブルボンへ対する集中。それはレース終盤になり最高潮に達した。
(聞こえる…!ブルボンさんの息遣い、それに鼓動…
ブルボンさんの考えていることが、手に取るようにわかる!)
研ぎ澄まされたその精神は身体にも表れる。一歩一歩踏み出す脚。
その速度と力強さは、ついにミホノブルボンの動きを超えた。
(離せない!?足音が迫ってくる!これは…!)
間近に迫るライスシャワーを引き離すべく、脚に更なる力を込めるミホノブルボン。
『ミホノブルボン先頭だ!ライスシャワー突っ込んできた!更にマチカネタンホイザ!
ミホノブルボンわずかに先頭か、外からライスシャワー、内からマチカネタンホイザ!』
(勝ちたい!ブルボンさんに勝ちたい!ライスが…勝つんだ!!!)
勝つ。その決意のもとに、ライスシャワーも更なる力を込める。
憧れだった相手を、いつも後ろから眺めているだけだった背中を、
影さえ踏めなかった相手を、ついにその脚で越えて行った。
『ライスシャワーかわした!ライスシャワー先頭、今ゴールイン!
ミホノブルボン、三冠ならず!菊花賞ウマ娘はライスシャワーです!!』
確定板を見るライスシャワー。
そこには、自分がついにミホノブルボンを超えた証が煌々と輝いていた。
「や…やったぁ…!」
自分の走りが、お姉さまと一緒にずっと頑張ってきたこの自分が、
ついに憧れのミホノブルボンを越えたのだ。
レースに出るたびに敗北を喫し、そのたびに立ち上がりまた次へと歩みを進める。
毎日ハードなトレーニングをし続け、目標に向かって走り続けた日々。
そのミホノブルボンを越えるという夢がついに叶った彼女は、
歓喜の涙を流し、心からの笑顔を見せた。
「やった…!ライスやったんだよ、お姉さま…!」
トレーナも歓喜の声をあげる。
「やった!!うちのライスが、ブルボンさんに勝った!!」
ライスのトレーナーとして毎日を過ごしてきた。
ライスの新たな目標となったミホノブルボン。
そこにたどり着くための日々は並大抵のものではなかった。
毎日かなりハードなトレーニングをさせてきた。
ミホノブルボンは『鬼』と呼ばれるほどの練習量を誇ることは有名だったからだ。
そんな相手には普通にこなせるようなトレーニングで追いつけるはずがない。
体調管理には注意しつつも、限界ぎりぎりまでトレーニングをさせた。
トレーニングが辛くても、苦しくても、弱音を吐かない。心も折れない。
負けても負けても立ち上がり、またすぐに追いかけはじめる。
ライスの精神力はとても強かった。元々強い子だとは思っていたが、まさかこれほどだとは。
そして今、その努力が実を結んだ。おめでとうライス。
今、あなたは世界で一番キラキラしてるよ。
トレーナーの瞳からも一筋の涙が零れた。
ミホノブルボンは無言で確定板を見る。
負けてしまった。私とマスターの目標は、達成できなかった―――。
「敗北とは、このような気持ちなのですね」
目を閉じ、天を仰ぐ。この日のために、これまで行ってきた努力の数々を思い出す。
しかしそこでライスシャワーへと顔を向ける。
自分がしてきたたくさんの努力。
だがライスシャワーは、この自分を超える量の努力をしてきたに違いない。
初めは何の興味も湧かないような、取るに足らない存在だったライスシャワー。
自分のトレーニングに毎日ついてきて、毎日突き放してやった。
しかし次の日も、その次の日も、そのまた次の日も諦めることなくついてくる。
毎日、毎日、毎日、自分の後ろを走るライスシャワー。
そしてそれは毎日彼女の成長する姿を見せつけるものでもあった。
レースでも自分を追いかけ、一戦ごとに着差が縮まっていく。
いつの間にかライスシャワーは、自分の中で大きな存在となっていた。
負ける要素がない相手。
負けることはまずない相手。
負ける可能性が低い相手。
負けたくない相手。
そして今は…勝ちたい相手となった。
「ライス。次は私があなたを越えて見せます」
目標は、夢は失ってしまった。しかしミホノブルボンは立ち止まらない。
ライスシャワーという新たな目標を見つけ、次なる一歩を踏み出した。
興奮冷めやらぬライスシャワー。
ついにミホノブルボンに勝った。自分も、ブルボンさんのようにキラキラできたよ。
みんな、応援してくれてありがとう!キラキラしてるライスのこと、見ててくれた?
そんな気分で観客席へ振り向く。
だが、そこにあった光景はライスシャワーを歓喜から困惑に叩き落とした。
「あーあ…」「なんでライスシャワーなんだよ…」「ちょっとちょっと~…」
「余計なことしやがって」「ブルボンの三冠が見たかったのに…」
そこにあった光景。それは笑顔を見せる人々ではなく、
不満と落胆の顔を見せる人々だった。
「え…?あれ…?」
みんなどうしたの?ライス、勝ったよ。みんなが応援してくれたからここまで頑張れたよ。
ブルボンさんみたいにキラキラできて、みんなに元気をあげられたはずだよ。
なのになんで…みんな悲しそうな顔をしているの?わかんない。どうしてなの?
想像もしていなかった情景を前に混乱するライスシャワー。
喜びの気持ちは掻き消え、困惑したまま控室に戻って行った。
一方のトレーナーも困惑していた。
喜びもつかの間、自分の周囲から落胆とブーイングのたくさん聞こえてきたからだ。
「マジかよ…」「期待外れだなあ…」
「三冠見たかったのに」「見に来て損した」「あーあつまんね」
なに?なんだこれは?ライスが勝ったのにみんなライスのことをほめていない?
ブルボンさんは圧倒的一番人気だった。
無敗の三冠もかかり、期待されていたのはわかっている。
しかし、勝ったのはライスなのだ。差が大きいとはいえ、人気も二番だったじゃないか。
それなのにどうして…どうしてここまでガッカリされないといけないんだ。
あの子がこの日のためにどれだけ頑張ってきたと思っているの?
その苦労も知らないくせに勝手な事ばかり…!
「ライスシャワーなんて負けちまえばよかったんだよ。くそ、ブルボンの邪魔しやがって」
すぐ傍で聞こえてきたセリフに、トレーナーの堪忍袋の緒が切れた。
「ちょっとあんた、今のもう一度言って見なさい」
「は?ブルボンの邪魔すんなって言っただけだろ」
「ふざけんな!!!!
ライスは勝ちそうになったら脚をゆるめて勝利を譲ればよかったって言うの!?
ライスがどれだけ頑張ってきたかも知らないくせに!」
「知るわけねーだろ!オレはブルボンにしか興味ねえからな!
だから勝ちを譲ってくれた方がうれしいね!」
「はあ!?だったらブルボンさんはどれだけ頑張ってきたか知ってて言ってんの!?
ブルボンさんが、勝ちを譲られるような情けない勝ち方をして喜ぶと思ってんの!?」
「ゴチャゴチャうるせえよ!俺と同じことを言ってるのは周りにもいっぱいいるだろうが!
これは民意なんだよ!ライスシャワーなんてどうでもいいってな!」
「こいつ…!」
思わず顔面を殴りたくなるが流石に抑えた。しかし周りを見渡すとこいつの言うとおりだ。
周囲の人たちは口論してる自分たちの事を迷惑そうに見ているが、
その表情はライスの擁護をする自分への冷たい眼差しばかりだった。
「っ…!」
「わかったみてーだな!?ライスシャワーなんて求められてないってよ!!
ただのヒールなんだよ!悪役だ!こんな奴いらねえんだよ!…あっ、おい!逃げるのかてめえ!」
激しい怒りを抑え込みながらその場を去る。
こんな奴にかまっている場合じゃなかった。ライスにもこいつらの声が聞こえているはずだ。
あの子がこんな声を聴いたらどんな反応を示すだろう。
あの優しい子がこんな冷たい言葉に晒されたら。
憧れの大舞台で手に入れた輝かしい勝利。それがこんなことになるなんて思わなかった。
こんな時、トレーナーの私はどうすればいいんだろう。
トレーナーが控室に戻ると、ちょっとしてからライスシャワーも入ってきた。
先ほどのやり取りで腸が煮えたぎっているせいで、
怒りを表情に出さないように努めるのに苦労する。
表情を隠すついでにライスシャワーを抱きしめながら、お祝いの言葉をかける。
「お帰りライス。おめでとう!ついに夢がかなったね!とってもキラキラした走りだったよ!」
「お姉さま、ありがとう…!」
ライスシャワーもそれに答え、抱きしめ返してくる。
先ほどの困惑は、トレーナーの祝福の言葉によって再び歓喜へと戻っていた。
それゆえ、トレーナーは異変を感じ取れなかった。
もしかすると、勝利の興奮でまだ状況に気づいてないのかな、と考えた。
「ライス、本当におめでとう。わたしも、とってもうれしいよ…!」
「えへへ…お姉さまがいたからここまで来れたよ。ありがとう、お姉さま」
「こっちこそありがとう。これからも一緒に頑張って行こうね…。」
「うん…!」
喜びを分かち合う二人。しかしトレーナーの胸には不安が大きく膨らんでいく。
この後行われるウイニングライブ、それはどんな状態になるだろう?
先ほど見たブーイングだらけの観客席。
ほとんどはその人たちが来るのだから、同じことになるに決まっている。
どうしたものだろう。
喜んでいるライスに、みんなが怒ってるって説明する?そんなことしたくない。
でも、何も知らぬままあの状況に放り込まれたらもっと傷付くのでは?
私はどうすればいい?トレーナーとして、私は…。
ウイニングライブの直前。トレーナーはまだ決めかねていた。
「それじゃあお姉さま、ライブ行ってくるね!」
満面の笑顔を見せるライスシャワーをみて、ようやく口を開いた。
「ライス、今日のレースはとっても素敵だったよ。ライスが一番輝いてた」
「ありがとうお姉さま!」
「…だけどね。今日はブルボンさんを目当てに来た人もいっぱいいたから、
ブルボンさんが勝てなくて悲しんでる人も多いと思うの。
だからもしかしたら、ライスのことをうれしく思わない人もいるかもしれないけど、
気にしちゃだめよ」
「そっか、そうだよね。ブルボンさんもとっても強かった。キラキラしてた。
ブルボンさんの事を好きな人もいっぱいいるよね、だってライスもそうなんだもん。
ブルボンさんが好きな人は、今は悲しくてもまた後でブルボンさんが笑顔にしてくれる。
だからライスは、ライスを好きでいてくれる人を笑顔にしてくるね!」
「っ…、そうね。ライス、大好きだよ。行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
ライスは行ってしまった。状況を理解しないままに。
やんわりと説明したが、私の意図には気づいてくれなかったようだ。
だがそれは私の弱さだ。
私の言葉で傷つくであろライスを見たくなくて、やんわりとした言葉でごまかした。
説明するならはっきりと言う、しないならしないで何も言わなければいいのに、
そのどちらも選べない、優柔不断な軟弱者だ。
ごめんなさいライス、情けないトレーナーで。
このライブのあとも、どうか、どうか今のあなたのままでいて…。
そして始まったウイニングライブ。
予想通り、世間はライスシャワーへ残酷な反応を示した。
「まさかこんなことになるなんてな~」
「ブルボンが勝つところを見に来たんだよ!」
「ミホノブルボンのセンターが見たかったのになあ…」
「くそ、無敗三冠を楽しみにして遠くからここまで来たってのに…」
ライブで聞こえてくる声は、勝者を称える声とは全く違う。
どれもが困惑、落胆、悔恨の声。
トレーナーの胸中は怒りと悲しみで埋め尽くされる。
しかしこれを、この状況をどうすればいいというのだろう?
「ブルボン!次頑張れ!」
「三冠ウマ娘見たかったけど、よくやった!」
「また応援するね!ブルボン大好きー!」
「タンホイザも頑張ったな!」
ステージのウマ娘たちへ声援が飛ぶ。敗者を称える声。それは美しいものだろう。
だが、しかし、それだけだった。
聞こえるのは敗者を称える声だけであり、勝者を称える声はなかった。
「ライスー!!優勝おめでとうー!!今日の走り、最高だったよー!!」
トレーナーは精一杯の声をあげる。
しかしその声は、この大勢が集う中ではあまりに小さすぎた。
さらに空を飛ぶバルーンが目に入ってくる。それには『三冠おめでとう』と書いてあった。
まさか間違えて飛ばしてしまったんだろうと思いたいが、
あれにはステージのライスシャワーも気づいたはずだ。
お前のことなど期待してなかった、と伝えるようなバルーンが飛んでゆく。
ウイニングライブはとても長く感じられた。か細く、震えた声で歌うライスシャワー。
明るく照らされたステージの上でライスシャワーから流れた一筋の涙は、氷のように冷たかった。
ウイニングライブ終了後。ライスシャワーが控室に戻ってきた。
「……」
にこやかな笑顔を浮かべている。
だがそれは無理をしている作り笑顔であることは明らかだった。
「ライス、お疲れ様!ステージのライス、とても可愛かったわ!
それにブルボンさんやタンホイザさんもみんな可愛かったわね!」
上手い言葉が浮かばないが、ひとまず褒めてみるトレーナー。
ライブがうまくできなかったことは誰よりもライスシャワー自身が知っていることだ。
ライブを素晴らしかったなどと褒め称えても受け付けてくれるはずがなく、
当たり障りのない言葉しか選べなかった。
「それより何と言っても、今日の走りよね。私、今もまだ興奮が収まらないわ!
ライス、このまま一緒に祝勝会に行きましょう!」
「…お姉さま、ありがとう」
こちらが気を使っていることは、やはりバレバレだ。ライスの表情は何も変わらない。
「でも、今日はもう疲れたから先に帰るね」
ライスシャワーはそう言い、うつむいたまま部屋を出て行った。
「あっ、ライス…!」
力づけてやれない自分に腹が立つ。誰よりもうれしかったはずの勝利が、
誰よりも悲しいものになってしまった。
ライスの努力の日々の結末が、こんなものになるだなんて。
私がもっと、もっとしっかりしていればこんなことにならなかったのに。
こんな、こんな…。