メジロアルダン? あんなのハズレだよハズレ!【完結】 作:宇宮 祐樹
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それで、えーと……ああ、弥生賞の話?
うん、負けたよ。勝てなかった。
ギリギリ五着で入着はしたんだけど、普通にボコされた感じかな。
一着はヤエノ。何ってその時期のヤエノ、レースの経験めちゃくちゃ積んでたしなあ。チヨちゃんもG1勝利ウマ娘だったけど、経験値足りなかった感じで……圧勝、ってワケじゃなかったけど、ヤエノらしく堅実に勝ってたよ。
でも、まあ……言っちゃなんだけど、弥生賞は負けてもよかったんだよ。入着してくれたらまあ、ラッキーくらいの気持ちでいたんだよな。確かに、優先出走権の話はあるけど……正直、その年の弥生賞は、出走できりゃ皐月賞には内定みたいなモンだったからさ。あいつにも練習ってか、試走みたいな感じで行け、って伝えたの。
だから。
「別に気にすんなって。大丈夫だから、な?」
「……申し訳ありません」
「いいんだよ、別に。負けでも次に繋げば、経験になるだろ?」
俺としては、ほんとに気にしてないってか、むしろ入着してくれただけ予定組むのも楽になったからありがたかったんだけど。本人はどうも、結構ショックってか……メンタル的に、やられちゃったみたいで。
その日からずっと、落ち込んだままでさあ。
「……本日も、ありがとうございました」
「おう。明日はちょっとメニュー調整して……そうだな。夜にメッセ送るから、確認しとけよ」
「分かりました」
ただ、それだけだったら、まだよかったんだけど。
「その、トレーナーさん」
「何」
「少しだけ残ってトレーニングしてもいいでしょうか?」
「お前、自分の身体が弱いって自覚、ホントにあんのか?」
「ですが、このままでは……」
「……わかったよ。俺はもう上がっとくから、勝手にやってな」
その日からあいつ、残って自主トレするようになったのね。
でも、仕方ないっちゃ仕方ないことなんだよ。寧ろ、それが普通って言ったらそうなのかもな。人間でもウマ娘でも、こういう勝負時って、なんだかんだ勝つだろ、みたいな心持ちがどっかにあるじゃん? 淡い期待っていうか……高望み、っていうか。そんな希望みたいなのを、どっかしら抱えちゃうのよ。
だから……あ、ホントに負けたんだ、みたいな現実を受け止めなくちゃいけなくって……それこそ、あいつにとってはデビュー戦は置いといて、これが初めてのレースだったからさ。……トレーニングどうこう関係なく、がむしゃらに走りたくなったんだろうな。そうしないと、やってられないって感じで。
俺もそれは何となく分かってたから、数日はあいつのやりたいようにやらせてたの。まあ……誰にだってそういう時はあるし。ホントはしてほしくなかったけど、目ぇ瞑ってやってたわけ。
でもさあ。
「……あの野郎、まだ自主練してんのかよ」
寮の門限過ぎてもトレーニングしてんのは、流石にいただけなかったかな。
その日は俺、仕事がちょっとだけ残ってたのね。諸々の処理に追われて、遅くまで学校に残ってたの。そんで、全部終わったのが……確か、九時回るちょっと前くらいだったかな? 帰り際にグラウンドの自販機寄ったら……なんか、見覚えのあるヤツが走ってて。もう、ビビったよね。何してんだよ、って話で。
とりあえずタイム測ってたみたいだから、その一周が終わるまで待ってさ。
クールダウンしてるあいつに、声かけたのよ。
「おい」
「え? あ……と、トレーナーさん? どうして……」
「今日は遅番。お前のスケジュール調整とか、色々やることあったからな」
「そうだったんですね……ありがとうございます」
「で? なんか俺に言う事、あるんじゃねーのか?」
「……申し訳ありませんでした」
「はい」
あいつもまあ、悪いことしてる自覚はあったみたいでさ。
そうやって正直に謝ってきたから。
「タイムは?」
「……え?」
「いや、さっきまで測ってたんだろ? 見せてみろ」
とりあえず、気になったからそうやって聞いてみたのよ。
あいつもまあ、一瞬だけ不思議そうな顔してたけど、素直に記録表とか見せてくれてさ。
「あー……もしかしてお前、逃げ気味に走ってたな?」
「はい。少しだけ序盤の立ち上がりというか……仕掛けるタイミングを調整しようと思って」
「その結果として、総合的なタイムは落ちてると。……今のお前に、逃げは合わないからやめといた方がいいぞ。そういった搦め手使うなら、もっとレースの経験積んでからにしな」
「……すみません」
「いや、別に謝ることじゃねーよ。そうやってやり方を変えられるのは、良いことだと思うし。立ち上がり早くする、ってのも悪くない考えだしな。正しい努力か、って言われると……まあ正直、微妙なところだけどさ」
みたいな感じで、いつも通りアドバイスってか、指導してたんだけど。
「……もっと、叱ってくださらないんですか?」
あいつ、そんなこと言ってきて。
「何お前、マゾなの?」
「そういう訳では、ありませんが……トレーナーさんなら、そうすると思ったので」
でも、言いたいことは正直分かるんだよな。だって気味悪ぃんだもん。ほら、たまにあるじゃん? 先生に呼び出されて、確実にキレられると思ってたら、普通に注意で終わってさ。肩透かし喰らうみたいな。
だからって、正直にそんなこと聞くのもどうかと思うけど。
「……ま、きちんと叱るべき場面だとは思う。トレーナーとしても、教育者としても……一応、大人としても。色々とお前に言わなくちゃいけないんだとも、思う。それが真っ当なやり方だよ」
「はい」
「だけど、それと同じくらい……なんつーか、好きなようにやらせたいとも思ったからさ。その、変な話……俺が今のお前の立場だったら、何言われてたとしても、うるせーな、くらいにしか思わないだろうし。それくらいだったら……好きにやらせて、気持ちの発散というか、ガス抜きさせた方がマシだろ?」
本音を言えば、大人しく言う事聞いてくれた方がよかったよ。
でもさあ、まだ二十にもなってない
だから……見逃した、っていうか。自分だったら、って完全に重ねてるわけじゃない、けど……叱るよりも、そうやって正直に話した方がいいのかな、って思ったんだよ。その方が、あいつのためにもなると思って……。
……ああ、そうだよ。
こんなんだから俺、未だに三流トレーナーなんだよ。
「自分で言うのも何だけど、今のお前みたいな感情っていうか……やり切れない時の、自分との向き合い方っていうの? そういうのは俺、経験上だけど他のヤツよりある程度は分かってるつもりだからさ。眼ぇ瞑っといてやるよ。……それが正しいことかどうかは、分かんねーけど」
「……ありがとうございます」
「でもマジな話、大きいレースも近いから、あんまり身体に負荷はかけてほしくなかった。つーか多分、それで体調崩しました、とかなったらお前のことブン殴ってたよ。でも、そうはならなかった。だから今回は見逃してやる。これでいいか?」
みたいな感じで言ってやったら、あいつも納得したみたいでさ。
とりあえず、その場はそれでひと段落って感じで。
「……じゃあ、荷物纏めて校門の前で待ってろ。保養所まで送ってやるから」
「いいんですか? トレーナーさんも、お疲れでは……」
「こんな時間に生徒を一人で歩かせる方がヤバいだろ」
その日……ってか、その頃からもう、俺は基本的に保養所に寝泊まりしてたから、丁度よかったのよ。それに、いつもあいつの身の回りの世話してるバアさんも、けっこう年食ってるし。この時間に呼びつけんのもキツいだろうな、ってことで。
そんでまあ、車を校門の前に持ってきて。
しばらく待ってたら、あいつもやって来てさ。
「お待たせしました」
「おう。後ろ少し散らかってっから、前な」
「……助手席なんて、初めて乗りました」
「あ、そう」
そんな感じで、とりあえず出発したんだけど。
走ってる間、あいつずーっと黙り込んだままだったの。
いや、別におかしな話じゃないけど……いつものあいつだったら、なんかテキトーな話とか振ってくるからさ。変だなー、って思って。もしかしたら、隠れて自主練してたのが俺にバレたの、相当ショックだったのかなー、でもそれで落ち込むほどヒクツな性格してねーよなーこいつ、みたいなことまで考えてたわけ。
そしたら、信号待ちの時に、急に。
「トレーナーさん」
「何」
「今のままで、私は勝てると思いますか?」
あいつ、そんなこと聞いてきたのよ。
「……このままじゃ、不安か?」
「はい」
聞き返してみたんだけど、あいつ、ハッキリそう答えてさ。
あー、だからか、って思ったの。
弥生賞の負けって、あいつにとっては着順以上に経験の差がデカかったからさ。その差を何とかして埋めないと、って考えてたんだろうな。だから、俺に隠れて自主練っていうか、色々と試してたんだな、って。
そこで黙ってたのも、そう。色々と考えることが多くて、頭がパンパンだったのかもなあ。とにかく、今のままじゃダメだ、何とかしないとって思って……逃げ気味に走る、とか変なことしてたんだろうな。
……ま、当然っちゃ当然だよ。真っ当に勝てないから、色々と試行錯誤して、ってのは。
でもなあ。
「勝ちの目はあるだろ、普通に」
別に俺、あいつが真っ当に勝てないとは思ってなかったのよ。
「弥生賞の結果も、最悪だったワケじゃねーし……寧ろ、よくやった方だよ。そりゃ、絶対に勝てるとは言えねーけど……無謀な挑戦、ってことでもねーだろ。全然、今のお前なら戦えるし、勝てるとも思ってるよ」
「私の担当をしているから、贔屓目になってるだけではないのですか?」
「いや? たぶん、弥生賞見てた全員に聞いても、同じこと言うんじゃねーの?」
「……そうでしょうか」
「それに負けるかもしれねーとき、俺は『やれるだけやってみな』って言うよ、多分。でも、まだそこまで諦めるような状況だとは思えないからさ……やれるよ、お前なら」
みたいに言っても、あいつ浮かない顔のまんまだったのよ。そこで俺も、気づいてさ。あ、思ったより不安デカいんだな、って。多分、トレーニングするよりそういうメンタル的なとこ看ないとダメだな、って。
でもまあ、俺のできることってさ。
「……ここだけの話、皐月賞で負けてもいいと思ってるよ、俺は」
いつも通り、押してダメなら引いてみろ、しかないんだよね。
「……え?」
「いや、そりゃ勝てるなら勝ってほしいけどさー……今のお前にとって大事なことは、皐月賞に出走することだろ? ラモーヌの妹じゃなくて、ちゃんとメジロアルダンって一人のウマ娘として、三冠に挑戦する……それができりゃ、俺はいいと思ってる。まあ、トレーナーとしては甘い考えなんだろうけどさ」
「………………」
「だから、逃げとかそういう搦め手使うんじゃなくって……ちゃんと、お前の走りで挑戦するのが大事なんじゃねーの? 真っ当に、正面から自分を貫き通す……って言うと仰々しいかもしれないけど。それでいいじゃん。きっと、それが今のお前がするべきことだって俺は思う。……お前がどう思ってるかは、知らねーけど」
言ってることも、まあ本音だったんだけどさ。
正直、あの頃のあいつだったら、先行で走ってくれた方がよっぽどよかったのね。得意な脚質だってのもあるし、何より他の脚質に鞍替えするのも難しかったしなあ。それに、結局レースって自分の強みを押し付けるのが、一番やりやすいし、勝てるやり方だし。そのままいけば大丈夫、ってことを言いたかったのよ。
とにかく、気負い過ぎるな、ってことを伝えたくて。
でも、ハッキリそうやって言っても、逆に意識しちゃうモンじゃん?
……押してダメなら引いてみなってのは、そういうこと。
「……その果てに、壊れてしまうかもしれませんよ? ガラスみたく、粉々に砕け散って……」
「だったら直してやるよ。どんなにバラバラになったとしても、ちゃんと最後の一欠片まで拾って、お前をまた走らせてやる。……それが、俺の仕事だ」
だから。
「余計なこと考えず、今のお前のまま、全力で真正面からぶつかってきな」
「……分かりました」
ってことで。
俺なりのメンタルケアってか……こういう言い方しか、知らなかったからさ。でもさあ、そうやって言ったら、あいつも納得ってか……安心してくれたみたいで。その日以降は無理な自主トレーニングもしなくなって、俺の指示通り動いてくれたの。だから、結果オーライってか、何とかなったなー、って。
だけど……うん。まあ、あいつには悪いんだけどさ。
負けてもいい、ってのは流石に言い過ぎたかなー、って。
言っちゃえば建前みたいな。安心させるためのウソっていうか、そんな感じでさ。
ほんとの、ガチでマジな本音を言うと。
■
「ああぁぁあああ~……! 頼むから勝ってくれぇ~…………!」
まあ。
当たり前っていうか。
そりゃ、そうなるに決まってるじゃん。
あいつの前では、見栄……ってほどじゃないけどさ。あいつまで不安にさせたら、それこそ勝てるか分かんないしさ。だから、普段から全然気にしてないように振る舞って……あんな風に、負けてもいいって言ったけど。
「頼む頼む頼む頼む頼む頼む……! ほんと、マジでお願いだからぁ……!」
実際、皐月賞が始まるって直前になって。
あいつのこと送り出したあと、観客席に戻ったらさ。
今後の予定とかこれでもう決まっちゃうんだー、とか。
色んなこと一気に考えたら、すげー不安になってきちゃって。
気付いたら、そんな感じのテンションになっちゃってさあ。
「先輩……大丈夫ですか?」
「大丈夫なワケねーだろアホ! お前、これで負けたら今後の予定が全部パーに……ぁぁあああああ! 考えたらマジで怖くなってきた! あーもう! お前のせいだ! もし負けたら桐谷、お前のせいだからな!」
「ええ……」
「さ、さすがに理不尽が過ぎるよ……萩野くん」
「うるせえ! そうでもしないとやってられねーんだよ、こっちは!」
とにかくその時の俺、大荒れでさ。
あいつのメンタルケアとか、なんか偉そうなこと言ってたけど。
俺の方がずっとヤバかったのね。
「園田先輩は今回どうですか?」
「えっ、私? えーっと……弥生賞の時とほとんど同じ、かな。できればもう少し調整期間が欲しかったけど……や、ヤエノならいける、って思ったから。このまま行かせてあげた方がいいかな、って……」
「彼女、弥生賞では一着でしたもんね。確かにこの調子なら、強敵になりそうです」
「……き、桐谷くんは、どう?」
「自分もチヨ……いや、サクラチヨノオー本人に大きくは任せてますよ。といっても、こっちは距離の問題があって……実際、弥生賞でも負けてしまいましたので」
「そっか……そうだよね。チヨちゃん、ダービーが目標って言ってたもんね」
「ええ。ですから、それまでに中距離の仕上げを……」
「やめろやめろやめろ! 俺の前でちゃんとした話をするな!」
いや、まあ担当のこと話すのなんて、当たり前のことなんだけど。
当時の俺、変なゾーン突入してたからさ。
聞こえてくる単語が全部、不安要素になってたの。
「実際のところ、萩野君から見たアルダンさんの勝率はどうなの?」
「……マジな話すると、五……いや、六割はあるな。ヘタなことしなきゃ勝ちは充分に狙えるはずだよ」
「だったら……」
「だけどよぉ! ここで負けたらアイツ、ダービー出られるか分かんねーんだもん!」
「まだ青葉賞も、プリンシパルSもあるじゃないですか。それへの出走は?」
「あのなあ、そんな連続出走、あいつの身体でできるわけーねだろ! ただでさえ下手な自主トレで身体に負荷かけてんのに! レースなんて何度も出られるわけ……ああぁぁあああ! なんでそんなことしちゃったんだよ、もぉぉおおお!」
そんな感じで話してたら、ファンファーレが鳴り始めて。
「そろそろ始まりますね」
「うん……頑張って、ヤエノ」
「あぁぁあああ! やばい、始まっちゃう!」
相変わらず俺は一人で勝手に騒いでたんだけど、そんなのお構いなしに生徒たちもどんどんゲートに入って行ってさ。まあ、G1レースだからってこともあって、全員ピリピリしてて。あいつは……どうだったかなあ。少なくともリラックスはしてなかったな。緊張……ってよりは、ちょっとだけ考え事してたみたいでさ。
だから、なんだろうな。
『さあ、各ウマ娘ゲートに入って体勢整いました』
後々あいつから聞いた話によると、その時はレースの展開とか、どの生徒がどういう動きするかとか、頭ん中でずーっと考えてたみたいで。そりゃ、出走する前に何回もそういう話はしたけど、やっぱり本番前になると、本人コンディションとか、バ場状態とかも色々あるからなあ。そうなっちゃうのはしょうがない。
だから、別にダメなことじゃないんだよ。寧ろ、マトモなことはしてると思う。
でも、なあ。
『――各ウマ娘、一斉にスタートを切りました!』
そんで、ついに皐月賞が始まったんだけど。
「あ」
まあ。
「……え?」
ホント。
「は……はぁ!?」
ウソみたいな話なんだけどさ。
「あのクソガキ、出遅れやがったな!?」
……そう。
よりにもよってあいつ、出遅れやがったの。
「ふっ……ふざけんなよあいつ! マジ何考えてんだよこの状況で!」
「せ、先輩落ち着いて……!」
「これが落ち着ける状況なわけねーだろアホ! G1で出遅れとか普通にありえねーよ!」
出遅れ……出遅れ、なあ。
実際のところ、出遅れの影響って脚質によって違うのよ。
差しとか追込とかの、後ろの方で脚を
……そう。
あいつの脚質、完全に先行でさ。
逃げって程じゃないけど、全然前の方の脚質なのよね。
だから。
「あーもう、終わり終わり! 負けだよ、負け! お疲れさまで~~す!」
「ま、まだ諦めるには早いと思うけど……」
「あいつの位置見てもまだそんなこと言えんのか!? 見ろよアレ! ほぼ差しじゃねーか!」
ってか、その年の皐月賞は見てたんだっけ? ……あー、まあ、お前のことだしな。
ちょっと待って……ケータイで見せた方が早いわ。多分まだ動画も残ってるだろうし。
……ああ、そう。これこれ。ほら、見てみ?
ゲートが開いて……な? こう見ると、他のヤツよりだいぶスタート遅れてるっしょ?
そんで着いた位置も、同じ脚質のヤエノとチヨちゃんに比べると、かなり後ろでさ。
「……チヨノオーさんとヤエノの位置は、いい感じだね」
「ええ。ペースも好調ですし、このまま何事もなく進んでくれればいいんですが」
二人のそんな会話も、ここまでくるとイヤミに聞こえて来て。
その時の俺、もう今後のスケジュール調整とか、励ましの言葉とか考えてたのね。……いや、だってあの出遅れで勝てるとか、マジで思ってなかったもん。普通に負けたと思って、この後どうやって慰めようかな~とか、そんなことばっか考えててさあ。
「ダービー、どうすりゃいいんだよ……」
そっからしばらくは放心状態で俯いてたから、ほとんどレースなんか見てなかったの。
だから……ほら。
『第二コーナーを抜けて直線に……っと、ここでメジロアルダン、順位を上げてきました!』
『完全にペースを取り戻しましたね。これは分からなくなりましたよ?』
運がよかった、って言ったらそれだけなのかもしれないけど。
その年の皐月賞、ヤエノとチヨちゃんも含めて、先行で走る娘が若干多めでさ。それだと何が起こるかっていうと、前の方がけっこう詰まっちゃうのね。だから先行で走ってる娘たちは、いつもより体力の消耗が激しくなってて。
そうなると、後ろの脚質の方が得なのよ。だって、勝手に前の方でバチバチにやり合ってくれてるから、疲れたところ抜かせばいいだけだもん。……つっても、そんな簡単な話じゃねーけどさ。
だから、あの出遅れは結果としていい方向に働いたんだよ。
まあ。
当時の俺には、そんなこと気にする余裕なんてなかったんだけど。
「……高望み、しすぎたかもなあ」
ほんと、バチが当たったと思ったね。
俺みたいなろくでなしが、担当をG1レースで勝たせられるとか思ったのがダメだったんだ、って。結局、俺は落ちこぼれのままで、何やっても変わんねーんだ、って。そんな感じで、どうしても後ろ向きな考えになっちゃってさ。目の前でやってるレースも、マトモに見られなくて。ずーっと俯いたままだった。
そしたら。
『第四コーナーを抜けた最後の直線! 先頭争いはヤエノムテキとサクラチヨノオー! そして――』
なんて、実況席のヤツが騒いでるのが聞こえてきて。
「は、萩野君……」
「……え、あ?」
「なに腑抜けた顔してるんですか! ほら、見てくださいよ!」
あいつらに言われて、顔上げたの。
そしたら。
『そのすぐ後ろから追いすがるのはメジロアルダン! 驚異的な加速で二人を追いかけます!』
……ほら、ここ。
当時は観客席から見てたから、分かんなかったけど。
あいつ、余ったスタミナ使って、バ群の外側からぐるっと回って来ててさ。
気づいたら、ヤエノとチヨちゃんのすぐ後ろにいたの。
「な……なんであんな前の方にいんだよあいつ!? すげー出遅れてたよな!?」
「中盤の先行争いを上手く躱したんでしょうね。いや……上手いな」
ヤエノとチヨちゃんは、中盤の先行争いを勝ち残った。
あいつは先行争いを上手く躱したけど、そのぶん外から回るのに体力を使ってる。
だから、実質的な消耗度で言えば、ギリギリ五分ってところかな。
つまりこっからはもう、真正面からのぶつかり合いになって。
「マジである! マジであるぞ! そのまま突っ走れ!」
「このままのペースでいけるか……? いや、チヨなら行ける!」
「が、がんばって、ヤエノ……!」
……なんつーか、なあ。
今更になってこんなこと言うのも、恥ずかしいけど。
俺、レースのこと何も分かってなかったよ。
この仕事についてから、なのかな。あー、この娘はちょっとダメだなー、とか。このメンツじゃあの娘は厳しいかな―、とか。仕方のないことなんだけど、どっか冷めた目で生徒のこと、見るようになっててさ。
言っちゃえば……走る前に、結果も何となく分かった
だから、今回もダメだと思ってた。あいつは負けると思ってたし、俺も高望みしすぎたと思ってた。……できることなら、レースも見たくなかった。だって、負けるって分かってたのに、わざわざその光景を見せつけられるなんて……残酷すぎるだろ。早く終わってくれれば、って本気で願ってたよ。
でも、なあ。
今回に限っては、あいつが教えてもらったことになるのかな。
「……アルダン!」
世話になった先生にも言われたことだけどさ。
ホント、その通りだな、って思ったよ。
お前もレース見るときがあったら、最後まで見てやった方がいいよ、マジで。
だって。
『一着はメジロアルダン! 見事、皐月賞を制しました!』
レースって、最後まで何が起こるか分かんねーんだもん。
■
「やってくれたなお前ぇ!」
そっからはもう、ウキウキだったなあ。
レース終わった直後に、観客席から飛び出して。
ターフの上で待ってるあいつのとこ、走って行ってさ。
「トレーナーさん!」
「おい、一着だぜ一着! しかもG1で! すげーじゃん、お前!」
「……ありがとうございます。これも、トレーナーさんのお蔭ですね」
「何言ってんだよ、お前が頑張ったからだろ? ほら、もっと喜べって!」
そんな感じで、大喜びで。
レース終わった直後のインタビューとかでも、めちゃくちゃはしゃいじゃって……ああそう、この記事。ほら、この写真の俺、ピースとかしちゃってるじゃん? いい年こいて、こんな……いやでも、みんなそうなるって。だって、初めて担当した生徒が、G1勝利してくれたんだもん。逆にそこでスカした態度取るとか、ありえねーって。
とにかく、嬉しかったのは事実だよ。
あいつの担当をしてやるのも、悪くないかもな、って思いすらした。
「よっしゃ、後はライブだな! センターなんだから、しっかり踊ってこいよ!」
「はい。精一杯歌いますから、トレーナーさんも見ていてくださいね?」
「もちろんだって! 真正面の席で見といてやるよ!」
……でも、まあ。
確かに、めちゃくちゃ浮足立ってた自覚は、あるよ。
「あ、そうだ。なんか欲しいモンとかあるか? 何なら帰りに奢ってやるよ。それか……あ、この前さ、駅前のラーメン行きたいって言ってたよな? 時間も多分間に合うと思うし、打ち上げがてらそこ行くか?」
「……トレーナーさん?」
「おう、どうした? あ、何だ、もしかしてもっといいとこがいいか? 高級レストランとか……予約いるところだったらアウトだけど、今からなら間に合うか? 後でちょっと、ネットで調べてから電話とか……」
「トレーナーさん」
あいつが違和感を感じるくらいには。
「……な、何? どうした?」
「私の勝利を喜んでくださるのは、とても嬉しいことです。ありがとうございます」
「いや、礼を言いたいのはこっちだって。これで俺も、G1勝利トレーナーになれたんだから」
「G1勝利、トレーナー……」
そこでまあ、あいつも何となく勘づいてはいたんだろうな。
ってか、そもそも本人なんだから、勘づいてはなくても、心のどこかで分かってたんだと思う。
「三冠トレーナーには、ならなくてよろしいのですか?」
「……え?」
「私たちには、まだ次が残っているんです。このまま慢心していられません」
「あー……そう、だな。確かに、まだ三冠のうちの一冠目だもんな。うかうかはしてられねーか……」
「でしたら……」
「けどさ、いいじゃん! 今日くらいはパーっと喜んどこうぜ! な?」
今思えば、あいつはもう覚悟してたんだよな。
この先、ダービーも菊花賞も、絶対に勝つって。三冠取ってやるんだ、って。
でも、その時の俺は気づかなくて……寧ろ、これでいい、って思ってた。
残った二冠とか、どうでもいい、って。考えなくてもいいか、って。
だからあんな風に喜んでたんだよ。俺にとっては、ここで終わりだったから。
「……次、か」
だって俺さあ。
あいつ、ダービーで絶対に負けるって思ってたもん。
■
Q.続きますか?
A.今月中にもう一本上げられたらいいな~って感じで続けてみます