メジロアルダン? あんなのハズレだよハズレ!【完結】   作:宇宮 祐樹

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あけましておめでとうございます
今年中の完結目指してがんばりますわよ~


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 皐月賞はまだよかったよ。

 だってあのレース、二〇〇〇メートルしかないんだもん。

 それこそ、あいつの一番得意な距離だったしさ。

 充分に勝負できるレースだった。この距離なら勝てる、って思えた。

 ……まあ、出遅れかましやがったのは置いといて。

 結果的に一位で通過したし、優先出走権もちゃんと獲得した。

 だけど、なあ。

 

 あんまりレースに興味ないお前でも、さすがになんとなくは分かると思うんだけど。

 レースの種類って、距離によって変わんのよ。

 たとえば一〇〇〇メートルから一四〇〇メートルまでは短距離で、一六〇〇から一八〇〇がマイル……みたいな感じでさ。距離によって必要な能力とか、走り方とかいろいろ変わってくんの。

 それで……問題の、日本ダービーなんだけど。

 

「二四〇〇メートル、か……」

 

 これ、何ってさ。

 中距離のうちの最長距離っていう、めちゃくちゃ微妙なところなのよね。

 同じ感じで、年末にある大きなレース……ああ、そうそう。有記念。アレの距離が二五〇〇メートルで、長距離のうちの最短距離のレース。つまり、二四〇〇メートルってもうほぼ長距離に片足突っ込んでるのよね。古い言い方すると、中・長距離ってなるんだけど……ホント、そんな感じで。

 実際は走るレース場とかで、色々と条件は変わってくるんだけどさ。

 そんで、あいつの得意な距離って何度も言ってるけど、中距離じゃん?

 ……まあ、正確にはちょっとだけ違うんだけど。

 だから。

 

「……このままじゃ、厳しいだろうな」

 

 ダービー負けるって思ったのは、それが原因。

 実際、三冠のローテ組んだ時点で既に、ダービーは難しいだろうなって思ってたんだよね。

 皐月賞はさっきも言った通り、適性ド真ん中のレースだから問題なし。

 菊花賞も夏合宿を挟むから、まだ何とかなるかも、っていう希望はあった。

 だけど、ダービーはどうにもなあ……。

 レースとレースの間がほとんど無かったし、距離もほぼ長距離みたいなモンだったしさあ。調整する時間も取れないし、適性的にも厳しいし。もうホント、どーしたモンかなー、って感じで。

 

(どうせ今回もチヨちゃんとヤエノが台頭してくるだろうから、仮想敵はこの二人でいいとして……チヨちゃんには最高速度で、ヤエノには総合力で既に負けてる。勝ってる点は……加速力、か。スパートの位置さえ見極めれば、何とか勝負が成り立つところまでは持ち込める、けど……問題は、それまでにあいつのスタミナが保つかどうか、か)

 

 みたいなことを、足りない頭でイロイロと考えてたんだけど。

 

(いっそのこと、差しや追込で無理やり体力を確保させて……いや、迷走だな。そんな小手先の戦法でどうにかなる問題じゃない。それに、そういう搦手はまだ早い、ってあいつに言ったばっかりじゃねえか。……ダメだ、思考がブレてる。しっかりしろ、俺……もう一度、現状をしっかり整理して……)

 

 どうにも、手詰まり感が否めなくてさ。

 

(……あいつの武器は、加速力。追込とか差しみたいな、後ろ脚質レベルの加速を、先行っていう比較的好位置から仕掛けられるところだ。だからそもそも、脚質を後ろにしたところでメリットがあるわけじゃない……寧ろ、総合的に考えればデメリットになってると言ってもいい。となると、やっぱり先行ってのは変えられないな。だけど、二四〇〇メートルを先行の位置で走り続けるとなると……結局、スタミナ管理が課題になってくる、か)

 

 いくら考えても、その問題に行きつくだけだったの。

 一月で馬鹿みたいにスタミナが付くようなトレーニングなんて……いや、あるにはあるんだけどさ。でも、当時のあいつの身体じゃその負荷に耐えられるか微妙なところだったし。そこでそんな賭けするくらいだったら、普通にスタミナに重点置いたトレーニングして、当日でなんとかなーれ、って祈った方がまだマシだし。

 考えるだけムダ、って……思いたくはなかったけどさ。当時の俺じゃ、何も思いつかなくて。

 あーでもない、こーでもないって永遠に資料とにらめっこしてたんだけど。

 

「……ダメだ! ニコチンが足りねえ!」

 

 現実逃避がてら、資料持って喫煙所に向かったのよ。

 そんで、ヤニ吸いながら改めてダービーについて考えてたんだけど……やっぱり、どうにもならなくてさ。あれこれ試行錯誤はしてみたんだけど、ドン詰まりの打つ手ナシ、って感じで。

 あー、こりゃもうダメかもなー、って半ば、諦めモード入ってたら。

 

「資料を喫煙所に持ち込むのは、感心できませんね」

 

 急に後ろから、そんな声かけられてさ。

 ビビって振り返ったら、先生が立ってたの。

 

「せ、先生……?」

「お久しぶりです、萩野君」

 

 うん、先生。

 ……あ、そっか。クリークのトレーナー、って言った方が分かりやすいのか。

 そうそう、あの優しそうな、メガネかけてるおじいちゃん。

 そんで、ドのつくほどのベテラントレーナー。

 

「いつ帰ってきてたんすか」

「つい先日ですよ。地方での仕事がようやくひと段落したので」

「あー、そりゃ……ベテランも大変っすね」

「相応のやりがいもありますから、苦労だとは思いませんよ。ですが……今年から、クリークもクラシック級に入りますから。担当を持つトレーナーとして、流石にいつまでも向こうにいるわけにはいきません」

 

 先生ってのは……専門学校通ってた時、色々と俺の面倒見てくれたから、その名残ってのが一番かな。それに、トレセン就職してからも研修ですげーお世話になってたし。今になってもあの人、俺のこと気にかけてくれててさ。頼れる上司ってか……まあ、先生、ってのが一番しっくりくるから、自然とそう呼んじゃってて。

 

「聞きましたよ。皐月賞、おめでとうございます」

「ああ、いや……あざっす。何とか、って感じっすけど」

「それにしても……まあ。あのやんちゃな教え子が、まさかG1トレーナーになるなんて」

「自分が一番ビックリしてるっす。ほんと、この一年は色々あったっすよ……」

「……いけませんね。この年になってからは、どうしても時間の流れが早く感じてしまいます。それこそ、たった一年見ないうちに、あなたがこんなに立派になってしまったんですから」

 

 とにかく、先生とは結構久しぶりだったのよ。

 えー……だいたい一年とちょっとくらいになるのかな?

 なんか地方で、けっこう大事な仕事があったみたいでさ。

 えっと、どこだったっけ……あの、ほら。

 アイツの故郷の……ああ、そうそう。

 笠松。

 

「次はダービーですか」

「ああ、まあ……そうなるっすね」

「……見込みはあるんですか?」

「マジな話をすると、お手上げって感じっす」

「というと?」

「いや、実は……」

 

 みたいな感じで資料を先生に見てもらって、アドバイスとかねだってみたんだけど。

 俺の話聞いてるうちに、先生もだんだん浮かない顔つきになってきてさ。

 

「……厳しい状況ですね」

「先生ならこういう時、どうしますか?」

「試走を重ねて、ペース配分の調整を重点的に行うのが定石ですが……あなたの担当はまだクラシック級なうえに、レースの経験も浅いでしょうし、難しいところでしょう。それに、そもそも調整できるような持久力があるかどうか、という問題も残っています。……なるほど。これは確かにお手上げですね」

「うわ、先生でも打つ手ナシっすか」

「地道に持久力を伸ばしていくのが手堅いと思いますよ」

「……そーっすよねえ……」

 

 先生でもそんな感じで言うなら、もう仕方ないのかなー、って思って。

 スタミナトレーニングのメニューとか、その場で色々と考えてたんだけど。 

 そしたらさ、先生が。

 

「担当の生徒とは、うまくやっていますか?」

 

 俺の隣でタバコに火ぃ点けながら、そんなこと聞いてきたの。

 

「……まあ、ボチボチっすね」

「確かメジロ家の生徒でしたよね。ラモーヌさんの妹の……」

「メジロアルダンってヤツっす。いや、マジでワガママしか言わないクソガキっすよ。ほんと、振り回されてばっかりで。俺としては、もうちょい大人しめの素直な子がよかったのに……最悪っすよ、もう」

「確かに、あなたのような人とメジロ家の生徒は相性が悪いでしょうね」

「そーなんすよ。そもそもメジロ家の婆さんから押し付けられたってのもあるんすけど……一番イカれてんのはあいつっすね。なんか俺の担当から降りるつもりも、今のところないらしくて。ほんと、俺みたいなヤツのどこが気に入ったのか……マジ意味分かんねーっす」

「………………」

 

 なんて、その時は質問の意味もあんまり分かってなかったから、適当に愚痴っぽく返しちゃってさ。そしたら先生、急に黙り込んで俺のこと見つめてきて。ああ、流石に言葉遣いとかマズかったかなー、とかちょっと怒られるのかなー、とか思ってたらさ。

 

「あなたは、降りるつもりはないのですか?」

 

 みたいなこと急に聞き返してきたから、思わずぽかーんとしちゃって。

 

「……え? 何がっすか?」

「メジロアルダンさんの担当を降りるつもりは、ないのですか?」

「あー……? え、いや、まあ……そう、っすね。だって三年分のスケも立てちゃったっすもん。それに、途中でトんだらそれこそ、メジロ家の婆さんに何されるか分かんねーっすから」

「スケジュールに関しては、引継ぎ作業をすれば問題ないでしょう。それに、メジロ家もそんな当てつけのようなことはしませんよ。……今の当主が多少やんちゃだという話なら、理解できなくもないですが」

「それは、まあ……そうかも、しんないっすけど」

「でしたら、担当を降りればいいでしょう。不義理だと言う人もいるでしょうが……生徒との相性が悪いと思うのなら、それがお互いのためです。特に我々の仕事は、思春期の女子を相手にするものですから。我々の振る舞いが、その子たちの今後の人生に大きな影響を及ぼすこともあります。あなたがストレスを感じているというなら、その子のためにも早急に手続きを踏んだ方がいいですよ」

「……………………」

 

 先生の言ってることも、尤もだなって思ったの。

 実際、生徒とトレーナーでギクシャクしちゃって担当契約やめましたー、って子たちも全然普通にいるからさ。それ考えるなら、コイツと相性悪いな、って思った時点で担当とか変える方がいいのよ。

 だから、あいつの担当を降りてもよかったのよ、正直。それこそ、俺みたいな三流トレーナーより、先生みたいな優秀なトレーナーが付いてくれた方が、戦績も伸びるだろうし。その方が、よっぽどあいつのためになるって思う。

 でも、なあ。

 

「……違うんすよ」

 

 その時はまだ、上手く説明できなかったんだけどさ。

 それで担当やめる、ってのはどうにも、納得できなくて。

 

「ほう」

「確かに、俺はあいつと相性良いな、なんて思ってないっすよ? でも……悪い、って言い切れるわけでもないんすよね。合わないところは、色々あるっすけど……俺、あいつが皐月賞勝ってくれて、すげー嬉しかったですし。それに、俺……あいつが三冠取るところ、見たいんすよ。そうしたら、俺はきっと……」

「……きっと?」

「あー、きっと……何なんすかね? ……救われる? のかな。いや……証明できた、みたいな? ……まあ、よく分かんないんすけど、そうなってくれる気が、して……ほんと、自分でもよく分かんねーんすけど」

 

 そんな感じのこと、言ってたんじゃないかなあ。

 いや、マジで当時の俺もよく分かってなかったのよ。なんつーか、すげーふわふわした気持ちとか、願いっていうの? そういうのが多分、自分の中にあってさ。それに俺、まだ気づいてなくて。

 だから、まあ……何て言えばいいのかな。

 相性悪いな、って思うことはめちゃくちゃあるし、不満も言い切れないくらいあるけど。

 それであいつの担当を降りるつもりになんか、全然ならなくてさ。

 

「ですから、まだ続けてみます。三冠、あいつに絶対取らせてみせますよ」

 

 みたいな感じで言ったら、先生が。

 

「……杞憂だったようですね」

「何がっすか?」

「あなたとアルダンさんとのことです」

「はあ……」

 

 当時の俺も先生の考えてることとか、それ以外のこともよく分かってなかったから、そうやって流すしかなくてさ。そんで、そんなこと気にするくらいなら、まずはあいつのトレーニングメニューとか考えないと、と思って。

 気付いたらタバコも二、三本目に突入しててさ。

 そんな俺を、見かねてくれたんだろうな。

 

「ところで、あなたは自分の担当を信じたことはありますか?」

 

 先生が、そうやって聞いてくれて。

 

「……信じる?」

「ええ」

「いやー……無いかもしれないっすねえ。あいつ、目ぇ離したら絶対にとんでもないことしやがるんで。信用ならないっすよ、ほんと」

「……あなたとアルダンさんの仲が良いことはよく分かりました。ですが、聞きたいことはそうではないんです」

「え? どういうことっすか?」

「質問を変えますね。あなたは、アルダンさんに勝って欲しいと本心から願ったことはありますか?」

 

 言われてから、ちょっと考えたのよ。

 確かに俺、そういうことあんまりしたことないかも、って。

 選抜レースはどうせ勝てないと思って、喫煙所でフカしてたし。

 デビュー戦も、これなら勝つだろうなって適当に見送ってさ。

 弥生賞は皐月賞の試走みたいな感じだったから、別に勝たなくてもよかった。

 皐月賞も……ギャアギャア騒ぎはしたけど、勝ちの方が目は大きかった。

 みたいな感じで考えてたらさ、気付いたのよ。

 あいつに負けてほしくない、って本気で思うの、これが初めてかもなー、って。

 別に今までのレースは、負けても良かった。それか、勝ちの目がデカいレースしかなかった。言っちゃえば……俺にとっても、あいつにとっても、都合が良かったんだよ。どうせ勝つだろうから、このままいけばいいや、って。気楽に、そう考えてた。

 だけど、今回は違う。何が何でも、勝たなくちゃいけない。

 でも、難しい。やれるだけのことをやってみても、勝てるかどうか分からない。

 それなら。

 

「信じてみましょう、アルダンさんを」

 

 多分それが、先生なりのアドバイスだったんだろうな。

 ドン詰まりの俺ができる、唯一のことっていうか、そんな感じのこと。

 でも、その時の俺からしたら、そんな言葉なんて全然信用できなくって。

 

「……そんな、気持ちだけで何とかなるモンっすかね?」

「ならないでしょうね。気持ちだけでは」

「だったら……」

 

 そしたら先生、こうやって言ってきたの。

 

「レースの勝敗を決めるものとは、案外そういう気持ちだったりするものですよ」

 

 だからさ。

 

 

「まず初めに言っとくけど」

「はい」

「このレース、お前が勝てるとは微塵も思ってない」

 

 ダービーの当日になって、控え室で。

 出走まであと十五分とかそれくらいの時間になったとき。

 直接、あいつに言ってやったのよ。

 

「同じ中距離でも、皐月賞とはワケが違う。ほとんど長距離レースみたいなもんだ。だからこの一ヶ月、スタミナに重点置いたメニューを組んだが……正直、誤差だと思ってる。これで勝てるようになるなんて、考えてない」

「……それでも、私のトレーニングを見てくださったんですね?」

「それが俺の仕事だからな。それに、お前が走りたいって言ったんだ。だから……担当トレーナーとして、面倒見てやった。今の俺にできることを、全部やってやった。それだけの……」

 

 そこまで伝えたところでさ、思ったのよ。

 

「……違う」

 

 そうじゃないだろ、って。

 

「え?」

「俺は、さ。お前に……三冠、取ってほしいんだよ。上手くは言えねえけど、そうしたら俺の中で、何かが変わる気がして……はは、よく分かんねーよな。俺もだよ。だけど……お前が三冠を取ったら、何かが見える気がするんだ」

「……トレーナーさん?」

「でも、三流の俺じゃここまでが精一杯だった。付け焼刃のトレーニングしか、できなかった。もう、手詰まりなんだよ。だけど……諦めきれなかった。……見たいんだよ、俺。お前が三冠取ってるとこ」

 

 なんつーか、なあ。

 吹っ切れたっつーか、堰が切れたってのが一番、当て嵌まる言い方なんだろうけど。

 気づいたら俺、あいつにボロボロ色んなこと言っててさ。

 期待……ってほど高尚なモンじゃない。もっと、ドロドロしてて……たぶん、すっごく悪いモンなんだと思う。それこそ、まだ二十歳(ハタチ)にもなってないようなガキにぶつけていいモンじゃ、なかったんだろうけど。

 でも、その時の俺、そんなこと考える余裕もなくてさ。

 

「手は尽くした。やれることは、やった。……俺にできることは、ここまでだ」

 

 もう、まっすぐあいつの目も見れてなかった。

 手も震えててさ。たぶん、声も掠れてたと思う。ひでえ顔してたんだろうな、きっと。

 でも、何としてもこれだけは伝えなくちゃ、って思って。

 

「だから、あとは……お前を、信じることにした」

 

 それからずーっとお互い、黙ったままでさ。

 どんな顔してたんだろうなあ、あいつ。今になっちゃもう、分かんねーけど。

 

「……失望したか?」

 

 そんで、しばらく続いてるその時間に、耐えきれなくなっちゃって。

 

「そりゃ……そう、だよな。ここまでやっておいて、最後はお前に全部、丸投げしてんだもんな。情けねーけど……でも、俺は結局この程度なんだよ。……悪かったな、こんな()()()野郎で」

「………………」

「俺だって、本当はもっと何かしたかった。何とかしてやりたい、って思ったけど……ダメだった。何も、思いつかなかった。……ごめん。ごめんな、ほんと……こんな、何もできないヤツで……」

「トレーナーさん」

 

 そこでようやく、あいつが口開いてさ。

 

「どうか、お顔を上げてください」

 

 本当は、怖かった。

 何て言われるか分かんなかったし、あいつがどんな顔してるか予想もつかなかったから。

 でも……そのまま俯いてるままじゃ、ダメだって思ってさ。

 顔、上げたの。

 

「トレーナーさんの瞳に、私はきちんと映っていますか?」

 

 あいつは……笑ってたなあ。

 普通さ、ああいうこと言われたらすげー嫌な気持ちになるし、絶対に失望してると思ったの。

 でも……あいつは違った。優しい顔して、俺のことじっと見つめてた。

 

「……逸らしちゃダメです」

「で、も……」

「大丈夫ですから。しっかり、私と目を合わせてください」

 

 そう言われながら、両頬に手ぇ添えられてさ。

 そのまま、しばらくあいつの言う通りにしてたら、だんだん手の震えも収まってきて。

 気づかないうちに上がってた息も、元通りになってきたの。

 

「落ち着きましたか?」

「……うん」

「では、そのままで構いませんから、私の話を聞いてくれますか?」

「あ、あ……分かった」

 

 そのままあいつ、俺の手、握ってきて。

 

「私、今とっても嬉しいんです」

「……嬉しい? なんで、そんな」

「だってトレーナーさんが、私のことを信じてる、って言ってくれたんですもの。これほどまでに喜ばしいことはありませんし……それ以上に、その気持ちに応えたい、と思っているんです」

「あ、いや……負担に、させるつもりは、なくて……」

「負担なんかじゃありませんよ。むしろ……私がこうして日本ダービーの場に立つことができたのは、トレーナーさんのお蔭です。そして、この先も……私はトレーナーさんと走り続けたいと、そう思っています」

 

 そこまで言ったら、あいつがもう一度、両手を包み込むように握り直して。

 

「ですからどうか、トレーナーさんの願いを私に背負わせてください」

 

 俺の目をじっと見つめたまま、言ってきたの。

 

「その願いがあれば、私はきっと……ダービーウマ娘になれる気がするんです」

 

 ホント、今聴いても歯の浮くような台詞だとは思うよ。

 大きく出たなお前、って。普段ならバカにしてるところだった。

 ……でも、さ。

 あいつ本気だったんだよ。本気で、俺の願いを背負ってくれるんだ、って。

 だから。

 

「頼む」

 

 あいつの目を見て、伝えたの。

 

「俺を、救ってくれ」

 

 

「遅かったですね」

「……うっす」

 

 そっから観客席に戻ったら、先生が待っててさ。

 

「あれ、園田と桐谷は?」

「前の方にいらっしゃいますよ。あなたも行きますか?」

「……いや、いいっす。こっから見てますよ、あいつのこと」

「そうですか」

 

 それだけ話してから、しばらく俺も先生も無言で。

 しばらくしたらファンファーレ鳴ったの。

 スタンドからは、そりゃもう大歓声が巻き起こっててさ。

 遠くの方で見えるターフには、もう出走する子たちが揃ってて。

 そこに、あいつもちゃんといた。

 ちゃんと、まっすぐ……立ってたよ。

 ……これさ、何度も言ってると思うんだけど。

 あいつの脚って、めちゃくちゃ脆いんだよ。

 体もあんまり丈夫じゃないし、それこそレースなんてすげー負担になるの。

 そんな脆い脚でもあいつ、俺の願いを背負って走る、とか言いやがって。

 ……ほんと、バカだよあいつは。

 

『すべてのウマ娘が目指す頂点、日本ダービー! 歴史に蹄跡を刻むのは果たして誰か?』

 

 そんで、ゲートインして、いよいよ出走って時になって。

 未だに巻き起こってる歓声の中で、先生が俺にだけ聞こえるように訊いてきたの。

 

「勝てそうですか?」 

 

 でも、俺の答えなんて決まっててさ。

 

「そう信じてます」

 

 レースが始まったのは、それからすぐだった。

 

『さあ、各ウマ娘一斉にスタートを切った!』

 

 ……そういやお前、その年のダービーは見てたんだっけ? あ、そうなの? 珍しいじゃん。……え、あ、俺の担当が出てるって知ったから? ああ、そりゃ……なんつーか、どーも。

 そんで……まあ、そうだなあ。

 

「……っし! 行った……!」

 

 スタートは良かったよ。もちろん、出遅れなんてしなかった。

 枠番は六で、大外からのスタートだったんだけど、それ込みでもかなりいい滑り出しだった。噛み合った、って言えばいいのかな。とりあえず、勝負には持ち込めたかなって感じでさ。

 そっから、序盤の位置取り争いになったんだけど。

 

「これは中々……いえ、完璧と言ってもいいでしょう。素晴らしい位置取りです」

「あいつの武器は、後方脚質レベルの加速を先行の位置で発揮できるところですから。調整は入念にしましたよ」

 

 いや、まあホントよかったよ。

 迷走して逃げとか追込とかにしてたら、目も当てられなかったと思う。

 とにかく、序盤はかなりいい位置で走れてさ。先団でやってる小競り合いとかにも巻き込まれずに、順調に進んでったの。第一コーナー入って……第二コーナー抜けるまで、ずっと。

 

「丁寧な走りですね。速度をきちんと保ちながら、コーナーリングにもズレがない。フォームもしっかりと維持できている。基礎がしっかりできている証拠です。流石はメジロ家のウマ娘ですね」

「……伝えとくっす」

「ですが、ここからが勝負ですよ」

 

 まあ、先生の言う通りでさ。

 日本ダービーって基本的に東京レース場でやるんだけど、そこって……あー、なんつーかなあ。結構、イカついコースしてんのよ。第一、第二コーナーまではまあ、ある程度は普通のコースなんだけど、バックストレッチ……ああ、その、何だ。向こう側、って言えば分かる? そっからが、結構勝負所でさ。

 

「上り坂……」

「スタミナが保つかどうか、ですね」

 

 そう。坂、上がるの。第三コーナー手前で。

 傾斜的にはそこまでって感じなんだけど、そのぶん距離も長いし……何より、第三コーナー手前ってのが割とキツめでさ。そっからスパートかけなきゃいけないんだけど、そこでごっそりスタミナもってかれちゃうの。

 つまり、ここをどう凌いで終盤のペース配分を整えるか、ってのがポイントだったわけ。

 でも。

 

「まずいな、これ……」

「ええ。厳しくなってきましたよ」

 

 あいつの位置、だんだん後ろの方に下がってっちゃってさ。

 やっぱりスタミナが足りなかったんだろうな。先行集団から抜ける、みたいなことはなかったけど、見るからにペースも落ちちゃって。でも……粘ってはいた。なんとか必死に食らいついてるって、そんな感じだった。

 ほんと、絶望的だったよ。普通なら、ああもうダメだな、って諦めてた。

 ……ただ、なあ。

 

「頼む……!」

 

 お前を信じてる、って言っちゃったからさ。

 それならもう、最後まで信じ切るしかなかったのよ。

 

『さあ、先頭の娘が第四コーナーを抜けて最終直線へと差し掛かります!』

 

 第三、第四コーナーは正直、下り坂ってこともあって、そこまで問題にはならなかった。

 位置取りもそこまで致命的なモンじゃない。充分、まだ何とか希望が持てる位置ではあった。

 ペース配分もよく保った方だと思う。ギリギリ勝負はできる、そんな感じの雰囲気だった。

 ……問題は、そっからの直線でさ。

 そもそも東京レースの最終直線って、アホみたいに長いのよ。

 数値にすると五二五メートル。これ、ダービー全体の二〇パーセント越えてんのね。

 その上、途中からまた上り坂でさ。その坂も視野に入れて、スパートかけなきゃいけないの。

 

「これは、流石に……」

 

 先生はもう諦めムードだった。

 そりゃそうだよ。最終直線入ったところで、五身は離れてたもん。

 普通なら諦めてるよ。こりゃもう無理だ、勝てっこないって投げ出してるところだって。

 多分、あの場にいた全員が全員、そう思ってた。ここであいつは終わりだ、って。

 ……俺ひとりを除いて。

 

「っ、アルダン! 頼む……!」

 

 そんなはずは、ないんだけどさ。

 観客席とコースって、めちゃくちゃ離れてんの。

 その上、最終直線ってことだから、観客のボルテージも一気に上がってて。

 だからどれだけ叫んでも、ターフにいるあいつに俺の声が届くはずないんだよ。

 ……でも、さあ。

 俺がそうやって叫んだら、あいつ。

 

『大外から上がってきたのはメジロアルダン! 驚異的な加速で食らいついていきます!』

 

 無理やり、外側から回って上がってきたの。

 そんなスタミナなんて残ってるはずないのに、ぐるっと外から大きく周って来てさ。

 その時、先頭にいたのはチヨちゃんだった。もう、ほとんどウイニングランみたいなモンで。

 このまま勝つのはチヨちゃんだって、そう思ってた矢先。

 

「――っ、あぁぁぁああああああ!!!」

 

 あいつの、そんな声が聞こえた気がしてさ。

 ……そっからだよ。

 

「あの野郎……!」

 

 ほんと、バカじゃねえのかって思ったよ。

 ただでさえバテ気味なのに、残り三〇〇メートルで更にスパートかけやがって。

 チヨちゃんとヤエノで競り合ってるところに、強引に突っ込んでってさ。

 もう、ほとんどラフプレーみたいなモンだったよ。あんなの、中央のレースじゃない。

 何より。

 

「誰が、あんな乱暴な走りしろっつったよ……!」

 

 フォームもブレブレで、ストライドもバラバラで。

 いっそのこと、小学生の方がまたマトモな走り方するんじゃねーの、ってくらいの。

 ホント無茶苦茶で、全力全開の、ぶっ壊れるくらいのラストスパート。

 普段のあいつからは考えられないくらい、お粗末で野蛮な、泥臭い走りでさ。

 

「もはや執念ですね、あれは」

 

 先生がそう言うのと、俺が立ち上がるのは、ほとんど同時だった。

 だってもう、居ても立っても居られなくなって。

 

「ちょ……どいて! 通して! 通してください! 早く……!」

 

 観客を掻き分けて、何とか最前列の方まで寄って行ってさ。

 

「先輩!」

「萩野くん!」

 

 二人の間に割って入って、柵にほとんど体ぶつける形で思いっきり身を乗り出して。

 

「アルダン! 行け……行けええっ! そのまま、ブチ抜いてやれ!」

 

 ……そういえばお前、知ってる?

 ダービーは最も運のいいウマ娘が勝つ、っていうジンクス。

 皐月賞は最も速いウマ娘が。菊花賞は最も強いウマ娘が、ってのと同じで。

 それで、ずっと思ってたことなんだけどさ。

 ダービーだけ、やけに抽象的なんだよな。あのジンクス。

 皐月賞は分かる。だって、一番速いヤツが勝つのは当然だもん。そもそも皐月賞自体が、シンプルな速さ勝負ってレースでもあるし、まあ合ってる。

 菊花賞もまだ分かる。強さってか、総合力の高さっていうの? クラシック三冠のうち、唯一の長距離レースだからさ。まあ、間違いじゃない。

 だけど、ダービーだけ運なんだよ。何故か。

 ……でも俺、そのレースで何となく分かった気がするんだよな。

 

 そもそもダービーって毎年、人気とかと違う結果になったりすることが結構多いのよ。

 だから、最も運の良いウマ娘が勝つ、って言われるようになったんだろうな。

 ……だけど、それって結局、見てる側がそう認知した結果でしかないんだ。

 勝敗を決めるのは、決して運なんかじゃない。

 ああ、そうだよ。()()()()に立って、初めて気づいたんだ。

 ダービーってのはさ。

 

『――メジロアルダン、いま一着でゴールイン!

 皐月賞に続いて日本ダービーを制し、ついに三冠に王手をかけました!』

 

 懸けた想いが一番大きいヤツが、勝つレースだよ。

 

 

 ダービーは勝ちの喜びより、心配の方が勝ってたかもなあ。

 

「アルダン!」

 

 だってあいつ、ゴールした直後からずっと、仰向けで倒れたまんまだったもん。もし脚でもぶっ壊してたら目も当てられねえしさ。だから俺、柵飛び越えて急いであいつのところに駆け寄ったのよ。

 そんで、あいつの顔覗き込んでみたんだけど。

 

「ふふっ……あはっ、あはは」

 

 あいつ、笑ってたの。

 いつものお上品な、それこそお嬢様っぽい静かな笑い方じゃなくてさ。

 芝の上で大の字になりながら、そりゃもう満面の笑みで。

 嬉しくてしょうがない、って顔のまま、俺のこと見つめてきて。

 

「ねえ、トレーナーさん」

「……なんだよ」

「見ていてくださいましたか? 私の、走り……」

「ああ、見てたよ。あんな走り方、教えたつもりねーけど」

「申し訳、ありません。でも……」

「……でも?」

「とっても、楽しかったです」

 

 まあ、そりゃそうだろうな。

 産まれてこの方、身体が弱いから入院生活で。

 レースもろくに出られなくて、走ることすらままならなくて。

 だから全力で何も考えずに走る機会なんて、人生の中で一度も無かったんだ。

 そりゃ、楽しいに決まってるよ。

 

「立てるか?」

「……申し訳ありません」

「ったく……向こう一週間は、オフだなこりゃ」

 

 そのままあいつに肩貸して、立たせてやってさ。

 だから、ほら。見てこれ。その年のダービーの写真、ほとんど俺と一緒に映ってんの。トロフィーも一緒に持ってるし、優勝レイも一緒にマフラーみたいに巻いてんの。こんなことしてんの、歴代でも俺たちだけだって。

 ……え? いや、そりゃ……そうだよ。普通、そうなるに決まってんじゃん。

 だって、自分の担当が三冠達成にリーチかけたんだもん。

 そんなの、嬉しくてこんな笑顔になっちゃうって。

 

「次のレースはもう決められてるんですか?」

 

 そっから、インタビューの時間になったんだけど。

 まあ毎年のお決まりっていうか、真っ先にその質問が飛んできてさ。

 

「そりゃもちろん……なあ? 言ってやれよ」

「ええ」

 

 そうやって、お互いに顔を見合わせてから、

 

「菊花賞――そこで、最後の冠を頂きに参ります」

 

 

 ……あ、ちょっと待って? 今何時?

 うわ、結構いってんなぁ。てか、あれ? え? これ電車ある? なくない?

 あー終わった。帰れねえわ俺。無理だ。普通にやらかしたかも、これ。

 いや、確かに二時間歩けば家には着くけど……ダルいって。嫌だよ、俺。

 ……え? お前ん家? あー……そういやそっか。全然歩いて来れる距離なのか。

 マジでいいの? ホントに? 普通に全然アリなんだけど。

 ああ、俺は明日も休みだし、どうせ予定もないからいいんだけどさ。

 助かるわ。じゃあ、ついでにシャワーも借りて……いいの!? うそ、ホントに?

 ……え、こっから宅呑み?

 いやー……俺、これ以上はちょっと、って感じなんだけど……。

 あー、泊める代わりに? こっから先の話?

 ……ああもう、分かったよ! 話すって! だからもう注文すんなって!

 

 ……はあ。

 とりあえず、帰りにコンビニ寄るか。

 

 




Q.続きますか?
A.今月中にもう一本上げられたら上出来かも
 月二目指します
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