メジロアルダン? あんなのハズレだよハズレ!【完結】   作:宇宮 祐樹

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すいません東京行っててマジ更新遅れました


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『クラシックロードの終着点! 最強の称号を手にするのは一体誰か!』

 

 京都レース場、第一〇R。

 芝三〇〇〇メートル、右回り外。

 天候は雨。バ場状態も不良。

 出走人数一八人の、フルゲート。

 確か発走は一五:四五だったっけ。

 

「戻りました」

「あ、おかえり……」

「お疲れ様です」

 

 あいつを見送った後に観客席に戻ったら、園田と先生がもう傘差して待っててさ。

 

「アルダンさんの調子はどうでしたか?」

「……笑ってましたよ、あいつ。今から負けに行くってのに」

「そうですか」

 

 そうやって答えたら、先生はそれ以上何も言わなかった。呆れてたのか、俺たちの覚悟を認めてくれてたのか、それは今でも分かんないけど……先生らしいな、って思ったよ。

 

「ヤエノはどうだったよ?」

「うーん……少し緊張っていうか、やっぱりちょっとだけ意気込んでるみたい。本人はいつも通り振舞ってるつもりなんだろうけど……レース前の瞑想も、普段より長かったから、ちょっとだけ心配……」

「仕方ありませんよ。三冠路線、最後のレースなんですから。プレッシャーを感じてしまうのも無理はありません。普段通りの走りができるよう、信じてあげましょう」

「……ってよりは、クリークにビビってるような気もしますけどね」

 

 みたいに話をしてるうちに、出走する生徒のゲートインも全部終わってさ。

 

『ゲートイン完了。各ウマ娘、出走の準備が整いました!』

 

 先生はいつも通り、しっかりと落ち着いた感じで。

 園田はやっぱり、ちょっとソワソワしてて。

 俺は……もう、とっくに覚悟も決めてたからさ。

 じーっとあいつのことを見つめて、その時を待ってたんだ。

 そんで。

 

『各ウマ娘、一斉にスタートを切りました!』

 

 がこん、って。

 学園でもレース場でも、死ぬほど聞いたゲートの解放音だけどさ。

 やっぱり、その時だけはどこか重たく聞こえたんだよ。

 

『――ヤエノムテキとスーパークリークを筆頭に、先行集団が固まっています。その少し後ろで様子を伺うのはメジロアルダン! ここまで二冠、果たして最後の王冠を手にすることはできるのでしょうか!』

 

 その年の菊花賞は……まあ、お前も何回か見ただろ。

 だって無限にニュースや動画サイトに流れてたし。

 ……主に俺のせいで。

 

「……後方に着かれましたか。なるほど」

「クリークと鍔迫り合いなんて、自殺行為みたいなモンっすからね。皐月賞みたいに序盤からスタミナは温存させました。つっても……それで五分に届くかどうか、って感じっすけど」

「ヤエノさんはクリークと正面からぶつかる形になりましたね。園田さんの指示ですか?」

「え? えっと……ヤエノがそうしたい、って言ってたので」

 

 皐月賞の時にも話したけど、その世代は先行で走る子が多かったからさ。今回も序盤で競り合いっつーか、位置取り争いみたいなのがどうせ起こると思って、後ろの方で控えるように指示したんだよ。

 その判断自体は結果として正しかった。あいつはぐちゃぐちゃに込み合ってる先行集団の、ほぼ最後尾に着けた。……あいつ、位置取りに関しては同世代の中でも上手い方だから。そこは良かったんだよ。

 

『第四コーナーを抜けて、一つ目のホームストレッチへ。依然として睨み合いが続くレース展開となっています』

 

 長距離のレースに必要なのは、視野の広さだと思ってる。

 そりゃ、スタミナが一番大事なのは当たり前だけど……それだけで勝てるほど長距離は甘くない。他の奴らの動きから、その先に起きる展開を予測して、どの位置を取ればいいのか、どこでスパートをかければいいのか……みたいなことを、走りながら見極めなくちゃいけないんだ。睨み合い、ってのはそういうこと。

 だけど、あいつは……いや、これは出走した全員に言えることか。

 クラシック級の時点で、そんなレース中の読み合いができる生徒なんて、そうそういないのよ。

 そういった視野とか、全体を読む力ってやっぱり、経験や慣れみたいな時間のかかる手段でしか鍛えられないしさ。確かに、クラシック級に上がったってことは、一年間の経験があるって言えるけど……それだけで身に着くほど軽いモンじゃない。それこそ、シニア級の生徒でも読み合いが甘かったり、展開を想定できないって生徒は普通にいるし。

 だから、何が言いたいかっていうと。

 そうした読み合いの要素が薄いってことは、つまり純粋なスタミナ勝負になってくるわけで。

 

「完全にクリークさんのペースですね……」

「ええ。こういう時の彼女は強いですよ」

 

 向こう正面に入ったときにはもう、ほとんどクリークがレースを引っ張ってたの。

 底なしのスタミナで、他のヤツらの体力を根こそぎ潰していく……クリークの一番得意なやり方だ。確かに、ただ自分のペースを維持して走ってるだけだから、それこそ頭使う逃げとか、相手の位置をイジる差しとかには弱いんだけど……その世代の、しかもクラシック級にそんなヤツはいるわけなかったからさ。

 ほとんどクリークの独壇場だった。ただ走ってるだけで、他の奴らを置いてけぼりにしてくんだ。小手先の技術も駆け引きも、クリークには必要ない。純粋なスタミナと身体の強さで、自分の道を切り拓いていく。

 ……ああ、そうだ。

 初めてクリークを見たときに、思ったんだよ。

 この世代は()()()か、って。

 

「クリーク……」

 

 気づけば、レースもほとんど後半に差し掛かってて。

 

『まもなく第三コーナーに突入……っと、ここで上がってきたのはスーパークリーク! ゆっくりとしたスパートで先頭を狙っています! さあ、他の娘たちはどう出るか!』

 

 はじめは焦ってるのかと思った。スパートのタイミングが、他の連中よりだいぶ早かったから。仕掛け時をミスったんだ、って。でも、違った。その時は久しぶりにクリークの走りを見たから、忘れてたんだ。あいつのスタミナが、バケモンだったってことを。

 

「……指示通りですね。あとは最後まで無事に走りきるだけです」

 

 アルダンがスパートをかけ始めたのと、先生がそうやって呟いたのは、ほぼ同時だった。

 多分、あいつも予想できてたんだろうな。このレースはクリークを中心に展開される、って。そんで、クリークが上がってくる瞬間に自分もスパートをかけないと、そもそもの勝負にすらならない、ってところまで。

 だから、あいつは後方からずーっとクリークの様子を伺ってたんだ。クリークが仕掛けるタイミングが来るその時まで、スタミナを温存してた。……何も間違いじゃない。正しい判断だったよ。

 

『メジロアルダンも上がってくる! ここまで二冠、ついに最後の王冠へと手を伸ばします!』

 

 第三コーナーに入った時点で、あいつはクリークの一つ後ろに着いた。差はまだあったけど、あいつの加速ならコーナーを曲がり切った直後で並べるかもしれない。それくらいの距離感だった。

 レースもほぼ終盤で、他の連中もスパートをかけ始めてたけど、それじゃ遅い。逃げの連中もスタミナ切れで後ろに下がっていって……コーナーを抜けた後に残ったのは、ヤエノとクリークとあいつだった。

 

『第四コーナーを抜けて先頭はスーパークリーク、そのすぐ後方にヤエノムテキとメジロアルダンが並んでいます! 果たして誰が最初に抜け出すのか、勝負は最後の直線に持ち込まれました!』

 

 京都レース場、最後の直線は四〇四メートル。クリークの速度を加味しても、あいつの加速なら充分追い抜けるだけの距離だ。このまま何事もなくレースが進んでくれれば、勝ったのは間違いなくあいつだった。

 

「アルダン……!」

 

 ……そうだ。

 勝ってたのは、間違いなくあいつだったんだ!

 

『メジロアルダン、先頭に躍り出た! 三冠達成まで残り僅か三〇〇メートル!』

 

 観客席からじゃもう分かんないくらいの、数十センチの差だけどさ。

 あいつは確かに、一着だったんだよ。

 クリークとヤエノよりも前で、あいつは走ってたんだ。

 

 いける、って思ってた。

 俺だけじゃない。そのレース場に居たほとんどの人間が、そう思ってたはずだ。

 このままいけば、あいつが一着だ。それで、あいつは晴れて三冠ウマ娘になって……俺が見たかった光景を見せてくれる。そうして、俺を救ってくれるんじゃないか、なんて。そんなことを、考えてた。

 でも。

 

「……あ」

 

 そうはならなかった。

 

「ふむ」

 

 なって、くれなかった。

 

「あ……? なん、で……」

 

 思えば、俺たちもそうだったじゃないか。

 日本ダービーの最終局面。観客のほとんどは、チヨちゃんが勝つって思ってた。でも、実際に勝ったのは俺たちだ。観客の期待も、チヨちゃんの想いも全部裏切って、俺たちがダービーを制したんだ。

 なんてどんでん返しが、自分たちの番で回ってこないなんてさ。

 そんな都合のいい話、あるわけがなかったんだよ。

 

『残り二〇〇メートル……っと、ここでスーパークリークが上がってくる!? 僅かではありますが、メジロアルダンとの距離を詰めて……いや、並んだ! スーパークリーク、メジロアルダンに並びました!』

 

 クリークが仕掛けるタイミングが早かったのは、ただ単にミスったからじゃない。

 あいつのスタミナなら、早期のスパートでも最高速度を出し続けられるからなんだ。

 スパートってのは早ければ早いほど、最高速度を出せる時間が短くなる。最高速度に到達した後、ずっとスタミナを使わなくちゃいけないから。かといって、遅かったら加速が間に合わなくて、そもそも最高速度に到達できない。だから、遅くても早くてもダメ。スパートってのは、適切なタイミングで仕掛けなきゃいけないんだ。

 だけど、クリークのスタミナはそういう常識をひっくり返すくらいに桁外れでさ。

 要するに。

 

「あのスパートは、ブラフ……!」

 

 まだ、クリークには充分な余力があったんだよ。

 早期のスパートで他の連中を焚きつけて、無理やりスタミナを枯らして。

 その上で、最終直線に入っても余裕で差し返せるくらいの。

 

『残り一〇〇メートル、ついにスーパークリークが先頭に! 追いすがるメジロアルダン、しかし距離を徐々に離されていきます! これは決まったか!?』

 

 ……意味わかんねえよな。

 クラシック三冠のうち、菊花賞だけ長距離レースなの。

 なんであのコース、三〇〇〇メートルもあんだよ。

 あと二〇〇メートル……いや、一〇〇メートルでも短かったらさ。

 勝ってたのはクリークじゃなくて、あいつだったのに。

 あいつが三冠ウマ娘になってくれてたはずのに。

 どうして……どうしてだよ!

 

『一着はスーパークリーク! 持ち前の持久力で見事、菊花賞を制しました!』

 

 ……結果は、アタマの差で二着。

 あっけなかったよ、ホント。何事もなく、あっさりと終わって。

 気が付いたらレースを走り終えたあいつが、とぼとぼ歩いてるのが見えてさ。

 掲示板には、あいつの番号じゃなくてクリークの番号が一番上に並んでた。

 そこで、ああ、俺たち負けちゃったんだな、って。

 悔しいとか、信じられないとかそういうのよりも先に、そんな感情が来ちゃってさ。

 

「ヤエノ、負けちゃった……」

「惜しかったですね。中盤までの展開は、かなり良かったのですが」

 

 隣で園崎と先生が話してたけど、俺はなんも喋れなくって。

 

「……萩野君?」

 

 それから、どれくらい経ったっけなあ。

 菊花賞目当てにやってきた観客もぼちぼち帰って行って、そろそろ次のレースの準備が始まる、ってくらいの時に、先生がそうやって声かけてくれてさ。そこで俺もようやく我に返ったっていうか……これで終わりなんだ、って。思い知ったっていうか……現実を突きつけられたっていうか、そんなふわふわした感じで。

 だけど、これから俺がするべきことは、ハッキリ分かってた。

 それが他の誰にもできない、俺にしかできないことだ、ってことも。

 そう考えたら、居ても立ってもいられなくって。

 

「すいません。俺、行かないと……」

 

 だから、先生と園崎の顔も見ないまま、すぐに走り出してさ。

 あいつのことを、迎えに行ったんだ。

 

 

 控え室に先に着いたのは、俺の方だった。

 レースが終わってから結構時間も経ってたし、もしかしたら、って思ってたけど、あいつはまだ来てなかった。だからとにかく、迎える準備……タオルとか水分とか、いろいろと用意してさ。

 その間に考えてた。なんて声かけたらいいのか、どんな言葉を渡せばいいか、とか。でも、何も思い浮かばなかった。情けない話だけど……何を言っても、あいつを追い詰めちゃいそうでさ。

 そうこうしてるうちに、控え室の扉が開いて。

 

「トレーナーさん……」

 

 髪も濡れて、勝負服も泥だらけになったままのあいつを見たらさ。

 

「……お疲れさま」

 

 そんな、ありきたりな言葉しか出てこなかったんだ。

 もっと他に言うこと、あったはずなのにさ。

 ボロボロのあいつの姿を見たら……そんなことしか、言えなくって。

 

「ありがとうございます」

 

 でも、あいつは笑ってた。

 いつも通りの上品な笑顔で、俺の言葉を受け止めてくれた。

 ……そんな顔、死んでもしたくないはずなのに。

 

「負けたなあ」

「はい。もう少しだったのですが……わずかに届きませんでした」

「そうだな。あと、ほんのちょっとだった」

 

 初めは、そうやってあいつのことを励ましてたよ。

 でも、だんだんやるせなくなってさ。こんなことしても無意味だって……ああ、そうだ。あいつの言ってた通りだった。お互いの傷を舐めあっても、何にもならない。ただ、虚しさが残るだけだ、って。本当に、その通りだった。

 だから、だんだんお互いの口数も減っていって、終いにはしばらく無言になって。

 

「……来いよ。髪、濡れてるから乾かしてやる」

「よろしいのですか?」

「今日は頑張ったから特別。だから、ほら。早く来な」

 

 黙ったままのその時間が耐えられなくなって、あいつを椅子に座らせてさ。

 ドライヤーとかかけながら、何とか話を繋ごうとしたんだけど。

 

「クリークの対策、もっとちゃんとやっとくべきだったなあ」

「……そう、ですね」

「俺、今回もどうせお前が勝つって思ってたからさ。インタビューのためにスーツ新しいの下ろしてきたんだよ。でも……意味なかったなあ。雨だから帰り濡れるし。……変にカッコつけず、いつもの恰好で来りゃよかったよ」

「それは……申し訳ありません」

「ああいや、そうじゃなくて……そう、雨! どれもこれも全部、雨なのが悪ぃよマジで! 重バ場だったし、足元も悪ぃし! ホント、こんなことならお前の言う通り、もっと丁寧にてるてる坊主つくっときゃよかったなあ。はは……」

「………………」

 

 結局、どうしようもなくなって。

 まだ、あいつの髪も乾き切ってないのに、ドライヤーのスイッチ落としちゃってさ。

 気の利いた言葉の一つでも、言ってやれればよかった。でも、それすらできなかった。

 そんな自分すらも、嫌になっちゃって。

 そうやって黙ったままの俺をあいつは見兼ねたんだろうな。

 

「もう、大丈夫ですから」

「…………え?」

「無理をなさらないでください。私は、大丈夫です」

 

 そんなわけない、って。

 大丈夫なわけがない、って。

 あいつの声の震えで分かったはずなのに。

 俺は、何も言い返せなくてさ。

 

「……さて。そろそろ、ライブの準備をしないといけませんね」

 

 そう言ってから、あいつが立ち上がって。

 そのまま、控え室から出ていこうとしたんだけど。

 やっぱりこのままじゃダメだって思ったんだよ。

 あのままのあいつを行かせたらそれこそ、俺はトレーナー失格だ、って。あいつの隣に立ち続けて、一緒の時間をあれだけ過ごして、それなのに今ここで何もできないなんて、そんなの……悔しいって思ってさ。

 だから。

 

「トレーナーさん……?」

 

 無理やり動かした体で、あいつの手を引き留めて。

 それでも、やっぱり言葉は思い浮かばなかった。

 気の利いたことも、上手いことも、何一つ言えなかった。

 だから俺は、不思議そうに首を傾げてるあいつの頭を。

 ……できるだけ優しく、撫でてやったんだ。

 

「え……」

 

 驚かれたよ。

 そりゃそうだよな。普段から文句ばっかり言ってるヤツが、急にそんなことし始めるんだから。

 でもさ、俺も驚いてたんだよ。いや、どっちかっつーと呆れてたのかな。わざわざあいつのことを引き留めておいて、あんなことしたんだもん。もっと他にやってやれること、あったはずなのに。

 それから少ししたら、あいつが笑い始めて。

 

「トレーナーさんったら、もう……私、そんな子供じゃないんですよ?」

「ああ、知ってる」

「でしたら、今すぐお止めになってください。トレーナーさんのお気持ちは、充分に伝わりましたから。それに……このままでは、誰かに見られてしまうかもしれませんよ? 私はそれでも構いませんが……」

「俺も気にしねえよ。自分の担当を労わるなんて、別に普通のことだろ」

 

 多分、なんだけどさ。

 一人になりたかったんじゃねーのかな、あいつは。

 顔向けできない、とか、俺のことを見放した、とかじゃなくて……なんだろうな。きっとあいつ、無茶ばっかりするワガママなヤツでいたかったんだよ。負けなんて気にしない、次のことしか考えない。だから、俺のことも平気で引きずり回してやる。そんな、傍若無人なウマ娘になろうとしてたんだ。

 そのことは当時の俺も、なんとなく分かってた。

 だからこそ、俺はあいつを引き留めたんだ。

 

「トレーナーさん」

「………………」

「……やめて、ください」

「嫌だ」

 

 例えばの話、なんだけど。

 演劇に出てる役者さんって、舞台に出てる時とそうでない時で違うじゃん。

 だから、その演劇の中で悲しい気持ちになったり、辛い経験をしたとしても、それは全部台本の上での話で……一度舞台を降りれば、それで終わり。劇の中で起こったことは、全部なかったことになる。

 でも、あいつは……舞台から意地でも降りないつもりだったんだ。

 多分それが一番賢いやり方だ、って思ったんだろうな。自分からワガママなお嬢様を演じることで、悔しいとか悲しいとか、そういう感情を無理やり自分の中だけに抑え込もうとしたんだよ。誰にも涙は見せないつもりだったんだと思う。そんな弱いウマ娘だと思われたくないから。ずっと無茶とワガママばっかり言ってる、強いウマ娘を演じたかったから。

 ……でも、そしたらさ。

 俺が今まで担当してたメジロアルダンってウマ娘は、何だったんだよ。

 

「……お願いです。どうか……もう、お止めになってください」

「やめない」

 

 もう、お互いに意地の張り合いだった。あいつがこういう時、意固地になるのは元からだけど……そん時は俺も大概だったなあ。いつもだったら、メンドくなって俺から折れるんだけど。

 でも……その時だけは、負けられなかった。

 そこで負けたら、いよいよ終わりだって思ったの。

 そりゃそうだろ。

 だって、ここまであいつの面倒見てやったんだ。

 王冠を二つも取らせて、菊花賞まで走らせてやったんだ。

 あいつのことを世界で一番知ってるのは、間違いなく俺なんだ!

 ……それなのに、あいつは俺の知ってるメジロアルダンをどっかに追いやろうとしてた。

 必死に隠して、別の誰かになろうとしてた。

 俺の知らないメジロアルダンとして、俺の隣に居続けようとしてたんだ。

 そんなの……許せるわけないだろ。

 

「……どうして、ですか」

「何が」

「どうしてそんなに、優しくするんですか!」

 

 それからお互い無言になって、十何分か経った頃かな。

 あいつにもだんだん、余裕が無くなってきてて。

 

「私は負けたんです! トレーナーさんの期待に応えられなかった、裏切り者なんですよ!? ……いつもみたいに、笑ってください。どうしようもないウマ娘だ、ってバカにしてください。やっぱりお前はハズレだったんだな、って……失望、してください……!」

「……お前」

「お願いですから、これ以上私に優しくしないでください……!」

 

 ひでーツラしてたよ。

 泣いてはなかったけど……もう、直前だった。目も真っ赤に腫らしたまま、ぐしゃぐしゃの顔で俺のこと睨みつけてて……必死だったよ。疑ってるワケじゃないけど……あの、優しくしないで、ってのはきっと、本心からの言葉だったんだろうな。

 ……だけど。

 俺だって必死なのは同じだった。

 

「ここまでよく、頑張ったな」

「……やめて、ください」

 

 繋ぎ止めたかったんだ。いや、自分勝手って言われるかもしれないけどさ。だけど、せめて俺の前だけでも、本音で話してほしかったっつーか……俺の知ってるメジロアルダンでいてほしかったっつーか、なんつーか。

 

「結果はそりゃ、望んだ通りにはいかなかったけど……ちゃんと最後まで走り切ってくれたじゃん。それだけで俺は充分だよ」

「やめ、て……!」

 

 ……他のヤツらの前でどう振る舞おうが構わない。

 自分のやりたい役を勝手に演じてれば、それでいいよ。

 でも、せめて俺の前だけでは、さ。

 舞台から降りて、素直になってほしいって思ったんだよ。

 だから……そのためには俺も素直にならないと、って思って。

 

「月並みな、つまんねー言葉かもしれないけどさ。お前の担当になれて、お前と一緒にここまで来れて……良かった、って思ってる。ああ……そうだ。一人の担当を持ったトレーナーとして、これ以上に嬉しいことはねーよ」

「っ…………!」

 

 きっと他のヤツだったら、もっとちゃんとした飾りのあるセリフが言えたんだと思う。

 だけど、ここまであいつと一緒に歩いてきたのは、他でもない俺だからさ。

 

「ありがとな、アルダン」

 

 俺の言葉を……本当の気持ちを、そのまま伝えたんだよ。

 

「ぁ……」

 

 そしたらあいつ、そんな息が抜けるみたいな声上げてから。

 そのまま、ぽろぽろ泣き始めちゃってさ。

 

「あ、あれ……? いや……違う、んです……」

「………………」

「お願い、止まって……! 私は……こん、な……」

 

 何より、あいつ自身が一番驚いてたよ。

 自分の目元に手ぇやっては、不思議そうに俺のこと見てくんだもん。

 どうしたらいいのかわかんない、みたいな表情でさ。すげえ切ない……寂しそうな、潤んだ眼で。床に大粒の涙を何粒もこぼしながら、息も途切れ途切れになりながら、俺のことを見つめてくんの。

 だから。

 

「いいよ。好きなだけ泣けば」

 

 ……飛びつかれたよ。

 遠慮なしに、ものすごい勢いで。

 その時のあいつ、自分がウマ娘だってことも忘れてるみたいで。抱き着いてきた後も、俺の胸に顔を埋めてきてさ。そのまま背中が控え室の扉にぶつかるまで、思いっきり押し付けられたの。

 痛かったよ、そりゃ。骨にヒビ入ってんじゃねえのかって思った。

 ……でも。

 

「っ、うぅ……! うぅぅ……っああ……!」

 

 あいつの痛みに比べたら、なあ。

 

「私が先頭だった……! あの時、私は誰よりも速かったはずなのに……!」

「……ああ、ちゃんと見てたよ。お前が一番だった」

「あと少し……あの時、もう一歩でも前に出ていれば……!」

 

 下ろし立てだっつってんのにあいつ、俺の服にしがみついてさ。

 

「姉様を見返したかった! お婆さまにも、メジロの名に恥じないウマ娘として認められたかった! こんな情けない、惨めな姿じゃなくて……三冠ウマ娘としての姿を、あなたに見せたかった! それなのに……っ!」

「……………………」

「あんなに頑張ったのに! 身体が弱いって見放されたなりに、努力したのに! ……足りてないはず、ない! 皐月賞も、日本ダービーも! どっちも勝ったのは、私だけなんです! なのに、どうして……どうしてっ!」

「……アルダン」

「私が……っ! 私が三冠ウマ娘になっていたはず、なのに……うっ、うぅぅうう!」

 

 上ずったままの声で、苦しそうに叫んでたよ。

 誰にも言わずに抱えてた劣等感も、胸の内に圧し込めてた責任も、全部吐き出してくれたんだ。

 聞いてるだけで、こっちも……痛くなった。恥ずかしい話だけど……こんなにも、って思ったよ。普段のお嬢様してるあいつからは考えられないほど、ドロドロした感情をぶつけられてさ。

 でも……嬉しかった、のかもなあ。

 そういう本音を、やっと吐き出してくれたから。こいつにならぶつけてもいい、ってくらいの信頼をあいつから得られたから。舞台で笑ってるあいつじゃなくて、舞台袖でひっそり泣いてるあいつに、寄り添ってやれたから。

 ……それは、あいつとここまでやってきた俺にしかない、特権だ。

 だから。

 

「……ごめんな。こんなことしか、できなくて」

 

 抱きしめてやったんだ。

 他の誰にも、こいつのこんな姿を見せてやりたくなかったからさ。

 震えたままの背中を、できるだけ優しく撫でてやりながらで。

 全部、吐き出してくれればいい。それをぜんぶ受け止められるかは分かんないし、あいつの痛みも分かったつもりでいるだけだ。ただ、それでも……トレーナーとして。大人として、慰めてやらないといけないってさ。

 そう、思ったんだ。

 

「――萩野くん、いる?」

 

 そうやって、二人で抱き合ってしばらく経った頃かな。

 急に控え室の扉がノックされて。

 

「トレーナーさん――」

「いいから」

 

 そしたらあいつ、俺からすぐに離れようとしたからさ。

 無理やり引き寄せて、あいつの頭を抱えながら答えたの。

 

「ああ……園田か。どうした?」

「えっとね、なんだかライブに使う機器にちょっとトラブルがあったみたいなの」

「トラブル? マイク壊れたとか?」

「そんなに深刻じゃないよ。でも……スケジュール調整とかしたいから一度集まって、って上から報告があって……今、アルダンさんはいる? いるなら、すぐに一緒に来てほしいんだけど……」

 

 ……………………。

 まあ。

 

「悪ぃ、あいつ今いねーんだわ。さっき衣装の泥落としてくるっつって出たばっかでさ」

「あ、そうなの……?」

「そーなの。だから後から行くわ。それでも大丈夫だろ?」

「……分かった。もし間に合わなかったら、私から伝えておくね」

「おう、それで頼むわ。じゃ、また後でな」

 

 カッコつけたかったって言ったら、そうかもしれないけど、

 でも……あんなに弱ってるあいつの姿、他の誰にも見せたくなかったんだもん。

 ああ、まあ……そう、かもなあ。

 三冠ウマ娘になったあいつの姿は、見られなかったけど。

 こうして本音をぶちまけて、誰にも見せないあいつの姿を俺だけが見られたのは。

 良かったこと、なのかもなあ。

 

「………………」

「………………」

「…………本当に、よろしかったのですか?」

「こっちのセリフだよ。そんなぐしゃぐしゃの顔、他のヤツに見せられるか?」

「……ふふっ、そうですね。こんなはしたない姿、トレーナーさん以外には見せられませんから」

 

 しばらくしたら、あいつもだいぶ落ち着いてきたみたいで。

 そんな感じの軽口とか叩き始めたんだけど。

 

「それで、どうする?」

「……もう少し、このままでもいいですか?」

「ああ。お前が満足するまで、付き合ってやるよ」

 

 結局。

 スマホで直々に呼び出し喰らって、遅ぇの何のってキレられるまで。

 俺とあいつはずっと抱きしめ合ったままだったんだ。

 

 

「あ、萩野くん……どうだった?」

「しっかり怒られたわ。俺のせいじゃねーのに」

「あはは、大変だったね……」

「ホントだよ。素直じゃねえ担当持つと、苦労ばっかりだわ」

「……そういえば」

「おう」

「萩野くんの服、そんなに汚れてたっけ……?」

「え? ……あ」

「下ろし立てだって言ってたよね、そのスーツ。……胸元とか泥だらけだけど、大丈夫?」

「いやー……アレだよ。その……ああ、そうそう。自販機に飲み物買いに行くとき、水たまりでスベっちゃってさ。その時にやらかして。マジ最悪だったわ。ほんと、下ろし立ての新品なのに……やらかし、やがって」

「……ふーん」

「何」

「ううん。そういうことにしてあげようかな……って」

「……うぜー」

「あ、そろそろライブ始まるよ」

「そーだな」

「……観客席、行かないの?」

「いや、こっから見とくわ」

「でもそこ、舞台袖だよ? それじゃあ、あんまりよく見えないんじゃ……」

「いいんだよ。あいつのことはバッチリ見えてるから、俺はここでいーの」

 

 




Q.続きますか?
A.実はプリステ29Rに出ることになりました
 なのでしばらくはそちらの原稿を進めなければいけない……
 三月の後半までには決着つけます! それまでしばしお待ちを
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