メジロアルダン? あんなのハズレだよハズレ!【完結】 作:宇宮 祐樹
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『先行集団が第一コーナーへと差し掛かります! その先頭を行くのはやはりメジロアルダン! そして、それを追うようにサクラチヨノオーとヤエノムテキが追随していきます!』
レースが始まってからは、しばらく落ち着いた展開が続いてた。
他の面子がアルダンに手ぇ出しづらかったってのが理由の一つだろうな。何度も言ってるけど、アルダンの精度は先生のお墨付きだし、あいつの一番の強みで……そんなことは、あそこにいるメンツが全員理解してた。だってチヨちゃんとかヤエノを始めに、ほとんど同期だったから。
だからこそ、それを崩そうとしたところで無駄だってことは全員が理解してた。
その結果として、かなり静かな展開にはなったんだろうな。
つーか。
「……みんな、冷静だな。もう少しせめぎ合うものかと思っていたが」
「おめーがいなけりゃいつもこうなんだよ」
オグリキャップがいなかった、ってのが一番の要因だったんだろうけど。
「でも、確かに慎重すぎる気もするわね。全員が待ちの姿勢を維持し続けている」
「仕方ないさ。チヨノオーとアルダンは以前から拮抗していたが、今はそこにヤエノが加わった。下手にレースを動かしてしまうと、拮抗していたその三人が一気に畳みかけてくる展開になる」
「ここに出てきてる連中がそんなヘマするとは思えないしな。だから攻めあぐねてるってよりは、お互いに読み合いしながらって感じの動きだし。このまま黙ってるつもりもねーだろ」
なにせジャパンカップだ。出てくるメンツなんて顔つきが違う奴らばっかりだし、その年はあまり話題に上がることはなかったけど、海外の連中だって並んでるんだから。
「それで、アルダンにはどういった指示を?」
「別に特別なことは言ってねーよ。つーか、マトモなことも言ってない」
「……託した、ということか」
「ああ。あいつなら応えてくれるって信じてるから」
理屈や理論で語れるような領域なんて、もうとっくに通り越してたんだよ。
お互い、自分の中にある全部をぶつけ合って、ひとかけらでも何かを残したほうが勝つ。
あれはそういうレースだった。
『第二コーナーを抜けて向こう正面へ! 依然として膠着した状況が続いています!』
第一、第二コーナーは予想通りアルダンが優勢だった。
「アルダンのコーナリングは素晴らしいな。行儀がいい、というか……私にはできない走りだ」
「そうね。あなたは獲物を見つけると、すぐに噛みついてしまうもの。選ぶだけの頭はあるのに、自制が効かないんだから。もう少し落ち着きを覚えれば、怪物なんて呼ばれることもなくなるわ」
「それなら、私は私の走り方を貫き通すとしよう」
「あら。あなた、あんな品の無い呼ばれ方がお気に入りなの?」
「……どうだろうな。気に入っているか、と言われるとそうでもないかもしれないし、その名前の品性を問われると、確かにあまり誇れるべきではない呼ばれ方をされているとは思う」
「だったら……」
「でも、私が怪物であり続ければ、いずれ私を倒す者が現れるだろう?」
なんて二人の会話を聞いて、ようやく先生が怪物呼びを気に入ってる理由が分かったよ。
考えてみればオグリキャップって元々、地元じゃ負けなしの優等生だったからさ。
そりゃあんなえげつない戦績見れば、怪物とかおっかない名前で呼ばれるのも納得だし、呼びたくなる気持ちも分かるよ。でも本人からしたら、そうやって持て囃されて、誰にも相手をされずに距離を置かれるのが、少しだけ寂しいみたいな気持ちもあったんじゃないのかな。
友達もそれなりに居たとは思うよ。あいつ優しいし、何だかんだ愛されキャラだし。
それに、ここまで走れるなら、ライバルにもそれなりに恵まれてたとは思う。
でも、オグリキャップの実力について来れるヤツがいたか、って言われると、なあ。
「最初はチヨノオーがそうなってくれると思った。しかし、彼女の抜いた剣は私に向けるためのものではなかった。ヤエノも違った。彼女の剣は誰かを倒すための剣ではなく、誰かと共に掲げるための剣だった」
「……では、あの硝子の剣こそが、あなたを倒すためのものだと?」
「その期待があることは、否定できないな」
なんてオグリキャップは、そうやって少しだけ寂しそうに笑って。
『さあ、まもなく第三コーナーへ差し掛かるところ……っと、ここでヤエノムテキが仕掛ける! サクラチヨノオーをかわして、じりじりと前へ前へ上がっていきます!』
レースに動きがあったのは、それと同じくらいだった。
「ヤエノ、仕掛けたか。……アイツにしちゃ、珍しく前のめりだな」
「焦っているわけではなさそうだけれど。想定よりもいくらか手早いタイミングね」
第三コーナー手前、ヤエノがペースを上げてチヨちゃんとアルダンの間に入った。
後で見返すと、不自然なくらいに早いタイミングで、かつゆっくりなスパートだった。クリーク見てるみたいだったな、ありゃ。やり方を真似たかどうかは分かんねーけど、とにかくいつものヤエノらしくない、ちょっとだけ小手先の利いたやり方だと俺は思ったんだけど。
「……ふふっ、そうか。ヤエノらしいといえば、そうだな」
やっぱりまあ、何度か言ってるんだけどさ。
到達者は同じ結論に至るっていうか。
「どういう意味だよ?」
「作戦や技術が既に意味を成さない段階に達していることは、君も分かっているはずだ。だから、あれはヤエノにとっての手向けなんだろう。このレースで、共に並び立つ者としての」
「……そう。恵まれたのね、アルダンも」
ヤエノが上がったのを見て、アルダンとチヨちゃんも徐々にペースを上げていった。
上がってきたのがヤエノじゃなかったら、ああはならなかっただろうな。様子見しながら相手の出方を伺うんだろうが……あのヤエノ相手に、そんな悠長なことをしてるヒマなんてなかった。
だから、その時点でもう三人とも、全部を出し切って勝負に臨むしかなかった。
……そこまで考えてたかは分かんねーけど、手向けってのはそういう意味だったんだろうな。
『先陣を切ったヤエノムテキに対し、真っ先に動いたのはサクラチヨノオー! 両者、前を行くメジロアルダンを追い詰めていきます! メジロアルダン、このまま逃げ切れるか!?』
そんで、第三コーナーを抜ける頃には、もう三人はほとんど横並びで。
「……まずいな。このままだとチヨちゃんが加速しきる」
「確か最高速度に関しては、アルダンよりもあの仔イヌの方が上だったかしら?」
「そうだな。というか、チヨノオーは加速できる距離と時間さえあれば、私よりも速く走れるぞ」
「あら、そうなの?」
「でもチヨちゃんには、加速するだけの時間と距離を確保しなきゃいけないっていう課題があった。そもそも適正がマイルと中距離だから距離もなかったし、先行で走ってるぶん時間も捻出できなかった。だから今まではできる限り、間に合わせの加速で勝負するしかなかった。
……だけど、今回のレースは中距離のうちで一番長い距離の二四〇〇メートル、更にヤエノが焚きつけたせいで普段よりもかなり前でのポジションから加速をかけることになった」
「ああ、チヨノオーにとっては最高の条件だな」
オグリキャップの言葉通りだった。この距離であのタイミングのスパート、チヨちゃんにとっては一番得意な、自分の実力を最大限に出し切れるシチュエーションだった。
でも、それはあの時だって同じだ。
「加速度で言えばアルダンの方がまだ上だが……不利なことには変わんねーな」
「こうなるとスパートを仕掛けるタイミングが重要になってくるぞ。アルダンも、チヨノオーも。でも時間が経てば経つほど、先にリードを取ったヤエノに有利がどんどん傾いていく」
「……確かに、現状の有利は仔イヌ側にあるけど、実際この状況を押し付けているのはヤエノね。ここから仔イヌがどう回答するかで、アルダンとヤエノの動きも変わってくる」
ヤエノの進出とチヨちゃんの加速が始まって、アルダンが一気に受ける側に回った。
正面から勝負したところでヤエノに競り勝てる確率は低いし、かといってチヨちゃんを野放しにしていると速度で敗ける。だから、アルダンはチヨちゃんの動きに対応するしかできなかった。
ってことを、チヨちゃんは理解してたんだろうな。
「……~~~っ、やっぱり動かねえなチヨちゃん! そりゃそーするのが正解だけどさあ!」
「ギリギリまで回答を引き延ばして、加速する時間を稼ぐつもりだな」
「仔イヌ、やるじゃない。ここにきて自分の得意な勝負に持ち込んだわね」
だから第四コーナー中は現状維持で、自分の位置取りと脚を溜めることに集中した。
そうされると、いざチヨちゃんが回答したところでアルダンとヤエノは、その回答の回答を考える余裕もなくなる。つまり、一瞬の判断で全部が決まる。ってところに強引に持ち込んだんだ。
……やられたと思った。それって、チヨちゃんの得意なマイルレースのやり方だから。
『第四コーナーを抜けて、向こう正面へ! ここでサクラチヨノオーが一気に上がってくる!』
そんで、引き伸ばしに引き伸ばして用意したチヨちゃんの回答が、それ。
「チヨちゃん、上がって……いや、かなり飛ばしてるな……!」
「アルダンの加速を見越して、向こうから先手を打ってきたわね。何の小細工も無い正攻法だけど、こういった局面ではそういう正攻法こそ嫌というほど効いてくるわよ」
「ヤエノにとっても想定外の一手だろうな。最終直線での消耗戦を拒否して、一気に駆け抜けるつもりだ。加速するだけの猶予と時間も充分に稼いでいるだろう。……やはりチャンスを見逃さないな、チヨノオーは」
オグリキャップが言うと、やっぱり説得力あったな。
だって去年の秋天もそうやって、タマモクロス共々チヨちゃんに出し抜かれてるんだから。
『迎えた最終直線、先頭に躍り出たのはサクラチヨノオー! そこにヤエノムテキ、メジロアルダンが続く形となりました! サクラチヨノオー、このまま逃げ切れるか!?』
そこからは逃げの子たちもスタミナ切れて、一気にチヨちゃんの独壇場。
暖めてた脚を一気に使って、ぐいぐい加速していってさ。
正直、そこは誤算だったな。チヨちゃんがあそこまで加速できるなんて思ってもなかった。当然、アルダンと戦う時の対抗策として、そこらへんを重点的に伸ばしてはいたんだろうけど。
「凄まじいな。私と走った時のチヨノオーとは、まるで違う」
「アルダンと互角……いえ、それ以上かもしれないわね、これは」
『残り四〇〇! サクラチヨノオー、先頭をキープしています! それを追うヤエノムテキ、メジロアルダン! しかしリードは依然サクラチヨノオーが保っている!』
その時点でアルダンとヤエノに、二バ身くらいは差ぁつけてたかな、確か。差しや追込の子たちも上がってきてたけど、先行であんな速度と加速でスパートかけられたら、流石に厳しかった。
だからもう、あのチヨちゃんに対抗できるのはヤエノとアルダンしかいなくって。
『ヤエノムテキ、上がってくる! サクラチヨノオーとの距離をどんどん縮めていきます!』
「……難しいわね。回答を長引かせた仔イヌの作戦が、しっかり効いてる」
「先手を打ったはずが、結果的に後手に回ってしまったな。これでは、さすがに……」
でも、ヤエノもそれは同じだった。
そもそもヤエノの武器って競り合いになった時の強さとか、加速とか速度とか含めた総合力の高さだからな。あの秋天の混戦を勝ち残ったのも、それが大きいって俺は思ってるよ。
だけどあの時は、自分の得意な領域に持ち込もうとして拒否されたからな。それにヤエノ、加速も速度も平均点以上はあるけど、チヨちゃんとアルダンにはどうしても届かないって感じだし。
それに、さっき言った通りチヨちゃんが有利な状況じゃ、猶更なあ。
『残り三〇〇! サクラチヨノオー、逃げ切るか!?』
チヨちゃんのリードは、多分その時点でちょうど三バ身くらい。
圧倒的ってわけじゃないけど、こっから最高速度のチヨちゃんに追いつくのは現実的じゃない。
それに前にはヤエノもいるから、チヨちゃんに追いつくために競り合いは避けられない。
最高速度と、競り合いの強さ。どっちも負けてるアルダンにとっては、絶望的な状況だった。
多分、あのレース場にいる全員が思ってたよ。アルダンの勝ちは無い、って。
むしろあんな状況になって、アルダンならまだ勝てる、って思ってるヤツはどうかしてるだろ。
そこまでしてあいつのことを信じたいだなんて、あいつのことを神様か何かと勘違いしてる。
ただの女子高生一人に入れ込み過ぎだ。脳を焼かれてるね、完全に。
……でも。
「アルダン……!」
俺だけは、あいつが勝つって信じてた。
だってあいつは、俺のことを救う、って言ってくれたんだから。
それ応えるために? ……いや、違うな。
『ここでメジロアルダン! メジロアルダンが上がってくる!』
あいつと二年間、ここまでずっと一緒にやってきたんだ。
俺が一番信じられるのが、あいつってだけだよ。
『驚異的な加速でヤエノムテキとの差を縮めて……っ、いや! 今、ヤエノムテキ、サクラチヨノオーと並びました! メジロアルダン、猛追! サクラチヨノオーとヤエノムテキの先頭争いへ強引に割り込んでいく!』
「……あれは、本当にアルダンなのか?」
「ええ。あなたが求めていた、硝子の剣よ」
フォームもぐちゃぐちゃに崩れた、ストライドもバラバラの、投げ捨てたような走り。
でも、その走りであいつは、競り合ってる最中のヤエノとチヨちゃんに追いついた。
『ヤエノムテキ、メジロアルダン、共にサクラチヨノオーに並んだ! 勝負はこの三人に持ち越されたか! しかし依然として先頭はサクラチヨノオー! わずかではありますが、リードを確保し続けています!』
さっきも言った通り、チヨちゃんには最高速度で、ヤエノには体の強さでアルダンは劣ってる。
それでも、ラフプレーみたいな強引さでヤエノとの競り合いに立ち向かって、加速しきったチヨちゃんに意地で追いつこうとした。……怪我や故障があってもおかしくない走りだった。トレーナーとして止めるべき走りだった。あいつを大事に思ってるのなら、それこそ。
でも。
「素晴らしい……! これが、私を倒すために抜かれた剣……!」
見惚れてた、って言えばそうかもしれないな。
だって俺の信じるって言葉に、あいつは真っ正面から応えてくれた。
……そんなの、信じてやるしかないだろ。
『残り二〇〇! 追い縋るメジロアルダン! サクラチヨノオー、じりじりと確実に距離を詰められています! ヤエノムテキも負けじと先頭を狙う! サクラチヨノオー、このまま逃げ切れるか!?』
「横並び……地力が出るわね。そういう観点で言うなら、競り合いの得意なヤエノが勝ち残りそうだけど」
「もはや、そんな憶測で語れるような次元ではないさ。チヨノオーとヤエノ、そしてアルダン……それぞれの掲げた剣が幾度となく絡み合い、火花を散らしながら打ち合っている。この戦いを制するのに必要なのは……!」
『三者、一歩たりとも譲りません! 残り一〇〇メートル! 勝利を手にするのは誰か!?』
そうだ。
あのレースに必要だったのは、技術とか経験とか、そんなモンじゃなかった。
「……っ! 走れ、アルダン!! 俺がお前に託したモン全部、ここでぶつけてやれ!!」
俺が、どれだけあいつのことを信じて、思いを託してやれたかだったんだよ。
『ゴール……! 今、三者もつれこむようにゴールインしました!! 着順、は……? ……審議? 審議となります! 三着までの着順が確定次第、速やかにご連絡を致します! 場内の皆さまにおかれましては、そのまましばらくお待ちください……』
「行かないと……! 俺、行ってくる!」
「ああ。迎えに行ってあげてくれ」
ゴールはほとんど三人同時だった。それこそ、観客席からじゃ何も分かんなくって。
全員がゴールインし終わったのを確認してから、急いであいつのところに駆け寄ってさ。
「アルダン!」
「……トレーナー、さん」
ぶっ倒れてたよ、あいつ。ターフのど真ん中で、大の字になって。
何も、そんなとこまでダービーと同じにしなくたって、よかったのに。
「……やっぱり、二四〇〇メートルはまだ厳しかったか?」
「そう、かもしれません。ですが……ふふっ。私の中のぜんぶ、出し切りましたよ」
「ああ、ちゃんと見てたよ。……俺が見た中で一番の走りだった」
まだ写真判定の最中で、勝ったってわけでもねーのにさ。
ぶっ倒れたまま笑ってるあいつに吊られて、俺も笑ってたよ。
「立てるか?」
「……申し訳ありません」
「だろうな。ほら、肩貸してみろ」
そうやって、脚もガタガタに震えて、自力じゃ立ち上がれそうないあいつを抱えてやって。
実況の声が響いてきたのが、ちょうどそれくらいだったんだけど。
『お待たせいたしました。東京レース場、第10Rの審議についてお知らせします。一着、は……メジロアルダン! メジロアルダンです! 混戦の末、見事勝利を収めました!』
腰抜かすかと思ったよ。
何って、観客席からの声援がものすっごくってさ。
ダービーの時なんか比べ物にならないくらい響いてて、耳痛くなったもん。
でも、あいつは一瞬たりともビビらずに、むしろ観客席に手ぇ振って応えてて。
「トレーナーさん。私、今すっごく嬉しいんです」
「一着だったからか?」
「それも、ありますけど……また、こうしてトレーナーさんと一緒に、このターフに立って歓声を浴びることができたんです。この瞬間は、何よりも……かけがえのない、ものですから」
「……そうだな。あの時と同じ……いや。あの時より、もっとすげー景色だよ」
そこでなんか、改めて思っちゃったんだよな。
ああ、こいつのことを信じ続けてよかった、って。
別に何か見返りを求めてたわけじゃない、けどさ。あいつのことを信じてなかったらあの景色を俺は見られなかった。俺があいつを選んで、あいつが俺を選んで。そうして、お互いに何とか支え合ってきたからこそ、俺たちはこの最高の景色までたどり着けたんだ。
そう考えると、やっぱり伝えられずにはいられなくって。
「ありがとな、アルダン」
「ふふっ。こちらこそ、ですよ。トレーナーさん」
……俺とアルダンのジャパンカップは、そこで終わり。
『続いて二着がサクラチヨノオー、三着がヤエノムテキとなります!』
こっからは、俺とチヨちゃんの話だ。
■
インタビューも終わって、レース後の休憩しつつライブの準備する時間だった。
確かその時の桐谷、ライブに結構ガッツリ関わるスタッフだったんだよな。ああ、そう。ライブのスタッフとレースのスタッフって基本別れてるんだけど、トレーナー側からも何人かライブの方の業務回される時があるんだよ。
当然、俺もやったことあるし、園田だってやったこともある。
だから、今回は桐谷かー、まあ大変だけど頑張ってなー、って、事前に話を聞いたときは、そんくらいの気持ちだったんだけど。
今思えば、そこまで桐谷は考えてたのかもしれないな
「……あ。そういえば僕、携帯を控え室に忘れてしまいました」
ライブの打ち合わせをしてる最中に、急に桐谷が気づいたように言ってきて。
「え、マジ? ……珍しいな? お前が忘れ物するなんて」
「どうにもG1になると忙しくて。まずいな……戻る時間も無さそうですし」
「何とかなるって。お前のことだし、どうせ資料も頭の中にバッチリ入ってんだろ」
「確かにそうですけど、いざという時に見れないのはやっぱり不安ですね」
なんて、やけに言い訳がましく言ってるな、って気づいた時には、もう。
「そうだ。先輩、申し訳ありませんが、控え室まで行って僕の携帯を取ってきてくれませんか?」
………………………………。
「これも、お前の言う復讐ってヤツか?」
「どうでしょう。でも、優しい先輩なら、きっと僕の頼みを聞いてくれますよね?」
何も言い返せなかった。
だってあいつの言う頼みってのは、携帯なんてどうでもいいモンじゃなくて。
きっと、チヨちゃんとちゃんと話してほしいってことだったから。
そんな頼みを俺が断っていいはずがない。
「……時間、かかるぞ」
「ええ、大丈夫です。ゆっくりで構いませんよ」
なんてやり取りをした後に、地下バ道を戻っていって、控え室の廊下に着いた。
……桐谷たちの部屋がどれかは、すぐに分かった。
他の子はライブの準備で部屋を開けているはずなのに、一室だけ扉が閉じてたから。
「……チヨちゃん、いる?」
ノックすると、やっぱりというか、チヨちゃんの声がしてさ。
「ぁ……萩野さん? ど、どうされたん、ですか……?」
「……桐谷のヤツが携帯忘れちゃったみたいでさ。取ってこいってパシられちゃって」
「え? あ、本当だ。ちょっと待ってくださいね。すぐに……すぐに、お渡しします、から」
いつものチヨちゃんからは考えられないような、弱弱しい震えた声が返ってきて。
それから、大体五分くらい経ってからかな。
「…………………………」
「…………………………」
部屋から出てきたチヨちゃん、もう、見るからに無理してたんだよ。
目元も真っ赤に腫れて、頬にも何度も擦ったような痕も残ってたし。
でも、なんとか必死になって、いつも通りに振舞おうとしててさ。
「あとちょっと、ほんの少しだったんですけどね。負けちゃいました」
「うん。俺もヒヤヒヤしたよ。実際、何かが少しでも違えば、勝ってたのはチヨちゃんだった」
「……そう、ですよね。あなたにとっては、これが正解だったんですよね。だって、あなたはアルダンさんが勝つ、って信じてたんですから。どうやったって、私は……あなたに選ばれることなんて、絶対にないんです」
「そうだね。俺は、アルダンのトレーナーだから。……ごめんね、チヨちゃん」
「あなたが謝る必要なんて、どこにもありませんよ」
確かにそうかもしれない。きっとチヨちゃんは、こうなることも覚悟してただろうから。そのことに対して俺が謝っても、何の意味も生まれないんだろうし。
でも。
「チヨちゃんが、泣いてるから」
「……っ! 泣いて、なんか……!」
……抱き着かれたよ。勢いよく、縋りつかれるみたいにさ。
今まで溜まってた鬱憤も、全部ぶつけられた。
「ばか、ばかっ!! どうして私との約束、やぶっちゃったんですか! 一緒にトゥインクルシリーズでやっていこう、って言ったのに! ダービー目指そう、って約束したのに!」
「そうだね。初めて会った時に、そんな話したっけ」
「だから、私……っ! あなたのこと、ずっと待ってたんですよ! いつかあなたが迎えに来てくれる、って思って……! それなのに、こんな……っ、こんなの、ひどいじゃないですか!」
「……ごめんね」
「謝ったって……もう、どうにもならないじゃないですか……!」
最低だよ、俺。
だってあんないい子を、ぐちゃぐちゃになるまで泣かせちゃったんだから。
「いっそのこと、見捨ててくれればよかったんです。アルダンさんにいつもやってるみたいに、乱暴な言葉ばっかり吐いて、私のことをきっぱり突き放してくれたら。私がこうやって泣きついても、うんざりして振りほどいてくれれば……! 私も、あなたのことを諦められたのに……!」
「……チヨちゃんにそんなこと、できないよ」
「じゃあ、私はどうすればよかったんですか! あなたが、私にずっと優しくしてくれたから! ダービーが終わったあとに、落ち込んだままの私に寄り添って、もう少しだけ頑張ってほしい、なんて言ったから! 私も、あなたのことをずっと諦めきれなくて……こんなところまで、来ちゃって……!」
ああ、そうだ。チヨちゃんをこんなところまで連れてきたのは、他でもない俺なんだ。
今更それをなかったことになんてできないし、来た道を戻ることもできなくなって。
「あなたのことが、大好きだった、のに……!」
そんな告白までさせちゃったんだから。
「……ありがとう。チヨちゃんも知ってると思うけど、俺もチヨちゃんのこと大好きだよ」
「やめて……! そんなウソ、つかないで……お願い、だから……!」
「ウソなんかじゃないよ。チヨちゃんのことは大事に思ってるし、この先もそれはずっと変わらない。でも……俺が信じてたのは、アルダンだった。今までもこれからも、俺はアルダンに勝つって信じ続けてる」
「……あなたが、アルダンさんのトレーナーだからですか?」
「ううん、違うよ。アルダンが、俺を救ってくれるって言ってくれたから」
どっちの方が運が良かったとか、先にそう言ったからとか、そういう話じゃない。
俺にはアルダンしかいなかったし、アルダンにも俺しかいなかった。
ただ、それだけの話だったんだ。
「……私じゃ、あなたのことは救えなかったんですか?」
「それは……分からない。でも、今の俺がここに立ててるのは、アルダンがいてくれたからだよ」
「私が隣にいたら、ここには立ってなかったんですか?」
「うん。きっと、また別のところに立ってたんだと思う。別にそこが悪いって言いたいわけじゃない。そこから見える景色も、すごく綺麗なはずだよ。でも……俺は、今ここから見える景色を、俺は大事にしたいからさ」
「……そう、ですか」
話は一度、そこで終わった。チヨちゃんはずっと、俺に抱き着いたままだった。
だから俺も、チヨちゃんの頭を優しく撫でてやって……それくらいしか、してあげられなかったから。
……どれくらいだろう。でも、すぐってわけじゃなかった。しばらく、ってぐらいでもない。名残惜しいのは、多分お互いに思ってたよ。だけど、これがたぶん最後なんだろうって、俺もチヨちゃんも分かりきってたからさ。
顔を上げたチヨちゃんは、涙も落ち着いてたけど、やっぱりまだ顔も真っ赤で。
手のひらで涙を拭きながら、また。
「……ワガママばっかり言って、ごめんなさい」
「大丈夫。俺だって、チヨちゃんにひどいことばっかりしてたから」
「本当ですよ。でも……許してあげます。私との約束を破ったことも、私じゃなくてアルダンさんとダービーを獲ったことも、私をここまで連れてきたことも。あなたが優しくしてくれたから……私も、あなたに優しくしたい」
「……ありがとう」
「その代わり、アルダンさんのこと大事にしてあげてくださいね。泣かしたりなんかしたら、許しませんから。だってあなたは、私じゃなくてアルダンさんを選んだんです。……これからもずっと、信じてあげてください」
「うん。約束する。今度は何があっても破らない」
「当たり前ですよっ! 絶対! 絶対ですからねっ!」
なんて、チヨちゃんがいつもの調子に戻ってさ。思わず俺も笑っちゃって。
……ジャパンカップの話は、そこで終わり。
結果的に見ると、アルダンの成長にかなり繋がったレースではあったな。
ラモーヌたちの言ってた自分の武器、ってのを見つけられて、自分の新しい走りができたから。
……それもこれも、全部チヨちゃんのお陰だ。チヨちゃんが自分の身を削って、俺の背中を押して、アルダンのことを焚きつけてくれたから、アルダンも力を出せた。今のアルダンの走りがあるのは、チヨちゃんがいてくれたからだ。感謝してもしきれないよ。
……有馬記念の話?
正直、そこまで何かあったわけじゃねーんだよな。当時の俺達もオグリキャップとの最終決戦、って感じの意気込みだったし。確かにクリークとイナリワンも出てはきたけど……やっぱ一番に据えてたのはオグリキャップだったなあ。
アルダンにとってはリベンジになってたし。オグリキャップからしても一番の相手っぽかったし。
お互いにここで白黒ハッキリつけようぜ、みたいな流れにはなってたよ。
ってか、まあ、アレだ。
最終決戦、って言ったのもそうだけど。
有馬の直前に実は、まあオグリキャップとちょこっとだけいざこざがあって。
どっちかっていうとオグリキャップがケンカ売ったって言うか、なんつーか。
色々ってほどではないけど、なんやかんやあって。
…………………………。
あいつ、死ぬほどブチギレちゃったんだよね。
■
「……もしも」
「うん」
「もしも、あなたがアルダンさんと結婚したら……式には、呼んでくださいね」
「…………………………」
「…………………………」
…………………………。
「え、っと……うん? え、結婚? ん? ごめんチヨちゃん、何の話してるの?」
「とぼけたって、もう言い逃れできませんからね」
「いや別にそんなつもりは一切……」
「あそこまで私の隣でイチャイチャを見せつけておいて、結婚しないとかないですよね? え、するんですよね? だってたった今、私じゃなくてアルダンさんを選びましたもんね? だったら最後まで走り切ってゴールするのが責任ってモンじゃないんですか!? え!?」
「待って待って待って待って! チヨちゃん、ちょっとストップ! 落ちついて!」
「なんですか」
「まず俺、あいつと結婚とかするつもりなんて一切ないし……そもそも結婚とかどうとかって、まだ俺には先の話だよ。だからそういう話は……ってか、そもそもね? なんで俺とアルダンが結婚すると思っちゃったの?」
「……逆に聴きますけど、結婚願望はあるんですか?」
「それは……世帯を持つことは怖いけど、一緒に居てくれる人がいるなら安心できるかな」
「アルダンさん以外に結婚を考えてるお相手はいらっしゃるんですか?」
「いないよ。残念ながらね」
「アルダンさんみたいな人が、この先の人生で見つかるって思いますか?」
「……思えないね」
「じゃあ!!」
「いやいやいやいや! だからって! だからってそれは話が飛んでない!?」
「あれだけイチャイチャしておいて飛ばすも何もないですよ! むしろ順序通りです! 絶対くっつきますし子供も二、三人くらい産みます! アルダンさん子供大好きですからきっと頑張りますよ! ですからあなたも一緒に頑張ってあげてくださいね!」
「こらチヨちゃん! そういうこと言っちゃダメ!」
「あ~~~もう埒があきませんね! いいから結婚式に呼んで私にスピーチさせてくださいよ! あと子供が出来たら私にも抱っこさせてくださいね! 任せてください、小さい子のお世話ならクラブの方で慣れましたから!」
「分かった、分かったから! 約束する! もし子供できたら一番に連絡するって!」
「言いましたね!? 破ったら今度は本当に許しませんから!」
「……でも、さ」
「なんですか」
「たぶん、ずっと遠くの話になっちゃうよ。それこそ、チヨちゃんが卒業しても、しばらく経ってようやく、ってくらいの話になるかもしれない。それに子供のことも考えたら……いつになるか、分からないかもしれない」
「そうですね。時間のかかることだと思います」
「だから……長い間、チヨちゃんのことを待たせちゃうことになるかもしれないよ? それでもいいの?」
「はい。大丈夫です」
「――待つことには、慣れてますから」
■
Q.続きますか?
A.上振れたら四月中にもう一本いける
実際五月頭になるかもしれん~がんばります