最悪の境遇にあった私と妹を救ってくださった若様。
彼には計り知れない恩がある。
若様のお役に立つこと。それだけが、私の人生の意義だった。
彼が現れるその日までは。
時は怪物キリア七武海入りより少し前まで遡る――
その日、外で長期にわたる任務を終えてからドレスローザに帰還した私は若様の元へ報告に向かっていた。
「――以上のことから、スマイル製造工場の候補地は申し上げた3箇所が適切かと考えます」
「……」
「……若様?」
「ん? あぁ、そうだな。ご苦労だった。いい資料だ。参考にする」
「ありがとうございます」
どこか上の空のように見えたが、若様はいつも通り王に相応しいカリスマ溢れるオーラを身に纏っておられる。
褒められて嬉しくなった私は内心の照れを隠しながらクールぶって返事をした。
「後はこっちで考えておく。暫くの間はドレスローザでゆっくりしていてくれ」
「はい。ありがとうございます。では、私はこれで――」
「あぁ、ちょっと待て。少しだけお前に聞きたいことがあるんだ、モネ」
「? なんでしょうか?」
書類に不備があったのだろうか?
モネが背筋を伸ばして待機する中、ドフラミンゴの脳裏では最近の悩みの種であるクソ馬鹿との会話が蘇っていた。
『そういえば、うちのファミリーにもモネっていう美人がいるんだが……』
『是非紹介してください』
『うちのファミリーに入るなら紹介してやるのもやぶさかじゃないんだが……』
『前向きに検討させていただきます』
『マジかコイツ』
ドフラミンゴは頭を抱えた。
“あのアホ、本当にモネを紹介したらうちに入るのか……? だが、それだと流石に俺の立場が……いや、これであの化け物を飼いならせるなら安いもんか……クソ! 腹が立つ。何が腹立つって、こんなしょうもないことに頭を使っているという事実に一番腹が立つ……!”
「あの、若様?」
「……モネ」
「は、はい」
そして、モネの敬愛する主は思いも寄らないことを聞いてきた。
「お前、今恋人はいないのか?」
◆◆ドレスローザ 街中 とあるカフェ◆◆
「えぇ⁉ 若様がおねえちゃんに恋人がいないか聞いてきた⁉」
「えぇ……急なことだからびっくりしちゃって、『いません』とだけ答えたけど……」
「急にどうしちゃったんだろう? 変な若様」
二人が困惑するのも無理はない。
基本的に(ベビー5のような例外を除き)若が個々人の恋愛事情に踏み込んでくることなど殆どなかったからだ。
「べへへ! んねー、モネェ~、恋人いないなら俺の恋人になれよぉ~」
「嫌です。あと近いです。トレーボル様」
シュガーの護衛役を務めているトレーボルがぬるっとモネのことを口説こうとするが、あえなくフラれてしまった。
「キモい、きたない。おねーちゃんに近付かないで、害悪」
「誰が害悪だクソガキィ! ていうか、いつにもまして口悪くないかぁ~?」
「あたりまえでしょ。せっかくの姉妹水入らずの時間をこんなキモいやつに邪魔されるなんて……さいあく」
「べへへ! それが護衛役に対する態度かぁ~?」
「わたし、弱くないもん」
「べへへ! お前の強さは関係ないよぉ~、最近、調子こいた海賊団がこの辺りをうろついているらしいからなぁ~、このトレーボル様がお前を守ってやってるんだ~」
「あー、はいはい。じゃあ、せめて邪魔にならないように死んでおいて」
「死んで護衛はできねェだろッ⁉」
ギャーギャーと騒ぎ出す二人。
モネはシュガーの言う通り、姉妹水入らずの時間が取れないことを悔やみつつも、久々に会ったファミリーの様子がいつも通りで安心していた。
「そういえば変な若様で思い出したけど、おねえちゃん知ってる? 最近若様があんまり王宮に顔を出さなくなったの」
「いえ、知らないわ。何かあったの?」
「私も詳しくは知らないんだけど、なんか
「大事な客人? 政府の要人か何かかしら…?」
「分かんない。でも、その客人がまたすっごい我儘な人らしくて、王宮に顔を出してもいっつもイライラしているんだ」
「あの若様が?」
にわかには考え難いことだ。
ドンキホーテ・ドフラミンゴは誰かに支配されることを嫌い、自分のペースで生きることを好む泰然自若とした人だったはず。
そんな彼が誰かに振り回されているなんて、とてもではないが想像できる光景ではない。
「トレーボル様、何かご存知ですか?」
「べへへ! それが俺も誰が来ているのか知らないんだよなぁ~、ドフィに聞いても『知らない方がいい』の一点張りで、『代わってやろうか?』って提案しても凄い顔で睨まれるだけだしなぁ~」
「最高幹部も知らないなんて……一体何者なのかしら?」
3人は首を傾げた。
だが、ドフラミンゴが言わないというスタンスを貫いている以上、部下の自分たちが騒ぎ立てたところで迷惑になるだけだ。
その後、カフェで暫く談笑した後、ドレスローザで仕事があるシュガー及びトレーボルは去っていった。
「さて、一気に暇になっちゃったわね。服でも買いに行こうかしら。あっ、任務で壊れた新しい眼鏡も買わないと」
妹にいつも眼鏡のセンスを酷評されているモネだが、自分のセンスが正しいと信じている彼女はいつもと同じ眼鏡を購入すべく馴染の店に向かうことにした――のだが。
「……しくじったわ」
「なァ、いいだろ姉ちゃん? ちょっとそこの店で一杯やるだけだ」
「こんな路地裏を一人で歩いていたんだ。そういうつもりだったんだよな? ぎゃははは!」
「ドレスローザは女の質が高いが、こんないい女はなかなかお目に掛かれねぇ。いい拾いものしたなぁ!」
ちょっとでもショートカットをしようと路地裏を通ったのが間違いだったようだ。
ここは彼女の主、王下七武海ドンキホーテ・ドフラミンゴが治める王国。
生半可な海賊では表を歩くことすら許されないが、トレーボルが言っていた身の程をわきまえない質の悪い海賊団に運悪く引っかかってしまったようだ。
面倒だが、適当にあしらうしかないだろうと判断したモネは理由を付けて先に進もうとするが、男たちは引かない。
ここがドレスローザであり、自分はドフラミンゴの部下だと伝えても「愛人か?」と侮蔑と共に笑われる始末。
これにはモネもカチンときてしまった。
雪の中に生き埋めにしてやろうと能力を発動させようとしたが、それよりも先に事態は動いた。
「――品がないな」
芯の通った声が路地裏に響き渡る。
「あぁん? 誰だテメェ?」
海賊たちが振り向く。
そこには白いシャツに黒いズボンを履き、眼鏡を掛けた優男が立っていた。
「女性を口説くときは紳士的な態度で臨めとママに教わらなかったのか?」
一瞬固まった海賊たちだったが、次の瞬間には大口を開けて優男を嘲笑した。
「おいおい! 見ろよ! ヒーロー気取りの雑魚様ご登場だ! 良かったな姉ちゃん! 俺たちの相手が済んだらあっちに相手してもらえよ!」
「弱そうなくせして俺たちに声を掛けた度胸だけは認めてやるよ!」
「馬鹿だな~、お前」
海賊たちに同意するのは癪だったが、モネも同意見だった。
あの男は馬鹿だ。
勇ましく海賊に立ち向かう姿勢は確かに女性から見てもかなり好意的に映るが、残念ながら相手は武器を持った海賊。
それも、この新世界の中で生き残ってドレスローザまでたどり着いた確かな実力者だ。
生半可な使い手では声を掛けたことを後悔するような目に遭わされること間違いなしだろう。
一方、嘲笑された男はというと、黙って掌を上にして右手を前に突き出した。
そして一言。
「
「……あん? 何してんだお前?」
いきなり理解の及ばない行動をされた海賊たちは流石に困惑した様子で尋ねる。
男は爽やかに笑って言った。
「あぁ、あまりにもワンワン煩いんで、犬かと思ったんだ。ほれ、お手してみな。いい子だから」
「「「ッ‼」」」
ブチっと海賊たちの血管が切れる音がモネにも聞こえた。
挑発の中でも最も屈辱的に聞こえるであろう口上。
迷惑を掛けられていたモネは胸のすくような思いになったが、海賊からすればプライドに唾を吐きかけられたようなもの。
「――おい、もっとマシな自殺方法は考えられなかったのか?」
「なんだ。お手は苦手なのか? じゃあ、伏せ」
「ッ‼ いい度胸だテメェ! 八つ裂きにして犬の餌にしてやるよッ‼」
「危ない――!」
モネは海賊だ。主であるドフラミンゴの命に従い、何人もの命を奪ってきた。
誰かの死には慣れているし、今更同情するような良心は持ち合わせていない。
だが――自分を助けようとした親切な人が殺されるのは流石に我慢ならなかった。
急ぎ能力を発動させようとするが、海賊たちが振り上げた刃が届くのが先だ。
「やれやれ。野良犬はこれだから――」
命の危険を前に男は落ち着いていた。
ゆっくりと右手で眼鏡を取り――裸眼が晒され美しい黄金の瞳で海賊たちを
「伏せ」
その瞬間、場を支配したのは海賊たちの暴力ではなく、
格が違う生き物による絶対的な力だった。
ビリビリと大気を揺らす謎の波動。
勢いよく剣を振り上げていた海賊たちの動きが止まる。
やがて、その手から武器が地面に滑り落ちる。
優男の命令に従うかのように野良犬たちは白目を剥きながら地面に倒れ伏した。
「いい子だ」
「う、嘘……」
モネは震えていた。
これこそは、王の資質を持った者にのみ許された力。
彼女の敬愛する主と同じく強者のための武器。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
底知れない力を持つ男は眼鏡をかけなおし、爽やかにモネに笑いかけてくる。
先程は野蛮な男たちの背中が邪魔でよく見えなかったが、男は覇王色を放ったとは思えないほど優しい顔立ちをした美男子だった。
あっ、結構タイプかも……。
「え、えぇ……」
「この国の治安は表向き結構いいと思っていましたが、どこの国にも柄の悪い連中はいるものですね」
「そ、そうですね……でも、彼らは恐らく外から入って来た海賊だと思います」
「ん? そうなんですか。そういう貴女はこちら出身の方で?」
「出身ではないですが……ここでの暮らしは長い方です」
「あぁ、どうりで」
「?」
「いや、ドレスローザの女性らしい魅力に満ちているなと思いまして。コイツらが貴女を口説こうとしたのもよく分かります。とても――美しい方だ」
「そ、そんな……私なんて……」
「しかも謙虚だ。信じられない、この海にまだこんなに素晴らしい女性がいたなんて!」
「や、やめてください……」
まさかの褒め殺しにモネは恥ずかしそうに赤面した。
男は決してモネに近寄りすぎないよう一定の距離を保ちながら続ける。
「私、最近この国に来たばかりの新参者でして、色々と教えて欲しいことがあるんです。美しいお嬢さん。もし良ければ――」
この次に言われる言葉はモネにも何となく分かった。
「私と一緒にお茶でもしませんか?」
ニッコリと微笑む金髪の貴公子。
紳士的な態度の影で見え隠れする“男”の視線。
それと同時、モネは本当の意味で自分が今どこにいるのかを思い出した。
ここは
『お前、今恋人はいないのか?』
何故か、主の言葉が脳裏に過った。
パイセンにも明かしていない隠し玉の覇王色もカッコよくナンパする為なら躊躇なく使っていくスタイル。
強敵との戦いが多すぎて使う機会がなかったが、ここしかないタイミングで使えて本人は大変ご機嫌な様子。