◆◆円卓の間◆◆
「……おい、なんでコイツはまた勝手に石化しているんだ?」
「わらわの身体をジロジロと眺めてきた挙句、再び鬱陶しい求婚をしてきたのでな。つい石にしてしまった」
「……」
「うわーん! キリアぁぁぁぁぁぁぁ!」
完全に自爆だった。
どうしてコイツは絶対に踏むなと書かれてある地雷を自分から踏み抜きにいくんだろうか……。
「ハンコック。悪いが、もう一度だけ元に戻してやってくれねェか?」
「……」
「お前とキリアの間に何があるのかは知らねェが、何か話したいことがあるんだろう? そのままじゃあ、話し合いもクソもねェぞ」
「……」
ハンコックは目にハートを浮かべ、だらしない顔で固まっているキリアを鬱陶しそうに一瞥した後、渋々といった様子で言った。
「……これが本当に最後じゃからな?」
「あぁ、分かっている。次に馬鹿やらかしたら全員でコイツを殺そう」
さらっと物騒なことを言うドフラミンゴ。
「まったく……さっさと砕いてしまえばいいものを……」
そう言いながらもハンコックは今この場で真剣に石像を破壊することを考えていた。
こんな狂人に自分の秘密を握られているかもしれないと思うと気が気ではない。
勝手に自滅してくれたのだから、これは絶好の機会だろう。
「いや、それは止めておけハンコック」
「なぜじゃ?」
「そいつ、砕いた先から無限に増殖してくるだろうから」
「気持ち悪っ」
ドン引きしているハンコックがキリアの石像を眺める。
(ミス・ハンコック!)
(なんて美しいんだ……!)
(デートしたい!)
(こっち向いてくださいよ!)
(おぱーい)
「……」
なんか本当に増えて復活しそうだったのでハンコックは大人しく石化を解除することにした。
(……何を知っているのかは知らんが、その気になればいつでも石化できる。どこで情報を入手したか吐かせたらさっさと石にして海に捨ててしまおう)
こうもひょいひょい石化できるところを見るに、ハンコックが彼を殺すのはそこまで難しくはなさそうだ。
慢心と共にハンコックはキリアの石化を解除させた。
「……あれ? 俺は何を……?」
「また馬鹿を……もういいか。色々あったんだよ」
「そうですか」
大して興味なさそうに答えたキリアはボア・ハンコックに向き直った。
「それじゃあ、残る七武海はミス・ハンコックだけですし、個室で秘密の会話といきましょうか。ぐへへへ」
「「いい加減学習しろ馬鹿が!」」
ハンコックの蹴りとドフラミンゴの拳とヤマトの金棒がキリアに突き刺さる。
凄まじい勢いで吹き飛ばされたキリアは円卓の間の扉を破壊し、廊下まで放り出された。
「痛てて……パイセンとハンコックさんはともかく、なんでヤマトまで?」
「あれ……ご、ごめん。なんかノリでつい手が出ちゃった……」
「そうか。ノリか」
じゃあいいや、と寛大な態度でヤマトを許してからキリアは立ち上がった。
「さて、それじゃあミス・ハンコック。真面目な話をしましょうか。パイセン、この先の部屋を借りますよ」
「あぁ、好きにしろ。大して期待してねェから」
「酷いなぁ……」
ヘラヘラと笑いながらキリアが歩き出す。
「さぁ、ミス・ハンコック。こちらへ」
「……」
ボア・ハンコックはキリアの背中を追いながらここへ来たきっかけを思い出していた。
◆◆◆◆
七武海連合結成会議より数か月前――怪物キリア七武海加入のさらに前の話。
その日、女ヶ島に激震が走った。
「男が天竜人を殺した……⁉」
「本当じゃ。この紙面を見よ!」
言葉に出すのも信じられないことがニョン婆の口から飛び出し、驚きを隠せないボア・ハンコック。
さらにそこに記載されていた内容を見て、彼女は失神寸前の衝撃を受けた。
【天竜人を5名殺害。海軍大将が追跡も未だに捕まえられず】
「海軍大将が追っているにも関わらずこの男はまだ生きておるのか?」
「それは今朝の紙面じゃ。少なくとも今の段階では死んではいないニョだろう。……明日の紙面で死亡記事が載る可能性が高いがな……」
「……」
ハンコックは今は亡き大恩人のことを思い出していた。
(こんな大馬鹿者がまだこの海におったのか……)
いや、大馬鹿などと言う単語では済ませられない。
完全に狂人の類だ。
「……明日、また紙面を持ってくる」
「……あぁ。頼む」
気を遣ってくれるニョン婆の言葉に頷きつつ、ボア・ハンコックはいつまでもその紙面の字を脳裏に焼き付けていた。
そこからは毎日の新聞が待ち遠しいやら、怖いやら……。
新聞には様々な島で起こった男と大将の戦いが記されていた。
街を半壊させただの、幾つかの海賊が戦闘の余波で沈没していったのだの。
やはり世界に喧嘩を売っただけあって確かな実力を備えているらしい。
ハンコックは男が生きているという紙面を見るだけで少しだけ嬉しくなった。
だが、男の無茶苦茶な快進撃は留まるところを知らない。
「また1人天竜人を殺したじゃと……⁉」
「あぁ。特に奴隷への扱いが酷かったことで有名な天竜人を躊躇いなく殺し、さらに脚でその遺体を踏みつけたのじゃとか」
「く、狂っておる……」
傍若無人の海賊として名が知れているハンコックをして顔面蒼白になるほどの蛮行。
「聞けばこの男の追跡に海軍大将が2名派遣されているらしい。流石にもう、コヤツの快進撃はここまでじゃろう……」
ニョン婆はそう言って俯いた。
ここ最近のボア・ハンコックは紙面が届くたびに嬉しそうにしていたから、こういった形で希望が途絶えるのは非常に残念だ。
「明日から紙面はもう取り寄せないことにする」
「いや、待てニョン婆」
ようやく現れた彼女の過去を払拭してくれるであろう男に期待を寄せていただけに、死亡記事を見せるのは酷な話だろう。
自分のとこで情報を止めておこうと決心したニョン婆だったが、ハンコックが待ったを掛ける。
「明日からも引き続き紙面を提出してくれ」
「……本当に良いのか? 辛くなるだけかもしれんぞ?」
「構わぬ。わらわはこの男の行く末を最後まで見届けたいのじゃ。それに――」
「それに?」
ハンコックはどこか遠くを見つめながら言った。
「わらわは確信しているのじゃ。この男は絶対に死なない、と」
「……そうか」
この場ではハンコックを立て、余計な口出しをしなかったニョン婆だが、それでも内心では男の死亡記事が来ることになるだろうと予想していた。
(海軍大将はそこまで甘い存在ではない。世界を維持する最高戦力2人に襲われて生き残れるはずもないのじゃ、蛇姫よ)
だが、ニョン婆の予想は大きく外れることになる。
「ほら! 言ったであろう? 男は死なんとな!」
「あ、ありえぬ……こんなこと、あり得るはずが……」
笑うハンコックの言葉は正しく、男は平然と次の日も生き残っていた。
「……じゃが、明日には……」
その次の日も生き残っていた。
「なぜじゃ? なぜ死なないのじゃコイツは……」
その次の日も生き残っている。
「……これは世界が荒れるぞ。絶対のルールに逆らっても生き残り続ける男など、世界政府が許すはずがニャイ!」
その次の次の次の次の次の日も生き残り続けている化け物の記事を見ながらニョン婆は呆気にとられる。
あり得ないものを見るような目で紙面を眺めるニョン婆に対し、ハンコックの方はずっとご機嫌だった。
そうして機嫌が良いハンコックのお陰で平和な生活が続いていたある日、彼女の元に政府から知らせが訪れる。
「王下七武海の招集じゃと? 何のためじゃ?」
「なんでも、大将2人掛かりでも仕留めきれないから新たに戦力を投入するとのことじゃ」
「……」
黙り込むハンコックを見たニョン婆は彼女の背中を押すように言った。
「行ってきたらどうじゃ? 蛇姫。どのような男なのか以前よりずっと興味があったのじゃろう?」
「……じゃが、これは討伐命令じゃぞ」
「だからこそだ。お主が出れば七武海の枠は1つ減ることになる。――上手くやれば、その男を守ってやれるやもしれぬぞ」
「……」
ハンコックは決断した。怪物キリアの討伐に参加することを。
結果的に距離の問題からハンコックの参加はなくなったが、それでも彼女の中にはこの怪物と会って直に話をしてみたいという欲求が生まれていた。
そして、今に至る。
◆◆◆◆
「いやー先ほどは失礼いたしました、ミス・ハンコック」
「全くじゃ」
こじんまりとしながらも美しい海を眺めることができる部屋に移動したキリアはボア・ハンコックに椅子を勧めつつ、笑いながら謝罪をした。
「貴様、普段からあんな調子なのか?」
「えぇ。これはもう性分みたいなものでして。でも、ミス・ハンコック程の美人であれば――」
「その呼び方は止めよ」
「はい?」
「その“ミス・ハンコック”という呼び方じゃ。そこはかとなく馬鹿にされている気になる」
「そんなつもりはないのですが……」
参ったな……と頭を掻きつつ、彼女の呼び方を考えていたキリアは脳裏に浮かんだシンプルな言葉を口に出した。
「では、“女王”とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「……悪くない。これからは敬意を込めてそう呼べ」
「承知いたしました」
先程までのふざけっぷりが嘘のように礼儀正しく、大人しくなったキリアはハンコックに尋ねた。
「何か飲み物でも用意しましょうか? 女王」
「いらぬ。それよりも早く本題に入れ」
毎度毎度あちらにペースを握られていては話が進まない。
話をせかすハンコックを尻目にゆっくりと着席したキリアは口を開いた。
「ではまず最初にこちらからお聞きしたいことがありまして」
「なんじゃ?」
「私が七武海に入る前、海軍大将2人に容赦なく追い掛け回されていたことはご存じですよね?」
「……あぁ」
「でもなかなか私を殺せないことに業を煮やした海軍と世界政府は大将を休ませるために七武海を招集したと聞いています。その際招集に応じたのは
黄金の瞳が海賊女帝を見つめる。
「あなたです、女王」
「……どうやって情報を仕入れたのかは知らぬが、確かにわらわは貴様を討伐する政府からの要請に是と返事をした。結局、招集自体がなかったことになったがな。それで? 何が聞きたい?」
「あなたは七武海の中でもとびきり自由な方だと聞いています。そんなあなたが俺の討伐にだけ興味を示した。考えられる理由は2つです。俺を殺したいか、俺に興味が湧いたか」
「……どっちじゃと思う?」
「後者であってほしいですね」
食えない笑みを浮かべる金髪の優男。
(こやつ、この海賊女帝と腹芸をするつもりか……!)
内心怒りを感じつつもハンコックは興味なさげな素振りで答えた。
「……理由としては後者にあたるかもしれんな」
「では俺に興味を?」
「思いあがるな下郎! 単なる気まぐれだ。そう深読みするでない」
「そうでしたか……俺はてっきり――」
怪物は笑いながら核心を突いた。
「天竜人殺しの俺に興味があったのかと」
スッとハンコックの目が細められる。
無意識に放たれた覇王色の波動が部屋を揺らした。
「……貴様、何を知っているのじゃ?」
「先ほど言ったように全てを知っています」
「……どこで知った」
キリアは「レイリーじゃないですよ。彼のことを知ったのは偶然ですから」と前置きしつつ語り始めた。
「七武海になる前の俺の過去をご存じで? 何でも“史上最悪のテロリスト”って言われているらしいですよ? 天竜人の暗殺を何度も試みたことから、そういう名前で呼ばれることになったそうです」
「……」
「で、ここからが本題なんですが――実は天竜人について調べる中で奴隷リストなるものを入手しまして、そこには興味深いことが書かれてあったんですよね」
「……」
「なんだったっけな? あぁ、そうだ。確か……緑の髪と茶髪、そして黒髪の3姉妹に悪魔の実を与え――」
「死ね」
ハンコックの強烈な右足の蹴りが炸裂する。
接触部分を丸ごと石にして砕く算段である。
だが――
「……あんだけ石にされてもまだ完全に耐性つかないのか。凄い能力ですね」
「ッ⁉」
難なくキリアの左腕に止められていた。
接触部分が石化しているが、まるでハンコックの能力に逆らうかのように石化していた肌が元の色に戻っていく。
「貴様……わらわの能力に耐性を……」
「えぇ。流石に3回も食らえばある程度は免疫ができますから」
「……では、あのふざけた求婚も演技だったということか」
「いえ、あれはガチです」
「そこはガチでなくて良いわ」
スッと右足を下ろしたハンコックは両手を前に突き出し、お馴染みのハートマークを作った。
「もう貴様のふざけたやり取りに付き合うのはウンザリじゃ。ここで死ね」
「物騒だなぁ。話は最後まで聞いてくださいよ」
「知るか。貴様は今、ここで殺す。わらわが決めた」
「まだ何も重要な話をしていないのにですか?」
「貴様の話に価値など――」
「天竜人どもを地に引きずり堕とす策があるといってもですか?」
「――――」
何を言っているのだ、この男は。
ハンコックはとんでもないことを言ってのけた男の目を見つめる。
キラキラと輝く黄金の瞳には一切の曇りなく、心底それが実現可能と信じ切っているように見える。
(なんなのじゃ……コイツは)
己の背中と心に刻まれた恐怖を思い出す。
今でも彼女を縛っている竜の蹄。
誰にも知られないように、必死に隠してきたその印。
ハンコックは先程のキリアの言葉を内心で復唱した。
(天竜人を、引きずり堕とす……)
その言葉は何故か酷く甘美で――ハンコックはいつでもキリアを殺せるよう油断ない状態で腕を下ろし、椅子に座りなおしてから長い脚を組んだ。
「話してみよ、下郎。わらわが気に食わなければここで殺す」
「……なんか、パイセンと初めて会った時もこんな会話したっけなぁ。王様ってのはみんな物騒でいけない」
「いいからさっさと話せ。貴様の今の態度でわらわはまた1つ貴様を殺す理由が増えた」
おーおー、物騒なこって。
キリアは内心おどけながら直球で本題を切り出した。
「革命軍ってご存知ですか?」
「……存在はな。で、それがどうした?」
「彼らは現世界政府の腐敗を糾弾し、不平等な社会を正すべく戦いを挑んでいる真の戦士たちです。そして、腐敗の対象には天竜人もいる」
「……」
「長々と話しているとあなたに殺されそうなので簡潔に言いましょう。
「ッ――――⁉」
ハンコックの瞳が驚愕で見開かれる。
世界情勢にはあまり詳しくないハンコックではあるが……それでもこれが意味するところの恐ろしさは良く分かる。
世界をひっくり返そうと目論んでいる連中と、実際に世界をひっくり返しかねない大事件を起こした男が繋がっている。
しかも男は現在、七武海の地位を得て悠々と暮らしているではないか。
ハンコックは内心キリアへの評価を改めた。
コイツ、想像以上にヤバい。
「さて、この時点で私もリスクを掛けました。お互い世界にバレたくない生命線がテーブルの上に乗っている。条件はイーブンでしょう?」
「イーブンじゃと? よく思ってもいないことをペラペラと話せるものじゃ……だが、良いだろう。貴様の話にも興味が湧いてきた」
ボア・ハンコックは頬杖を付き、怪物の目を真っすぐに見つめる。
「――わらわの弱みを握り、貴様の秘密を明かした上で何の話をしようというのじゃ?」
「勧誘です」
「勧誘だと?」
「えぇ――」
キリアは楽しそうに笑いながら言った。
「俺はあなたと革命軍との間にコネクションを築いてほしいのです」
「……それはつまり、わらわに革命軍に入れということか?」
「いいえ、あなたは誰の下にもつくつもりはない。そうでしょう?」
「当然じゃ」
「だから、嫌だというなら別に構いません。見つけたリストは既に焼却処分しましたし、生涯話さないことを誓う誓約を締結しましょう。ただ、私の話を聞いたうえで判断してほしいのです」
「……止めたところで勝手に話すくせに面倒な男じゃ」
「少々長くなりますが聞いていただけますか?」
「勝手に話せ」
女王の承諾を得たキリアは話し始めた。
革命軍の活動内容と、その目的を。
自分が革命軍のトップと繋がっており、実際にこれまでも情報提供などしてきたことを。
頬杖をつき、大して興味なさげに聞いていたボア・ハンコックだったが、話が天竜人に関することになっていくと眉間に皺が寄り始める。
天竜人にトラウマを持っているということもある。
だが、それ以上にキリアの語り口が気に食わなかった。
何の罪もない市民がこれこれこういう目に遭っただの。
天竜人の命令一つで街が滅んだだの、どうのこうの。
弱者たちにはなすすべがないだの、どうのこうの。
(……下らん話だ)
過去の――忌々しい自分がフラッシュバックしそうになるのを必死に抑えつけながらハンコックは強がる。
もうあの時の無力な自分とは違う。
自分は強くなった。
七武海にまで上り詰め、海賊として、強者として生きている。
だが、そんなハンコックを嘲笑うかのように怪物は言った。
「――というわけで、彼らは天竜人に虐げられ、不当にもその人生を狂わされた人たちを救うべく立ち上がっている戦士たちなのです。女王、天竜人に恨みがあるのであれば是非とも彼らの力に――」
「ふざけるなッ‼」
我慢しきれずついにハンコックは激昂した。
怒りのあまり椅子から立ち上がり、燃え上がる瞳でキリアを睨みつける。
「わらわを虐げられし弱者と一緒にするなッ! わらわは強い! もう誰にも支配されぬ!」
「だが今でも天竜人を恐れている」
「ッ!」
それは決定的な一言だった。
「……貴様、余程死にたいらしいな」
「いいえ。ですが、事実ではないのですか?」
「違うッ!」
ハンコックは強い言葉で否定をした。
「わらわは忌まわしき過去をなきものにしたいだけじゃ! 断じて奴らを恐れてなどおらぬ!」
「過去と今は繋がっているのですよ、女王。誰も過去からは逃れられない」
「分かったような口を利くな! お前に何が――」
「
そっとハンコックに寄り添うような声でキリアは言った。
「私には分かります」
「……」
ハンコックだって何も調べずにここへ来たわけではない。
目の前の男が辿って来た壮絶な過去については知っている。
「……そうじゃな。貴様であれば、分かるやもしれん」
冷静さを取り戻したハンコックは椅子に座りなおした。
「ですから女王、過去が消せないなら今と未来を変えてしまいましょう」
「……言っておくが、革命軍とやらに接触したところでわらわは誰の命令も受けぬぞ」
「構いません。どうせ、誰もあなたに命令はしないし――あちらもあなたの命令は聞かない」
スッとキリアがハンコックの耳元まで近づいてくる。
不敬として殺すこともできたが、何故かできなかった。
海賊女帝の耳元で怪物が囁く。
「あなたは表向き、ただの七武海として海賊を討ち、彼らから武器と金を巻き上げるんです。誰もそれを不思議には思わない。だってあなたは誰もが知る理不尽な海賊女帝だから」
「……」
「でもその武器と金はあなたたちが使うわけじゃない。人知れずどこかへ流れていくんです。でも、どこへ?」
「……」
「そう、革命軍です。このクソッタレな世界をひっくり返そうとしている彼らにどこからか武器が流れ、金が流れ、彼らの活動は過激になっていく」
「……」
「時代はうねり、姿を変え、やがては1本の槍となって彼らの喉元へと突きつけられる。彼らが誰か――もうお分かりですよね? 女王」
「……本気で世界をひっくり返せると?」
「少なくとも私はそう信じています。天竜人が支配するこの世界が変わるとね」
黄金の瞳が爛々と輝く。
ボア・ハンコックはどうして世界政府が血眼でこの男を追い掛け回していたのか、理由が分かった気がした。
(この男は怪物だ)
正しく異名の通り。
この世界を作り上げている常識を笑いながら踏みつぶし、絶対の法則を無情に殺し、本気で世界を変えられると思っていて、この海賊女帝すら利用しようとしている。
「……では、お主はこう言いたいわけじゃ。実を結ぶかも分からない連中の活動を支援するために、わらわにリスクを負えと」
「失礼ながらリスクを負わずに海賊は名乗れないかと。それに――あなたほどの方がいったい何を恐れるというのです?」
「……」
「表向き、世界は何も変わりません。ですが、水面下では確実に時代が動いています。彼らが地に堕ちてくる日も近い。だからいずれやってくるその日まで――――」
キリアは真っすぐに女王を見つめながら言った。
「あなたが裏からこの世界をかき乱すのです、女王」
「……口が良く回る男だ。それに王の立て方を良く分かっておる」
ボア・ハンコックに褒められ、ニコリと微笑む優男の美男子――の皮を被った怪物。
世界政府も厄介な奴を敵に回したと内心愉快に笑いながらハンコックは尋ねる。
「条件は?」
「おや、ここにお呼びした理由をお忘れで? 女王」
「……四皇との戦争か」
「是非ご尽力いただきたく」
虐げられる人々を救うためではない。
ただ――気に食わない連中を天より引きずり降ろし、その脚で踏みつけるためだけに。
ボア・ハンコックは決断した。
「いいじゃろう……お前の口車に乗ってやる」
彼が自分を利用する気でいることは重々承知の上。
だが、それを不快に感じさせない見事な話術と世界転覆のシナリオに興味が湧いた。
「ありがとうございます女王。実を結ぶまでに数年時間は掛かるでしょうが、後悔はさせませんよ」
「うむ」
「いやー、安心しました。どうやって契約を果たすべきか悩んでいたもので」
ドラゴンへのいい手土産ができたとキリアは笑った。
「何のことかは分からぬが、期待しておるぞキリア」
「はい。女王陛下」
「ところで、わらわの方からも話があるのだが良いか?」
「なんでしょう?」
不敵に笑い、女王は告げた。
「そなた、九蛇に来るつもりはないか? わらわの臣下に加えたい」
「えっ……」
「ドフラミンゴと同盟を結んでいるのであろう? 七武海内で派閥を作ってはならないという法はなかったはずじゃ。それに、臣下になってはいけないという決まりもな」
持っている情報量、戦闘能力、頭のキレ、ハンコックたちの事情を知った上でそれすらも利用していく胆力。
そして、本当に世界をひっくり返しかねない絶対的な運命力。
無礼を働かれたにも関わらず、ハンコックはこの底が知れない男のことを気に入り始めていた。
「光栄なお誘いですが……残念ながらお断りさせていただきます」
「なぜじゃ?」
「私には入りたい海賊団がありますので」
「……フフフ、わらわを前にして他の海賊団に入りたいとはな……つくづく失礼な男じゃ。だが許そう。気が変わったらいつでも声を掛けるがよい」
寛大に笑い、ボア・ハンコックは席を立った。
「しかし、世界とは不思議なものじゃ。お主のような男が現れるとは」
「――いずれ、私よりもさらに滅茶苦茶な男がこの世界にやってきますよ」
「ほう? それは確信か? それとも迷信か?」
「確信ですよ。この世界には救世主が現れます。――あなたの前にもね、女王」
「……くだらん世迷言と切り捨てたいが、お主の言葉じゃ。胸に留めておこう」
キリアは自然な動きで率先して扉を開き、先にボア・ハンコックを退出させる。
廊下で向かい合った2人は視線を交わし合い――すぐに背を向けて別々の道を歩く。
必要な時期に接触はするも、普段は関わりのない者同士として過ごす。
そういう取り決めだ。
キリアと別れ、1人廊下を歩きながらハンコックはポツリと呟く。
「……天竜人」
背中に刻まれた竜の蹄が疼く。
それは忌々しい過去への恐れから――ではない。
「天竜人……!」
世界一の美貌が復讐に燃え、さらに美しく――壮絶に歪む。
「全員纏めて血祭りに上げてくれる……!」
ふと、廊下で立ち止まったハンコックは後ろを振り返り、ヤマトとかいう女と楽し気に話しているキリアを見てニヤリと笑った。
「――キリア、今は貴様に乗ってやる。精々わらわを楽しませてくれ」
海賊女帝ボア・ハンコック
参戦決定。
◆◆◆◆
「あっ、パイセン。ボア・ハンコックさん説得できました」
「はぁッ⁉」
ドフラミンゴは久しぶりに――本っ当に久しぶりに思った。
意外とやるなコイツ……。
パイセンへの接し方からは想像もつかないけど、実は目上の人やプライドが高い権力者を立てるのが大得意なキリア君。
ボア・ハンコックもキリアの意図を見透かした上で立ち振る舞いが心地よかったのと内容が面白そうだったので乗ることに。
今作のボア・ハンコックさんには冷酷無比、カリスマ力に全振りのスーパー女王様ムーヴして頂きます。