ガリレオの従姪 作:けーてぃー
奇術研究会のメンバー数は、玲於奈と小夜子を含めて十六人だった。会の活動内容は、さほど忙しいものではない。
全員集まっての練習会や、催し物への参加などのイベントも定期的にあるらしいが、それ以外の日の活動は基本的に、会員の自主性に任されている。
生来、人懐っこい気質の小夜子と共に、玲於奈もある程度は会の集まりに馴染んでいた。研究会のメンバー全員と分け隔てなく打ち解けているとはまだいえないが、数人の先輩とは気安い関係を築けている。その中でも、とくに小夜子たちが懐いている先輩が伊川琴音だった。
研究会の特別な集まりが無い日でも、小夜子の方から琴音に連絡して、玲於奈と共に三人で遊ぶこともあった。
今日も、大学のラウンジでとりとめもない会話を楽しんでいたところ、期せずして、琴音が一人暮らしをしていると知った小夜子は、「琴音さんの家、観に行ってもいいですか」と突然いいだした。
「それほど面白いものもないけど、来たいならどうぞ」という返答に甘えて、小夜子と玲於奈は琴音の家に赴くことになった。
琴音が住んでいるアパートは、帝都大学から少し離れた住宅街の一角にあるらしい。
琴音の案内で電車とバスを乗り継ぎ、降り立ったバス亭から五分ほど歩いたところで、あれがそうよ、と彼女は二階建ての建物を指差した。白と黒を基調にした外壁の、モダンなデザインのアパートだった。
オートロックのエントランスを抜けて一階の廊下を進むと、一○三号室の扉が開いて中から人が出てきた。三十代半ばくらいの女性で、エプロンをつけてゴム手袋をはめている。
「あら、こんにちは」女性はゴム手袋をはずしながら、琴音にいった。
「こんにちは。お掃除ですか?」
「ええ、ちょっと」女性は玲於奈たちに視線を向けた。「お友達かしら?」
「ええ、大学の後輩です」
玲於奈たちは、挨拶と共に会釈する。女性も会釈を返して、エントランスの方へ通り過ぎて行った。
「お隣さんですか?」女性の姿が見えなくなったところで、小夜子が訊いた。
「いいえ、大家さんよ。
琴音は鞄から鍵を取り出して、角部屋に位置している一○五号室のドアを開けた。忌数は飛ばされているらしく、一○四号室は存在していなかった。
「いらっしゃい。本当に、何もないけど」
玲於奈と小夜子は、お邪魔します、とことわって部屋に入った。間取りは、学生向けのワンルームだけあってあまり広くはなかったが、よく整理整頓されていて、過ごしやすそうな空間だった。
「適当に座って。コーヒーでも淹れるわ。インスタントだけど」
「いえ、おかまいなく」
「違うよ玲於奈、こういうときは、ありがとうございまぁす、だよ。ありがとうございまぁす」
「あ、ありがとうございまぁす」
遠慮なくいう小夜子と、彼女の真似をする玲於奈が可笑しくて、琴音は楽しそうに笑った。
部屋の隅には、IHコンロのミニキッチンがあった。琴音はシンク下の収納からインスタントコーヒーの瓶を取り、電気ケトルに水を注いだ。
「さっきの大家さん、けっこう若い人でしたね」四つ足のローテーブルの前に座った小夜子が、キッチンに立つ琴音の背中に向かっていう。「大家さんっていうと、ご年配のイメージですけど」
「私が契約したときは年配の女性だったんだけど、去年ご不幸があって、娘さんが継いだらしいわ。詳しくは知らないけど、ここ以外にも不動産をいくつか経営してるらしいわよ」
「へえ、資産家なんですねえ。羨ましいな」
「そういう小夜子も、お嬢様なんじゃないの?」小夜子の対面に座っている玲於奈がいった。
「はあ? なんでわたしが?」
「横浜の実家から通ってるっていってたから、箱入りのお嬢様かと思ったんだけど」
「そんなわけないじゃん」小夜子は片手を振って否定した。
家を出て一人で暮らすアパートの家賃、光熱費、食費、ほか諸々の雑費と、実家から通う交通費を比較した結果、実家にいた方が安上がりという結果が出ただけだった。
小夜子の家の最寄駅から帝都大の最寄駅までは、乗り換え含めて一時間以上かかる。毎日の通学ストレスには辟易としていた。
しかも家には年子の弟がいる。最近はその弟が受験だなんだとピリピリし始めていて、姉弟関係は紛争状態だ、と愚痴をこぼした。
「わたしも玲於奈と琴音さんみたいに、一人暮らししたいなあ」
貯金がある程度たまれば、小夜子は都内にアパートを借りるつもりだった。一年生の今はまだいいが、学年が上がって忙しくなってくると、通学時間の長さは日々の大きなネックになる。
「私は関西出身だから、選択の余地なく一人暮らしだけど、実家から通えるなら実家暮らしの方が楽でいいかもしれないわよ」
ケトルのお湯が沸くのを待っている琴音は、玲於奈たちの方を向いて、立ったままシンクに腰を凭れていた。
「琴音さん、関西のご出身だったんですか」意外そうに、玲於奈がいった。
「せやで、生まれも育ちも神戸やねん」
「おお、関西弁」急な方言に小夜子が驚く。
「さすがにもう東京暮らしにも慣れたし、普段は標準語で話すようにしとうけどな。関西弁やと、初対面の人には大抵、出身訊かれて面倒やねん」
「なんか可愛いっていうか、親しみやすい感じになりますね。わたしたちの前では、関西弁で話してくれてもいいですよ。ねえ、玲於奈」
「ええ、そうね」
「そういってくれるのは嬉しいけど、やめておくわ。最近は、標準語で話すのにも違和感がなくなってきたから」琴音は、標準語のイントネーションに戻した。
「ああ、戻っちゃった」小夜子は少し残念そうだ。「じゃあ、話も戻しますけど、一人暮らしってどうですか。琴音さんの部屋、かなりオシャレで憧れますけど」
「そうねえ」琴音は頰に片手を当てた。「ホームシックってわけでもないんだけど——」
琴音が入学を機にこの部屋に引っ越してきて、もう一年以上になる。一人で暮らす侘しさにも、帰宅する自分を誰も迎えてくれないことにも順応したはずだった。
しかし、最近、夜に部屋で一人になると、妙な不安に駆られたりすることがあるらしい。一人のはずの部屋に、誰か、見知らぬ人間の気配を感じることがあるそうだ。
自分では、それほど神経が細い気質とは思ってないんだけど、と彼女は自嘲的に苦笑いした。
「そうなんですか。じゃあ、わたしが一人暮らしするときは、琴音さんのとなりの部屋に越してきますよ。寂しくなったら訪ねてきてくれていいですよ」
「まあ、それは楽しそうね。そうなったらよろしくね、小夜子ちゃん」
「はい。といっても、そのための貯金がたまるまで、一年くらいかかりそうなんですけどね。今はせっせとバイトしてるところです」
「バイトって、ピザ屋さんだっけ。バイクとか乗るの?」玲於奈が訊いた。彼女は、バイクにちょっとした憧れがあるのだ。
バイクに乗り、風を切って颯爽と走る女性を見ると、つい目で追ってしまうこともしばしばだった。といっても、玲於奈は普通自動車免許しか持っていないので、乗れるとしても原付バイクだけだが。
「いやいや、わたしはメイク担当だから、ピザつくるだけだよ。他のお店がどうかは知らないけど、わたしのバイト先は、デリバリーは男の子だけなんだよね」
「なんだ、そうなの」玲於奈は少々ガッカリした。
「昼間はともかく、夜道を女一人でバイクに乗って配達とか、怖そうだからねえ」
「バイクに乗れるんだったら、私もやろうかなって思ったんだけどな。私、いま、バイト探しててさ」
「あら、玲於奈さん、バイトしたいの?」マグカップにコーヒーの粉を入れながら、琴音がいった。
「ええ、実家から仕送りは貰ってるんですけど、洋服を買ったりとか、遊ぶお金くらいは自分で稼がないとな、と思いまして。暇な時間の多い一年生のうちに、それなりに貯金しておきたいんです」
「私は社会学部だからわりと時間もあるけど、理系は三、四年にもなると、大変らしいものね。バイトしてお金を貯めるなら、今のうちか」
「はい、何か良いバイトないですかね?」
「そうねえ。玲於奈さんなら、私のバイト先を紹介してもいいけど。ちょうど、何人か募集中だから」
「琴音さんのバイト先、ですか。どんなバイトです?」
「手品を見せながら、お酒を出すお店よ」
「それって、マジックバーですかっ? わぁ、いいじゃん玲於奈っ。玲於奈なら出来そう」小夜子が大袈裟にはしゃぐ。
琴音がバイトしているマジックバーは、帝都大学奇術研究会のOBが、脱サラして開店したバーだった。契約しているプロや、セミプロのマジシャンがステージでショーを開催することもあるが、カウンター内にいるバーテンダーも、接客しながらマジックを披露したりするらしい。
オーナーがOBだけあって、奇術研究会の会員も、何人かバイトしているそうだ。
「二人が接客してくれるなら、わたし、常連になっちゃう。ノンアルありますか?」
「もちろんよ。ソフトドリンクもあるわ」
「マジックバー、か。うん、いいかも」玲於奈は、バーカウンターでマジックを披露する自分を想像してみた。我ながら、似合うのではないか、と思った。
「あ、でも私、接客経験ないですけど」
「そこは、要練習ね」琴音がそういうのと同時に、電気ケトルから、ピーッという電子音が鳴った。お湯が沸いたらしい。
琴音は、マグカップにお湯を注いだ。カップの底の粉が、お湯に溶けていく。スプーンでかき混ぜると、インスタントコーヒーの香りが、ワンルームに行き渡った。
楽しいお喋りの時間は過ぎ去って、二人は琴音の部屋をあとにした。
二人が去ったことで、いつも通りの部屋に、慣れ親しんだ静寂が舞い戻った。
ぽつん、と、たった一人、取り残されたような寂寥感を覚え、琴音はシングルサイズのベッドに寝転んだ。片腕で、両眼を塞ぐ。
賑やかだった最前までとの対比で、余計に物寂しく感じてしまう。鼓動の音が、やけに大きいような気がした。
ふうっと、長い嘆息をもらす。そろそろ、夕食の準備をしなければならないが、妙に億劫だった。しかし、自分は空腹のままではよく眠れないたちだ。なんでもいいので胃に物を入れないといけない。
こんなことなら、二人を外食にでも誘うべきだったかな、と後悔する。いや、二人がいるなら、手料理を振る舞ってもよかった。自分の為だけにする料理は面倒なものだが、他人の為に作るのは嫌いではなかった。
携帯で連絡して二人を呼び戻してみようかと一瞬悩むが、一端帰路についたものを呼び戻されるなんて、自分だったらごめんだと思いとどまる。
せっかく仲良くなれたのに、煩わしい先輩だと思われたくなかった。
よし、と気合いを入れて上半身を起こした。リモコンでテレビをつけて適当にザッピングする。ランダムに合わせたチャンネルでは、賑やかなバラエティが放送されていた。普段は観ない番組だったが、静けさを紛らわすには丁度いい喧しさだ。
ベッドから立ち上がり、キッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。
使い残しの野菜と、豚肉が目についた。卵もあるし、炊飯器の中には今朝炊いたご飯が残っている。チャーハンでも作ることにしよう。
テレビの音をBGMにして、調理を開始する。
まな板の上で野菜を刻んでいると、琴音は不意に、何者かの視線を感じた。驚いて、反射的に振り返る——しかし、振り返った先には、不自然なものは何もなかった。
当然のことながら、不審な人影もない。
確かに視線を感じたのに、と訝しんだ。最近、こんなことが偶にある。自分以外、誰も居ない部屋に、何がしかの不気味な気配を感じるのだ。
はっきりしない靄のような圧迫感が、胸に去来した。急に酸素が薄くなり、息苦しくなった気がしてくる。
琴音は首を横に振り、胸を押さえるように両手を重ねた。鼓動のリズムが、少し早くなっている。
心拍数を下げようと、ゆっくり深呼吸をしてみる。
深く息を吸い、さらに、その倍の時間をかけて息を吐き出した。
数分ほど繰り返すと、だんだん、鼓動は落ち着いてきた。不明瞭な気味の悪さも、とりあえず、薄れていく。
なんやろなあ、これ、と首を傾げた。
なにか悪いものに取り憑かれているのだろうか、などと、そんな、考えても詮無い考えが頭に浮かんだが、すぐに否定する。
子供の頃から、ホラー映画やお化け屋敷は平気な方だった。怖いと思ったことなど殆どない。
そして、いわゆる幽霊や亡霊の類いも見たことはない。自分に霊感なるものが無いのは勿論のこと、霊感という、超自然的な感覚の存在自体を信じていなかった。
物件契約時の説明によれば、この部屋は事故物件ではないらしかった。学生向けのアパートということもあり、今までの借主は皆、若者ばかりで、卒業などを機に部屋を引き払っていったとのことだ。
アパートの前の道路で、車に轢かれたらしい猫の亡き骸を見かけたことはあるが、大家に相談したところ、すぐになんとかしてくれた。
まさかこの世に未練を残した猫の霊が、うちの部屋に出るとも思えない。
やはり、一人暮らしゆえの孤独感や寂しさが、奇妙な不安をもたらしているのかもしれない。
夕食を終えたら、誰か友達に電話でもかけよう。小夜子ちゃんと玲於奈さんは、さっきたくさん話したばかりだし、このうえ電話まですると迷惑かもしれない。今日のところは、他の友達にしておこう。
琴音は、無駄話に付き合ってくれそうな友人の顔を、数人思い浮かべた。