ガリレオの従姪   作:けーてぃー

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憑霊く4

 

 

 

憑霊(とりつ)く4

 

 大学入学から早数ヶ月が経ち、一学年前期の授業が全て修了した。

 玲於奈にとって、待ちに待ったというほどでもないが、とりあえず今日から、大学生になって初めての夏休みである。

 午後には奇術研究会の集会が予定されていた。

 八月の下旬あたりに、奇術研究会とボランティアサークルが共同で、児童養護施設への慰問会を開催することになっている。今日はそれについての話し合いをするらしい。

 この慰問会は毎年の恒例行事になっているそうで、話自体は入会してすぐの頃には聞いていた。今日の集会では、ステージで披露するショーのプログラムを決定するようだ。

 演じるマジックについては、既に幾人かずつのグループに分かれて練習を開始している。

 玲於奈が入ったグループでは、琴音ともうひとり、三年生の先輩女子をメインにして、玲於奈と小夜子はアシスタントを務める予定だった。

 

「玲於奈、全然ハズれないんだけど」

 

 小夜子は、手錠の嵌まった手首を玲於奈に向かって突き出した。今日は朝イチから、玲於奈の部屋を訪れている。

 部屋にある色々なマジック用の小道具を見せてもらった小夜子は、その中から重厚感のある手錠を手に取った。どうやらそれは、マジックグッズなどではなく、本物の手錠らしい。

 玲於奈が鍵を使わずに、ペーパークリップで手錠を外せると知った小夜子は、さっそく自分も、と挑戦したのだが、鍵はなかなか開かなかった。

 玲於奈は彼女の手から折り曲げたペーパークリップを受け取ると、それを手錠の鍵穴に突っ込んだ。ものの数秒で、小夜子の手首から手錠は外れた。

 

「おお、早業」小夜子が手首を撫でながら驚く。

「わりあい簡単なんだけれど、自分の両手に嵌まった状態から外すには、多少のコツはいるかな」

「これ、本物なんでしょ?」

「一応、アメリカの警察官が使ってる手錠と同じよ」

「マジか、アメリカで逮捕されても逃げられるじゃん。マジシャンっていうより、ドロボーっぽいけど」

 

 ドロボーっぽい、といわれて、玲於奈は小夜子の額を中指で弾いた。いわゆるデコピンだった。

 小夜子は大袈裟に痛がりながら額をさする。しかし、玲於奈はべつに怒ったわけでも、本気で弾いたわけでもない。少しじゃれあっているだけだ。

 そもそも、怒るような話ではなかった。ドロボーっぽいという喩えは、ある意味で的を射ていた。玲於奈は高校生のある時期、種々雑多な鍵を解錠することに凝っていたのだ。もちろん、合鍵は使わずに——だ。ただし、当然ながら物を盗んだことはない。

 解錠に使う道具、ピッキングツールも持っている。本来、プロの鍵屋でもない限り所持してはならない本格的な物だ。

 徒らに持ち歩いているときに、職務質問から持ち物検査でも受ければ、かなり面倒なことになるのは間違いなかった。

 なのでそのピッキングツールは、鍵付きの引き出しにそっと仕舞われている。

 

 

 玲於奈が鍵開けに興味を持ったきっかけは、厳重に施錠された高校の屋上の扉を見たときだ。

 ドラマや小説など、創作の世界に出てくる学校では自由に解放されている描写が多い屋上だが、現実には大抵立ち入り禁止になっていることが殆どだ。

 彼女が通っていた高校も、ドアにはきちんと鍵がかけられた上で、ドアノブには南京錠付きの鎖が巻かれていた。

 屋上からの景色を観てみたいと思い、即座に通販でピッキングツールを取り寄せ、それを使い熟す練習に励んだ。南京錠とドアの鍵を解錠してしまうのに、そう長い時間はかからなかった。

 

 屋上から見下ろす街は、そう珍しいものではなかった。適当なマンションにでも登れば、似たような景色は観られるだろう。

 転落防止用のフェンスを掴み、遠くの街並みを見渡す。この景色を観たいと思ったのは確かだ。そして、それが想像よりは稀有なものでなかったのも確かだ。

 しかし、当時女子高生だった彼女は、確かに満足していた。景色を観ること以上に、自身の好奇心は、鍵を開ける行為そのものに向いていたのだと、理解した。

 幼い頃からその傾向はあったが、自分はどうやら好奇心が刺激されると、周りが見えなくなるようだ。

 我がことながら厄介な性質だとは思うが、そんな自分が、玲於奈はわりと嫌いではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浅倉洸太(こうた)沓脱(くつぬ)ぎから、ただいま、と廊下の奥にあるリビングに向かって声をかけた。しかし、妻からの返事はない。リビングのドアの磨りガラスからは光が溢れているので、照明はついているようだ。  

 一歳になる娘と共に、うたた寝でもしているのだろうと洸太は考えた。

 二泊三日の出張を終えての帰宅なので、スーツケースの中には汚れ物が幾らかあった。リビングに行く前に、洗面所に直行してシャツや下着などを洗濯機に突っ込んだ。

 スーツケースに入れっぱなしにしていると、妻に怒られるからだ。最近の彼女は、何かにつけてイライラしている。どうせ今も、あまり機嫌が良いとはいえないだろう。

 実際、出張中も何度かこちらから連絡を入れたのに、すべて無視されていた。

 わざわざ導火線に火をつけるようなことは、避けたほうがいい。

 ネクタイを緩めて、第一ボタンを外しながら廊下を進み、リビングのドアを開ける。

 予想に反して、妻、(あおい)はソファに座っていた。周囲に娘の姿はない。

 

「なに、してんだよ。ちょっと、おい、なあ、葵」

 

 しどろもどろで、よくわからない物言いになった。

 ソファに腰を下ろした妻の姿が、あまりに気味の悪いものだったからだ。肩を落とし、顔を俯かせているので、ボサボサの前髪が目元を隠してしまっている。まるで、ホラー映画に出てくる幽鬼にみえた。

 

「葵、どうした?」

 

 洸太が妻の肩に手を置いた、その瞬間、さっきまでの静寂が幻だったように、葵は勢いよく立ち上がり洸太のスーツの胸倉を掴んだ。

 

「ちょっと、なんだよ、そんな乱暴に掴むなよ」

 

 洸太は葵の手首を掴んで諫めようとしたが、彼女は熱に浮かされたような荒い呼吸を繰り返し、額を洸太の胸に押しつけて縋り付いてきた。

 彼女の喉からは、喘鳴じみた、ひゅう、ひゅう、という笛の音のような不快な呼吸音が鳴っている。痰でも絡んでいるようだ。

 

「攫われた」葵がぼそりといった。

 

 えっ、という声が洸太の口から洩れた。

 

「攫われた、攫われたのっ、紗奈美(さなみ)が攫われたっ」

 

 葵は半狂乱になって、攫われた、という単語だけを繰り返した。

 暫時(ざんじ)、洸太には妻がなにをいっているのかわからなかった。音としては認識できているが、脳は、その言葉を理解することを拒んでいた。

 彼は、とりあえずシャワーを浴びたい、と場違いなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 通信指令室に勤務する女性巡査がその通報を受けたのは、午後七時を少し回ったところだった。

 娘が誘拐されたと、かなり興奮した様子でがなりたてる若い男性の声に、彼女はほんの少しだけ顔を顰めた。

 一日に数千件にものぼる通報を受ける通信指令室では、誘拐に関する通報も珍しくはない。しかし、そのほとんどは悪質な悪戯であったり、心配性な親による勘違いだった。

 よくよく聞いてみれば、子供の意志による単なる家出だったというオチも耳慣れた話だ。

 誘拐捜査を担当する特殊班に、その通報の全てを報告していたら、捜査系統が破綻してしまうだろう。

 女性巡査は殊更落ち着いた口調で、通報者を宥めた。

 彼女は眼前のPCを操作し、誘拐の通報を受けた際に使用するマニュアル文を画面に出した。

 そして、マニュアル通りに質疑応答をしているうちに、彼女の表情は段々と曇っていく。

 誘拐された娘というのが、まだ一歳の、赤ん坊とも呼べる幼児である事を訊き出したときには、既に、特殊班への報告の準備を進めていた。 

 

 

 特殊班こと特殊事件捜査係は、警視庁捜査一課の中でも、企業恐喝や人質立て篭もり、身代金目的による営利誘拐などを担当するセクションだ。

 通信司令室からの報告を誘拐捜査係専用電話で受けた班長は、係の専用室に詰めていた早川刑事に、被害者宅へ急行するように命じる。

 警部補階級である早川は、さらにその特殊事件捜査係の中でも、誘拐捜査の経験が豊富であった。

 早川は指示を受けてすぐに、部下数人を引き連れ、通報者であり被害者家族である浅倉宅に向かった。

 浅倉宅は、豊島区千川にあるマンションだった。下からざっと見上げるかぎり、それほどハイグレードというわけでもなさそうだ。階数も五階までしかない。

 エントランスも狭く、管理人室や防犯カメラは設置されていなかった。

 管理人室がないのはともかくとして、防犯カメラがないのは痛いな、と早川は思った。

 設備や外観から類推すれば、おそらく独身者向けか、家族向けだとしても若年層をターゲットにした賃貸専用マンションだろう。

 あまり大人数で部屋まで押しかけるべきではないと判断した早川は、信頼できる巡査部長と若手の巡査ひとりを除いて、他の部下には周辺の警戒と地理の把握を申し付けた。

 

 刑事三人が訪れた、浅倉家の住むマンションの一室は、夫婦と小さな子供の三人で住むには充分な広さではあったが、経済的に余裕がありそうな暮らしぶりではなかった。

 浅倉夫婦は項垂れた様子でソファに座っている。折れ脚のテーブルを挟んで、その対面の床に巡査部長は腰を下ろした。早川と若手刑事は座らず、さほど広くはないリビングの隅に立っていた。

 被害者の父である浅倉洸太は、せいぜい二十代後半程度の年頃で、受け取った名刺に記された会社名を見る限り、収入も平均を大きく超えないであろうことが予測された。

 その妻、葵は夫よりも年嵩に見えたが、憔悴の影響で普段より老けて見えているだけかもしれない。名刺は持っていないが、専業主婦ではなく、漫画を描く仕事をしているらしい。

 

「ご心痛かとは思いますが、時系列に沿って、話していただけますか?」巡査部長が聴取を始めた。他の刑事二人は、傍で話を聞いている。

 誘拐は夫、洸太が出張で家を空けている時に起こったらしく、彼はまだ状況をよく理解できていなかった。

 聴き取りは当然、妻、葵から行うことになった。

 誘拐被害者、紗南美ちゃんの連れ去りは昨日、八月一日の深夜、日付でいうところの八月二日午前一時前後に発覚したらしい。

 

「今日の午前一時、ですか」巡査部長は腕時計をチラリと見た。現在午後七時四十五分だった。「通報までは十八時間ほどかかっていることになりますね」

「あ、あの……気が、動転して……その」

「なるほど、わかります」言葉とは裏腹に、彼はあまり納得している様子ではなかった。「それで、連れ去られた状況は、どういうものだったのでしょうか」

「そのとき、私は……漫画を、描いていて……でも、そのとき——」

 

 葵は漫画家といっても雑誌連載などをしているわけではなかった。

 個人ブログに掲載しているものが出版社の目に留まり、コミックスとしてまとめて発行したことがある、という程度だ。

 今でもブログによる連載活動は継続していて、近々もう一冊コミックスが出る予定があったが、執筆はアシスタントなどを雇わず、自宅で自分ひとりでおこなっている。

 作業部屋にしている書斎には漫画を描くためのPCと、ベビーベッドが置いてある。

 八月一日の夜、葵はベッドに娘を寝かせて、作業中いつ起きてもいいように備えつつ、机の上のPCに向かって漫画を描いていた。

 娘は先日満一歳の誕生日を迎えたが、夜泣きはまだまだ治まらず、葵は連日寝不足に喘いでいた。

 昨日は、たまたま娘がぐっすり眠っていたので、夜は執筆作業もよく進んだ。

 しかし、日付が変わる頃、日頃の睡眠時間の短さがたたったのか、つい作業をしながら机で居眠りをしてしまった。

 

「そ、それで……起きた時には、ベッドに紗南美の姿がなくて」

「あなたが寝ている隙に、忍び込んだ何者かが、娘さんを連れ去った、と?」

「は、はい」

 

 部屋の中にいる刑事たちの目が、疲弊した様子で項垂れている葵に向いた。

 夫である洸太も、初めて詳細を聞いたらしく、厳しい表情で妻を見ている。

 

「すぐに、紗南美を、探し回りました。外に出て……車で、いろんなところを……でも見つからなくて、朝、帰ってきて、何も手につかなくて」葵は一旦言葉を区切ってから続けた。「昼ごろ、ふいにドアポストを見たら、これが」

 

 彼女はテーブルの上に置かれた紙を指差した。

 A4サイズのその紙は、刑事たちがこの部屋に来た時にはテーブルの上に置いてあったので、既に早川は文面を何度か確認している。

 プリンタ用紙らしい真っ白な安っぽい紙に、ワープロソフトでも使って書かれたのだろう素っ気ない文字が並んでいた。

 

 

『アンタのガキはオレが預かっている。バラされたくなければ、五百万円用意しろ。

 警察には通報してくれて構わないよ。むしろ、通報して欲しいな。

 

 今後の連絡は、アンタのブログのコメント欄を利用する。

 ハンドルネームはg@me.だ。』

 

 

 この文面からすると、電話による連絡は期待できない。しかし、それはある程度想定通りだった。今どき、電話の逆探知が容易に、しかも一瞬で出来るということは素人でも知っている。

 誘拐犯は通話による連絡を極力避ける傾向にある。固定電話を使うような犯人はまずいないし、携帯を使うとしても、契約者を特定できない所謂トバシの携帯を利用するのが常識だ。

 ブログのコメントなら、海外サーバーでも経由されれば書き込んだものの特定は不可能に近い。

 早川は、こちらお借りします、と断り、指紋をつけないよう手袋を嵌めた手でその紙を取った。そして、自分と共に部屋の外に出るようにと、若手刑事の顔を見ながら無言で顎をしゃくった。

 巡査部長を残して、二人の刑事は足早にマンションの廊下に出た。

「どう思った」早川が若手刑事に訊ねた。

「率直にいっても?」

「構わん」

「通報までに、時間がかかり過ぎています。居眠りしている間に忍び込まれて誘拐されたってのも、正直あまり……」彼は言外に、狂言誘拐の可能性を示唆している。「そもそもこの夫婦は、経済的観点からいえば誘拐の被害者家族というイメージにはそぐわないです。旦那は普通の若いサラリーマンのようですし、奥さんは漫画家ってことでしたけど、調べてみたら刊行しているコミック数は一冊、一巻だけです」

 

 こそこそと携帯を操作しているのは気付いていたが、そんなことを調べていたのか、と早川は鼻を鳴らした。

 

「発行部数までは、検索では出てきませんでした」

「どれだけ売れてるのかはわからんってことか」

「いえ、あまり売れてないってことです。人気漫画なら、大々的に発行部数を発表しているはずですから」

 そうか、と早川は頷いた。そして、もう一度、脅迫文に目を通した。身代金などというものに相場をどうこういうのは戯けた話だが、五百万は安すぎると思った。

 しかし、今、この段階で狂言と決めつけるのは早計だった。

 

「不自然な点はあるし、お前の言うこともわかるが、予断は禁物だ。誘拐は確かに発生しているものとして事にあたる」

「はい」

「お前はこれを目白署に持っていってくれ。捜査本部が立ち上がってるはずだ。鑑識に観てもらえ」早川は若手刑事に脅迫文が書かれたプリンタ用紙を渡した。

「了解しました」

 

 狂言だろうがそうで無かろうが、どうせ誘拐犯の指紋など出るわけはないがな、と早川は思った。

 

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