ガリレオの従姪   作:けーてぃー

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憑霊く5

 

 

 

憑霊(とりつ)く5

 

 児童養護施設への慰問会の打ち合わせは、サークル会員全員に出席が命じられていたはずだが、この日、伊川琴音はサークルの集会を欠席していた。

 彼女からの連絡によれば、どうやら体調を崩しているらしい。

 心配した玲於奈と小夜子は集会の解散後、琴音のお見舞いに行くことにした。

 二人がアパートに着いたとき、琴音はエントランス前の道路上で、青い顔をして突っ立っていた。肘を抱えるようにして腕を組んでいる。真夏だというのに、まるで凍えているように見えた。

 

「琴音さん、大丈夫ですか? 部屋の中で待っててくれてよかったのに……あの、これ、お見舞いです」

 

 見舞いの品として用意した、フルーツゼリーとスポーツドリンクが入った袋を掲げながら、小夜子がいった。

 

「体調は、そんなに悪くないの。熱はないし」

 

 ありがとう、と礼をいって、琴音は袋を受け取った。

 

「お部屋に戻って、寝てて良いですよ。顔を見にきただけですから、すぐお暇します」

 

 玲於奈が心配そうにいうと、琴音は、待って、と少し慌てた様子で玲於奈の手首を掴んだ。

 

「ごめん、時間があるなら、ちょっと、一緒にいてほしいの。ひとりにしないで」

 

 か細い声で頼み込む琴音に、玲於奈と小夜子は一瞬顔を見合わせた。

 

「その……二人は幽霊とか、信じる?」

「え、幽霊?」小夜子が声を顰めていった。

「そう、幽霊。うちの部屋、ゆ、幽霊が出るみたいなの。私、見ちゃったのよ。幽霊を」

 

 琴音は、ひどく怯えていた。こんな状態で、ひとり残して帰るわけにもいかない。

 玲於奈は、自分が様子を見てくると告げ、琴音から鍵を借りて部屋に上がり込んだ。

 サークル入会以来、琴音とはかなり親交を深めてきたので、今では気心の知れた仲になっていた。

 琴音の部屋にも、玲於奈は何度となく訪れたことがある。既に見慣れたワンルームを見回した。特にこれといって、変わった様子はないように見えた。

 

「とりあえず、幽霊はいないようです。少なくとも、私には見えませんでした」

 

 玲於奈は玄関ドアから顔を出し、廊下で待っていた琴音と小夜子にいった。

 琴音はなおも怯えた様子だったが、後輩二人が一緒に居てくれるならと、部屋に入った。

 

「ベッドの上に、幽霊が、いたのよ」

 

 琴音はベッドを指差しながらいった。霊感など微塵もない玲於奈だったが、そういわれると、あまり気味のいいものではない。そっと、ベッドから離れた。

 三人は、少しローテーブルを動かしてベッドから距離を取り、それを囲んで座った。

 

「あの、琴音さんはいわゆる、見える人、なんですか?」

 

 小夜子が訊ねると、琴音は勢いよく首を横に振った。

 

「幽霊なんて、見たことはないし、存在すら信じてなかったわ。でも——」

 

 琴音が幽霊を見たのは昨日のことだ。

 昨日は、久しぶりにゆっくり眠れる日だった。

 テスト期間中は、一夜漬けというほどでもないが、毎日夜遅くまで勉強していたからだ。

 やっとテストが全て終了し、気兼ねなく眠れるということで、十時にはベッドに入っていた。

 眠気にまかせてうつらうつらしていたのだが、熱帯夜に寝苦しさを感じて、上半身を起こす。ベッド脇のサイドテーブルからリモコンを取り、エアコンの温度を下げた。送風ファンの回転音が少し大きくなり、冷たい風が頬を撫でる。

 快適な室温になったところで、右肩を下にしてごろんと寝転んだ。眼前には、部屋の壁しかない。

 背中を丸めて目を閉じるが、一度身体を起こしてしまったせいか、なかなか寝付けない。

 寝入るのをじっと待っていたのだが、突如、酸素が薄くなったような息苦しさと、胸の辺りに強い圧迫感を覚えた。

 得体の知れない恐怖と不安が、琴音を苛む。呼吸は荒くなり、心臓がうるさい。

 駄目だ、眠れない、と目を開けた、そのとき——

 

「目の前に……小さな、赤ん坊くらいの子供の幽霊がいたの。私の方に、助けを求めるみたいに手を伸ばして……」

 

 琴音はそういって、頭を抱えながら俯いた。

 彼女は幽霊を見た瞬間に気絶し、朝方目を覚ました途端、鍵と財布、それに携帯電話だけを持って部屋を転がり出た。

 寝巻きにしている着古したシャツとハーフパンツという服装で出てきてしまったので、こんな格好ではサークルに顔を出せないからと、その後はネットカフェで過ごしていたという。

 小夜子から見舞いの連絡を受けてアパートに戻ってきたものの、ひとりでは怖くて部屋に入れなかったらしい。

 話を聞いている間、小夜子はずっと玲於奈の手を握りしめていた。どうやら、怪談の類いは苦手らしい。

 

「幽霊を見たのは、昨日が初めてなんですね?」玲於奈が訊いた。

「はっきりした姿を見たのは、昨日が初めてなんだけど、実は春頃から度々、心霊現象っていうか、幽霊がいるような、変な気配を感じたりしてたの」

 

 思い返すと、玲於奈たちが初めてこの部屋を訪れたときにも、琴音はそのようなことをいっていた。

 玲於奈は首を巡らせて、改めて部屋の中を見回す。いわれてみれば、妙な圧迫感というか、不気味な気配のようなものを感じる気がした。

 

「なるほど……」玲於奈は頷いた。

「ごめんね、幽霊のいる部屋なんか、居たくないよね。どうしても、一人でいるのが怖くて」

「わかりました。じゃあ、今日からうちに泊まりませんか?」

 

 玲於奈が誘うと、琴音は、えっ、と呟いた。

 

「一人でいるのが怖いなら、うちに泊まってください。お客さん用の布団なら、ひと組用意がありますから」

「本当? 本当にいいの?」

「ええ、どうぞ。いくらでもいてくださって結構ですよ」

 

 琴音は膝立ちで玲於奈に近寄り、小夜子がいまも握りしめている方とは反対側の手を取った。そして、両手で縋り付くように包み込む。

 両手が塞がったまま、玲於奈は肩をすくめて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誘拐の通報から一夜明けて、浅倉葵のブログに犯人からのコメントが投稿された。投稿時間は午前十一時きっかりだった。

 

 

『約束した五百万円は用意できたかい?

 さすがに昨日の今日じゃ、まだ用意できてないかな。

 八月七日の正午、千川彫刻公園にある、少女と子やぎの像の前まで持ってこい。

 持ってくる人間は刑事で構わないよ。どうせ警察も、このコメントを読んでるんだろう?

 もちろん、アンタが自分で持ってきても構わないけどな。

 金を渡す時には、一応、「あなたがg@me.ですか」と確かめてくれ。人違いだけはしてほしくないんでな」

 

 

 投稿されたハンドルネームは、脅迫文にあった通り『g@me.』となっていた。犯人からの投稿であることは間違いない。

 コメントは確認してプリントアウトした後、刑事の手で即刻削除された。被害者である浅倉紗南美の安否が不明な今、誘拐事件が発生していることを世間に知られるわけにはいかない。

 通報があった夜、夫婦には交替で仮眠をとってもらった。

 犯人から万が一連絡があった時のために、と理由をつけて、彼らのスマートフォンはリビングのテーブルの上に置いてもらっている。

 そして、旦那の方には刑事の目があるリビングのソファで寝てもらった。妻の方は、流石に寝室で休めるように取り計らったが、女性刑事をひとり監視として付けた。

 彼ら夫婦には、その間パソコンや携帯電話等の電子機器を操作できるような隙はなかった。

 少なくとも、コメントの投稿主が彼ら以外の人間であることは確定したようだ。

 捜査本部では、営利誘拐を本筋に据えつつ、夫婦の両方、またはどちらかによる狂言の可能性も視野に入れての捜査方針が打ち出されていた。

 犯人からのコメントが来た以上、本当に営利誘拐である可能性は少し濃くなったが、いまだ狂言の見込みも捨てきれていなかった。

 

「なぜ、七日なんだ」

 

 休憩所代わりに近所のパーキングに停めた捜査車両の中で、早川刑事は誰にいうともなく呟いた。その手にはプリントアウトされた投稿コメントがあった。

 今日は八月三日だ。身代金受け渡しの指定日である七日まで、四日も開いている。

 

「時間が空き過ぎてますよね。犯人にメリットは無いように思えますが」隣に座っている後輩刑事が応えた。

 通常、誘拐犯は出来るだけ速やかに犯行を終えようとする。

 警察に準備期間を与えない為だ。それに、犯行期間が長引けば、それだけ自分の身に警察の捜査の手が迫ることになる。

 早川はシートのリクライニングを倒して寝転び、目を閉じた。蓄積した疲労を吐き出すように、長い溜め息をついた。

 

「狂言なら、良いんですけどね」後輩刑事がいった。

「なぜだ?」目を閉じたまま、早川が訊ねる。

「狂言なら、警察が振り回されたというだけで済みますが、本物の誘拐となると、被害者の生命が気にかかります。まだ一歳の幼児でしょう。長期間、親と引き離されては、どうなるか」

 

 一歳の子供など、普通に育てていても、少し気を抜けば生命の危機に陥る。

 早川にも小学生の子供がひとりいるので、それは重々承知している。まだ子供が幼かった頃、非番の日に自分一人で育児をしたことは何度かあった。

 普段は妻に任せきりだった彼は、オムツ替えひとつとっても四苦八苦したものだ。父親である自分でもそんなものなのだ。営利誘拐を企てるような犯罪者に、まともな世話ができるはずがなかった。後輩刑事が、狂言なら良いというのも理解できる。

 しかし、狂言ならばその目的はなんだ。いい歳の大人が、警察を振り回す目的の悪戯など仕掛けるとも思えない。

 そして、実際に浅倉家の部屋には子供の姿がないのだ。それを考えると、狂言だからといって、子供の生命が無事とは思えない——早川の胸中に、沈み込んでいくような陰鬱が去来した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玲於奈が目を覚ますと、閉め切ったカーテンの隙間から光がもれていた。

 目覚まし時計は、七時少し前を指している。特に予定もないのでもう少し寝ていても良かったが、客人もいることだしと、さっさと起きることにした。

 ベッドの上で上半身を起こし、伸びをする玲於奈の隣には、よく眠っている小夜子の姿があった。そして、ベッド脇の床に敷いた布団には、琴音が寝ている。

 琴音が玲於奈の部屋に泊まり込んで、三日が経過している。

 昨日には、「二人だけでお泊まりなんてずるい」と小夜子まで押しかけてきた。

 寝具が足りないので、玲於奈と小夜子が同じベッドで眠ることにしたのだが、寝相の悪い小夜子に、玲於奈は就寝中に二度ほど殴られて起こされた。

 いまも小夜子は、気持ちよさそうに目を閉じながら、ばたんと寝返りをうっている。玲於奈は苦笑を浮かべた。

 小夜子と琴音を起こさないように気をつけながら、そろそろとキッチンへ向かう。

 さてなにを作ろうか、自分ひとりなら適当にトーストで済ませるところだが、琴音からは幾許かの食費も受け取っているし、小夜子からは昨日差し入れだといって野菜やら肉やらの食材をもらっていた。

 一人暮らしの経験はまだ浅いので、レパートリーは心もとない。野菜炒めと目玉焼き、それに炊飯器の中のご飯でいいかな、と思案したところで、「朝食、私が作るわ」と声がかかった。

 玲於奈が振り返ると、「おはよう」と、片手を上げて琴音がいった。

 

「おはようございます。起こしちゃいましたか」

「いえ、大丈夫よ、自然に目が覚めただけ。台所借りるわね、何か食べたいものある?」

「野菜炒めでも作ろうかと思ってたんですけど、私、作りますよ。お客様はゆっくりしててください」

「さすがに、あんまりお客さん扱いされるのも気疲れしちゃうから、私にまかせてちょうだい。大丈夫、今日は体調も良いの」

 

 琴音は、すっきりした表情だった。三日前には、幽霊を見たというより、彼女自身が幽霊かのような青白さだった顔色が、血色も良くなり微かに赤みが差している。

 

「そうですか、じゃあ、お願いしちゃおうかな」

 

 一年分の年季の差か、琴音は手際よく野菜を刻んでいく。お願いするとはいったものの、全部任せきりというのもなんなので、琴音が野菜を切っている間、玲於奈は目玉焼きを作ることにした。

 

「ありがとうね、玲於奈さん」

「はい?」

「しばらく泊めてもらったおかげで、すっかり元気になったわ」

「それは良かったです」

「ただ、どうも自分の部屋に帰るのは、まだちょっと怖いのよね」

「あー、なら、もうしばらくいてくださっても、私は大丈夫ですよ。お泊まり会楽しいですから」

「そういうわけにもいかないわ。明日には、実家に帰ろうと思うの。お盆にはまだ早いけど、どうせ里帰りするつもりだったし。すこし長めの帰省ね」

「んー、そうですか。琴音さんがそういうなら、止めはしませんけれど」

 

 朝食が完成したところで、小夜子を起こした。彼女はまだちょっと寝ぼけていたが、寝起き早々でも食欲はあるようで、箸の進むスピードははやい。

 

「えー、琴音さん実家に帰っちゃうんですか?」小夜子がいった。

「うん、そうなの」

「せっかく私も昨日来たところなのに、もうちょっとお泊まり会しましょうよ」

 

 不満そうにいう小夜子に、琴音は苦笑した。

 

「でも、里帰りを終えたあとは、どうするんですか?」玲於奈は琴音にいった。

「それは……どうしようかな。急に引っ越すのも、経済的に無理があるし」

「もし良ければ、琴音さんが里帰りしてる間、私、琴音さんの部屋に泊まってみてもいいですか?」

「えっ? 玲於奈さんが、私の部屋に?」

「貴重品は、実家に持ち帰っていただくことになりますから、ちょっと荷物が増えて申し訳ないですけど」

「いや、貴重品の心配なんかしてないけど、うち、幽霊でるのよ?」

「ええ、あの部屋に、何か良くないことが起きているなら、調べてみたいんです。すぐには引っ越せないってことですし、琴音さんが心配ですから。それに——」

 幽霊が出るなら、その原因を究明してみたい——玲於奈はそう呟いた。

 どうも、持ち前の好奇心が疼いていた。悪癖を自覚して、彼女は首を振った。

 

「じゃあじゃあ、わたしも泊まってみたいでーす」

「えっ、小夜子も?」玲於奈は小夜子に顔を向けた。

「幽霊とか、苦手なんじゃないの? 琴音さんの話を聞いてるときも怖がってたし」

「得意じゃないけどね。玲於奈ひとりだと、心配じゃん。それに、わたしだけ一日しかお泊まり会してないし。数日分のお泊まりセット持ってきたのに無駄になっちゃう」

 

 琴音は目を伏せて思い悩んだ。別に、自分不在の部屋に二人が泊まること自体は構わない。それは構わないのだが、幽霊が出る部屋に大切な後輩を泊まらせていいのか、彼女には判断がつかなかった。

 

「琴音さん、不思議な現象には必ず理由があります。理由があるなら、解明は可能なはずです」

「理由……」

「どうでしょうか、私に任せてみてくれませんか?」

 

 自信に満ち溢れた顔でいう玲於奈に、琴音は任せてみたくなった。

 

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