ガリレオの従姪   作:けーてぃー

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憑霊く6

 

 

 

憑霊(とりつ)く6

 

 八月七日の正午少し前、今日はブログのコメント欄にて指定された、身代金の受け渡し日だった。特殊班誘拐事件捜査係の面々および、応援要員として駆り出された余所の警察官たちは、犯人が現れるのを今か今かと待ち受けていた。

 警察官の配備状況は、問題の現場である千川彫刻公園は勿論のこと、周辺数キロに渡っている。

 夏の日差しがじりじりと照りつける。汗も拭わずに用心深く周囲を警戒する刑事たちが少し焦れ出した、十二時十五分頃、そいつは現れた。

 公園に面した道路脇に原付スクーターを停め、フルフェイスのヘルメットを被ったまま、公園に入っていく。

 ヘルメットのシールドにスモークがかかっているせいで、人相まではわからないが、背格好からして男だと思われた。

 脅迫文にあった『警察には通報してくれて構わないよ、むしろ通報して欲しいな』という挑発的な文面から考えて、配備された警察官の影には気付いているはずだ。

 しかし、男は周囲を細かく注意するような素振りを見せず、まるで堂々とした足取りで、受け渡し場所である『少女と子やぎの像』の前にやって来た。

 身代金である五百万円が入ったバッグを持っているのは、当然警察官だ。

 念のため、被害者の母親である浅倉葵に背恰好の似ている女性刑事、久代茜(くしろあかね)が受け渡し役に選ばれたが、それにどれだけの意味があるのかはわからなかった。

 背丈は同じくらいでも、浅倉葵より久代茜の方が年齢はひとまわり近く上だ。

 ひと目見れば母親本人ではないことは明白だが、どうせ、彼女が刑事であることは犯人にもばれている。

 フルフェイスの男は久代茜に向かって右手を突き出して、手招くように軽く振った。無言だが、バッグをよこせ、という意味だろう。

 

「あなたが、『g@me.』?」

「……そうだ」

 

 誰何の後、久代茜は事前に本部から指示された通り、素直に犯人へバッグを渡した。

 金を受け取った男は足早に公園を出て、スクーターに乗って逃走を開始した。当然、数人の刑事たちがそれを追跡する。

 小回りのきく中型バイクから、スピードの出る大型バイク、覆面パトカーに、果ては一応、自転車に乗る捜査員まで用意したが、結局、ツーリングライダーを装った捜査員が二人、スクーターにぴったりとついてマークすることになった。

 そこからかなりの距離をあけて、他のバイク捜査員と、覆面パトカー数台が追いかけた。

 覆面パトカーの一台には、助手席に早川刑事が乗っていた。

 

「逃走方法に原付ってのは、ある意味想定外だったな」早川は運転席の後輩刑事にいった。

「原付スクーターが、一番メリットが無いですからね。普通は中型以上のバイクか、車を用意するもんですが」アクセルをゆっくり踏みながら、後輩刑事は応えた。「尾行相手としては原付より、自転車の方がまだ手強いくらいです」

 

 その後、スクーターに乗った男は、一時間半ほどの時間をかけて、千葉県習志野市まで逃走を続けた。

 何の変哲もないアパートの、砂利敷きの駐車場にスクーターを停めると、躊躇なくヘルメットをはずしてメットインにしまった。

 露わになった相貌は、意外に若かった。おそらく二十歳そこそこの若者だろう。社会への不満がそのまま表れたかのような濁った目つきをしている。

 男はそのまま、アパートの一室に消えていった。

 それから程なくしてアパートの包囲が完了し、部屋に突入した刑事たちの手で、男は捕り押さえられた。

 だが、残念ながら、男の部屋に誘拐被害者である浅倉紗奈美の姿はなかった。

 

 

 男の氏名は佐山武司。半グレともいえない程度に道を外れた男で、恐喝と傷害の前科があった。

 佐山の証言を信じるなら、彼は特殊詐欺——いわゆるオレオレ詐欺における受け子のような役割で雇われただけの、第三者であった。

 日々の生活に逼迫していた佐山は、犯罪等の違法行為の勧誘を主目的としたアングラサイトで、この仕事を受けたようだ。

 何かしらの犯罪行為に加担する仕事だということはわかっていたが、報酬の割が良かったので、深く考えずに請け負ったらしい。

 

「前金で五十万、支払いがあったようです」

 

 目白署に立ち上がった捜査本部の一室で、早川は直属の上司である班長に報告した。

 

「五十万? 身代金が五百万で、受け子の報酬が五十万ってのは、破格だな」班長は眉を上げていった。「報酬の支払い方法は、振り込みか?」

「郵送です」

「当然、現金書留なんか使ってないよな?」

 

 班長は過度な期待はせずに、一応訊ねた。無論、早川は否定した。

 現金書留ならば、郵便局の窓口でのやりとりが必須になるが、犯人が顔を晒すような真似をするはずがなかった。現金書留以外で直接現金を送付すれば、郵便法違反に該当するが、誘拐犯が律儀に法を守るわけがない。

 

「佐山は、金を受け取ったあと、どうするつもりだったといってるんだ」班長が訊いた。

「受け取った金は、宅配便で衣類に紛れ込ませて所定の場所に送れと指示を受けていたようです。ちなみに、成功報酬はさらに百万だったとか」

「所定の場所、というのは?」

「……住所によれば、そこには、とある出版社が建っています」

 

 班長は、低く唸った。出版社の社員が犯人とも思えない。

 そもそも、犯罪行為に加担するような男である佐山武司が、きちんと金を送付する保証などない。彼が五百万円を横取りしなかったのは、単にその前に捕まってしまったからに過ぎない。

 つまり黒幕である誘拐犯は、最初から身代金を受け取るつもりなどなかったことになる。

 二人の刑事の間に、重い沈黙が横たわった。

 

「上に報告してくる。誘拐犯への手がかりは無くなった。これからはおそらく、公開捜査になるだろう」

 

 班長はそういい残して、部屋を立ち去った。ひとり残った早川は、天井を見上げて舌打ちした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 公開捜査が始まるとともに、捜査員がさらに増員されることとなった。

 草薙や内海薫が所属している係も、偶然いまは手が空いているということで、応援に駆り出されている。

 関係者への聞き込みを命じられた草薙は、内海薫とともに方々を回っていた。

 いまは、浅倉洸太が勤めている会社で聞き込みをした帰りだった。内海薫が車のハンドルを握り、草薙は助手席に座っている。

 

「とりあえず、旦那が二泊三日の出張に出ていたっていう証言は、確かみたいだな」草薙がいった。

 

 犯行があったとされる時間、浅倉洸太は出張先である長野県にいたことが、上司や同僚の証言で確認された。

 ただし、それでも狂言誘拐の可能性は否定されないが。

 

「やはり草薙さんも、狂言誘拐をお疑いですか」

「誘拐捜査は門外漢だが、ここまでの経緯を聞けば、刑事なら誰でもそう疑うだろう」

 

 二人が浅倉洸太の証言の真偽を確かめたのも、捜査本部が夫婦による狂言誘拐を疑っているからだ。

 

「海外サーバーを経由するってのは、スマホでちょいちょいっとできるもんなのか?」

「電子機器並びに、ネットに詳しい人間なら、可能だそうです」聞きかじった知識ですが、と内海薫はことわった。

 

 浅倉葵の個人ブログに載った脅迫文の発信者は、いくつもの海外サーバーを経由してコメントしていた。

 スマホで可能ならば、脅迫文は夫婦による自作自演ということもあり得る、と草薙は思った。

 

「でも、ブログに犯人からのコメントが載った際、夫婦のどちらにも怪しい動きはなかったそうですよ」

「なんだ、どうしてお前が、そんなこと知ってるんだ」草薙に、そんな情報は回ってきていなかった。

「当時、浅倉夫妻に張りついていた女性刑事に聞きました」

「お前、特殊班に伝手なんかあんのか」

「最近は、どこの部署にも女性警察官はいます。そして、警察社会における女性同士の横の繋がりは強いんです」

「へえ」草薙は感心したように呟いた。「ナワバリ意識の強い警察の中でも、特殊班はとくにその傾向が強いって話だけどな。女の友情は、ナワバリの垣根を越えるってことかね」

「警察はまだまだ男社会ですから、どうしても女性同士で助け合わないとやっていけません」

「そりゃ、男にとってはこわい話だ。聞きたくなかった」

 

 束の間、会話が途切れた。歩道橋のある大きな交差点で、赤信号に捕まる。

 草薙は助手席の窓から外を眺めた。ガードレールの向こう側の歩道に、ベビーカーを押している若い夫婦の姿があった。表情まではよく見えなかったが、幸せそうに微笑んでいる顔が思い浮かんだ。

 信号が青に変わり、内海薫がアクセルを踏む。彼女は正面に顔を向けたまま、私見ですが——と呟くようにいった。

 

「母親である浅倉葵さんが、事件に大きく関わっている。そんな気がします」

「それは、被害者家族としてではなく、か」

「ええ、彼女、葵さんは、夫にすら何か重大な事を隠しているのかもしれません」

「重大な事……か」

 

 夫にもいえないような真実、となると、あまり良い想像は働かなかった。犯人は受け子役の佐山武司に五十万円を支払っている。既に悪戯の範疇には収まっていない。

 浅倉紗奈美ちゃんはいまどこにいるのか、いや、そもそもどうなっているのだろうか、と、草薙の脳裏に悲観的な情景がよぎった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 琴音は、実家に持って帰る荷物を取るために、今はあまり入りたくない自分の部屋を訪れた。玲於奈と小夜子も同行している。

 できるだけ長居したくない琴音は、手早く荷造りを済ませたあと、部屋の鍵を玲於奈に預けて、実家のある兵庫県へと帰省して行った。

 とりあえず玲於奈は、ワンルームの部屋の中を注意深く見回してみた。

 

「玲於奈って、霊感とかあるの?」小夜子が訊ねた。

「ないわよ。そもそも心霊現象なんか信じてないし」

「えー、琴音さんが嘘ついてるっていうの?」

「いや、嘘だとは思ってないわ。琴音さんが幽霊を見たのは本当だと思う。ただ、その原因はオカルト的な事象じゃなくて、多分、金縛りのようなものだと思うのよね」

「金縛り?」

 

 金縛りがオカルトではなく、科学的に説明のつく現象だということは、小夜子も知っていた。

 金縛りの正体は、睡眠麻痺という睡眠障害の一種で、規則正しいサイクルで訪れるはずのレム睡眠とノンレム睡眠のバランスが崩れることによって起こる。琴音は、テスト勉強による夜更かしで睡眠バランスが崩れていたので、睡眠麻痺が起こる余地は確かにあった。

 睡眠麻痺は単に身動きができないだけでなく、幻覚を見てしまうこともある。

 

「でも琴音さんは、幽霊を見たときに体が動かなかったとはいってなかったよ」小夜子がいった。

「そうね、だからまあ、完全に金縛りだとは断定できないんだけれど……とりあえず、琴音さんが見たものは幻覚だと仮定して調べてみましょう。本物の幽霊だとしたら、私にはお手上げだもの」

 

 そういいながら、玲於奈は部屋の中にある電化製品をひとつひとつ観察してまわった。小型の冷蔵庫に手を当てたり、エアコンを作動させて送風ファンの音に耳を傾けたりしている。

 小夜子の目には、少し不審な挙動に見えた。

 

「さっきからなにしてるの、玲於奈」

「琴音さんが幽霊の気配を感じ始めたのは、春頃っていってたでしょ。この部屋に何かしら、琴音さんの体調に変な影響を齎してるものがあるんじゃないかと思ってね」

 

 玲於奈は掃除機のスイッチを入れた。形状はスティックタイプで、一応静音設計らしいが、パワーを強にするとそれなりにうるさい音がした。フローリングの床にヘッドを滑らせる。正常に動くのを確かめたあと、すぐにスイッチをオフにした。

 

「変な影響ねえ……電磁波を浴び過ぎると体調不良になるって話は聞いたことあるけど、あれは迷信だよね」

「電磁波の悪影響は解明されてない部分もあるけれど、小夜子のいうとおり、電子機器が発する電磁波が人体に大きな影響を齎すことはないという見解が大勢ね。電磁波過敏症は、ノセボ効果によるものだっていう意見もあるし」

 

 電磁波過敏症は、電磁波によって身体に悪影響が齎された結果、それによって様々な諸症状が現れるという病だが、今のところ医学的根拠はない。

 

「ノセボ効果ってなんだっけ」高校で習ったかな、と小夜子は記憶を遡ったが、あいにく覚えはなかった。

「プラセボ効果は知ってるでしょ。ノセボ効果はその逆」

 

 プラセボ効果とは、偽薬や治療効果のない施術に対して、患者自身が効果があると思い込むことによって病気の症状が改善する現象のことだ。

 ノセボ効果はその逆であり、悪影響があると強く思い込むことによって、本来は出ないはずの症状が出現することをいう。

 

「電子機器から発する電磁波の影響ってことは流石にないと思うわ。琴音さんが、電磁波に関する健康被害肯定派ってことはないだろうし」

 

 健康被害肯定派ならノセボ効果が現れる可能性はある。

 しかし、電磁波による被害肯定派ならば、パソコンやスマホのような電子機器は忌避するはずだ。琴音は当然、両方所持している。

 

「まあ、電磁波って一言でいっても、色々あるけれど」玲於奈は電子レンジに目を向けた。

「たとえば?」

「エックス線、ガンマ線、マイクロ波——エックス線とかガンマ線なんかの、電磁放射線の類いによる健康被害は、この部屋じゃありえないわね。電子レンジに使われてるマイクロ波も——」琴音の部屋にある電子レンジは、それなりに新しかった。一人暮らしを始めるにあたって購入したものだろう。「許容量以上に漏れてるなんてことは、なさそうね」

 

 電子レンジから出るマイクロ波は、対象物に含まれた水分子を振動させることで熱を発生させているに過ぎない。漏れ出たマイクロ波による悪影響というセンもないだろう。

 

「紫外線と赤外線も電磁波。あとは、目に見える光だってそうよ」

「ああ、可視光線だっけ。勉強した覚えがあるよ」

 

 小夜子は高校生の頃に受けた物理の授業を思い出した。ただ、その授業で得た知識が、幽霊騒ぎと関係あるとは思えなかった。

 玲於奈は窓の方へ歩き、カーテンを開いた。太陽光がさんさんと降りそそいでいる。夏の強い日差しに、少し目が眩んだ。

 

「ふふ……」

「どうしたの?」突然笑った玲於奈を、小夜子は訝しむ。

「さっぱり、わからないわ」

「わかんないのかよ」

 

 小夜子はひらいた右手の甲で、玲於奈の肩を軽く叩いた。

 

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