水星武闘伝Aガンダム 作:足洗
『……あんた、ちょっとそこでじっとしてなさい』
事の次第を聞き終えたミオリネが、端末の向こうから低く、静かにそう言った。
「えっ、あの、私からもそっちに向かう方が、速」
『もし入れ違いになった時、あんたが走るとモビルスーツでも使わなきゃ私が追い付けないのよ! いいからそこ動くなバカ!!』
「は、はいぃ!」
スレッタの右の鼓膜から左の鼓膜へミオリネの透き通った声が貫通する。
「すげぇ、見えなくても激怒ってるのがわかる」
「愛! だね!」
「ふむふむ、お姫様はヤキモチ焼きと」
「チュチュ、ライバルは強力だよ。ファイト」
「ニカ姉もその乗りマジでやめてよ……もぉ……」
いつも以上ににこやかなニカに、チュチュは大した文句も言えずただ頬を膨らませた。
程なくして、格納庫の外でエンジン音が響いた。その嘶きも止まぬ内、床を打つ、やや苛立ったブーティーの硬い音が近付いてくる。
仏頂面のミオリネが入り口に現れた。
「ミオ」
スレッタが開口一番、謝罪なり言い訳なりを口にし掛けて、それを飲み込む。
ミオリネの後ろからもう一人、姿を見せた。
長身の男性。怒らせた肩に制服の上着を羽織り、パープルに染められた派手な前髪の下、鋭い眼光で周囲を凄む。なお当人にその意図はない。
何故か、グエル・ジェタークもそこにいた。
「なな、なんでグエル先輩まで!?」
「知らない。勝手に付いてきた。ストーカーかっての」
「俺はお前に付いて来たわけじゃない。ただお前の向かう先にスレッタ・マーキュリーがいたから行く方向が重なっただけだ」
「何も間違ってないじゃない。スレッタのストーカー」
「……それもそうか」
「な、納得しないでください!」
動揺したのはスレッタだけではない。むしろ地球寮の者達こそ困惑は激しかった。
「ジ、ジェターク寮が攻めてきた」
「ヌーノ! お前がスレッタの方に賭けるから……!?」
「んな理由でわざわざ寮長自ら来るかよ……!」
「ど、どうしよう。これってもしかして、修羅場!?」
「嬉しそうにしないのリリッケ。ティルも、一人だけ逃げる準備するな」
「……バレたか」
思い思いに騒ぐ寮生らを置いて、ニカがグエルの前へ進み出る。
「ジェターク寮の方が、地球寮にご用事ですか」
「今言った通りだ。別にお前らに用はない。まして、こんな弱小寮と事を構える気は毛頭……」
「あ゛?」
手の内で一回転、トルクレンチの柄を握り直してチュチュが腹腔から唸った。
ニカが額を押さえて諦めの溜息を吐く。
チュチュがニカをやんわりと押し退け、グエルにガンを飛ばした。
グエルもまた怯まず下がらず、凶器を握るチュチュと正対した。
小柄と大柄。当然に視線は上昇と下降。互いを見上げ見下し睨め上げ睨め下ろす。視線という切先を刺し合う。
「スペーシアンの元締めその一が、なに気安くウチの敷居跨いでんだ。あ?」
「俺が何処に居ようが俺の勝手だ。当然、お前の許可なんざ求めない。意味わかるかチビ助?」
「ボンボンが粋がってんじゃねぇぞ。取り巻きと親の七光りが無きゃなにも出来ねぇ坊ちゃんが」
「……なら試してみるか? 育ちの悪い仔ネズミ一匹躾け直すくらい造作もねぇってことを」
「吐いた唾飲めねぇぞオラァ!!」
盛り上がっていく二人を恐々見守る面々。
その一方で、無関心なミオリネと、その隣で泰然としたスレッタがある。
我関せずの態を見せながら、ミオリネはスレッタに囁いた。
「あれ、止めなくていいわけ?」
「? 止める必要、ありますか?」
「……意外とドライね。工具で殴るのもあれだけど、ジェタークの長男に怪我させたらあの子だって危ないと思うわよ」
「んー」
暫時、スレッタは考える。腕を組んで瞑目したのも束の間のこと。
手を打って頷く。
「チュチュさん、武器は置きましょう。それと目潰しと後頭部への打撃、咬み付きは禁止で。金的は双方のモラルにお任せします。その他は自由に。時間無制限で!」
「誰がバーリトゥード勧めろって言ったか!? 暴力沙汰を止めろって言ってんのよ!」
ミオリネはスレッタの襟首を掴んで揺さぶる。がスレッタは小揺るぎもしない。
スレッタとしてはかなり理性的提案が出来たと自負していたのだが。それは無論ファイターとして。
「お互いに譲れない一線があるなら、それを拳に篭めてぶつかり合うのが一番いいと思います。己の拳は己の魂を表現するもの……思う存分殴り合いましょう! さあ!」
スレッタはそれはもう目をキラキラ輝かせて二人を駆り立てた。盛り立てた。
チュチュは引いた。グエルも気勢を殺がれた。自分達より血気盛んな者を前に、怒気が萎えてしまっていた。
その間に立って、ニカはしたり顔で微笑む。
「どうする? このまま喧嘩する? それとも、いい時間だし皆でお茶しよっか」
「賛成。お呼ばれしてもいいかしら?」
「もっちろん!」
ミオリネが手を挙げると、ニカは益々笑みを深くした。
他の寮生達もまたおずおずと手を挙げ出せば、いよいよ闘争の空気が死滅する。
「ちっ……」
「……命拾いしたなチビ助」
「言ってろボンボン」
ガンの飛ばし合いは喧嘩馴れの証拠。二人が再び面突き合わせたところで待ったが掛かる。
ニカが言った。その柔らかな声音がほんの僅か、低く。
「チュチュ、ちょっとしつこいよ」
「……ウッス」
「グエル先輩、闘う気のない人に手を上げるなら、私が代わりに相手になります……容赦しません、よ?」
「……ウッス」
スレッタの制止にグエルが従わない理由はなかった。というか肉弾戦で万に一つ逆らえる未来がなかった。
ティーカップをソーサーに荒く置いて、ミオリネはスレッタを睨む。
「私、聞いてない」
「す、すみません」
「謝れなんて言ったっけ? 一言の相談もされてないって言ってるんですけど」
「すみま……相談、しませんでした。でもミオリネさん、経営戦略科……」
「相談しなかった言い訳になる? それ。
「しゅみません……」
「……今後はちゃんと言いに来ること。これは取り決め。絶対。わかった?」
「は、はい」
「あんたは私の花婿。復唱」
「私はミオリネさん、の花婿、です」
「今日から私の部屋に一緒に住みます」
「今日からミオリネさんの……って、はい? ななななんでそうなるんです?」
「なに? 嫌なわけ?」
「い、嫌、ってわけじゃない、ですけど」
「じゃあいいじゃない。あんた筋肉すごいから寝る時温かそうだし」
「寝床も一緒なんですか!?」
ミオリネの言い分に一々驚き慌てふためくスレッタを、やや離れたソファーからグエルが流し見る。
紅茶を啜る顔は時折苦々しく歪んだ。
「あ、濃すぎましたか」
「……いや」
ポットを持ってリリッケが不安げに首を傾げる。
青褪めたのはマルタンだった。まさか自寮の生活スペースで自分達と同じものをスペーシアンの、それもベネリットグループ御三家ジェタークの令息と口にするなどとこの日この瞬間まで考えもしていなかった。マルタンは胃痛の気配に自身の腹を擦った。
「ごめんなさい。普段飲まれてるような、高級な茶葉じゃなくて」
「別に安物だろうとどうでもいい……味は悪くない」
「! そう、ですか。あの、よかったらこれも。普通のスコーンですけど」
「ああ……」
「どう、でしょう」
「……悪くない」
リリッケは陽の差すような笑顔を華やがせた。
それをつまらなそうにチュチュが睨む。
「普通に『美味しいです』くらい言えねぇのかよ。育ち悪いのはどっちだっつの」
「なにか言ったか」
「聞こえなかったか? あぁ!?」
「どうどうチュチュ!」
「ほら俺の分のスコーンやるから! な!?」
「んもっ!? んぐんぐぐ……!」
男子二人に取り押さえ、宥められ、スコーンを口に突っ込まれ。チュチュは腕を組んでどっかりとソファーに身を沈めた。
ニカは、ずっと楽しげだ。普段ならありえない、とても非日常なこの光景を面白がっている。
「……スレッタさんが呼び込んでくれたんだね」
その日、地球寮は実に平和だった。