水星武闘伝Aガンダム 作:足洗
独房であった。
金属と合成樹脂の壁で囲われた何もない部屋。いや籠だ。映像出力画面とコンソールはあるが、当然外部接続を切られている。
生活居住区画からも遠く、ここは無重力状態だった。人や物資といった重量物を簡便に取り扱い、より多く収容する為の措置なのだろうが。囚人には地に足を付ける権利すらない……なんて、意地の悪い発想が浮かぶ。
座禅を組み、臍下丹田に法界定印を重ねながら宙を漂う。瞑想、延いては無我へ、止水の心境へ至らんとする精神に、影のように差す一抹の雑念。
スレッタはその丸々とした眉根を寄せた。
「……ダメだな」
未だ武人として奥境へ達し得ないのはなによりも自分の未熟に他ならないが、それにしても近頃は自身の周辺が騒がしかった。
先の決闘騒ぎに始まり、フロント管理社なる警備組織の乱入、対MS鎮圧用火器を装備した多数の戦闘特化仕様デミシリーズ────通称デミギャリソンに囲まれ、スレッタは即拘束された。
罪状は、違法なMSの所持および不正使用。ねちねちとした取り調べの後、この鉄籠へ放り込まれてから体内時計でおおよそ丸一日経過した。
罪人に対する扱いとしてはまずもって、温い。
勿論、それはスレッタ・マーキュリーがただの学生であるからこその手緩さだ。正式な手続きを済ませ、所定の費用を払い、大手を振ってアスティカシア高等専門学園へと編入に至ったただの少女、子供。
今のところ、上位企業重役達や理事会、その長にしても、スレッタ自身に危険性を見出す者はいない。侮られている。
無論、そんな上役連中の内心をスレッタが知る由もない。ただ、独房に監禁されるだけの現状は退屈以上の
それでも、少女の心を揺さぶるのは。
「ガンダム……」
スレッタを取り調べた尋問官は、頻りにその名を口にした。
その名は馴れ親しんだもの。誰あろう少女自身が愛機エアリアルを己の許へと呼ぶ為の合図。これを叫べば、あの子は駆け付けてくれる。家族が自分を迎えに来る。
少女にとって、それは魔法の呪文だった。
そして、己の目指すべきものの勇名でもあった。
「師匠が教えてくれた。ガンダムは、己の拳……己の魂を表現する器」
────それもおぬし次第よ、スレッタ
幾度打ち合い、打ち倒されたか。老朽化して誰も使わなくなった格納庫、その冷たい床に少女は幾度目とも知れず這いつくばる。
頭上から老人は言った。
────エアリアルをただの兵器に留め、堕とすか。あるいはそれを覆すか
老人はその頑強な拳を開き、少女に差し出した。鍛え抜かれ、固く節くれ立っていて、それなのに優しい手を。
────ワシにはできなんだ。己の望みとエゴの為にガンダムを利用することしかしてやれなんだが……おぬしならば。おぬしとエアリアルならば
自嘲と、深い悟りをその目に宿して、師匠は笑った。
────さあ、立ち上がれ。スレッタよ
過去への浮遊は少女に平常心を取り戻させた。
同時に、一つの理解も。
師匠の語るガンダムと、ここで忌み呼ばれるガンダムは違う。その成り立ち、思想すら。
自分は何も知らないのだ。何も知らず、師匠から受け継いだ技とエアリアル、そしてなけなしの夢を胸にここへ来た。
それでは、ダメだ。このままじゃダメだ。
知りたい。知らなければ。無知への焦り、そして奇妙な使命感が胸に宿った。
その時、圧力閉鎖されていた鉄扉が開いた。通路の明かりと共に、仄暗い室内に浮遊しながら入って来る人影。
見慣れない少年だった。
「ど、どちら、さま?」
「僕はエラン・ケレス。キミと同じ、学生だ」
その言の通り、身形はアスティカシアの深緑色の学生服だ。ひどく整った顔立ちだが表情に乏しく、特にその目は、無感動の三文字。
少年は手にした白い箱を少女に差し出した。
無重力環境用にデザインされた定食のようだ。
「お腹、空いて」
「空いてます!」
「……そう」
「いいんですかっ!? い、いただきます!」
現状ストレスはないと言っておきながら実のところ少女にとって最も深刻だったこの空腹。救いの手は突如差し伸べられた。救いの弁当が。
「はぷ、がぷ、はふはふはふっ」
「飲み物も」
「もらいまふ!!」
「……そう」
ものの数分で宇宙食を平らげ、少年から差し出された飲料水のパウチを引っ手繰って一気に飲み干す。
そうしてようやく人心地着いた。
「はふぅ。ご、ごちそうさまでした。あ、その、あり、がとうござます」
「別に構わない。僕はただ配膳を代わっただけ。礼は要らないから教えて欲しい。スレッタ・マーキュリー、キミのことを」
「わた、しの? 私のことって」
不可解なことを口にする少年。その無感動な静謐の目に、スレッタは何かを覚えた。それは形にもならない情報だった。勘か、第六感を必要とするほど小さく、微かな。
けれど、この少年には言葉以上の思惑がある。そう疑わせるものが、この黄金色の瞳の奥には────
ぐきゅるるるるるるるるるるるる
「は、ふぉっ!?」
盛大に嘶き鳴き叫ぶその音の出所は一つだった。白いだぼつく囚人服の下で泳ぐ少女の肢体。
皮下脂肪を極限まで燃やし、今や板チョコレートのように割れた腹筋から。
それらは総じて肉体の主に対する不平不満だった。まだ足りねぇぞと。もっと食わせろと。育ち盛りだぞコンチクショーと。
年頃の少女らしい恥じらいだって、スレッタにはきちんと備わっていた。
飢えで腹を鳴らす、それも食べた直後に、しかもそれを同じ学園の男子生徒に聞かれたとあっては泰然自若など無理も無理無理ヘソで百合が咲く。
羞恥のまま膝を抱えて丸くなる。そんな選択肢もあったろう。
しかし、スレッタは選んだ。
迷いなく進んだ。師匠の言葉へ。
────武士は食わねど高楊枝? 戯けが!! 戦士が飯を食わず空き腹を抱え、一体どんな拳が握れようか!?
喰らえぃスレッタ! 強く大きく逞しくなりたくば、好き嫌いせずになんでも食うのだ!!
それこそが基本にして資本。我らの骨子を育む礎。断じて決して欠かしてはならぁん!
骨に守り支えられた肉が技と撃の精粋を極め、内奥より練り上げた気が天地万物を打ち貫く。
食の一字は、人を良くすると書く。ゆめゆめ忘るるでないぞ、スレッタ!
「はい! 師匠!」
「し、ししょう? なんだい、それは」
「それはまた後で、それよりも、お願い、あります」
「なんだい」
綺麗さっぱり皿の隅々まで平らげた空の箱を両手で差し出す。
エランはその無感動な目を丸くして、空箱とスレッタの上目を見下ろした。迫られた、と言った方が正しい。
少女は不退転。それほどの覇気を纏って、決然と、言った。
「おかわり、おなしゃす!!」
「スレッタ!」
「ミ、ミオリネさん!?」
独房に飛び込んで来た姿が、スレッタを再び驚かせた。
件の花婿宣言以来の再会。白銀の髪を中空に躍らせミオリネが明後日の方向へ身を投げる。慣性のまま勢い直進してきた彼女の矮躯は、あわや壁に激突する寸前、スレッタの腕に捕まり、しっかりと捕縛された。
「ちょっ、どこ触ってんのよ!? ひゃんっ! こんの色惚け!」
「ご、ごごめんなさい! でも暴れると怪我、し、しちゃいますから」
暫くわちゃわちゃと悶着を繰り返し、漸う落ち着き始めた頃。
ミオリネは言った。決然と、あの挑みかかるような目でスレッタを見ながら。
「決闘よ。敗けたらエアリアルは廃棄処分」
「! そんなこと」
「あんたも退学、私も幽閉は確実。もうこのフロントを出ることも難しくなる。絶体絶命ってわけ……だから、だからさ……」
恥も外聞も打ち捨てた。卑怯だの小狡いだの外道だの、人の善意を利用して、自分の我欲を叶える為。
ミオリネは望む。恥知らずに、ただ一つ。
全ての柵を踏み潰して、地球へ行く。その為に、この何も知らない少女を利用する。利用して利用して、利用できるだけのものを奪い尽くしたら、その時は…………外道の所業に見合う罰で、断罪をくれる筈だから。
ねぇ、あんたのガンダムなら、そうしてくれそうじゃない?
あらゆる汚穢を浴びる覚悟で発したミオリネの言葉に、スレッタは真っ直ぐ向かい合い、はっきりと。
「絶対……勝って」
「はい!」
「────」
ミオリネは絶句した。彼女の想定にない返答を受けたから、とは少し違う。
同意も拒否も織り込み済み。ただ今自分達の置かれた状況と今回の事態は個人の思惑など度外視して断行される。決闘は確定事項だ。
だからミオリネはスレッタを説得、あるいは篭絡する覚悟でここに来た。もはや後がない。逃がし屋には自ら背いてここまで進み出てしまったのだ。
糞親父。糞親父。怨嗟と憤怒を込めて呼んでやる。ダブスタ糞親父め。
お前をぶった切る私の剣、もとい拳は取り戻した。あとはそのふんぞり返っていられる玉座に爪を立て引き裂くだけ。
引きずり降ろしてやるだけだ。
「闘わないと、わからないんです。全力で闘って、闘って、闘い抜いた時、初めて、その相手の心がわかる気がするんです」
「はあ? スピリチュアル話ならアーシアンの民話で間に合ってるけど」
「闘わないと全部終わっちゃうんです。思いも、願いも、大切な夢も」
「…………」
「ミオリネさんが、何の為に、闘うのかとか、私よく知りません。けど、けど、ミオリネさんは逃げなかった。私のエアリアルを盗ってでも、闘う為に来た」
「盗ってない。借りただけ」
「へへ、そう、ですね」
「…………」
「でもそれで確実に一つ踏み越えたんです。諦め。何もしない。何処へもいかない。ずっとこのまま。それでいいんだっていう諦めを。ミオリネさんは踏み潰して進みました」
宙を踊る。回る。少女と少女が、まるで水面の花弁のように。
逆しまに向かい合い、互いを見下ろし互いを見上げるように、見詰め合う。
スレッタはミオリネに笑い掛けた。
「進んだ先でどうするか、私とミオリネさんが決められるんです」
「…………あんたの意思は」
「もう決まってます。だからあとは、ミオリネさんの番です」
赤子を抱き上げた母親のような顔で、スレッタは問う。
童女のように頼りなげにミオリネの瞳が揺れ動く。迷い、躊躇、自責、怒り、義務、約束……愛。
自分の望みはそこにあると信じて。
「私は地球に行きたい。地球へ行って……見付けるの。私の“絆”を。だから、その為に」
決然と睨み付けた少女は、柔和な顔で微笑んでいた。それが少し癪だったが。
「スレッタ・マーキュリー、決闘に勝って、花婿であるあんたが私を攫うのよ」
「ミオリネ・レンブランさん。決闘に勝ったら、まず一つ、やってほしいこと、あります」
「言ってみなさいよ」
水を向けるとスレッタは満面笑顔で。
「デートしましょう! それで、デート先で見付けた美味しそうなものぜーーんぶ買い食いしてくんです」
「……それがあんたの条件?」
「やりたいことリスト、まだたくさん、ありますけど、とりあえずの一番はこれ、です」
「……ふーん」
牧歌的で、くだらなくて、些事。学園生活を年相応に過ごそうとするスレッタが、この学園ではなによりの異端なのだ。
MS技術者養成の為に組まれた歪なカリキュラムの中に、風穴を空ける不純同性交友というわけか。
そう思ってみれば、なるほど、存外に。
「……悪くないかもね」