水星武闘伝Aガンダム 作:足洗
フロント73区の恒星熱吸収パネルの反射周期が蓄光から発光へ。つまり、朝を告げる時刻。
高専生徒および教職員用居住区画の天候管理予定によれば今朝は人工雲一つない快晴。
遊歩道から外れ、人工芝と疎らな木々が植林された林の只中に立つ。
施設内大気成分は朝焼けのそれを調整されている。結露した雨水が葉を滴り、濡らす。辺りは今緑の匂いに溢れ、噎せ返っている。
青みを帯びた空気を吸う。呼吸は短く、極力静かに。
動き出しは軽く。無駄な力が残留すれば、それは手足の重りになる。
打ち込みは鋭く、鋭く、鋭く。
その場で腰を落とし、正面に打つ。
震脚と共に半身立ち、拳を縦に打つ。
引き足を打ちながら片膝を上げ、肘打ちの構えで静止。
そうして前進、重心ごと前へ、さながら振り下ろされる斧のように、踏み込みが地を、その反発と全体重を乗じた両掌打。
緩やかに両腕を開き、再び半身で構えて、残心。
「うん、無重力鈍り無し!」
「……朝からなにしてんの、あんた」
茂みを踏む足音を聞き取ってスレッタは振り返る。
満面に呆れ。銀色のじと目が、スレッタを上から下まで観察する。そうしてから、ミオリネは大きな欠伸を噛んだ。
「えとえと、日課、です。体操を兼ねた鍛練、みたいな。か、型稽古って、わかりますか? 技を反復で体に覚えさせて、一連の動作を流れに変えるんです。最初は流れを守り、次に流れを破り、最後に流れから離れる。そうすることでいずれ型に囚われない自由自在の」
「あぁいいわ。それもなんとかいう武闘家さん? の教えなんでしょ。興味ない」
「は、はい」
「それより食堂。早くしないと朝ご飯食べ損ね」
「行きましょう! ミオリネさんほらダッシュ!」
「あっ、ちょっ、待ちなさいよ! ってか速!?」
地を踏む足が残像を刻むほどの速度でスレッタは駆けた。反して、上体の動きは少ない。絶無ではないが。
上体を寸毫のぶれなく静止させたまま、下半身と脚の運びだけで高速走行する。これならば走りながらでも戦闘態勢に支障を来たさない。少女の師を理想形とするならば、まだまだスレッタの体捌きは拙い。
「横失礼しまーす!」
「はい?」
寮からの通学路を生徒らがハロ制御のモーターサイクルで走行する中、その横合いを摺り抜けた。
違法に制限解除したそのバイクは現在速度超過の時速40キロ。
スレッタはそれを追い越す。一路、食堂へとさらに駆け足を速めた。
「こらぁー! 花嫁を置いてくなー!」
モーターサイクルで爆走しながら、ミオリネはスレッタの背中に叫んだ。
「はふはふ、んぐんぐっ……ぷはっ、はむ、あむ」
「……朝からどんだけ食べるの、あんた」
「むい?」
サラダ、スクランブルエッグ、ウインナー、パン、フルーツ各種を山盛りにしたプレートがそろそろ三枚目。
頬袋を満杯にするスレッタを、ミオリネは隣席から珍獣でも眺めるような目で見詰めた。
「ここのごはん、すっごく美味しいからその、ついいっぱい取っちゃって……」
「まあ学費の内だし、あんたの勝手だけど。太るわよ」
「だ、大丈夫だと思います。食べた分、体を動かせば。っていうか、このくらい食べないと、ちゃんと動けないから」
「ホントに~? そうやって調子に乗って食べまくってデブるのがオチなんでしょ。ほら、お腹だってこんなに膨らんで……膨らんで……?」
ミオリネがスレッタの腹に触れる。そこに当然あるだろう丸々膨れただらしない感触が……微塵もなくて、あるのは細く絞り込まれたただひたすら硬質な凹凸だった。
「は? え? なにこれ……うわっ、すごい、かったい……」
服の上からでも明らかな、鍛え抜かれた腹筋。皮膚の下ばかりでなく、その奥にもまた剛強な芯の存在を感じられる。体幹とはよくぞ言ったもの。まさしくそれは大木の幹の如し。
筋肉は熱をよく孕む。
熱い血の脈動が、ミオリネの指先を伝ってきた。少女はスレッタの腹を撫でる自身の指を止められなかった。
「あ、あの、ミオリネ、さん?」
「はっ!?」
スレッタの戸惑う声にミオリネが我に返る。言い訳の言葉も浮かばず、ミオリネはただ未経験の羞恥心を持て余した。
「スレッタ・マーキュリーさん?」
「はい?」
呼ばわりにスレッタはそちらを見上げる。
一人の少女が朝食のプレートを持って近付いてくる。蒼いインナーカラーが入ったショートヘア。それはメカニック科所属、ニカ・ナナウラであった。
先日、決闘騒ぎの折、ニカはスレッタに自分のモーターサイクルを貸し出してくれた。スレッタの脚力は徒走で車輌並の速度を叩き出すが、戦闘区域の荒野をパイロットスーツを着込んで走るとなれば話が変わる。なにより、人目を憚るという意識がまだスレッタの中に薄っっっすらと残っていたあの時は、ニカの助力は大いに少女を救ったと言えた。
「あ、あぁの、あの時は! あ、ありがとござました!」
「ああいいのいいの。たまたま良いタイミングでそこにいたから」
「いえ、そそそんな。そ、それに、私、バイク、傷付けちゃって……」
「ボディがちょっと汚れたくらいだよ。磨けば平気平気」
コクピットにいたミオリネからは、崖から全速で滑落していたように見えたが。
嘘か真か気遣いか、ニカはあっけらかんと手を振って微笑む。
そのまま自然にプレートをテーブルに置いたニカが、突然身を乗り出した。
「ところで、貴女のモビルスーツのことなんだけど」
「は、はい?」
「すっごいね! あんな滑らかな機動のモビルスーツ初めて! 駆動系に工夫があるのかな? かなり昔の技術で
「え、えっとぉ? 基本はおんなじ、です。ただ、全力で動かす時は、モビルトレー」
「待ちなさいおバカ」
スレッタの口をミオリネの手が塞ぐ。
もにゅもにゅと戸惑った声が篭り、スレッタの物問いたげな目がミオリネを見た。
ミオリネはスレッタをテーブルの下に引き込み、潜めた声で耳打ちする。
「あんたね! あんな特殊な機体のことほいほい他人に教えてどうすんの!」
「えっ、と、特殊、ですか?」
「あったり前でしょ。技術分野に明るくない私でもあれが異常なことくらい解るっつうの……あれがガンドフォーマットってやつなわけ?」
「ち、違います。ガンドなんとか、とか、私よくわかりません。知りません……あのシステムは、師匠が私にくれた。譲って、もらったもの、で」
「師匠? あぁ、例の武闘家だか格闘家だかの……いやそもそも武闘家がなんでそんなものを」
「師匠が使ってたマスターガンダムから、エアリアルに組み込んだんです」
「くっ、そしてまた気安く出てくるしガンダム……」
この学園、いや、今やモビルスーツ開発評議会によって牛耳られたこの宇宙開発戦争においてガンダムの名は特級の禁忌である。
軽々しく口にすることも、ましてやガンダムと名の付く機体を所持しているだけでもその人間は異端審問に掛けられ、悪ければ極刑だ。比喩でも冗句でもなく。
先日スレッタが解放を許されたのは、ミオリネの直談判あってのものだが。厳密には騒ぎの裏で取引と謀略が働いたゆえの、謂わば一時凌ぎの処遇に過ぎない。
無論、少女ら二人には知る由もないことだった。
迂闊だ。ミオリネは、マロ眉を下げて惚けた顔をするこのスレッタの迂闊さを甘く見ていた。
もしかしなくても、自分が見張っていないとこの娘、要らんことしまくるんじゃ。ミオリネはテーブルの下から天を仰いだ。見上げても、天板の裏側が視界を塞ぐだけだった。
「あ、あの~……ごめんなさい! 立ち入ったことを聞いて。そうだよね。独自開発のMS技術を企業関係者でも、同じ寮のメカニックでもない人間に知られるなんて拙いに決まってる」
なにやら都合よく解釈してくれたらしいニカに、ミオリネは安堵する。
少女二人が奇態から着席し直した時、またしても近寄って来る人影があった。
一人は男子生徒。気弱そうな雰囲気が神経質な足運びからも窺える。
もう一人は女子生徒。こちらは、その特徴的な髪型にまず目が行く。パーマを当てたのだろうミルキーピンクの髪を二つ結び球形にまとめているのだが、その大きさが尋常ではなかった。そっくり頭部と同等のサイズの玉が二つ並んでいるのだ。
「あ、いたいた」
「ちょっとニカ姉、先に行かないでよ……って」
「ごめん二人とも。知ってる人が見えたから」
ピンク髪の少女の視線がニカから対面のミオリネとスレッタに刺さる。
「ちっ、スペーシアンのお姫とその子分かよ。朝っぱらから不愉快な面ぁ見ちまった」
「いやもう出会い頭にぃ!?」
「もぉチュチュ! 挨拶もしない内からそんなこと言っちゃダメだよ」
舌打ちし、そのまま唾でも吐き捨てそうな不機嫌さで少女が悪態を吐く。
慌てふためいたのはむしろ傍らの少年マルタンだった。
そしてニカのやんわりとした注意にも、チュチュという少女は聞く耳を持たない。
「うぇあっ、すすすみません」
「いやなんであんたが謝んの。不愉快なら他所に行けば? 席は幾らでも余ってるし」
「ふんっ、言われなくてもそうするっつうの」
「あ、あはははは! や、ホントどうもすみません。それじゃあ僕らはこれで……」
少女は鼻から憤怒の息を吹いて、片や少年は恐縮し通しで引き下がろうとした。
その時、彼女らの背後から。
「ちょっと、邪魔なんですけどアーシアン」
「あぁ!?」
プレートを持った女子生徒が二人立っていた。
チュチュが眼光を尖らせそちらを睨む。そのまま咬み付きそうな剣幕である。
対する女子生徒らに怯みはない。むしろ、態度の悪いその様を一層見下して、薄ら嗤う。
「アーシアンに品がないのは知ってるけど、へぇ、本物ってこんなに酷いんだ」
「目障りだから、移動するなら早くしてくんない?」
「んだと糞スペーシアン!」
「チ、チュチュ! やめなよ。ね? ね? 他の席行こう。うんそうしよう」
「ごめんなさい。すぐに行くから。それじゃ、スレッタさん、ミオリネさん、また」
「あ、は、はい」
「……」
迷いなく席を立つニカを、スレッタは不思議そうに、ミオリネは無関心の体で見上げる。
憤懣やる方ないチュチュも引き下がるニカに仕方なく、追随しようとした。
「あ、そうそう」
しかし、女子生徒はニカの前に立ち塞がる。
「ついでだからこれも捨てといてよ」
その唇がやや
それは真っ直ぐな軌道で、ニカの手付かずの朝食プレートへ────到達しなかった。
緑色をした小さな塊は空中半ばで捕獲された。スレッタの伸ばした手、その二本の指先に抓まれ。
その軌道を
抓まれたガム、抓んだ二本指。それらがそっくり、女子生徒の口へ。
突っ込まれた。
「んぼっ!?!?!?」
「えぇっ!?」
「んな」
「あ」
「うわ」
マルタンが驚愕し、チュチュは目を丸め、ニカは目を瞬き、ミオリネは嫌そうに顔を歪めた。
女子生徒二人連れの内、もう一人はもはや声もなく、ただただ口を開けてその光景を見ていた。
口に突っ込まれた少女は声も出せず、水っぽい呻きを上げた。何が起こったのか、おそらく最も状況理解が困難なのはこの当人だった。
「ガ、ガムは、直接吐いて捨てたらダメ、です。ばっちいです。ちゃんと包み紙に包んで、ゴミ箱に捨てないと。なにより……」
ぐぽぐぽと涎を垂れ流し、涙目になる少女の様など委細頓着せず、スレッタはおずおずと言った。
「食べ物、粗末にしたら、ダメ! です」
「ッッ! ッ!?」
「わかり、ます、か?」
「ッ! ッ!!」
少女が何度も何度も頷く。必死に首を上下する。それはまるでというか思いっきり許しを請う仕草だった。
スレッタが指を引き抜く。唾液が空中に光る橋を渡した。
「も」
「?」
「もうお嫁に行けないぃーー!!」
「えぇ……」
不明瞭な捨て台詞を吐いて女子生徒は逃げ去って行った。驚愕冷めやらぬ連れ合いも急いでそれを追い掛ける。一目散だった。
「う、うわ、わ、涎でべとべと。うへぇ……」
「汚ったな。早く拭きなさいよ。ほら」
「あ、ありがとミオリネさん」
ミオリネの差し出した紙布巾でスレッタは手を拭う。心底ばっちい、そう言わんばかりの丹念さで。
なら最初から他人の口に指突っ込むなよ、といった文句がチュチュの喉奥に蟠ったが、結局声には出さなかった。悪態を吐く気が失せてしまっている……溜飲が、下がってしまっている。
「す、すごいもの見ちゃった気がする……」
「ふんっ、下品なのはどっちだっての。まあ……そこそこ面白かったけど」
「すごいねスレッタさん! 空中でこうナイスキャッチ!」
「いや、驚くとこそっち……?」
一同、笑っていいのか呆れるべきなのか分からない微妙な空気が流れる。
それはさて置きとばかり、スレッタは朝食の残りの消化に勤しみ始めた。
「やっぱあんた、おかしいわ」
「ふぁい?」