水星武闘伝Aガンダム 作:足洗
『久しぶり、スレッタ。元気にしてる?』
母、プロスペラ・マーキュリーの第一声は実に気さくだった。
一瞬、スレッタが返答に窮してしまうほど。
「お母さん! 今どこにいるの!?」
『ふふ、いきなりそれー? ごめんね。言えないの。いろいろ仕事が立て込んでてね。でも近くにいるわよ。すぐ近く』
「……」
『学校はどう? 友達できた?』
記憶の中のそれと寸分違わず、変わらない声。スレッタは否応もなく、懐かしさと安堵を覚えた。
変わらず穏やかに、労しげに自身に話し掛けてくれるのが嬉しかった。
だからこそ、解らない。どうして。
一年以上もの間姿を眩ませていた母の、まるで何事もなかったかのようなその態度が、怖かった。
「……学校、楽しいよ。友達も、多分たくさんできた。今度同じ寮の人達と会社を作るんだよ。ミオリネさんから聞いてると、思うけど」
『ええ、株式会社ガンダム、だっけ? すごいじゃない。メールのやりとりだけだけど、しっかりした人なんだってよく分かるわ。ふふふ、いいお嫁さんを見付けたわね、スレッタ』
「見付けてくれたのは、ミオリネさんの方だよ」
端末を耳に当てがいながら、スレッタは傍らを見る。静かに自分を見守る銀瞳を。
「お母さんは、どうしてるの?」
『相変わらずかな。今受け持ってる開発計画が大詰めで忙しくさせてもらってる。ああでもエアリアルのことだってちゃあんと見てるわよ。まだしばらくは掛かるけど、推進システム周りの拡充と運動性の向上が見込めるわ』
「し、師匠とは! 会って、くれたの?」
『ふふっ、ごめんね』
「…………」
耳を擽る軽やかな笑声が、ありありと否定を表していた。拒絶を。
「け、喧嘩は、ダメだよ。止めてよ、お母さん!」
『喧嘩。喧嘩かぁ。スレッタにはそう見えるのね』
「違うの……?」
『うーん、そんな大袈裟なものじゃないわ。所謂、見解の相違ってやつかしら。私とマスターアジアとでは考え方が違う。マスターは決して許しはしない。そして私は譲れない。お互いの主張は平行線。なら、話すだけ時間の無駄でしょ?』
「無駄なんかじゃ! 師匠は、お母さんのことも考えて! 厳しいことも言うけどそれは、それは、お母さんを想ってのこと、でっ」
『そう? まあ、スレッタは師匠大好きだもんね。お母さんよりも』
「そっ、そんな、ことない!」
『やっぱり小さい頃に構ってあげられなかったからかしらね。忙しいのを言い訳にして。あの人はスレッタにとってはずっと一緒にいてくれるお祖父ちゃんだもん。家に居着かない母親が嫌われちゃうのも仕方ないか……』
「違う! 違うよお母さん!」
『……あっはは、冗談よ。そんなに慌てなくてもわかってるわ』
揶揄うようにプロスペラは笑う。
まるで透かし躱されたかの手応えの無さに、スレッタは再び言葉を失くす。
「お母さんは……師匠が嫌い?」
『そんなことないわ。とっても尊敬できる人よ。自他共に厳格でいながら、優しい人……優し過ぎるくらい』
「お母さんが、何をしようとしてるのか、私は知らない。師匠も教えてくれなかった』
『……へぇ、やっぱり』
「でも、師匠はお母さんを、連れ戻そうとしてる。助け出したいって」
『ふふ、あの人から見れば私もただの家出娘ってことか』
そうではない。スレッタは師匠の真意を言葉にしあぐねた。
物理的な距離や居場所の話をしているんじゃない。師匠は母プロスペラを、掬い上げようとしているのだ。後戻りのできない“そこ”から、この宇宙空間のように底も果てもない深淵から。
スレッタの元へ。
それを伝えたい。老師の願いが、母の救いであることを。母の味方は自分一人ではないことを。
知って欲しいのに。
『スレッタもマスターの味方なのかしら?』
「私達は、お母さんの味方だよ……!」
『ありがとう。でも、まだ駄目みたいね』
「お母さん……」
『スレッタ、最後に一つアドバイス。マスターアジアの教えは確かに素晴らしいものよ。その思想も、武道でありながら天然自然から世界、そして民心にすら心を砕いている。流派東方不敗は紛れもない王道を征く一派。お蔭でスレッタがこんなに健やかに育ってくれた。心から感謝もしてる……けれどね』
スピーカーの向こうで声が冷えていく。耳元の気温が下がったような錯覚にスレッタは息を呑む。
『彼は優し過ぎる。彼は人の善性を過信……いえ、信じることを諦められない。悪党を演じられても、悪魔には決してなれない人』
「悪魔……?」
『誰もが貴方達のように強くはなれないのよ。器を超えて求めれば、中身が零れて落ちるか、あるいは器が砕けて割れる。弱い人間は壊れやすいから』
寄り添うように、母の声がスレッタの頭蓋に響く。
『気を付けてね』
主語はなく暗喩ばかりのプロスペラの言葉をスレッタは半分と理解できなかった。
ただ、突き放すように、はっきりと。
────お前と私は違う
そう言われたような気がした。
『そうそう。ミオリネさんに代わってくれる? お仕事の話をしなくちゃいけないから』
「……うん」
明るく切り替わった母の声に、この話は終わりなのだとスレッタは悟る。もう何を聞いても母は暖簾に腕押しで応えてはくれないだろう。
怪訝そうなミオリネに端末を差し出す。
「……はい、お電話代わりました。ミオリネ・レンブランです……はい、お久しぶりです。先日の技術提供の件で……」
ミオリネの声を背にして、スレッタは人工大気の青空を見上げた。
グラスレー寮の私室でシャディクは携帯端末にその連絡を受けた。
「これは一体どういうつもりかな? レディ・プロスペラ」
『お送りした通りです。秘匿回線のパスを頂けたなら、ご提示した性能と効果のものを差し上げます』
シャディクは目を細めて、デスクに起ち上げたディスプレイの文面に視線を走らせた。
「感応、共鳴現象による機体フレームの不活性化……こんなものを信じろと」
『御社はどうやらアンチドートに随分と厚い信頼を置いているようですが、残念ながら今のエアリアルに対して効果は薄いでしょうね』
「……」
『パーメットリンクを併用しているとはいえ、モビルトレースシステムはそれ単体でも驚異的な人機一体を可能にする。多少運動性は落ちるでしょうが、あの子の戦闘能力はそれを補って余りある。仮に六機全てを相手取っても大した支障には……あら、これは失礼』
「お気になさらず。それはこちらとしても理解していた。不可解なのは、貴女がこれをこちらの陣営に提供する意図だ。プロスペラ・マーキュリー。何故、御息女が不利になるような真似をするのか」
『もちろん、下心あっての申し出です。それの運用データを回していただきたいというのが一点。何分にも我が社では、エアリアルに相応の戦闘試験場を用意できませんので。中小の泣き所ですわお恥ずかしい』
「それだけで?」
『理由としてはもう一つ。こちらの方が重要ですが』
「それは」
続きを催促するシャディクに、電話口で女は即答しなかった。
この間を楽しみ、味わっている。相手の焦れる気配を嗤っている。
『よく言いますでしょう。可愛い子には旅をさせよって』
「なるほど。それはそれは子煩悩なことで」
『ふふふ、ありがとうございます。どうか娘の為に、良い旅路になってくださいな』
「……」
皮肉を流され、厭味で応えを寄越される。
シャディクは顔を顰めた。どうやら相当嫌われているようだ。心当たりは、生憎と無数にある。
積年の情念に思いを馳せるのは一先ず置いておく。それよりなにより、青年は目の前に積まれる情報の異質さに呻いた。
「特殊金属で構成された分子構造体……細胞だって」
『DG細胞。いえ、今はU細胞と呼称すべきでしょうね。ご覧の資料の通り、エアリアルの装甲や基礎フレーム、モビルトレースシステムはその細胞状物質の自己増殖によって生成されたもの。あの子は謂わば生きたモビルスーツです』
「三大理論……こんなものが本当にこの世に存在するのか」
『ぷっ、ふふふ! あ、ごめんなさいね。そう言いたくなるのもわかりますわ。ですがこれは事実です。なんでしたら詳細なデータをお送りしましょうか? 未解析なものが大半ですが』
「それは決闘の結果が出てからにしましょう。一応ルールだ。それに、照合だけなら地球寮に“伝手”があるのでね」
『まあ抜け目のない』
「お互いに」
『エアリアルのU細胞は未成熟です。固有の電磁波形を浴びると回路の一部が断絶してスーツとのトレースが阻害される。アンチドートの展開と同時に行えば完全に機能停止状態に陥れられるでしょう』
平然とプロスペラは言った。企業家がプレゼンでもするような端的さ、明快さで。
自分の娘を陥れる算段をその敵に教授するのだ。
『ただし、使えるのは一度きり。二度目には耐性を付けてしまう』
「自己進化、か」
『ええ、ですから使い処はどうか慎重に選んでくださいね』
美しい声で魔女は実に魔女らしく、囁いた。
『健闘を祈っています。グラスレーの王子様』