水星武闘伝Aガンダム 作:足洗
廃熱処理後の大気調整の為に、戦術試験区画に陽光が射していた。目にも眩くそれは暁にも似て。
その、雨露輝く地表で、グエルは言った。
「スレッタ・マーキュリー、俺にお前を……お前の強さを教えてくれ。お前の闘い方を伝授してくれ」
「え」
「頼む」
言うや青年は深々と腰を折った。
それはまさしく青天の霹靂だった。
スレッタは、数回瞬きを繰り返し、その言葉の意味を咀嚼し終え。
「む、無理ですぅ!」
叫んで逃げた。
脱兎というよりその速度はまるで飛び立つ隼のようだったが。
先の決闘から明けてより現在、麗らかな日和の午前。各学科共通カリキュラムの講義を受ける為に、スレッタとミオリネは一回生用の居室を訪れた。
その壇上に、グエルが仁王立ちで待ち受けていた。
「ひょえ」
「……何の用。ジェターク寮のエリート様が、まさか学年を間違えたのかしら」
「要件は二つだけだ」
ミオリネの嫌味に気分を害した様子もなく、突如グエルはその場で頭を垂れた。つい昨日スレッタにそうしたように。
「ミオリネ・レンブラン。先日の無礼な態度および温室を壊したこと……母君の努力の結晶に手を掛けたことをここに謝罪する」
やや固い口調で、けれど確かに物事の道理を承服した態度。風聞並のグエル・ジェタークしか知らない者ならば誰もが驚く光景だった。
スレッタの要求、ミオリネへの謝罪。決闘で取り交わされた契約の履行である。
ミオリネはグエルの旋毛を流し見る。表情は乏しく、つんとして興味も薄げ。しかし、謝罪の言葉を拒むことも否定することもしなかった。
きっかり十秒間。平身低頭の姿勢を見せてから、グエルが居直る。スレッタへと向き合う。
「もう一つ。願いの儀は変わらない。スレッタ・マーキュリー、俺に闘い方を教えてくれ。俺をお前の手で鍛えてくれ!」
「だ、だから無理! です!」
「どうしてだ。操縦技術を教えろとは言ってない。そもそも操作系が違い過ぎるからな。俺が知りたいのは……俺がほっ……感服したのは、その強靭な在り方だ。パイロットに必要な極限環境下においても揺るがない精神力と体力、なにより戦闘能力。俺の知るどんな奴よりお前は、あんたは優れている。そう感じた」
「べた褒めじゃん。よかったわねスレッタ。シンパが出来たみたいよ」
「よよよよくないですよ!」
茶化すミオリネ。慌てふためくスレッタ。
しかしグエルは譲らない。
「俺は強くなりたい。俺の目指す道にはそれが不可欠だ。あんたを手本にすれば、俺は一歩も二歩もそこに近付ける。頼む」
「だ、だから無理ですってば!」
「……他人には教えられないものなのか?」
「い、いえ。流派東方不敗は別に一子相伝とか門外不出とか、そんなことはない、ですけど……わ、私だってまだ修行中の身なんです! 水星の基地に居た頃も師匠には結局怒られてばっかりだったし……私みたいな未熟者に、人を鍛えるとか、教えるとか、ぜ、絶対無理です!」
「その強さでまだ途上だと? 信じられねぇ……いや、それでも構わない。流派、東方不敗か。あんたのその修行の道に俺も同行させてくれ」
「ほんっと無理ですから!」
ミオリネの制服の裾を摘み、必死にスレッタは身を縮こまらせる。
ミオリネは始終迷惑げである。
グエルは頑として引かない。平素の高圧的な有り様とも違う真剣さで少女に迫るのだ。
ベネリットグループ御三家が御曹司、あのグエル・ジェタークが他者に教えを請うている。前代未聞である。
その時、講義室の隅から咳払いが響く。授業の始め時を失ってしまった教師が三人を見ていた。
「すみません、先生。ひとまずは、退室します」
助かった。ジェタークの長子に間違っても強く出られない教師の顔が分かり易く晴れる。
「……また顔を出す。どうか考えておいてくれ」
「うへぁ」
去り際にそう言い置かれ、スレッタは奇怪な呻き声を上げた。
「……あんたってホント、普段と闘ってる時とでキャラ全然違うのね。普通は逆じゃないの?」
「だ、だって、闘う時は言葉、遣いとか、選んだりしなくていいし……拳の方がちゃんと伝わるじゃないですか」
「何次元の言語体系よそれ。言っとくけどこの学園でそれに共感できるの、多分今んとこさっきの男くらいよ?」
「えぇ……」
「あ、これも言っておくけど、くれぐれも、くれっぐれも御三家の男となんか懇ろになるんじゃないわよ。それ、私への裏切りと看做すから。あんたがどんな相手とどう付き合おうが、微塵も、これっぽっちも興味ないけど、心配とかまるでしてないけど! 敵とつるむのだけは許さないから」
「は、はぁ……?」
そっぽを向くミオリネをスレッタは見上げる。
そんな物問いの視線にも少女は応えてくれなかった。
実に、悩み事の増える日だった。
スレッタは自前のスポーツウェアを着込み、学園の敷地を走った。
悩みの種の筆頭の芽は勿論グエルである。数年、師匠直々に手解きを受けたりとはいえ、己は未だ神髄には至っていない。修行の道半ば、なんとなれば今すぐにでも師の下へ参じて鍛え直してもらいたいとさえ思う。斯くも未熟な者が、仮初とはいえ弟子を取る。教授を垂れるなどは言語道断。思い上がりも甚だしい。
スレッタは極めて真剣にそう考えている。
そうした気弱な姿勢にこそきっと凄まじい叱責を頂戴するだろう。けれど厳しく叱り飛ばした後、師匠は手を差し伸べてくれる。スレッタにとって、かの人はそんなどこまでも優しい人だった。それこそまるで……本当の祖父のように。
────ふ、ワシも老いたものよ。弟子を孫娘扱いとは……ドモンあたりに小言を言われかねんなぁ
物分かり悪く傾げたスレッタの頭を、師たる老人はいつもその頑健な掌で撫でた。ひどく愛おしそうに、撫でてくれた。
あんな風になりたい。優しくて、強い人に。
その領域に、自分はまだまだ程遠い。優しさも強さも、ましてや師の後塵を拝することすら未だ夢のまた夢だ。
加えてもう一つ、切実な問題が表出した。
諸般の事情から遅れていたモビルスーツの実習課程に本日初めて参加したスレッタは、その試験の前提条件を知らなかった。それは、メカニックとスポッターの募集である。通常は自身が所属する寮内でそれを募り、互助し合うのが習わしというが。スレッタは今のところどの寮にも所属していない。
先の決闘騒ぎですっかり腫物扱いとなったスレッタを受け入れてくれる寮はおろか、実習のサポートを請け負ってくれる者もいなかった。
「どうしよう……」
回転重力を得る為に円環状をしたフロント73区。その外周の舗装路を回し車を走るネズミのように巡ること三周目。
妙案浮かばず。
スレッタは走りながら途方に暮れた。
収穫はなく、このまま自室に取って返そうか。そう考えた時。
「……?」
不意に、懐かしい匂いを嗅いだ。
そこは学生寮区画の片隅。他の広大な敷地面積と真新しい設備とは明らかに趣の異なる構え。
忌憚なく言って、小さく古びて薄汚れた、ちょっとボロい建屋だった。
匂いはそこから漂ってくる。記憶を刺激する、それは獣の臭い。
興味を引かれるまま開け放ちの建屋の入り口を潜る。
「わ」
そこは厩舎だった。
横並びに区切られた部屋一つ一つに藁が布かれ、その中に獣達がいる。
多くは、見たことのないものだった。
白く角を生やしたもの。赤いトサカを頭に戴いた鳥、と思しきもの。
しかし一頭、強く見覚えのある姿。
馬だ。
自分の知る“彼女”より幾分小柄だが、その面長な顔容、しなやかな四つ脚と蹄、流れる毛並み、揺れる長い尻尾、紛れもない。
スレッタは慌てて、その面前に進み出る。
「は、はじめまして! 流派東方不敗門下スレッタ・マーキュリー、です! こ、ここの道場の方、ですか。他流に勝手にお邪魔して、し、失礼しました!」
馬は一声嘶いた。
スレッタはその馬面を見上げて、小首を傾げた。今一つ相手の返答の意味を理解できなかったのだ。
そもそもそれは返答ではないし、強いて馬の思考を言語化するならば「こいつ誰?」である。
「え、っと? よ、よろしく願います、ね?」
馬のもう一鳴きを了承と勝手に捉えて、スレッタはそっとその鼻面を撫でた。
特にこれといった意思疎通はなかったが、馬は単に気持ちよさそうにスレッタの手付きに従った。
「……ふふ、あなたは大人しい人ですね。私の姉弟子は、真っ黒ですごく綺麗な毛並みをしてるんだけど、クールな人で、なかなか触らせてくれないんだ」
「誰?」
「ひゃい!?」
ぼんやりと昔に思いを馳せていたところに、背後から声が掛かる。
素早く後退しながら振り返ると、入り口には覚えのある姿が立っていた。
「ニ、ニカ、さん?」
「スレッタさん! どうして地球寮に?」