「改めて見ても……」
「これは酷いね」
見るも無残に変形したバイクの前輪を見て嘆息する。
相当な高さから落下したバイクが無傷な訳が無く。大きな破損個所がホイールしかないのが寧ろ奇跡だ。
「交換するね」
「できるんですか?」
「勿論」
こう言う時のためにバイクの予備パーツは大量に用意されているが、使う事はほとんどないらしい。バイクの整備に関する訓練も後回しで、分解なんてした事もない。
工具を持ってきた師匠は慣れた手つきで前輪部分を取り外していく。手が汚れるのを気にする様子もなく、ひしゃげたフレームをバイクから引っこ抜く。
「ちょっと持ってて」
「はい」
バイクを持ち上げ、その間に新しいフレームをセットする。名前も知らないパーツが次々に取り付けられ、あっと言う間にバイクは元の姿を取り戻した。
「おお……」
「覚えれば簡単だから。今度練習しようね」
「師匠も先生に教えてもらったんですか?」
「そうだよ。だから弟子クンだってできるさ」
安心させるような笑みを浮かべて、隅に置いてあるホースを取りに行った。
ヴァーミンからなんとか逃げ切った後は何事もなく、無事に家に戻る事ができた。いつの間にか隣町どころか県境まで走っていたし、バイクにも乗れなかった為、着いた時には真っ黒の空に星が輝いていた。
幸いにも師匠の体には傷一つ無く、バイクの修理からしてしまおうと言う事になったのだった。
水流が汚れを取り去って行く。ボディには細かい傷こそあるが、輝きが衰えている訳ではない。洗剤をつけたスポンジやブラシで全体を更に磨く。おっかなびっくりスポンジを持つ手を動かしていると、自分の心まで洗われている様な気がした。
「強かったねー、あのヴァーミン」
シャワーを上からかける手を止めずに師匠が話し出す。
「なんか、一目見てやばそうな感じがしました」
「多分力のモチーフが普通の動物じゃないからね。その分強いと思う」
「普通じゃないって?」
「神話とか伝承とかに出て来る、架空の生き物が基になったクリスタルもあるんだよね。今日のは犬の頭が二つあったから、オルトロスのクリスタルだと思う」
「おるとろす……?」
「ほらこれ」
携帯の画面には二つの顔を持つ、獰猛な犬……と言うより、怪物のイラストが表示されていた。なんでもなんかの牛を守る番犬なんだとか。それならこの表情も頷ける。
「名前の意味が『速い』らしいから、本来は素早さに特化したヴァーミンだと思うんだけど……」
「速いのはバイクで、本体は割とパワーよりだったような……」
「変身した人間の身体能力が大きく作用してるんだろうね。あの立ち振る舞いは明らかにスポーツをやっていた人のものだし、バイク乗りでもあるって事かな。『速い』の部分はバイクに能力を付与する形で現れたって感じだね」
「パッと見の立ち姿と、攻撃方法からしてキックボクシングの選手とかなんでしょうか」
「私もそう思う。それも結構強いタイプの。そうなると絞り込むのは結構簡単そう……後で調べてみよう」
話している間にバイクを拭き終え、やっと少し落ち着ける時間が訪れた。
今日は出前をとった。もう夜も遅いし、今から料理する気力もなかった。
運ばれてきたピザのジャンクな匂いが脳を刺激する。普段こう言うのをあまり食べないようにしているのと空腹が限界に近付いた私たちにとって、これは劇薬にも等しい。
いただきますを言うのももどかしく、各々が好きな一切れを手に取って口に運ぶ。
「んー、おいしー……」
思わず言葉が漏れ出る程、今日のピザは美味しく感じる。
「普段食べないから苦手かと思ってたんですけど、普通に好きなんですね」
「そりゃあ好きだよ。美味しいしね。ただこう言うのばっかり食べてると……ほら、ね、色々あるでしょ?」
「まあ、確かに」
あれがあれしてああなって色々大変だからね。
でも今はそんな事は気にせず、ただ目の前にあるご馳走を口の中に入れる。
サラミとハラペーニョの辛さが舌を刺激したと思ったら、次にはトマトとチーズ、バジルのコンボが怒涛の勢いで迫って来る。最高だ。
「……早くないですか?」
「だって美味しいんだもん」
おっといけない。弟子クンの分がなくなってしまう。
かなり長く変身したけどそこまで疲れていない時は、眠気よりも空腹感の方が勝る。だから食べるペースが速くなっても仕方ないのだ。うん、仕方ない。決して私が卑しい食べ方をしている訳ではない。
「結局絞れませんでしたね。ヴァーミンの正体」
「んー、まあ一人一人当っていくしかないかなあ」
キックボクシング、バイク、有名。
ピザを待っている間に、さっき出たキーワードを組み合わせて調べてみた。その結果辿り着いたのは。
「まさかツーリングサークルがあるなんて思ってなかったですね」
「意外と多いんだねー、バイク好きな人」
全国のキックボクシングの選手たちの中でもバイク乗りが集まるサークルだった。そんなニッチなと思ったが意外と人数がいて、作業はそこで一時中断となった。
「まず全員に会う所からですか……」
「まあ試合の映像とか見て動きの癖とかを見ればもっと絞り込めはするけどね……かなり時間かかるけど」
資料を集める所からスタートだしそもそも全員分の映像資料が残っているかも怪しい。
だが時間がかかる分には良いのだ。
「あのヴァーミンも私を狙ってたっぽいし、何か悪さしないならいくらでも時間かけるんだけどねー」
「……師匠、ほんとに誰かの恨みを買うような事してません?」
「してないよ……多分」
「多分かぁ……」
「どんなに清廉潔白な人間でも、どこかで誰かに恨まれてるもんだよ。自覚が無くてもね」
恨みつらみが募った末の犯行なんてよくある事だ。その心当たりがあれば調査は一気に楽になるのだが、残念ながら私は清い人間なのでそんなものは無い。
「取り敢えずその線で行くよりも、順番に当たっていく方が速い気がする。明日は忙しくなるから、今日は早めに寝るよ」
「……って事は、明日は朝早いって事ですよね?」
「ちゃんと起きてね」
「……はい」
項垂れる弟子クンを見ていると、さっきから感じていた違和感の正体に気付く。
「そう言えば弟子クン、左利きじゃなかったよね。ピザ左手で持ってるけど」
「……確かに」
弟子クンも驚いた様な顔をしている。
「んー、右手が使えない間ずっと左手で食べてたから、つい癖が出ちゃったかもですね」
「そうかもね……うん、そうかも……」
癖。
何で?怪我したから。
怪我。
癖。繰り返して習慣となった、偏った傾向・仕草。自分でも自覚しないうちに出てしまうもの。
そう、自覚していないだけで、その身体には表れているのだ。
頭の片隅がちりちりと疼く。あの時の光景を呼び起こそうと脳をフル回転させる。
そうだ。何か感じていたはずだ。微かな違和感があの時あったはずだ。それは一体何だ。
「師匠?どうかしました?」
正確な拳、横薙ぎのキック。だが少し軽い。常に左から。左から。
持っていたままのピザを頬張り、手を拭いてパソコンに向かう。
キックボクシング。バイク。そして、事故。
浮かび上がったキーワードを忘れないうちに入力し、エンターキーを押す。
「見つけた……」
「どうしたんですか?」
弟子クンが後ろから覗き込む。口の周りにソースが付いている。
「ヴァーミンの正体、分かったよ」
「え!?なんで?」
「弟子クンのおかげ」
「はい?」
訳が分からないと言った顔。まあ分からなくても良い。重要なのは現れた答えだ。
画面に並んだ検索結果はどれも同じ事故を示していた。
目覚まし時計が鳴っている。うるさい。
もうちょっと目を閉じていたい。もうちょっと微睡んでいたい。でも少しずつ音は大きくなっていって、俺の眠りを妨げ続ける。
観念して目を開け、目覚まし時計にチョップ。7時を少し過ぎた所だった。
昨日犯人特定したんだったら、もうちょっと寝てても良いはずだよなあ。
でも師匠曰く、相手がいつ如何なる行動をしても対応できるよう準備しておく必要があるとの事。勿論別のヴァーミンが現れた場合も然り。
そう言うとこ、俺はまねできないなあ。
寝ぼけ眼をこすりながら洗面所へ行って顔を洗い、リビングの扉を開ける。
「おはよう、弟子クン」
台所に立つ師匠が挨拶を投げかけてくる。
「おはようございます、師匠」
棚からコップを取り出して蛇口をひねる。寝起きには水分補給が肝心だと知ってからは欠かさず飲むようにしている。
「あれ?あ、すみません師匠。今日の朝食係俺でしたよね……」
「あー、今日は良いんだよ。気合入れるから」
「へ?気合ってどう言う……」
振り向くと、何かがおかしい事に気付く。
師匠が今箸でかき回している卵液がフライパンの中で踊る。それはいい。相変わらず素晴らしい手捌きだ。
問題はその奥、コンロの上に置かれている我が家で一番大きいフライパン。その中にはケチャップライスが山盛りになっている。二つの皿に盛りつけられたのとは別に、だ。
「あの、師匠」
「なに?」
「あれ、作り置きですか?」
「いや、食べるけど」
「……今?」
「今、朝食で」
「全部?」
「全部」
「……えー……」
「何で引くのさ」
「いや引いてないですよ」
「絶対引いた」
「引いてないです」
「……引いた?」
「……はい」
成形された卵がケチャップライスの上に盛り付けられる。
「まあ良いけどさ。別に弟子クンも食べろって言ってる訳じゃないから、おかわりとかしなくて良いからね」
「は、はあ」
それはそれで大丈夫なのか?あの量を一人で食べるのは胃が破裂しそうだが。
デミグラスソースがたっぷりかかったオムライスがカウンターに置かれる。
「先食べてていいよ」
「あ、はい。いただきます」
閉じた卵をスプーンで裂くと、とろけた卵液がケチャップライスを覆う。こう言うのほんと上手いよなこの人。
ほのかなバターの香りが嗅覚を刺激して、口に入れると濃厚な旨味を微かに残った酸味が引き締める。
「うまっ……」
美味いと言う一言しか出てこない。それだけで済ませるのがおこがましく感じる程、このオムライスは美味しかった。
「私の得意料理、気に入ってもらえた?」
「はい、すごく!」
寝起きだった胃袋はすっかり覚醒して、いくらでも食べられるような気がした。
「良かった。オムライスだけは自信あるから」
「そんな事言って、師匠の料理は全部美味しいですよ」
「ありがとう、でもお父さんはもっと上手だったから、私もまだまだだよ」
そんなになんだ。
「さ、私も……いただきます」
言うやいなや、師匠は物凄いスピードでスプーンを動かし始める。半分、そのまた半分と消えていき、あっと言う間にオムライス1個がこの世から消失した。
「えー……」
「弟子クンもおかわりするんだったら卵焼いておくけど、いる?」
「え、あ、はい」
師匠は何事も無かった様に立ち上がり、また台所に立つ。
なんだ今の現象は。
よく噛まないで食べるのは、体に悪いと言うのは有名な話だ。噛むことで満腹中枢が刺激され食べ過ぎを防ぐし、消化もし易くなる。
だが今この目ではっきりと見た。1分も経たない内にオムライスが消えた。まるで飲み物を飲み干す様に、丸々1個を平らげてみせた。
「フライパンに卵置いてるから、食べるんだったら早めに取ってね」
「はい……うわぁ」
先程見たのと変わらない大きさのオムライスを持って師匠が席に座る。スプーンが豪快に突っ込まれ、またオムライスが大きく欠ける。
「あの、師匠」
「なに?」
「その……もっとよく噛んで食べた方が……」
「噛んだらいっぱい食べられないじゃん」
「いや、そもそもあれを全部食べるのはおかしくないですか?」
「だってそうしないとやってけないんだもん。気合入れる時のルーティーンみたいなものだよ」
「朝からこれは体調崩しますって」
「朝は王様の様に食べよって言葉もあるよ。エネルギーを体に蓄えないと」
「そうは言っても食べきれるんですかあれ」
「そうだねー、いつもは夜に食べてるけど、昨日は時間なかったしねー。流石に朝はきついかもしれないなー」
話している間にもオムライスがなくなっていく。そして師匠がまた席を立った。
これはいけない。
いつもやっている事とは言え、いや、いつもやっているからこそ、弟子として見過ごす訳にはいかない。
残りのオムライスをかき込んで俺も立ち上がる。
「すみませんおかわりします」
「お、じゃあお先にどうぞ」
先程よりも多くケチャップライスをよそって卵を乗せる。師匠が食べる量を少しでも減らせるように、少しでも多く食べるのだ。
「弟子クン、そんなに食べられる?食べ過ぎは良くないよ?」
「どの口が言ってるんですか」
フライパンにはまだまだ大量のケチャップライスが残っている。
半分、せめて三分の一でも。暴飲暴食にならないように……いや、既に暴飲暴食はしてしまっているのだが、それでも師匠が食べ過ぎないように。
頑張れ、俺。
「うっぷ……」
食べ過ぎた。
朝食から1時間半経ってもお腹が重たい。
いや、絶対こうなる事は分かってたけど、それでもやっぱり辛い。
「大丈夫?ほんとに行けるの?」
「はい……大丈夫です……」
「なら良いけどさ。正直食べきれなかったかもだから助かった。ありがとう弟子クン」
「いえ、それほどでも……」
何でこの人はオムライス5個も食べてこんなにピンピンしてるんだろう。
「じゃあそろそろ行こう。吐くときは言ってね。絶対私に向かって吐かないでね」
「はい、精一杯努めます……あはは」
強い念押し。まあ誰だって吐しゃ物を吐きかけられるのは嫌だわな。服が汚れるのも絶対嫌だし。
服。
あれ?
「師匠、なんか今日雰囲気違いますね」
「ん、そう?」
「えっとその、服の雰囲気がいつもと違うと言うか……」
いつもはかわいらしい服を着ている師匠が、今日は黒いライダースジャケットを羽織っている。サイズも少し、合っていないような気がした。
多分同じのだ。先生の書斎にあった物を、そのまま着ている。
「ああ、これ?私の勝負服」
そう言って師匠は笑う。
その笑みが、なんだかいつもよりも頼もしく見えた。
花恵の中心から少し外れた所にあるサーキット。
観客席には誰もいない、静かなコースに黒いバイクが疾走する音だけが木霊する。かなり大きく、腹に響く音だ。
俺たちの姿を認めたようで、十数メートル先でバイクが停止する。レーシングスーツを着た大柄な男がバイクから降り、ヘルメットを外す。
「ちょっとあんたら、そんな所に立ってたら危ないぞ」
「お気遣いどうも。でも今日は貴方に用があって来ました。
和久井さんの目がいぶかしむものになった。
「あんたら、誰だ」
「こう言う者です」
師匠がジャケットを持ち上げると、既に装着されているドライバーが露出する。
「……なるほど、あんたが」
和久井さんも分かったようだ。
師匠は真っ直ぐに、和久井さんは右足を引きずって、二人の距離が縮まっていく。
「どうして俺だと?」
「まず『キックボクシング』、次に『バイク乗り』、最後に『怪我』です」
「……ほう」
「貴方は著名なキックボクシングの選手であり、同時にバイクに乗るのが趣味で、ツーリングサークルにも所属していた。私が昨日戦ったヴァーミンのスタイルと一致します」
「でもサークルの事知ってんなら、他にもそんな奴いるって分かるだろう?」
「そこで『怪我』です。貴方は1年前に現役を引退し、サークルからも脱退した。その原因は……ツーリング中の事故ですよね」
和久井さんの表情が固まる。
「山道を走行中に居眠り運転をしていたトラックに遭遇。暴走するそれを避けようとしてガードレールに接触しそのまま道の外へ転落。命に別条はなかったものの、右足に大怪我して後遺症が残った。普段歩くのにも支障が出るくらいの……で合ってますか?」
「ああ、そうだ」
「辛い事を思い出させてすみません」
「いや、良いさ。で、それとヴァーミンがどう関係が?」
「ヴァーミンがキックする時は、常に右脚で、しかもちょっと威力が弱い。普段から右足を庇う様にしているから、軸足を左にして、右で蹴っていたんでしょう?そして右脚を痛めつけないよう、無意識に力を込めないようにしていた。だからキックが私の想定よりも弱かった。こんな所です」
「よく覚えてたな、そんな事」
「まあ、立っている時も少し右脚を庇っているような気配がしたと言うのもありますが。それに下にいる私たちを追わなかったのは、事故と全く同じ状況だから降りられなかったからでしょう?」
「良い観察眼だ。流石は仮面ライダーと言った所か」
やっぱり、この人が。
俺も少しは名前を聞いた事があるくらい有名な選手だ。でもそんな人が一体何で。
「どうして私たちを狙ったんですか?」
「あんたら、って言うか、正確には仮面ライダーだけどな」
和久井さんが懐からクリスタルを取り出す。
「これを俺にくれた奴が言ったんだ。仮面ライダーを倒せば、足を治してやるって」
「そんなのをくれるような怪しいやつの言葉をよく信用しましたね」
「信用したかったんだ。藁にもすがるってやつだ」
和久井さんの足は少し震えている。
「立ってるの、辛くないですか?」
「大丈夫だ。でも不便だとは思う。それに俺はまだリングの上でやりたい事があったんだ」
和久井さんの目は遠いどこかを見ている。
「まだ取っていないタイトルもあった。防衛記録だって打ち立てたかった。だがもう叶わない。夢は夢のままだ」
「辛いですよね」
「未練だと笑ってくれ。だが俺にはまだやりたい事がある。だからと言ってやって良い事じゃないがな」
「それでも、諦めないんですね」
「ああ、諦めたくない」
「そうですよね」
ここからでは師匠の顔は見えないけど、その声は沈んでいる様に聞こえた。
「じゃあ、私がその夢、終わらせます」
空気が一気に張り詰める。昨日高速道路でも感じた、背筋がざわつくような感覚。
「では……手合わせ願おうか、仮面ライダー」
「勿論、受けて立ちます」
くるりと背を向けて距離を取り、再び向き合う。
和久井さんがクリスタルを胸に押し当てると、昨日のヴァーミンへと姿を変える。双頭を持つ、漆黒の狩人が師匠を睨みつける。
「弟子クン」
「はい」
「今日は絶対近づかないで」
「どうして……」
「本気、出すから」
「え?」
師匠が持つ緑のクリスタルが陽光を反射する。トレイに取り付け、装填される。
両手を構え、引き寄せ、右手を突き出す。
「変身!」
その言葉と共に、緑のエネルギーが放出される。
「うわっ!?」
凄まじい速さで風が駆け抜ける。師匠が変身する時は何度も近くにいたのに、こんな事は初めてだ。
風の中で師匠の姿が変わり、全身が緑に輝く鎧に包まれる。
見慣れた緑のラセン。
だが纏う風は、いつもの何倍も大きく吹き荒れていた。
見合った両者はバイクに跨り、スロットルを回す。
バイクはより鋭く、より速く動く形態へと変化する。
音が重なり、心臓が揺れる中、俺はただ見守る事しかできない。
ボルテージが高まり、二人の視線がせめぎ合い、そして同時に動き出す。
前輪を威嚇する様に上げて一直線に進むバイクがぶつかり合い、火花が散る。静止し、弾かれた様にまた動き出す。
一定の距離を保って円形に走行し、互いの喉笛に噛みつかんと隙を伺う。再びぶつかり合い、相手の体勢を崩そうと試みる。タイヤ同士の擦れる音が耳をつんざく。
二人は横一列になって猛スピードでコースを駆け抜ける。途中どちらかが体当たりし、拳と脚が交差する。抜き抜かれ、二台はスピードを競って轟音を鳴らす。
近づく、と言うより、俺の出る幕なんて一つもない。ただ見て、祈るだけ。
「あっ……!」
ラセンの拳がヴァーミンに突き刺さり、鞍上から引き剥がす。主を失ったバイクは転倒し、大きく火花を散らす。
地面を転がったヴァーミンは素早く体勢を立て直す。ラセンもバイクを停め、正面に見据える。
ラセンが素早く距離を詰める。それを待ちかまえるヴァーミンがカウンターでパンチを放つ。
「はあっ!」
だがその拳をラセンが受け止め、力任せに腕を引っ張り、がら空きになった背中に拳を叩き込む。
「はああっ!」
迫る脚を躱し、再び拳を放つ。
「っ……たあっ!」
溜めた脚で薙ぎ払う。緑の風が一撃を後押しし、ヴァーミンの動きを阻害する。
何だこれ。
今までに見た師匠の戦い方じゃない。
隙を少なく、最小限の動きで敵を圧倒する。それが緑のラセンのファイトスタイルだったはずだ。
でも今は違う。鬼気迫る咆哮。溜めた大振りの攻撃。しかし攻撃が速すぎて隙が無い。風が吹き荒れ、一撃の威力が桁違いだとここからでも伝わる。
『本気、出すから』
「そう言う事、なのか……?」
今までのって、本気じゃなかったのか。
ラセンの攻撃は止まない。緑の嵐になって、ヴァーミンに襲い掛かる。風が吹きすさんで立っているのがやっとだ。この前の事件で垣間見えたクリスタルの力は、ほんの一端にすぎなかったと言う事だ。
ヴァーミンの攻撃を避け、受け止め、弾丸の様な拳を撃つ。時折受け止めきれない攻撃にも動じず攻める手を緩めない、鬼神の様な凄まじさ。昨日は互角に見えたのに、今はワンサイドゲームだ。
ヴァーミンも抵抗する。接近戦は不利だと悟ったのか、距離をとって銃を撃つ。しかしそれはことごとく風の壁に弾かれ、ラセンはゆっくりと確実に歩を進める。
じりじりと後退りするヴァーミンに、ラセンが襲い掛かる。ヴァーミンが銃を仕舞った瞬間にドライバーが叩かれ、大きく振りかぶった拳が防御しようとした腕を強く打つ。
息も絶え絶えながらになんとか耐えたヴァーミンがふらつく。その隙をラセンが見逃すはずがなかった。
再びドライバーが叩かれる。ラセンが腰を落とし、脚には吹き荒れていた風が収束していく。強い緑の輝きが満ちた時、ラセンが駆ける。
助走をつけ、大きく跳躍。背中には巨大な蝶の翅が現出する。
「はあああああああっ!」
叫び、緑の槍となってヴァーミンを突き刺す。
大きく吹き飛ぶヴァーミン。身体がひび割れ、亀裂から緑の光が漏れ出る。
微かな呻き声と共に、余剰エネルギーが爆発した。
飛び出したクリスタルが空中で砕け、和久井さんが倒れる。
先程までの激しい戦いが嘘の様な静けさ。ラセンが変身を解き、風が吹く。
「大丈夫ですか?」
師匠が手を差し伸べる。
「どの口が言ってるんだか」
手を取って立ち上がった和久井さんが笑みを浮かべる。
「完敗だ。やっぱり仮面ライダーには敵わなかったか」
「貴方も強かったです。大人気ない事するしかありませんでしたから」
「大人気ないか、いや、あんたは立派だよ」
表情を引き締めた和久井さんが頭を下げる。
「済まなかった。自分の欲に目がくらんであんたを襲うなんて」
「許します……と言いたいですけど、残念ながら警察に出頭してもらうまでが私の仕事ですので」
「分かっているさ……止めてくれて、ありがとうな」
「私が好きでやっている事ですから」
二人の顔は空の様に晴れやかで、見ていて胸がすく思いだ。
「じゃあ行きましょうか」
「送ってもらう必要はない。逃げたりしないさ」
「違います。最後に貴方と一緒に走ってみたくなったので」
和久井さんは少し驚いて、そして笑った。
「光栄だ。仮面ライダー」
傍観していたからか、師匠がこっちを見た事に少し反応が遅れた。
「弟子クン、行くよ」
「あ、はい!」
急いでバイクに跨ると、師匠が和久井さんの方を見た。
「一つ質問良いですか?」
「何だ?」
「バイクを好きになったきっかけって、何ですか?」
和久井さんは微笑んだ。
「憧れたんだよ。あんたに……仮面ライダーに」
憧れ。
和久井さんがバイクに乗り始めたのは4年前らしい。
しかしその時の仮面ライダーは師匠ではない。その時の仮面ライダーは。
「そうですか」
師匠は微笑み返すと、バイクのキーを差した。
「師匠、聞きたい事があるんですけど」
和久井さんを送って家に帰り、諸々の作業を終えて一息ついた時、ふと疑問が沸き上がった。
「何かな?」
「いつも本気を出さないのは何でですか?」
「並のクリスタルで変身したヴァーミンに本気を出すと、倒した後に後遺症が残りやすいって分かったからかな。後、疲れちゃうしね」
いたずらっぽく笑って一文を付け足す。
「和久井さんは体が丈夫だし、何よりクリスタルが強力だから、本気を出しても問題ないって判断した、って感じ」
「なるほど……あと」
「ん?」
「前にいつも本気だって嘘ついたのは、何でですか?」
「ああ、あれはね」
気まずそうな顔をしているけど、次に聞こえた言葉には確かな思いが乗せられていた。
「君にこの仕事を軽く見て欲しくなかったから。片手間にできる事だなんて思って欲しくなかったから。だからあんな嘘ついちゃった……ごめんね」
「いえ、良いんです。師匠が真剣に向き合ってるの、分かりましたから」
「そっか……ねえ、お腹空いた。ご飯にしない?」
「えー……俺まだお腹タプタプなんですけど」
あれだけの量食べてもう空腹なんて。ラセンの消費カロリーが高いのか、それとも師匠の消化が速すぎるだけなのか。
「じゃあ私だけ食べちゃお。そうだなあ、弟子クンが前に行きたがってたハンバーグのお店、行ってみようかな」
「ちょっ、ずるいですよ!行きます。やっぱり俺も食べます!」
「そう来なくっちゃ。食べるのも立派な訓練だからね」
くすりと笑って、コートを羽織る。
「じゃあ行こう。弟子クン」
「はい!」
3月の日差しは、とても眩しかった。