白く濁った石が鈍く光る。
純粋な白一色ではなく所々が透明になっていて、水の中に絵の具が中途半端に混じった時の様な不安定さ。私たちがいつも目にしているものに比べると一回り小さい。総じて未熟。
これが露導神次から受け取ったクリスタルの印象である。
「うーん……はあ。おっと」
いつの間にか7時を少し過ぎていた。もうそろそろ弟子クンが晩御飯を作り終える頃だろう。
私の足音が基地に響く。
今日はミネストローネだ。手間はかかるがまあ弟子クンなら大丈夫だろう。この2カ月で料理の腕も大分進歩した。当たりの日が増えるのは嬉しい限りだ。
予想通りミネストローネは美味しくて……少し塩味が強い気もしたが好みの問題だろう……満足した私は食後の紅茶を飲む。昨日と同じカモミールの匂いが鼻をくすぐる。
「それで、どんな感じだったんですか、あのクリスタル」
自分のカップに紅茶を注ぎながら弟子クンが尋ねてくる。
「クリスタルと断言できるような、そうでないような……変な感じ」
「はあ」
「そして一番気になるのが……ちょっと座って弟子クン」
「はい」
懐からクリスタルを取り出し、並べる。
4つにはそれぞれ蝶、梶木、獅子、蛇の図柄が刻まれている。
「普通クリスタルには、こんな風にどの生物の力が込められているかが分かるよう刻印がされてある」
「ふむふむ」
「だけどね、これ」
露導から渡されたクリスタルを隣に置く。
「これが……あ」
「そう。ないんだ、刻印」
表面は全くの白紙。これが分からない。何の力も籠ってないただの純粋な半導体の塊なのか、と断言するには露導がクリスタルの効能を確信しているのが不可解だ。あれはクリスタルの事を信じて疑わない、本気で信仰している人の目をしていた。
これを持っていてもヴァーミンにはならない?ただ感情に干渉するだけの石?
これは本当にクリスタルなのか?
「クリスタルの出来損ない?」
「って考えるのが、今の所妥当かなー。こう言うの見た事ないからさ」
または試作品と言う線も考えられるが、それなら石神の友はどうやってそれを手に入れたのか、と言う疑問が残る。
もしかすると、この件は案外根深いのかもしれない。
「まあなんにせよ、取り敢えず明日も行かないとね」
「え、行くんですか?」
「だって来てくださいって言われたじゃん。色々分かるまでちゃんと調べないと」
「ええでも、また、弟役やるんですか?」
「そうだけど」
「……師匠」
「ん?」
「人を騙すのって、やっぱ良くないと思うんですよ」
「明日はお昼食べてから行こっか」
「……はい」
あの辺って、結構いいお店揃ってるんだよね。どこに行こうか。
うん、楽しみだ。
「どうでしたか、お姉さんの調子は?」
「はい、昨日はとても落ち着いた様子で、よく眠れたそうです」
「それは良かった」
露導は俺の報告を心の底から喜んでいる様に見えた。
約束通り石神の友を再び訪れると、今度はすんなりと通されこうして露導と対面している。昨日と違うのは、この部屋に来た時から長髪の男がいる事だ。
「紹介が遅れました。こちら私の秘書を務めてもらっている
長髪の男が頭を下げる。
「それで鳴神さん、会に入りたいと言う意志にお変わりはありませんか?」
師匠に目配せすると、恐る恐ると言った様子で口を開く。
「はい……お願いしたいです」
「分かりました。ではこちらに署名を」
練間が机に置いた紙には、入会申込書と書かれていた。サインすれば、入会を認める旨が記されている。
「え、これだけなんですか?お金とかは……」
「ええ、他に信仰をお持ちの所では手続きがあったり入会金をいただく事もあるでしょうが、私どもは入会時にはそう言ったのは行っておりません。まあお試し期間の様なものと思ってください。後、これに署名していただいても退会は自由です」
「そうなんですか……なんだかイメージと違っていて驚きました」
「確かに我々の様な団体が良いイメージを持たれていないのは事実でしょう。ですが私は私なりに、皆さまの力になれればと思っています……お金をいただかないと運営していけないのはそうですが、それもなるべく抑えられればと」
そう語る露導の目には、強い信念が感じられた。俺たちに騙されているとも知らず、人の良い笑みを浮かべて。
今感じている、これは、罪悪感と言うやつだ。
クリスタルを使っているのだから何かしら秘密があるはずなのに、俺たちが悪人の様な気がしてならない。露導と対面しているとそんな気持ちにさせられる。
語り口調も、その内容も、嘘かもしれないのに信じたくなってくる。これ以上まともに聞くのは危ないかもしれない。
師匠が署名し終えるのを見届けて、露導はまた笑う。
「ありがとうございます。ようこそ、石神の友へ。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「そうだ、もうすぐお祈りの時間なのですが、早速参加されますか?勿論弟さん同伴で構いませんので」
「本当ですか?……ねえ、良い?」
無論許可を求めているのではない事ぐらい分かる。
「うん、分かった」
「それではこちらへ」
部屋を出て露導の後に続く。俺たちのすぐ後ろには練間が張り付いている。ここまで来たからにはもう逃げられないぞ、と言う声がどこからともなく聞こえてきそうだった。
少し歩くとホールの様な空間が見えてきて、そこには少なくない数の人がいた。老若男女分け隔てなく会話が行われており、リラックスした雰囲気が漂っていた。ある者は露導に気付いて挨拶し、またある者は俺たちに好奇の目を向ける。
「皆さん、紹介します。今日から私たちの仲間に加わる、鳴神楓さんです」
露導が言い終えると同時に拍手が起こる。皆一様に師匠が来た事を喜んでいる。
「ではお祈りを始めましょうか」
露導がそう言うと信者たちが懐を探りだす。そして取り出したのはあの出来損ないのクリスタルで、それをトレイを持った信者が回収していく。
その信者の動きを見てようやく気付く。ホールの奥には石で出来たオブジェの様なものが鎮座しており、その前にトレイが置かれた。
「では目を閉じて、深く息を吸って、石神様に祈りましょう」
露導が目を瞑り、信者たちもそれに倣う気配。前にいる何人かが俺を見ているのに気付いて咄嗟に顔を伏せる。
言葉は聞こえてこない。ただ一身に祈りを石神様とやらに捧げている。こう言う場所に来たのは初めて、静けさが不気味だと思ったのも初めてかもしれない。
少し目を開けて辺りの様子を伺おうとすると、それが見えた。
石が光を発している。そしてその前にあるクリスタルも僅かに発光している。それが何なのかはまるで分からないが、明らかに異常な事が起きていた。しばらくそれは光り続け、やがて少しの熱を残して輝きを止めた。
今起こった事に皆気付いていないのか?それともこれを当たり前だと認識しているのか?
周りを見ても誰もが目を瞑って祈り続けている。露導さえもだ。
「皆さん、目を開けて、顔を上げてください」
露導の言葉に従って信者たちは顔を上げる。それに倣って顔を上げた時、目が合った。
練間が俺を見ていた。集団の一番後ろにいる俺の事を真っ直ぐに見ていた。その視線から感情が読み取れないのが何よりも不気味だった。動揺を隠そうとするが、汗が額から垂れているのが自分でも分かった。前にいた男たちがトレイを持ち、クリスタルを配り直している最中も、練間は俺を見ていた。
外に出てからも練間の目がこちらを見ている様な気がした。
「……クン。弟子クン。弟子クンってば」
「ああ、はい、何ですか?」
「大丈夫?顔色悪いけど」
都会の喧騒の中にいるはずなのに、師匠の声がやたらと大きく感じた。
「だ、大丈夫です。なんともないですよ」
「どう見てもそうは見えないけど、自分でそう言うならもう少し頑張ってもらわないとね」
「え?」
「今ね、尾行されてるから。あ、絶対後ろ向いちゃ駄目だよ」
「は、え?」
「前見て前」
師匠が指差すガラスには俺たちが映っている。そしてその後ろに、さっき見た顔の男二人がいた。
「取り敢えず自然な感じを装って撒くよ」
「急にレベル高い事言わないでくださいよ」
信号が青に変わって人の塊が動きだす中、男二人は立ち止まったままだった。
「行くよ」
「ええ……」
横断歩道を渡ると、後ろの男たちも付いて来た。確定じゃんこれ。
人混みをすり抜けて前へ、右へ、左へ。方向転換を繰り返し、携帯で地図を確認する様な素振りを見せながら移動する。それでも時折目の端に映る男たちの姿は一定の距離を保ち続けている。
「上手いね、あの人たち」
「関心してる場合じゃないでしょ」
「仕方ないか、かなり怪しまれるけど……変身」
角を曲がった瞬間にいつの間にか着けていたドライバーから風が巻き起こり、気が付くとお姫様抱っこの体勢……勿論俺が抱え込まれる側だ……になっていた。
「え……うわ、わ」
体が宙に浮く。前に見たのと同じ、風を操って疑似的に空を飛んでいるのだ。そのままそう高くはない建物の屋上に着地し、師匠が姿勢を低くして下の様子を伺うのに倣う。
俺が屈むのと同時に男たちが角を曲がって来た。道に誰もいないのを見て足を止め、きょろきょろと辺りを見回す。
頼むから上を向いてくれるなよと言う祈りが通じたのかは定かではないが、男たちは諦めたようで、元の道を引き返していった。
「良かった……」
「良かった、かは分からないね」
「どう言う点で?」
「私たち、目を付けられてるって事。向こうが警戒しているならこっちは動きづらくなる。探り方を考えないとね」
「成程」
今回は思ってたよりも厄介な案件だった。いや、いつも俺が思ってたより厄介なんだけど、今回は色々気を付けないといけない事が多くて体力使うって意味で。
「そうだな……例えば……」
そんな事があってから三日が経った。師匠は今日も石神の友本部に通っている。
一方俺はと言うと、今日も今日とてトレーニングに勤しんでいた。と言うか、それくらいしかやる事が無かった。
『例えば……弟子クンは特に怪しまれてるからお留守番するとか』
と言う一言に一理あると思ってしまったのが不味かった。そのままあれよあれよと話は進み、結果師匠一人で調査する事になった。
また師匠の役に立ててない。
練間と目を合わせたのが痛恨のミスだったのか。目は口程に物を言うらしいし、俺が疑っている事を見抜かれたのかもしれない。
なんにせよこうなった以上、俺があの場にいても足手まといになるのは明白だ。だから今の状態がやりやすいのは分かる。分かるんだけど。
「何したら良いんだろ……」
有事に備えて日々トレーニングをすれば良いのはそうだがそう言う事じゃない。戦いのサポートをしたいし、調査だって役割を分担して欲しい。
詰まる所、俺はもっと直接的に師匠の助けになりたいのだ。
冷たい水を浴びながら考える、もしもの話。
もしも、ドライバーが二つあったなら。
俺もサポートじゃなく一緒に戦って、師匠を助けられるのに。
こんな事、幾ら考えても仕方のない話だ。
ドライバーは一つしか存在してないし、仮にもう一つあったとして、それを使うのが俺だと言う確証も無い。
だけどもし、何かの間違いでそれが叶うとしたら。
リビングには師匠がいた。
「あれ、いつ帰って来たんですか?」
「ついさっきだよ。これが飲みたくて小走りで帰って来た」
紅茶をグラスに注いで、一口あおる。その仕草も上品に感じてしまうのはそう言うフィルターでもかかっているからだろうか。
「何人かに話を聞いたけど、水や壺なんかを買った人は、やっぱり露導さんには内緒って言われてるらしい」
「となると、ますます練間が怪しくなってきますね」
「うん。まあ95パーセントで黒だと思う」
師匠はこの三日間で石神の友についての噂を確かめていた。洗脳云々の話は確かめようがなかったが、怪しげな商品を買わされた人がいるのは本当らしい。
となると露導さんの言葉や態度は真っ赤な嘘か、本当に何も知らないかの二択になる。そして活動のスケジューリングを秘書である練間が行っている事、その立場ならある程度情報統制もできるだろうと言う推測から、練間が黒幕であると踏んで調査を進めている。
「だけど残りの5パーセントで、露導さんが犯人っている線もあり得るんだよねー」
「問題はどうやって見分けるか、どうやって犯人の尻尾を掴むかですね……あー、集会までにもう少し時間があれば……」
明日は石神の友にとってのビッグイベント、市民ホールを貸し切っての大規模な集会が開かれる予定らしい。ほとんどの信者が半ば強制的に参加させられ、クリスタルも必須との事で、絶対に何かあると俺たちは考えている。
「まあぶっつけ本番でなんとかするしかないよ。敵の目的もおおよそ見当付いてるんだし」
「でも本当にできるんですか?クリスタルを使った洗脳なんて」
「できると思うよ。クリスタルは心に干渉するんだから……そう言う前提で考えるなら、やっぱりこれは子機だと思う」
「で、親機のクリスタルからの信号をキャッチして皆を一気に洗脳すると。もう何でもありですね」
「そんな出鱈目な事できるのがクリスタルだからね。斜め上の発想ができるくらいが丁度良いんだよ」
突拍子も無い考えではあるが、根拠が無い訳ではない。
俺たちを尾行した男二人。あいつらの視線には生気を感じなかった。それは催眠状態かそれに近しい時に現れる特徴らしい。それにあんなに大量のクリスタルを配ってどうするのかと聞かれれば、犯人が何も考えていない愉快犯と言う以外にはこれくらいしか思いつかない。
「まあ鬼が出るか蛇が出るかは明日になってみないと分からないし、弟子クンも気合入れてね」
「え、てことは、俺も行くんですか?」
「当たり前じゃん。それとも行きたくなかった?」
「いえ、そんな事、全然!めっちゃ行きたいです!」
そっか、俺も付いていけるのか。そっか、そっか……。
「何ニヤニヤしてるの?」
「え?し、してましたか、そんなの、あはは……」
「何でも良いけど、気を抜かないでね。いつも言ってるけど、お遊びじゃないんだから」
「は、はい、勿論!」
分かっている。しかしそれでも浮ついてしまうのは仕方ない事ではなかろうか。
この三日間役に立てなかった分、明日は頑張るんだ。
「良し」
頬を叩いても、心はまだふわふわしている様な気がした。
「で、何であんたがいんの?」
そう問いかけた相手は不快そうに眉を吊り上げる。
「姐さんに言われたからに決まってんだろ。お前一人じゃ不安だって事だろうよ」
「規模の問題でしょ。あんただって一人じゃ無理だって。俺が言いたいのは何で桜さんじゃなくてあんたなのかって事」
「良いだろ別に俺が来たって。こっちこそ桜さんが来ると思ってたけどな」
朝田さんは嘆息する。
「またガキの子守りか……まあ仕方ねえけど」
「誰がガキだって?」
「まだ成人もしてないくせによく吠えるなあ」
「何だとこの……」
「あ?やるか?」
視線がぶつかって火花が散る。やっぱりこの男とは相性が最高に悪いみたいだ。
二人同時にため息を吐く。くだらない喧嘩をしてもしょうがない。今から仕事なんだから集中しないと。
俺たちは別々にホールに潜入し、有事の際は避難誘導を優先的に行う手筈になっている。そしてもう一つ、俺は『タイミング』を伝えると言う大事な役割がある。気を抜いてはいられない。
「姐さんは?」
「もう待機してますよ」
「そうか……じゃ、しくじんなよ」
「そっちこそ」
朝田さんと分かれ、受付へと向かう途中で、声をかけられた。
「鳴神さん」
露導さんだった。
「どうも」
「今日はお一人ですか?お姉さんは?」
「今日は体調が悪くなってしまって、代わりに僕が来ました」
「そうでしたか……お大事にとお伝えください」
「ありがとうございます。それでは」
僅かではあるがこの人が犯人である可能性がある以上、不用意な接触は避けた方が良い。だから立ち去ろうとした。
「あの」
しかしまた呼び止められた。
「何でしょうか」
「お姉さんは、貴方の前でも元気ですか?」
「……そうですけど、それが?」
俺が聞き返すと、露導さんは安心した様な笑みを浮かべた。
「それなら良かったです。私たちの前では明るい様子でしたが、無理をしてないか気になってしまって」
ああ、本当に。
本当にこの人は、どこまで他人の事を想っているのか。
「ありがとうございます。すみません、知り合いと待ち合わせをしているので……」
「そうでしたか。引き留めてしまってすみません」
「いえ、こちらこそ」
早く離れないと。
でないとこれからやる事に俺は耐えられないかもしれない。
聞こえてくる足音はいつもより数段速かった。
集まった信者たちでホールの1階席は埋め尽くされ、この季節だと言うのにクーラーはフル稼働していた。ステージにはあの石神様が鎮座しており、異様な存在感を放っている。
端でもなく真ん中でもない、あまり目立たないであろう席を選んで座る。見つからない事を期待している訳ではないが、簡単に捕捉されるよりは良いだろう。
5分程待つと扉が閉められ、落ち着いた女性の声のアナウンスが響き渡った。
始まる。
露導さんがステージに上がり、マイクを握る。
『皆さん、今日はお集りいただきありがとうございます。皆さんのお力添えもあって、私たちは、今こんなにも多くの仲間と喜びを共有する事が……』
演説する露導さんの顔は自信に満ち溢れていた。大勢の人の前でも物怖じしない胆力とカリスマ性。こう言うのが上に立つ人なのだと思う。そして同時に、だからこそ利用されてしまっているのだとも。
演説が終わり、アナウンスが祈りの時間を告げるのと同時に前に立っていた男たちがトレイを持つ。
トレイに積まれていくクリスタル。近づいてくる男が、この前俺たちを尾行していた内の一人だと気付く。そいつは俺の前に来た時も表情を変えず、クリスタルをトレイに置くと機械的な動作で隣に移った。
やっぱり気付いていない。催眠状態だと言う師匠の見立ては間違ってなかった。
山積みにされたクリスタルが壇上に並べられる。一つ一つの動作がゆっくりに見えてもどかしい。
今だと合図してしまいたくなるが駄目だ。男たちを巻き込んでしまいかねない。
最後のクリスタルが並べられ、全てのクリスタルが石神様の前に集まった。
『では目を閉じて、深く息を吸って、石神様に祈りましょう』
露導さんの言葉がホールに響いた。ステージには誰もいない。
ここだ。
「今です」
『分かった!』
小声だったが問題なく聞こえたようで、繋ぎっぱなしにしていた携帯から応えがあった。
直後に破砕音が響く。ホールの天井に穴が開き、木材の破片と共に人影が落ちていく。緑の風を纏ったそれがステージに着地すると、並べられていたクリスタルは綿毛を散らした様に宙に舞った。やがてクリスタルは風に運ばれ一か所に集められる。
そしてラセンは、露導さんや練間が驚いている目の前で、風を纏った一撃をクリスタルに叩き込んだ。
クリスタルに力が伝わり、一つ残らず砕け散っていく。静まり返っていた会場から、やがて悲鳴が、徐々に怒号が降り注ぐ。
「そんな……ああ……一体何を!」
信じられないと言った表情を向ける露導さんに、そして集まった信者に、ラセンが語り掛ける。
「この石は、幸せになれる石なんかじゃありません。皆さんを操って、思い通りにしようとする誰かが作った悪魔の石です」
それは舞台劇の台詞の様に静かに、だが力強さを持ってホールに響いた。
「な、なんですって……」
「貴方は騙されていたんです。貴方の人の良さ、そして皆を助けたいと言う願いを利用して、自分の願いを成就させようとしていた人がいる」
そしてラセンは視線をステージの外に向けた。
「そうですよね練間さん。いや、真の意味での露導神次さん……今にも爆発しそうな顔をしてますけど、大丈夫ですか?」
『コツコツ積み上げて来た計画を達成目前でおじゃんにされてしまったら、よっぽど忍耐強い人じゃないと怒っても仕方ないよね』
と師匠は言った。尻尾が見つからないなら、向こうから出してもらおう作戦。
露導さんはうろたえるだけで、ラセンに対して敵対する行動を見せていない。
そして練間は……。
ラセンの言葉で怒りが頂点に達したのか、練間は牙を剥き出した。
「許さん……許さんぞおおおおっ!」
クリスタルを握り込み、その姿が変わっていく。緑の細長い葉や根が絡みついた様な身体に、いくつもの黄色の花弁に覆われた表情の見えない顔。
騒めきが一瞬で悲鳴に変わり、信者たちは我先にと扉を目指す。
「しっかり立って、早く逃げて!」
「あ、ああ……」
俯いたままの露導さんを立ち上がらせて避難を促す。ちらりと見えるラセンとヴァーミンは、睨み合ったままじりじりと間合いをはかる。
「私が聞くのもなんですけど、逃がしてしまっても良いんですか?通報されれば色々不味いのでは?」
観客席を背にしたラセンの問いかけに、ヴァーミンはヒステリックに笑う。
「警察なんてこの力があれば何とでもなる……それよりも、今はお前だ、仮面ライダー」
忌々しげに吐き捨てると、ラセンの前に十数人の男たちが立ちはだかった。全員の目は虚ろで、手にはあの白いクリスタルを握っている。おそらくは先んじて手駒にされている人たちだろう。手に力が込められ、男たちの姿が変わっていく。身体の中心に種の様なものが埋め込まれ、そこから白い管が幾つも身体中を這う。頭部は花弁ではなく、白い綿毛に覆われている。
「成程、やっぱり白いクリスタルは蒲公英の種って事か」
「邪魔者には死だ……覚悟しろ」
種のヴァーミンがラセンを一瞬で取り囲み、同時に殴りかかる。それをしゃがんで躱し、再び拳が迫ってくる前に天高く跳んだラセンの姿が緑から紫に変わる。細身でしなやかな鎧に身を包み、頭部に模られた蛇の眼が敵を睨みつける。宙に現れた紫の棒を手に取り、油断なく構える。
「行け!」
練間が叫び、種のヴァーミンが跳びかかる。それを一人ずつ捌き、紫の棒が敵の身体を薙ぐ。それは戦いではなく、舞を見ているかと錯覚させる程美しかった。
銃声が鳴り響く。少し離れた所で朝田さんが結晶銃を構えている。見惚れている場合じゃない。避難が終わった以上、俺も加勢しないと。
狙いを定め、ヴァーミンの背中に弾丸を命中させる。強くないとは言え数は多い。少しでもこちらに引き付けないと。
2体が俺に向かって来る。銃で牽制するが構わず迫るのを見て思わず舌打ちする。こいつらはどれだけ攻撃を受けてもまた立ち上がってくる。頑丈なのか、それとも操られて身体の痛みなど無視させられているのか。いずれにせよ、厄介な事には違いない。
「おっと!」
真正面から打ち出された拳を躱し、観客席の間に滑り込む。追って振り抜かれた拳がシートを貫き、隙間から綿がこぼれ出る。
「うわーお……」
やっぱクリスタルって怖い。
「ふんっ!」
振るった棒が敵を複数人弾き飛ばす。ヴァーミンはまた立ち上がるが、その動きは段々鈍くなっている。おそらく後一撃でクリスタルを破壊できるはずだ。
ドライバーを叩きエネルギーを棒の先端に集め、一気に踏み込む。ふらつくヴァーミンの間を縫いながら、すれ違いざまに攻撃を叩き込む。背後で小規模な爆発が起こり、転がっている男は6人。弟子クンたちに引き受けてもらっているのと合わせても、敵の数は半分になった。
「オオオオオオッ!」
背後から振り下ろされる腕を棒で受け止め、振り向いて横一線に薙ぐ。立ち上がったヴァーミンが右手を突き出し、そこから白い粒の様なものが乱射される。棒を回転させて弾いたそれは、あのクリスタルと同じで白く濁っていた。これが成長すればあれになるのだろう。つまり今発射されているのはクリスタルの種で、放っておくと折角壊した幸せの石がまたにょきにょきと生えてくる訳だ。
「面倒な事を……」
あれ全部集めるのにどれだけ手間がかかると思ってるんだ。一刻も早く止めさせないと。
「っ……りゃっ!」
少しの痛みをこらえ、棒をヴァーミン目掛けて投擲する。
「グワッ!?」
棒がヴァーミンの右手に命中し、クリスタルの雨が止んだ。その瞬間に緑のクリスタルを装填し、再び緑のラセンになる。そのままドライバーを叩き、駆ける。
ヴァーミンが気付いたのと同時に跳躍し、翅の形になったエネルギーが私を加速させる。
「はあっ!」
防ぐ腕の間をすり抜けヴァーミンの胴にキックを突き刺す。僅かな呻き声を上げてヴァーミンは吹き飛び、ホールの壁に叩きつけられた。そのまま力なく倒れ、エネルギーが爆発を起こした。
警報が鳴り、スプリンクラーから大量の水が降り注ぐ。まだ活動を続けていた種のヴァーミンも動きを止め、その身体からクリスタルが排出された。
「師匠!」
弟子クンが駆け寄ってくる。見た所大きな傷も無く、走り方も正常だ。
「お疲れ様、ありがとう、弟子クン」
「はい!」
冷たい雨が降り注ぐ中で、それにも負けない大輪の花がホールに咲いた。
「さてと」
さっき散らばった種や無傷のクリスタルの回収をしないと。だがその前に。
あれの中身を確かめないと。
クリスタルを回収し終えた俺たちが外に出ると、ホールのすぐ近くで露導さんがうずくまっていた。警察はまだ到着していないようだった。
「大丈夫ですか?怪我は?」
顔を上げた露導さんは虚ろな目をしていた。
「あ、ああ、鳴神さん。大丈夫です……大丈夫」
「とても大丈夫には見えませんけど」
「仕方ないよ。自分が信じてたものがなくなっちゃったんだから」
師匠が露導さんに歩み寄る。
「露導さん……ごめんなさい。犯人を探るためとは言え、貴方を騙してしまって」
「え?」
「本当は私、会社でいじめなんて受けていません。と言うか、そもそも会社なんて行ってないんです」
「そうか……そうでしたか」
俯き、再び顔を上げた露導さんの口から出たのは意外な言葉だった。
「良かった……」
「え?」
「貴方は苦しんでなかったのでしょう?それは良い事です」
「でも、俺たちはあなたを騙したんですよ?」
「そんな事はどうでも良いんです。皆さんが幸せな事が、私は何よりも嬉しいんです」
なんて人だ。
騙され、人に振り回され、信じていたものを失っても、まだ他人の幸せを喜ぶ事ができる。
こう言う人だからこそ、皆露導さんを信じて、石神の友に入ったんだろう。やり方はどうであれ、皆に幸せを共有して、笑顔にしていたんだ。
この人が報われないなんておかしい。
「露導さん、俺たちにできる事があれば何でも言ってください。いや、言わなくても勝手に力になります。露導さんがまた笑顔になれるように……良いですよね、師匠?」
驚いていた師匠が、柔らかな笑みを浮かべた。
「勿論、お力添えさせていただきます。貴方が笑顔になってくれると、私も嬉しいですから」
露導さんの目には戸惑いが浮かんでいた。
「どうしてそこまで、私なんかに……?」
そんな事は決まっている。
「あなたにお返しをしたいだけですよ」
ホールでの一幕があった数日後、石神の友が活動を停止した事がひっそりと報じられた。
露導さん……いや、露導と言うのは練間に言われて名乗っていた偽名で、本名は全くの別だ。今は師匠が用意したアパートの一室に移ってもらった。マスコミの追求は、彼にとっては負担でしかない。今は兎に角ゆっくり休んで元気を充電するべきだ。
助けになるとは言ったが、実はそれ程心配している訳でもない。彼は強い人間だから、必ず立ち直ってくれるはずだ。勿論、そのために何かできる事はしたいと思う。
今俺は彼の様子を見に、差し入れを持って彼の家に向かっている。師匠は藤堂さんに会いに行っているので、俺一人だ。
だから困った。
「どこだここ……」
師匠に教えられた通りの住所に向かっているが、アパートがどこにあるかまるで分からない。この辺は開発が進んでいてマップの更新が済んでいないのか、携帯のマップ機能を使ってもとんでもないルートを歩かせようとするし、人気も無く、道を尋ねる事もできない。
頑張って探すしかないかあ……。
「そこの君」
不意に声をかけられて振り返ると、フードを被った誰かが俺のすぐ後ろに立っていて驚く。
「は、はい?」
「道に迷っているんだろう?」
「え、分かります?」
「ああ、分かるとも。思っていたのとは違う道を示されて、どうすれば良いか分からなくなっている。違うかな?」
「そうなんです、このマップ滅茶苦茶で……もしかしてこの辺の道知ってます?できれば案内して欲しいんですけど……」
「ああ、知っているとも。案内もしてあげよう」
「あ、ありがとう——」
ございますを言い終わる前に、目の前の誰かが俺の右手を掴む。
「え、え?」
「君は君の思うがままに、その衝動のままに突き進めば良い。そこに答えはある」
いきなりなんだ?何を言ってるんだこいつは?振りほどこうとするが、腕は全く動かせない。
「は、放してください……」
「君は正しい。『復讐は、抗った証である』、私も良い言葉だと思うよ」
それは胸に仕舞いこんだはずの言葉。
「お前、誰だ!」
腕を振り払い、顔を上げた時には誰かの姿は消えていた。
今のは一体?
俺の思うがままに進むって、どう言う事だ?
ふと、右手に違和感を感じる。何か硬いものを握っている様な、そんな感覚。
固く握った手のひらを解いていく。それは手のひらに収まるサイズで、しかし確かな質量を持っている。
そこにあったのはクリスタルだった。
うねる橙色が陽光を反射して輝き、脈動し熱を発しているそれの表面には、竜の顔にも見える図柄が刻印されている。
その竜の眼は、確かに俺を見つめていた。