仮面ライダーラセン   作:赫牛

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潮騒の奇跡(2)

 止めないと。

 彼を連れ戻すために。

 戦わないと。

 

 

 

 どうして?

 

 

 

 それが私の使命だから。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 また変な夢を見た。と言うかさっきのは夢と言えるのだろうか。

 昨日の出来事のせいなのだろうか。

 

 今年の夏祭り……私にとって初めてのお祭りは、化け物騒ぎで滅茶苦茶にされてしまった。

 楽しい……だけではなかったかもしれないけど、良い思い出になるはずだったのに。あの化け物が全部台無しにした。全部あの化け物のせいで……。

 あの化け物はいちゃいけないんだ。あんな出来事は本来あってはならない。

そう、あの惨劇を繰り返してはならない。

 そのために私は……。

 

 

 

 私は……?

 

 

 

「私は……なに?」

 

 私がどうしたの?私がどうするって言うの?私今何考えたの?

 待って、行かないで。

 目の前まで垂れて来た細い糸は、また暗闇の彼方に消えてしまった。

 頭が痛い。何かおかしい。

 目の前が真っ白になる。

 

 落ちる。

 衝撃、視界が濁る。体が自由に動かせず、息も満足にできない。

 感覚が鈍磨していく。全身が凍えていく。遠くに見える光に伸ばした手は、どうしようもなく届かなかった。

 

 いつもの夢。

 でも夢よりもずっと鮮明で。

 あの時の感情が私の中に流れ込んでくる。

 寒い。苦しい。痛い。重い。

 でもそれよりも。

 申し訳なさが胸いっぱいに溢れた。

 

 

 

 

 

 窓から差す日の光が眩しい。どちら側に座っていたとしても、太陽からは逃げられない。バスは昨日と同じ道をゆっくり進んでいく。

 この時間には通学する子どもがいなくて静かだ。一定の間隔でアナウンスが鳴るだけ。

 駅で別のバスに乗り換えた。今日も人で賑わう商店街を横目に、バスは大通りを進んでいく。

 

 神社に一番近いバス停からでも歩くとそれなりにかかる。

 階段の前には非常線が張られていた。あんな事があったんだから当然か。

 

「ごめんなさい。失礼します」

 

 コーンの脇を通って階段を昇る。昨日はあんなに軽かったのに、水の中を歩いているみたいに一歩一歩が重い。それでも私の中の何かに従って進む。どうしても行かなければならない。

 境内には誰もいなかった。昨日の内に粗方調べ終わったんだろう。

 本殿の奥の林に入る。鬱蒼とした木々に鳥の声がこだまする。ひとたび違えれば迷ってしまう迷路の中を、確かな足取りで真っ直ぐに進む。

 どれくらい歩いただろう。向こうに光が見えてくるのと同時に、微かに波の音が聞こえてくる。

 こっちで間違いない。自分でも訳が分からないがこれで正解なのだ。

 

 辿り着いたのは崖だった。

 林からは少し距離があった。その空間は何かの舞台としてあつらえたかの様に整っていた。崖の下を見下ろすと海が広がっている。相当な高さだ。

 少し怖くなる。落ちるのを想像したからではない。何かもっと、自分が揺らぐような、そんな怖さだ。

 私は一体、何に恐怖しているのだろう。

 波が崖に当たって砕ける音が聞こえる。胸が苦しい。波の音は次第に大きくなって、私の頭を揺らす。

 

 

 

 ふと、潮騒の中に何かが混じっている事に気付いた。

 

 

 

 打撃音と、金属がぶつかり合う音。次第に大きくなって、波の音は消え去った。空が黒に染まる。少し肌寒くなる。

 突然目の前で、花火が咲いた。

 暗闇から鋭い爪が振り下ろされ、その度に火花が散り、白と黒の身体を照らし出す。何度も何度も爪が振り下ろされ、何度も何度も火花が散って、引き裂かれた体に痛みが走る。

 そして大きく振りかぶった一撃が私の頭を薙いで。頭の中で火花が散って。

 私は落ちていった。

 衝撃、視界が濁る。苦しい。息が上手く吸えない。

 目を開ける。

 暗い。

 体も上手く動かせない。

 感覚が鈍磨していく。全身が凍えていく。遠くに見える光に伸ばした手は、どうしようもなく届かなかった。

 どんどん暗くなっていく。

 このまま目を閉じてしまったら不味い。そう思っても瞼はだんだん落ちてくる。どうしても抗えない。

 真っ黒の中で、苦しさと申し訳なさがはっきりと感じられた。

 

 

 

 

 

 お母さんは洗濯物を干していた。私の足音で振り返った顔には、深い安堵が表れていた。

 

「やっと帰って来た。忘れ物って、どこまで取りに行ってたの?」

 

「……ちょっと、海まで」

 

 お母さんの手が止まった。

 

「そう。見つかった?」

 

「うん。ちゃんと見つけられたよ」

 

「そっか。良かったね」

 

 空になったカゴをそのままにして、お母さんが私の目を見る。

 

「何見つけたの?」

 

「うん。えっとね、お母さん……」

 

 ごめんなさい。今から貴方に酷い事をします。

 でも私にとっても、貴方にとっても必要な事だから。貴方はきっと、許してくれると信じています。

 

 

 

「緋山すみれさん、私は、貴方の娘ではありませんね?」

 

 

 

 すみれさんは目を閉じて、また私を見る。

 

「どうしてそう思うの?」

 

「少しだけ思い出しました。私は大事な事をするためにこの町に来たって。誰かを追いかけてここに来たって。私のいた場所はここじゃなかったって」

 

「きっと思い違いよ。今は記憶がないから混乱してるのよ」

 

「そうですね。確かに記憶はまだ完全には戻っていません。でも……」

 

 そうであっても。

 

「私の好きだった食べ物。好きだった色。好きだったもの……どれも私にはずれている様に感じました。他人の人生に放り込まれたと言う感覚が、どうしても拭えなかった。私の好きは、全然違っていました」

 

「でも周りの皆は?皆あなたの事を瑞希って呼ぶでしょ?」

 

 すみれさんが食い下がる。

 

「それは私も信じられないですが……」

 

 飾られた写真立てを見る。

 高校の入学式の写真だ。笑顔の緋山瑞希さんが写っている。

 

「私は瑞希さんと瓜二つなんですね。顔かたちも、背格好も、目の色さえも」

 

 すみれさんは何も言わない。その沈黙こそ答えだった。

 

「私は昔からこの顔だったと言う確信があります。それに私がこの町に来たのは2021年の8月16日の夜。『瑞希』として目が覚めたのはその次の日の昼頃。その間に顔全体を整形する事は不可能です」

 

「ねえ瑞希、もうやめ……」

 

「私は瑞希さんではありません。瑞希さんに良く似た、全く違う誰かです」

 

 それだけは絶対に譲らない。

 

「すみれさん。本当の瑞希さんは、もういないんじゃないですか?そしてその穴を、私で埋めようとしてるんじゃないですか?」

 

 すみれさんの目が潤む。

 そしてため息をついた。

 

「もう……奇跡は終わりなのね」

 

 

 

 

 

 1年前、緋山瑞希が事故に遭ったのは本当の事だった。そしてそのまま瑞希はすみれを置いていなくなってしまった。

 ひとりになった緋山すみれは、その孤独に耐えられなかった。精神に異常をきたし、1年間入院していたのはすみれだった。すみれは何度も死のうとして、その度に妨害され失敗した。十回を超えた所で、このままじゃ死ねないと気が付いた。おとなしくして、医者の言う事を聞いたふりをして、どうにか退院までこぎつけた。

 すみれは自由になって、やっと死ねると思った。そして死ぬ前に、最後に瑞希が好きだった海辺の景色を見ようと思い至った。

 そこですみれは、楓を見つけたのである。

 最初は瑞希が帰って来たと思った。楓はどうしようもなく瑞希に似ていた。しかしすぐ違うと分かった。楓はどうしようもなく瑞希とは違っていたのだ。

 放っておく事はできなかった。すみれは2回も娘が死ぬ姿を見たくなかった。

 目が覚めた時、楓は記憶を失くしていた。すみれは楓を神様からの贈り物だと思った。きっと神様がもう一度瑞希と一緒に生きなさいって言っているのだと、そう思い込んだ。だから楓に自分は瑞希だと信じ込ませた。衣類や持ち物は全て隠し、瑞希であるのが当たり前になる様に刷り込んだ。すみれ自身もそう思い込んだ。

 すみれは瑞希のいる日々を満喫していた。本当に娘が戻って来た様に、楓は瑞希として生活していた。常にすみれの中には、いつかはばれるだろうと言う恐れもあった。

 それでもすみれにとっては、毎日が宝物だった。

 

 

 

 

 

「だから……だから、お願い。もう少しだけで良いから、瑞希で……私の娘でいてくれないかな……?」

 

 縋る様な声。後戻りができない人間の、儚い願い。

 

「それはできません」

 

 それを聞く訳にはいかない。

 

「私には私の居るべき場所がいます。友達も、思い出も、全部ここではない場所にありました。だから私は帰らないと」

 

 すみれさんは目を閉じて、俯いた。

 

「そうよね。こんなの、間違ってるわよね」

 

「はい。それと……」

 

 目線を合わせる。

 

「私じゃなくて、本当の瑞希さんを愛してあげてください」

 

 肩に手を回す。

 

「あなたは瑞希さんの、たった一人の母親です。今のままだと、瑞希さんはきっと悲しんでる。本当に見るべきは、あなたの本当の娘さんです」

 

「そうね……本当に、そうね……」

 

 縋りついてくる両腕は、今にもなくなってしまいそうだった。

 

 ずっとこうしている訳にもいかない。すみれさんが落ち着いたのを見計らって尋ねる。

 

「私の所持品はどこですか?」

 

「1階の押し入れに。付いて来て」

 

 すみれさんの寝室の押し入れを開けると、幾つかの物が奥に仕舞われていた。

 衣類は少し破けているが、修繕すればまだ着れるだろう。携帯は……多分使えない。防水機能はあるけど、長時間海水に浸かっていただろうから期待しない方が良いだろう。ネックレス。失くなってなくて良かった。これを失くすのは、死ぬより辛いから。

 そして……細長い箱の様な機械と、様々な色の結晶。

 迷わずに手を伸ばす。機械は自然と手に吸い付く。私は何度もこれを使ったと確信する。頭が痛くなるけど、嫌な痛みじゃない。思考が鮮明になっていく。

 

 

 

 私は、青葉楓だ。

 そして、ラセン。街を、人々を守る仮面ライダー。

 

 

 

 思い出せた。

 私は『彼』を止めに、この町にやって来た。そして負けて、記憶を失っていた。なんと無様な事か。このざまで、よく止めに来たなどと大口が叩ける。

 

「行っちゃうの?」

 

 消え入りそうな声が問う。

 

「ええ、行かないと」

 

「どこへ行くの?」

 

「『彼』がいる場所に。『彼』を止めるために私はここに来ましたから」

 

「そう……行ってしまうのね」

 

 すみれさんの目を見て応える。

 

「それが私の使命ですから」

 

 すみれさんは悲しそうな顔をして、泣きそうな笑顔を作る。

 

「分かった……行ってらっしゃい」

 

 言うべきではない。それでもどうしても言いたくなった。

 

「私の親は、二人とも亡くなりました」

 

「……そう」

 

「あれだけ言ったのだから言うべきではないのは分かってます。貴方をまた傷つけるのも分かっています。でも……」

 

 それでも。

 

「どうしても、言いたい事があります」

 

「……なに?」

 

 すみれさんの穏やかな目が、私を射る。それでも、どうしても言いたかった。

 

「私のお母さんになってくれて、ありがとうございました」

 

 お母さんの目から涙が零れる。それでもお母さんは、笑ってくれた。

 

「私こそ……ごめんね。ありがとう」

 

 それから息を吸い、私の肩に手を置く。

 

「気を付けてね。あなたがやるべき事をやって、あなたの居場所に戻ってね」

 

「はい。必ず」

 

 これだけはお母さんに胸を張って言える。

 だって私は私だから。

 

「仮面ライダーに任せてください」

 

 

 

 

 

 茜色に染まった空の向こう側に、ぼんやりと月が浮かび上がっている。

 暑さがわずかながらも落ち着く頃合いに私から遊びに誘われては、彼は少なからず動揺しているだろう。そう言った事に慣れている様には見えなかったし、そもそもそう言う関係ではないのだから。

 集合場所は取り敢えず彼の家の近くにある公園にしておいた。彼はベンチに座って待っていた。西日に照らされた木の影が彼を包んでいる。私に気付いて、駆け寄って来る。

 

「どうしたんだよ、こんな時間に遊ぶって」

 

「いきなりごめんね。ちょっと話したくて」

 

「なにも直接会って話さなくても」

 

「ううん。会う必要があるの。大事な話だから」

 

 そう、大事な話をしないと。

 

「だからちょっと付き合ってくれませんか、勝くん」

 

 怪訝な顔が、得心した様な顔に変わる。

 

「そう言う事か」

 

 

 

 

 

「アンタ本当に瑞希じゃないのか?」

 

「違うよ。私の名前は青葉楓。隣の花恵市から来ました」

 

「ふうん、そうか」

 

 あぜ道を二人並んで歩く。歩幅は小さくて、道はずっと続いている様な気がする。

 

「そうか、花恵か……」

 

「何か花恵に嫌な思い出でも?」

 

 勝くんは顔をしかめた。

 

「瑞希が死んだ轢き逃げは、花恵で起きたからな」

 

「ああ、そう言えばそうだった。だから勝くんも花恵まで来たんだよね?」

 

「……そうさ」

 

「念のために聞くけど、どうして?」

 

「好きな人が目の前で殺されたってのに、黙って何もしない程俺は人間出来てないからよ」

 

「……そっか。勝くんも事故現場にいたんだ」

 

「俺も怪我して、病院に運ばれた。俺は瑞希が死んでいくのをただ見てたんだ」

 

「その時玲くんは?」

 

「いなかった。多分瑞希の事あいつは知らない。アンタが本物だと思ってる」

 

「……そうですか」

 

 これ以上踏み込むべきか、否か。

 私が口を開く前に、勝くんが話し出した。

 

「アンタが俺の前に来た時、瑞希が化けて出て来たのかと思った。それくらいアンタはそっくりなんだ」

 

「瑞希さんの事、忘れられないんだね」

 

「当たり前だろ。アンタだってそう言うの一人くらいはいるだろ?」

 

「……うん、いるよ。大切な人が」

 

 あぜ道はここで終わって、前に戦ったのとは別の林に辿り着く。海からは遠いから、また溺れる事はない。

 

「ここなら良さそうかな」

 

「なあ」

 

 勝くんは私を見ている。

 

「このまま瑞希として生きるってのは無理なのか?」

 

「私にも、帰る場所があるので」

 

「そうだよな」

 

「それに君を止めるのが、私の使命だから」

 

 勝くんの手には、白いクリスタルが握られている。

 物憂げな目でそれを見た後、また私に問いかける。

 

「アンタに会えたのって、俺があいつを殺したからか?」

 

「そう」

 

「そうか……ならこいつにも感謝しないとな」

 

 再び私を見た目には、決意に漲っていた。

 私もドライバーを腰に当て、青いクリスタルを装填する。

 

「もし奇跡が起きるなら……もう一度アンタを瑞希にしてみせる」

 

「そんな奇跡、私は起こさせない」

 

 勝くんがクリスタルを握る手に力を込める。同時に手を交差し、胸に引き寄せ、右手を左前に突き出す。

 

「変身」

 

 ドライバーから水が迸り、私の体を覆う。

 勝くんの体が、白と黒の毛皮に覆われたそれに変化する。

 青の剣の切っ先と、銀の爪が夕日を受けて煌めいた。

 

 振り下ろされる爪を、剣で受け止める。頭を狙ってくる一撃を、腕の装甲で防ぐ。

 

「なっ?」

 

 驚いた勝くんの胴に蹴りを入れる。よろめいた勝くんの身体を、剣で切り裂く。

 さっきの驚きは、私が攻撃を受けた事に対してだろう。前の戦いでは緑の姿しか見せていない。もっともクリスタルを交換する判断が遅かった事が敗北に繋がったのだが。

 力任せに振るわれる爪は、気を抜くと意識を持っていかれる程のパワーがある。

 あのクリスタルはトラ……いや、恐らく白虎の力を持っている。並みのヴァーミンでは比べ物にならない程危険だからこそ、絶対止めなければならない。

 

「ラアアアッ!」

 

「くっ……」

 

 青のラセンは防御力に優れていると言っても、いつまでも耐えられる訳じゃない。一刻も早く決着をつけなければ。

 剣と爪がぶつかり、火花が樹皮を焦がす。再び距離を取ってドライバーを叩き、剣を水平に構える。勝くんも手を広げ、腰を落として構える。

 動いたのは同時だった。

 走り出す。お互いの間合いに入る。

 その直前で、跳躍する。

 

「なに!?」

 

 空中で身体を捻り、勝くんの背中を捉える。

 

「はああああっ!」

 

 青の一閃が、咄嗟に防御しようとした爪を切り落とす。

 

「ウオオオオ!」

 

 それでも拳が突き刺さり、後退る。その痛みを無視して、剣を振るう。

 硬い毛皮に覆われているとは言え、徐々に傷が増えていく。パンチを受け止め、身体に剣をあてがい、もう一度、ドライバーを叩く。青い螺旋を剣が纏い、光り輝く。

 

「はああああっ!」

 

 振り下ろした剣が、勝くんの身体を大きく切り裂いた。爆風が林の中を駆け抜けていく。

 倒れている勝くんの側に、クリスタルの残骸が転がっていた。

 

 日は沈み、空には星が顔を出す。

 

「ちくしょう……ちくしょう!」

 

 拳を地面に叩きつける勝くんの顔には、これ以上無いくらいの悔しさが滲んでいた。

 

「言ったでしょう?奇跡は起こさせないって」

 

「なんでだよ……瑞希……」

 

 その問いに応えるのは簡単だけど、代わりに私から問い掛ける。

 

「ねえ勝くん」

 

「……なんだよ」

 

「復讐した時、どんな気持ちだった?」

 

「……すかっとしたよ」

 

「それから?」

 

「それだけだよ」

 

「本当に?」

 

「……おい、その目で見るのはずるいぞ」

 

「生まれつきなもんで」

 

 はあ、とため息をつく勝くん。

 

「正直、胸糞悪くなったよ」

 

「……そっか」

 

「なあ」

 

 勝くんの目は優しかった。

 

「ありがとうな……来てくれて」

 

 その言葉の意味は、きっと一つじゃない。誰に向けたのかも、私には分からない。

 それでも。

 

「勝くん」

 

「ああ」

 

 いっぱいの気持ちを込めて、言葉を紡ぐ。

 

「友達になってくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

 夜の海は危険と言うが、そんな事を微塵も感じさせない穏やかな波が寄せては返す。

 時折靴の中に入る砂も気にしない。いちいち靴を脱いでも仕方ないし、それで彼を待たせるのは嫌だ。

 とは言っても、彼はもう目の前にいる。服が砂にまみれるのも気にせず座って、空を眺めている。ざくざくと言う私の足音に気付いて、こっちを見た顔に笑みを浮かべて、私を呼ぶ。

 

「瑞希」

 

「ごめんね、こんな時間に」

 

「良いんだ。ほら、見てみな」

 

 玲くんが指差す向こうに、溢れんばかりの星々が輝いている。星座を見分ける事が難しいくらい、一つ一つが眩しい。

 

「今日の空もすごく綺麗だから、瑞希と見られて嬉しい」

 

「ほんと、綺麗だね」

 

「ああ」

 

 水面まで広がる星空は、さながら絵画の様で。それを見る青年もまた、美しい。

 

「ねえ、玲くん」

 

「なに?」

 

 砂浜に座って足を抱える。言葉が喉に詰まりそうになるのを押し出して、声を形作る。

 

「言わないといけない事があって……」

 

「うん」

 

「私、瑞希さんじゃないんだ」

 

 玲くんが目を見開いた。

 

「私の本当の名前は楓って言って、瑞希さんとは全くの別人なんだ」

 

 玲くんはじっと私を見ている。

 

「いきなりごめんね。驚いてると思う。でも本当なんだ。私は瑞希さんじゃないんだ」

 

 玲くんの顔が見れない。波の音がうるさい。

 

 

 

「知ってるよ」

 

 

 

「え?」

 

「分かってたよ。君が瑞希じゃないって」

 

「どうして……」

 

「見たんだ、瑞希が勝と一緒に花恵にいたの。その後から連絡が取れなくなって、何かあったんだって思った。事故があったのを知って、花恵の病院に行ったら良くない状況って聞かされた」

 

 玲くんの目は私ではなく、どこか遠くを見ている様だった。

 

「俺は間に合わなかったんだ。夢だと思った。こんなのあり得ないって、寝たら醒めると思って帰った。でも起きた所で、瑞希が死んだのは変わらなかった」

 

 玲くんは知ってたんだ。じゃあ。

 

「じゃあどうして……」

 

 どうして私の事瑞希さんだと思ったの?どうして瑞希さんみたいに接したの?

 玲くんが空を仰ぐ。

 

「勿論、瑞希が生き返ったとか思ってる訳じゃない。君が瑞希じゃない事ぐらい、見れば分かる」

 

 すうっと、息を吸った。

 

「ただ、もう放したくないと思っただけなんだ。二度と俺の前から消えないで欲しいって、そう思っただけなんだ」

 

 玲くんの瞳が、満天の星空を映す。

 

「でも今思えば、俺は瑞希を愛していたんじゃなくて、所有欲と未練で君を縛ってただけなんだろうな」

 

「それは……」

 

 そうだと言う事もできる。

 ただ。

 私がそう言いたくない。

 

「これじゃあ浮気されるのも当然か」

 

「え?」

 

「さっき言っただろ?勝と一緒に花恵にいたって。あの頃はお互い忙しくて全然会えてなかったし、そうなってもおかしくないさ」

 

 自嘲する様な笑み。

 それが当然だと言う様な、諦めきった目。

 息が苦しい。

 それは全部間違いだ。

 

「それは違うよ」

 

「え……」

 

 やっぱりそう思ってたんだね。

 その勘違いを終わらせるのもきっと、私がここに来た理由なんだ。

 

「玲くんの気持ちが愛だって事、瑞希さんにもちゃんと伝わってますよ」

 

 傍らに置いていた紙袋を差し出す。

 

「これは……?」

 

「事故に遭った時、瑞希さんが持っていた物らしいです。本当は貴方に渡すべきだったけど、つい隠してしまったと勝くんが」

 

 入っているのは、少し角が潰れた細長い箱。

 そして、手紙。瑞希さんの机の引き出しに仕舞ってあった物を私が入れておいた。

 玲くんが箱を開ける。

 

「ネックレス……?」

 

 銀のチェーンの先に二つのリングが絡み合っている。玲くんに似合いそうだ。

 玲くんは箱を置いて、手紙の封を切る。

 

 

 

 

 

 玲くんへ

 

 20歳のお誕生日おめでとう!大人の仲間入りだね!

 最近全然会えなくてごめんね。ちょっと仕事が忙しくて、時間が取れないの。

 これを読んでる頃はもう大丈夫だと思うから、これからいっぱいデートしようね。

 プレゼントはそれで良かったかな?一応勝くんにも付いて来てもらったけど、

 結局私が選んじゃったから玲くんはあんまり気に入らないかも。その時はまた違うのを

 一緒に買いに行こうね。

 今度玲くんの所まで遊びに行きたいな。どこかに出かけるのも良いし一日だらだら

 するのも良いね。せっかくだからお酒も一緒に飲んだりしたいな。

 あんまり上手く書けてないよね?手紙書くの初めてだから分からなくて……

 

 玲くん、大好きです。これからもずっと一緒にいてください。

 

                               瑞希

 

 

 

 

 

 玲くんは笑っていた。

 

「そっか……そうだったんだ」

 

 海を見るその目は、海を映していなかった。

 

「ごめん……瑞希」

 

 雫が一つ落ちただけで、私は耐えられなかった。

 玲くんを抱きしめる。玲くんの体温が伝わって来て、心が残酷な程切なくなる。

 心のままに叫んでしまいたいけど、絶対に駄目だ。私にとっても、玲くんにとっても良くない事だ。

 この最後のふれあいを、綺麗なままにして戻るんだ。

 

 だからせめて、心の中でだけでも。

 ありがとう。楽しい時間をくれて。一緒に綺麗なものを見てくれて。

 ありがとう。

 大好きだよ。

 

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