カウンターテーブルで僕が宿題をしていると、すぐ目の前におはぎののった小皿が置かれた。
「アオイ、すまないがちょっと試食してもらえないか?」
優しい目で言ってくる先生。
本名はミカという名前なのだけれど、僕も母さんと同じく先生としか呼んだことがなかった。
僕はうなずいて「いただきます」と両手を合わせてからおはぎを頬張る。
一口で食べられるサイズの先生特製のおはぎは、いつも通り舌触りも滑らかだ。
「どうだ?」
「…そうですね。今日は上白糖ではなく和三盆を使っているなら、塩はあと一振り控えた方がいいと思います」
「なるほど」
ふむふむと頷いたあと、先生は大きな掌で僕の頭を撫でてくれる。
「ありがとう。うちの名ティスターのアドバイスだ。今日のおはぎも好評だろう」
先生に褒められると、いつも背中がくすぐったくて恥ずかしくなる。
なので僕は宿題に集中しようと顔を伏せたのだけれど。
どん、と肩に衝撃。
「なんだ、まだ宿題は終わらないのか?」
小さな身体で僕に体当たりしてきたのはクルミ姉さんだ。
「もうすぐ終わるよ」
僕が答えると、
「よし、なら昨日買ってきたボドゲをするぞ!」
「ええ? 遊んでていいの?」
「閉店後のボドゲ会に向けてテストプレイをしなきゃならんのだ。これも仕事だ!」
黄色い和服を着てウシシと笑う姉さんは、僕が物心ついた頃からずっと同じ姿だ。
小さい時はとてもお姉さんに見えたんだけど、9歳になった僕はもうクルミ姉さんと同じくらいの身長になっている。
なんで姉さんは成長しないの? と以前たずねたことがあるんだけど「知らないのか? 天才は年を取らないんだぞ?」とはぐらかされてしまった。
でも、姉さんが天才なのは間違いないから、本当のことなのかも知れない。
とにかく姉さんは物知りで、僕は色々な知識を教えて貰っていた。
簡単なプログラミングから誰にも気づかれず大企業のサーバーへ入る手順とか。
母さんは『ネットで得た知識ばかりじゃ駄目だよ~?』っていうので、実際に料理の仕方に花の手入れの仕方、身体の鍛え方は先生から教わっている。
学校では教えてくれないことを教えてくれる二人は、僕にとってとても素敵な『教師』だと思う。
「うぉおおお、頭がガンガンする…」
怪獣みたいな声の方向を見ると、カウンターの端っこでミズキさんが唸っている。
いっつも昼間からお酒を飲んでいて、先生も最近はちょっと困っているみたい。
母さんは《妖怪うわばみ》とか《残念駄目美人》とか言っているけれど、この人も僕にとっての教師かも知れない。反面教師という意味で。
それでも、母さんたちの替わりに僕を車で迎えに来てくれたりするから、基本は優しい人なんじゃないかな…?(一応フォロー)
僕の家でもある喫茶店『リコリコ』には、だいたいいつもこの三人がいる。
他の二人はいなくても、最低でもクルミ姉さんは押し入れかお風呂にいる。
けれど、僕の家族はこの三人だけじゃない。
僕の大切な家族はもう二人―――僕には二人の母親がいるのだ。
カランコロンと入口のドアのベルが鳴る。
「たっだいま~」
見れば、ショートボブの髪型を揺らして千束母さんが入ってきた。
「千束も荷物を持ってください」
大きな荷物を両手にぶら下げて遅れて入ってきたロングヘアーはたきなママだ。
「おかえり、母さん! ママ!」
僕が椅子から飛び降りると、さっそく母さんに抱き上げられる。
「おお~、我が愛しの息子よ! 元気にしてた~?」
そのままぎゅーっと抱きしめられた。ばいんばいんで苦しい。
タップタップ!と母さんの肩を叩いてどうにか解放される。
すると、今度はたきなママに抱きしめられた。
「アオイ、風邪を引いたりしていませんでしたか?」
たきなママはしっとり柔らかく、いつまでも抱っこしていたくなる感じ。
僕も甘えるようにママにしがみついていると、
「ズルいよ、たきな! 私だってアオイ成分が不足しているのにぃ!」
「千束は昔から抱き方が乱暴すぎるんです」
母さんとママに左右から引っ張られる。嬉しいけれど、痛い。
「おまえたち、アオイを真っ二つにするつもりか?」
クルミ姉さんが呆れ。
「ほら。まずはこれでも飲んで落ち着きなさい」
先生がカウンターにコーヒーを二つ出す。
この大岡裁きのおかげで僕の身体はバラバラにならずに済んだ。やれやれ。
「ところで、母さんたちは今度はどこに行ってきたの?」
カウンター席に腰を下ろし、優雅に足を組む母さんに訊ねる。
「ふっふ~ん? どこ行ってきたと思うか当ててみ? これ、ヒントのお土産ね」
「あ、福岡県だね」
「瞬殺!?」
母さんは驚くけれど、にかわのお面を出されてヒントも何もないと思う。
「アオイにはすぐわかっちゃいますね」
たきなママも笑いながら手提げ袋からお土産の包みを取り出してカウンターテーブルの上に置く。
博多名物通りもんだった。こちらはパッケージにそのまま答えが書いてあった。
千束母さんとたきなママは、よく出張に行く。
行先も全国様々で、そのたびのお土産を買ってきてくれる。
本業はリコリコの看板娘(母さん談)ということらしいのだけれど、とても怪しい。
出前に行ってくる、とかいって何時間も帰ってこないこともあるし、夜中にもこっそり出かけているみたいだし。
本当のところ、母さんたちの仕事はなんなんだろう?
よく出張に行く前日あたりに、二人とも「マジマァッ!」とか叫んでいるのもなんか関係あるのかな?
訊いても、きっと教えてくれない。
でも、僕の知りたいことは、教えられる時が来たらしっかり説明してくれる。
それが僕の母さんたち。
「それより! アオイ、1学期の通信簿、はよはよ!」
母さんに催促される。
「私ゃそれだけが心配で楽しみで~」
良く分からないことを言う母さんをよそに、僕はたきなママに通信簿を渡した。
「ちょ、なんでぇッ!?」
って言われても。
千束母さんは、とにかく僕の成績を褒める。そして喜ぶ。
成績が上がっていても喜ぶし、下がっていても喜ぶ。
先生の注意書きにも喜ぶし、なんならテストとかのケアレスミスにでさえ喜ぶのだ。
なので、いっさい相対的な評価というものが期待できない。
母さんのいうことを真に受けて甘やかされたら、僕は確実にミズキさんの仲間入り…いやいやダメ人間になってしまうだろう。
その点、たきなママは、悪いところはビシッと指摘してくれる。
だからこそ、褒められるときは尚更で。
「うん、よくできましたね、アオイ」
ママに頭を撫でられて、褒められた。嬉しい。
「なによぉ、私だって褒めちゃるわ! ほらアオイ、おいで!」
両手を伸ばす母さんの申し出を謹んで辞退。
そのままたきなママに甘えていると、クルミ姉さんが呆れたように鼻を鳴らす。
「まったく、いつまでもマザコンだなアオイは」
そう言われても、甘やかしてくれるのは母さんたちで。
第一、僕には父親もいないのでファザコンになりようもないんだけどな。
そりゃあ遺伝的な意味での父親はいるだろうけど、正真正銘僕の両親は、千束母さんとたきなママの二人だ。
普通の両親はお父さんお母さんという組み合わせなんだろうけど、今は母さん二人が両親というのも珍しくはない。
実際にクラスメイトのカエデちゃんも、両親は二人ともパパだし。
「くそ~、次の秋の運動会で、私の魅力を再確認させてやるもんね!」
母さんがいうけれど、心の底からやめて欲しい。
保護者参加型のリレーで、周回遅れの最下位からぶっちぎりの1位になられたときは、誇らしいとかカッコいいとか以前に軽く引いてしまった。
いっつも全力全開! って母さんの主義は理解できるけど、普通の馬を走らせている中にドラゴンを走らせるのはどうかと思う。
反対に、たきなママはあまり目立とうとしないから、バランスは取れているのかな?
実際のところ、本気で怒ったら、千束母さんよりたきなママの方がおっかないんだけどさ。
「ってゆーか! アオイ、その呼び方! 母さんって呼び方、なんとかならない!?」
今日も今日とて唐突に始まる母さんの無茶ぶり。
「どうして?」
「だって、母さんって呼び方されると、なんか老けてるみたないな感じがするんだもん!」
「ああ、なんとなく分かるな」
クルミ姉さんも無責任に賛同しないで欲しい。
「でしょー!?」
って言われても。以前は千束ママとも呼んでいた僕だけど「なんかチィママって感じでスナックみたいで嫌だ~!」と拒否ったのは母さんでしょ?
それから千束母さんとたきなママに分けて呼ぶようになっていた。
これだと母さんとママだけでも、どちらに呼び掛けているか分かるしね。
「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「うーん、マミーとお呼び!」
にっこりと母さんが両手を広げる。声を出さずに唇が「コールミーマミー?」と動く。
「…乳酸菌入りの飲み物みたいで嫌かなあ」
僕は冷静に応じた。
「ギャグのつもりで言ったのに、アオイが笑ってくれない!」
大袈裟なアクションで母さんはカウンターに突っ伏して、おいおいと泣きだす。
「昔はあんなにコロコロと笑う子供だったのに~!!」
どうやら赤ちゃんの頃の僕は、良く笑う反面滅多に人前では泣かない子だったようだ。
原因は母さんで、僕がどういう理由でグズリ出すのかすぐに分かるから、先回りで食事やおしめの準備をして泣き出す前に全部済ませちゃうんだってさ。
「それがなんでこんなクールなたきなっ子になっちゃったの!?」
母さん的には、自分が一番世話をしたつもりなのに僕がたきなママに似てしまったのがご不満な様子。
僕的には、母さんが過剰に可愛がった反動だと思うんですけど…。
それよりも。
「僕、そんなにたきなママに似ているのかな?」
「初めてこの店に来たころのツンケンしたたきなにそっくりだよ! あと、髪も同じ黒だし!」
髪の色は関係ないとは思うけれど。
僕は他のみんなにも目線で訊ねる。
「そうだな。あの頃のたきなよりは愛想があるぞ」
先生は優しく微笑み。
「おまえの方が全然可愛いけどな」
クルミ姉さんはニヤニヤと笑う。
「真面目で融通が利かないところはそっくりだわよッ!」
ミズキさんは何故か少しキレ気味。
みんなの評価が出そろったところで、僕はたきなママを振り返ってみた。
「そうなの、ママ?」
「…知りません」
コーヒーカップを口に運びながらママ。頬っぺたが少し赤い。
「よしッ! ならばアオイ、私のことは千束とお呼びッ!」
カウンターから立ち上がって母さんは言う。
空気を読まずにさっきの話題へ行ったり来たりするのは母さんの必殺技だ。
「千束。外国だって親のことをファーストネームで呼ぶところはほとんどないですよ」
カップをソーサーに置いて、ママの冷静なツッコミ。
「へへ~ん、そんなの知っているもんね~」
笑いながら母さんは首にぶら下げていたものを胸元から取り出す。
ドライフラワー加工された上にラミネートシールで保護されたそれは。
「うわあ」
変な声が出てしまう。
「これと、アオイが卒園式で発表してくれたことは忘れられないんだ~♪」
トロけそうな笑顔を浮かべる母さんに、僕は背中に汗をかく。
顔が熱い。きっと顔は真っ赤だろう。
保育園の卒園式で、みんなが将来なりたい仕事とかをいう中で、僕はこういったのだ。
―――ぼくは、しょうらい、おかあさんたちをおよめさんにしたいとおもいます!
キラキラと光が反射するラミネート加工されているのは、シロツメクサで作った指輪。
僕はそれを婚約指輪として贈ったわけで。
「そ、そんな、まだ子供の頃の話なんだから…!」
「結婚式は教会式がいい? 神前式にする? それともWでやっちゃう~?」
駄目だ、聞いちゃいない。
母さんの背中越しに、ミズキさんが発情期の猫みたいにシャー!! と全身の毛を逆立てているのが気になったけれど、僕は助けを求めるようにたきなママを振り返る。
すると、たきなママの手にも同じラミネートのカードが。
「わたしは、いつまでも待っていますよ?」
にっこりと微笑まれた。
冗談だとわかっているのに、なぜか背筋がゾッとしたのは気のせいかな?