リコリコ・チャイルド(完結)   作:とりなんこつ

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21.―――万年青

 

 仲間のリコリスたちに手当を受けたたきなは、タクシーでリコリコへと戻っていた。

 もはや当面の危機は去ったはずだが、念のためにフキとサクラも同乗している。

 

 見えてきたリコリコの外観は酷いものだった。

 けれど、窓には灯りが灯っている。

 

 タクシーを降りるのをフキに支えてもらい、たきなはアオイを大事に抱え直して店の前へ。

 ドアを開けようとした途端、向うから飛び出してくる人影が。

 

「良かった、たきな! アオイ! 無事だった~!!」

「千束!!」

 

 互いにしっかりと抱きしめ合う。

 千束の体温。髪の匂い。

 別れて半日と経ってないはずなのに、胸が詰まるほど懐かしい。

 

 タクシーの中で事前にスマホで無事の連絡を交わしていたけれど、実際に再会できたことにたきなの涙腺がじわっと緩む。

 ぐすっと鼻をすすり涙をこらえ、千束の肩越しに店内を見回す。

 

 ミカもいた。クルミもミズキも、みんな無事だ。 

 カウンター席に座っている千束も笑顔を浮かべてこちらに手を振って―――。

 

「―――え?」

 

 思わずたきなは目を見張る。

 

「ち、千束が二人います!?」

 

 驚いたのはたきなだけではない。フキとサクラも思わず銃へと手を伸ばしている。

 

「あ~、あれは私の偽物っていうか…」

 

千束は心底面倒臭そうな表情を浮かべたが、

 

「って、それよりたきな、アオイを貸して!」

 

 たちまち血相を変えて訴えてくる。

 

「え、ええ…」

 

 アオイを渡せば、千束は大事に抱きかかえ、それでも早足で店の奥へ。

 店の奥の座敷には、誰かがぐったりと腰を下ろしている姿が。

 

「ッ!?」

 

 たきなの全身に緊張が走った。

 全身をボディアーマーで覆った肉感的なシルエット。旧電波塔で対峙したその姿は見忘れるわけもない。

 かつて死闘を演じた相手、姫蒲だ。

 

 そして当の姫蒲は額に汗を浮かべていた。

 頬にも前髪が張り付いている様子は妙に艶っぽい。

 しかし顔面は蒼白になっている。

 何より、彼女が覆い尽くそうとする空気が違う。

 

 この場に居合わせた全員の誰もが多かれ少なかれ直面してきたそれ。

 

 濃密な死の匂いが漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□

 

 

 

「えーと、あなた、姫蒲、さん? 今回の作戦についてね…!」

 

 訊ねる千束を拒否するように、機体は一瞬大きく傾いた。 

 

「わっとっと!?」

 

 答えたくないってわけ? 

 千束が態勢を整えつつ眉をしかめたとき。

 

「!?」

 

 機体の替わりにコックピットの姫蒲の身体が大きく傾いている。そして座席から滴る血。

 

「あー、やっぱり一発喰らっていたか」

 

 背後からの真島の声に、千束も思い出す。

 

 例の特別室へと飛び込もうとする寸前、千束たちの耳に届いたのは五発の銃声。

 そして飛び込んだ部屋に横たわるのは、四肢を一発ずつ撃ち抜かれた男性。確か男の手にも銃が握られていた。

 ならば、もう一発の銃声と弾の行方は…。

 

「…撃たれてるんなら撃たれてるっていえってーの!」

 

 千束はどうにか姫蒲の身体を座席からずらす。やってきたティファがそれを手伝う。

 

「どぅわー!」

 

 必死に操縦桿を上げてコースを維持。

 それから真島へ向けて八つ当たり気味に声を投げつけた。

 

「こら! 分かってたんなら、そんな重傷者が運転するヘリに素直に乗りこんでんじゃねえ!」

 

 真島は答える。

 

「つっても下は海だろ? 落っこちても大丈夫だろ?」

「…この異能生存体が!!」

 

 かつて訓練した記憶を掘り起こし、必死で千束はヘリを操る。

 どうにか埠頭の広々とした場所へと着陸に成功するなり、真島はさっさと降りていく。

 

「そんじゃ、お疲れさん」

 

 手伝えよ! との千束の怒鳴り声を無視して真島は夜の闇へと消えた。

 結局ティファと二人で姫蒲をヘリから引きずり出し、さっそく救急車を呼ぼうとした千束を、重傷を負った本人の手が止めた。

 

 土気色の顔を見て、千束も悟らざるを得ない。

 もはや手遅れだということを。

 

 半死半生の人間の訴えを退けるほど、千束は酷薄ではない。

 そんな姫蒲が、最後に向かいたいと願った場所。

 それは―――

 

 

 

 

 

 

□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐったりとした姫蒲の前にアオイを連れていくと、千束はそっと両手ごと差し出した。

 

 何事かと皆が見守るなかで、静かで真剣な声が真っすぐ空気を貫いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――あなたの子だよ。抱いて上げて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ先に息を飲んだのは誰だったのか。

 たきなは呼吸をするのも忘れて姫蒲を見つめてしまう。

 

 そして渦中の姫蒲は、紙のように白い頬を微かに歪めてアオイを受け取っていた。

 腕の中に抱きかかえて視線を落とすと、血の気のない唇が動く。

 

「…私の母親も、類まれなる才能の持ち主でした。おそらく、世界で最初で最後の」

 

 抑揚の感じられない、ボソボソとした声。

 されどその独白は、まるで懺悔のように千束たちの耳朶を打つ。

 

「親の才能を引き継いだ子を産む才能(ギフト)。…私もその恩恵を受けた子供なのです」

 

 アオイを見つめながら、姫蒲は語る。

 

「そして、彼らは考えました。

 ならば、才能を持った女性から取り出した卵子に、才能を持った男性で体外受精し、私の母の力を使って代理母出産をすればどうなるのか…?」

 

「………ッ!」

 

 語り部以外の誰もが絶句していた。

 やっていることは半ば人体実験に等しい。そして彼らとはアラン機関を指しているのだろう。

 かつ論理的帰結として、皆が一つの結論に至る。

 

「…つまり、そうやって産まれたのがアオイなわけ?」

 

 代表するように千束が口を開く。

 姫蒲が頷いたように見えたが、その動作すら痛々しい。

 ますます色を失っていく唇から、まるで機械仕掛けのように声だけが流れていく。

 

「私たちが親子である以上、身体的にも文字通り親和性が高かったのです…」

 

 続いて、姫蒲は震える手を自らの腹の上に当てた。応急処置で巻かれた包帯にじっとりと滲む血。

 

「失ったからこそ得られるものもある、でしたか」

 

 それは、かつて千束がたきなへと贈った言葉。

 姫蒲の頬が微かに上がる。僅かな変化だったが、それはおそらく自虐の笑みで。 

 

「子供を産めない身体となってから、母の産んだ自分の子供が気になるというのも皮肉な話ですよね…」

 

 この独白に、気まずそうにミカが顔をしかめる。

 旧電波塔で怒りに駆られ、彼女の胴体に執拗に攻撃を喰らわせたのは自分だ。

 

「…なんで、この子を私たちに?」

 

 千束の問いに、ぼんやりと姫蒲は視線を上げた。

 今にもハイライトが消えそうな瞳が千束を映す。

 ひゅーっと息が吸い込まれ。

 吐き出す息は切れ切れと細く、か弱く。

  

「…私の母は、あの男に使い潰され、この子を産んで亡くなりました…」

 

 あの男とは誰なのだろう?

 

 そんな疑問を差し挟めないほど、姫蒲の全身が翳っていく。

 死の翼が彼女をこの世から解き放とうとしていることを誰もが強く感じている。

 

「この子も…そんな目に合わせたくなかった…」

 

 この短い台詞が紡がれるまでも、相当時間がかかっていたように思う。

 

 語り終えて、まるで茎が萎れるように首が傾いて行く。

 枯れゆく花弁に刻まれる皺にも似て、頬が微かに上がった。

 おそらく苦笑を描こうとしたそれに、もはや意味が浮かぶことはなく。

 

 

 だが、千束には分かる。

 彼女の天性の洞察力は看破してしまう。

 その苦笑に込められた彼女の想いを。

 

 

 

 

 ―――幾つもの後悔と、今さら成した偽善。

 それすらも自己満足で、自分に母親の資格など――。

 

 

 

 

 

「それは違うよ! あなたは、きちんとこの子のお母さんだよ!」

 

 生と死の狭間で姫蒲の首が持ち上がる。最後の力を振り絞り、花が太陽を仰ぐように。

 青ざめた顔が、絶叫して涙を流す千束を向く。

 

 そんな千束の声に答えるように、小さな紅葉の手が白く冷たい頬へと触れた。

 

「だぁ」

 

 今にも崩れ落ちそうな腕の中に抱かれたアオイが、姫蒲の頬をペチペチと叩く。

 姫蒲の目元が歪む。

 おそらく、既に何も見えなくなっていたのかも知れない。

 しかしその温もりと声だけは、確かに彼女に届いてた。

 

「まんま」

 

 赤子の声。

 育ててきた千束とたきなにしても初めて耳にする、意味のある言葉。

 

 光を失った姫蒲の瞳から涙が溢れる。

 真っ白な唇か微かに動き、けれど言葉にはならず、最後の息を吐きだした。

 

〝…ありがとう……〟

 

 ゆっくりと首が前へと倒れ込む。

 うつむく母の頬を赤ん坊が叩くも、もはや二度と動くことはなかった。

 

 彼女は彼岸花たちに見送られ、この世界を隔てる川を渡っていた。

 その腕に我が子をしっかりと抱いたまま。

 

 

 その光景を見下ろし、千束は滂沱の涙を流す。

 フキとサクラも泣いていた。自分たちが涙を流していることにも気づかずに。

  

 もちろんたきなだって涙が溢れてくるのを止められない。

 かつて千束の心臓を破壊し、敵対した相手だった。

 そしてなにより、自分たちが育ててきた赤子の本当の親だ。

 憎む気持ちも、釈然としない気持ちも、複雑に、ふんだんに。

 

 けれど、そんなことを些末なものとして塗りつぶしてしまう感情は、おそらく全てのリコリスたちが焦がれ、求めて、決して得られなかったもの。

 

 消えゆく魂が見せた最後の母性の輝きを前に、彼女たちは抗えない。

 同時に、長じて得た彼女らの母性も、感情ごと目前の赤子に収斂され、激しく共振していたのである。

 

 

 

 静謐が満ちた店内に、無邪気な赤子の声とすすり泣きだけが響く。

 

 いつの間にか、カウンター席にいたはずの千束に偽したティファが姫蒲のそばに立っていた。

 

 彼女は穏やかな笑みを浮かべている。その両頬を涙で濡らしながら。

 未だアオイを抱き続ける姫蒲の上体に覆いかぶさるように抱きしめると、耳元で囁くように告げた。

 

 

「お疲れさま、姉さん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そして、ありがとう、母さん―――」

 

 

 

 

 

 






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