お日様の日差しもポカポカと暖かく、流れる風もふんわりと丸くて柔らかい感じがする。
道ばたの草花も、のんびりと背伸びをしている春。
僕の大好きな季節だ。
『春は出会いと別れの季節』っていうフレーズを良く聞くけど、これも僕の大好きな言葉。
進級すればクラスの入れ替えもあるし、今度はどんな友達と出会えるかとっても楽しみ。
10歳になったら本格的に身体を造る訓練をしてくれると先生も約束してくれているので、こちらも楽しみだ。
けれど、別れの季節ってところだけを聞いて千束母さんは『ええ? アオイ、どこかにいっちゃうの!?』と慌てるし、たきなママもとても悲しそうな目をしてくるので、僕はなるべく二人の前ではこのフレーズを口にしないようにしている。
半そでのダウンジャケットを着た僕は自転車をこぐ。
オーダーメイドのかっこいい自転車は、クルミ姉さんが僕に小学校に上がったときにプレゼントしてくれた。毎年僕の成長に合わせて調整してくれている。
そのたびに加速装置とか、V-MAX?とか、シンクロン合身?とか色々とオプションを付けてくれるのはうれしいんだけど、このドクロマークのボタンだけは絶対に押さないでおこうっと。
買い物をすませ(春休み中はそれが僕の日課だ)横十間川沿いに差しかかかる、いつもの帰り道。
すると、河原に、緑色のボサボサ髪をしたおじさんがいた。
今日も釣りをしているみたい。
「こんにちは。釣れますか?」
自転車を止めて、橋の上からあいさつ。
「ん? おお、坊主。残念、今日もボウズだ」
おじさんは自分でいったダジャレで笑っている。
そんなおじさんの寝そべった横には、小型のガスコンロ。
ガスコンロでは小さな鍋が煮えていた。
中身はきっと味噌ラーメン。
昨日はしょうゆで、一昨日は塩だった。
それはともかく。
「ひょっとして、おじさんは仕事がなかったり?」
ちょっと前まで家のない人がたくさん川沿いに住んでいたんだって。
でも、母さんたちが色々と仕事を紹介してあげたので、今はほとんど誰もいないみたい。
もしかしておじさんもそうだったら、母さんに相談してみようかな。
「ん? 普段はきっちりと仕事はしているぜ? けれど今は、こうやって休んでバランスを取っているのさ」
「ああ、なるほど」
そう言えば外国の人は、バカンスといって長い休暇を取るのが当たり前らしい。
…外資系の仕事をしているのかな?
それとも旅行か休暇で日本にとか?
興味はあるけれど、これ以上たずねるのはマナー違反だと思う。
「それじゃ」
と自転車を発進させようとした時だった。
「お、出来たみたいだな」
おじさんが鍋の蓋を取る。
お味噌の匂いがふんわりと漂ってきたけれど、そんなに煮込んでない感じ。
麺が固めの方が好みなのかな?
鼻をヒクヒクさせていると、ぐ~っとお腹が鳴った。
すると、おじさんが僕を手招き。
「どうだ。坊主も喰っていくか?」
□□□
その日、千束は都内某所の喫茶店へと呼び出されていた。
入店するなりやってくるウエイトレスに「あ、待ち合わせなんで♪」と応じ、店の奥の席へ。
四人掛けのテーブルには、既に待ち人が着席していた。
その斜め前の席に、千束も腰を下ろす。
「お久しぶりね」
相手が被っていたマダム帽とサングラスを外す。
その下から現れた顔に、千束はげんなりとした表情を浮かべた。
「あんたさあ、いい加減、私の変装しないで貰える?」
テーブルの対面に現れた自分と瓜二つの顔に苦言を呈す。
「うふ。とはいっても、千束ちゃんの顔っておじさま方の受けが良いのよ?」
コロコロと自称プリンセス・ティファ―――いや、今はティファ・アダムスは笑った。
「だったらせめて、18の頃の私の顔をしてよ」
「それは難しいわね。やっぱり最近は色々とお肌のお手入れが大変だし」
「まあ、あの頃は、ほとんど化粧することもなくすっぴんでイケたしね。いや、若かったわー」
「それが今じゃ、まずは首筋に蒸しタオルを当てて毛穴を開いてからって感じでしょ?」
「そうそう! そうしないと化粧水の染み込み方がダンチで…ってなんの話やねん!」
流麗極まりないノリツッコミを披露し、千束は頭を振る。いやいや、今日突っ込まなきゃいけないのは別のことでしょ!?
ちょうどそのタイミングでウエイトレスがお盆を運んできた。
サングラスを付け直すティファと千束の前に置かれた二つの皿。
まるで宝石のようにデコレーションされたカヌレが並んでいる。
「このお店、最近SNSで話題なのよ?」
さっそくフォークで切り分けるティファ。
なるほど、キレイで映えて美味しそう…と一瞬誘惑に駆られるも、千束は鉄の意思でもって皿ごと横に遠ざける。
「そんなんで誤魔化されないよー。まずは言うべきことがあるでしょ?」
返ってきたのはきょとんとした表情。
カヌレを咀嚼し、優雅にセットのコーヒーを飲んでから、ティファはようやく口を開く。
「ああ、ごめんない。せっかくの待ち合わせなのに、こっちの都合で色々と延期して呼び出す形になっちゃって…」
「そっちじゃない」
ぴしゃりと千束。
それからわざと上体を近づけて、声を凄ませる。
「あんたさ、真島をけしかけて何を考えてるの?」
今の千束とたきなは、リコリスを引退している。
リコリコだってDA支部という指定登録を抹消されている。
だからといってDAと無縁の一般人になったわけではない。
むしろ非公式の遊撃チームというか、オブザーバーというか。
後進のリコリスの教導をする一方、未だ司令職にある楠木にとっての、使い勝手のよい便利屋みたいなことをさせられていることが多い。
では、なぜここで真島という名前が出て来るのかと言えば、相も変わらず無国籍のテロリストとして活動している彼に対し、千束とたきなは専属班のような役割を振られていた。
真島がらみのケースとあらば、一応現場まで駆け付けなければならない。
そして近年、真島は実に様々な事件を引き起こしてくれている。
応じて出向かなければならない千束らにとって、迷惑千万な話だ。
ある時は某製薬会社の研究所へと討ち入り。
ある時は某巨大重工からデータディスクを強奪。
国内のテロ活動であるからして、おっとり刀で国内の各支部のリコリスたちも駆けつけるわけだが、ほぼ取り逃がしている。
現地での被害状況の確認と事後処理を警察組織に先立って千束たちが行うことがしばしばなのだが、そのたびに洒落にならないものばかり見つかるのは、もはや嫌がらせに等しい。
例えば製薬会社の場合は、意図的に某感染性ウイルスを強毒化にデザインしたものと、その感染性を助長するワクチンがセットで発見されたり。
巨大重工に関しては、ワッセナーに抵触する部品が第三国へ向けて輸出寸前だったり。
国防と平和維持を掲げて活動するDAにとって見過ごせるわけもなく、派生的に出撃事例も増えることもあれば、公安や警察機構へと引継ぎもこれまた面倒ごとだ。
しかし、千束とたきなが揃って難色を示す理由は別に存在する。
真島の襲撃先と、かつてアラン機関に対する協力企業のリストに載っていたそれが一致しているのだ。
つまり、何者かが意図的に真島に情報をリークしている可能性。
そして、ティファの返答はこうだった。
「ん~? この場合は組織のリストラで意味があっているのかしら? それともリビルド?」
かつてのアラン機関の名称は、ミネルヴァ基金へ変わって久しい。
そのトップに君臨するのが、目の前の自分に変装をしたこの女だ。
頭では理解していても、目前の現実を理解するのが難しい。
そう考えつつ、千束は目を細める。
「ったく。人殺しの才能なんて仰々しいこと言っていたくせに…」
かつてプリンセス・ティファを名乗っていた彼女は、変装の才能に人殺しの才能を持っていると豪語していた。
「結局アンタの本当の才能ってのは、人たらしの才能ってことなんでしょ?」
広義に解釈すれば、人たらしという表現も人殺しという意味で用いることが出来る。
古来より『殺し文句』という慣用句で実際に人を殺せないように。
そして千束の推測も、あながち根拠がないわけではない。
だいたいアラン機関という正体不明な巨大組織の中で、只一人の小娘がめったやたらに人を殺してそのトップに座ることなど不可能だ。
つまりは、変装のスキルに、周囲の人間を味方につけた上で、組織を掌握したと解釈するしかない。
千束はクルミとの会話を思いだす。
『組織の頂点に近い位置から全体を把握してゆっくりと蚕食する。巨大組織を打倒する方法として極めて有効だな。まあ、実現可能かどうかは別問題だけど』
それを現在進行形でやってのけてるらしいこの娘は、おそらく自分と同年代。
多少空恐ろしい気もするが、以前ほどの胡散臭いなりを潜めた元アラン機関を評価するのは吝かではない。
このまま健全に、日の当たるところで活躍している人間の才能を伸ばし、支援していって頂きたいと思う。
だからこそ。
千束の訴えたい本題はこれからで、彼女の怒りは有頂天。
「アオイにチャームを贈ってくるって、何を考えてんのよ!?」
正直、この問題と比較すれば、真島のことなんぞどうでもいいと思っている。
対するティファの返答はこうだった。
「そんなの、愛する弟へのお姉ちゃんからのバレンタインプレゼントに決まってるじゃない♪」
姫蒲の卵子提供でもって生まれた二人は、姫蒲の娘と息子であり、姉弟である。
同時に、姫蒲の母親を仮腹として生まれた二人は、姫蒲とも姉弟となる。
初めて耳にしたときは一瞬混乱したが、アラン機関がやっていることは大概えげつないと思った。
「いやー、本当は直接渡したかったんだけど、こっちも色々と忙しい身でねー」
屈託なくティファは笑って、
「あれがあれば高級チョコも買い放題。なんなら、ねえ? 店の改装も土地の購入だってできるでしょ?」
「…そういうこと言ってんじゃない!」
千束の反論まで間があったのは、珍しく彼女が呆気に取られていたから。
店の改装や隣家の土地の購入など、アオイが自身の夢だと語っていた台詞。
それを、この女どこから…?
いいや、まずはそれより。
「あんなもん贈ってきたら、アオイ自身が本気で才能あるなんて思っちゃうでしょ!?」
千束の怒りの源泉はそこに尽きる。
自分が育ててきた子供だ。
我ながら気立ての良い子に育ってくれたのは嬉しい。
折に触れ褒めるのは、本当に出来息子だからだし、才能があると賞賛したのも一切ではない。
でもそれは、あくまで一般的な意味の才能の話。
親の贔屓目を抜きにしても大器を感じる子供だ。
その才能を純粋に伸ばしてやるのが親の務めと重々承知しているが、人殺しや変装や作戦立案などといった特殊かつ危険な才能などには目覚めて欲しくない。
「…そもそも、なんでアオイを私たちに預けたのよ」
千束の瞳が涙で潤む。
息子のことを本気で心配すると、感情が高ぶってついには悲しくなってしまう。
生まれ持って才能を秘めた子じゃなくて、ただの普通の男の子であれば―――。
あの日、リコリコ前で赤ん坊を見つけてから早十年近く。
今となって、本当は施設に引き取ってもらったほうが良かったんじゃないか? という意識が千束を苛む。
彼女自身が人殺しという業の深い才能を持ち合わせているゆえに。
自分の影響で、アオイもその才能を開花させてしまったら、悔やんでも悔やみきれない。
一方のティファは、千束の葛藤を前に優雅にコーヒーを嗜む。
涙目の千束を見やる眼差しは、優しい。
「その件に関しては、実はアラン機関も想定していたのよ」
「………!」
眼差しと裏腹に告げられた台詞は、千束にとって予想はしていても衝撃を受けることは避けられない。
「稀有な才能を持った人間が、才能が約束された子供を育てたらどうなるのか?」
あるいは凄まじいハイブリッドな人間が出来上がるかも知れない、という実証実験。
これだけでも非人道的というか、アラン機関はやはり人の感情とは別のベクトルで動いていたのだと千束は思う。
「けれど、預けにいった姉さんはそう思っていなかったみたい」
ここに来て明かされる真実。
あの日、リコリコの前に、自らの腹を痛めたわけではないとはいえ、血の繋がった赤子を置いていったのは姫蒲本人…?
「姉さんは言っていたわ。才能を開花させるにしても、土壌と栄養が必要だって」
そのティファの台詞は千束も理解できると同時に、かつての〝品評会〟を思い出させた。
庭師を自称した連中は、世の中の才能を開花させるために土壌を整え、栄養を注ぎ、時には剪定すると公言していた。
「…そういえば、あの日あの場所で、姫蒲―――あんたの姉さんが射殺した相手は、誰だったの?」
あの晩、千束の知る限り、船で出た犠牲者はあの初老の男性一人だけ。
「………」
ティファは沈黙する。
誤魔化すでもなく、笑うでもなく、確かな沈黙。
逆にそれは雄弁な答えとなり、千束の推測を裏付けた。
つまり、あれこそが母親を使い潰したとする男。姫蒲の仇。
同時に、姫蒲にとっての父親だったのではなかろうか。
結局のところ、あの作戦には、千束も含めたリコリコ一派が不干渉を勝ち取ると同時に、姫蒲姉妹の復讐という側面も存在した。
そこでめでたしめでたしと締めるには、千束の中の何かが引っかかっている。
その想いを向う十年以上も捏ねくり回せば、他に仮説も出てくるというものだ。
―――つまりは、あの男こそ本物のアラン・アダムスであった可能性。
あの悪趣味な集会の出席者たちは、実際のアラン・アダムスの顔を知らなかった。
であれば、名前を偽って居合わせてもおかしくはない。
もしくは、娘よろしく変装の才能を持っていたのではないか。
だからこそティファのアラン機関の掌握はスムーズに進行し、現在に至る。
彼女がその才能を持って、いまだアラン・アダムスが健在であるかのように振舞っているのかは分からないが。
…仮説は、あくまで仮説だ。
千束は意識して話を戻す。
「で? 私たちがアオイを育てた場合のもう一つの可能性ってヤツは?」
そう訊ねると、ティファは肩を竦めた。
「結局のところ、あらゆる才能の発露は環境に左右されるということよ。陸上走の才能の持ち主が、水泳選手を目指してひたすらプールで泳いでばかりじゃ発現しようもないでしょ?」
言われてみればそれは至極当たり前の理屈。
「要は、貴女なら真っ当に育ててくれると思ったんでしょう」
ティファは、再び優し気な眼差しを千束に注ぐ。
「貴女は、優し過ぎるから―――」
千束はリコリスという生き方を課せられたにも関わらず、常に他人のことを思い遣っていた。
時には人の幸せも願うそれは、リコリスとしては異端。
同時に、人の道としてはこの上なく正しい。
その善性に、姫蒲はきっと一縷の望みを託したに違いない。
「ほ、褒めても何も出ないんだからねッ」
頬を染めぷいっとそっぽを向く千束は、褒め殺しに弱い。
「いやー、三十路近くでそのリアクションはキツイっす」
「だれが三十路じゃ!」
敢えて砕けた口調で言ってくるティファに、千束はがなる。
互いに同じ容貌である以上、このやりとりはまさに千束が二人いるよう。
「そんで? 今回の評定はどんなもんよ?」
椅子に座り直し、押しやっていた皿を引き寄せ、乱暴にカヌレを齧りながら千束。
あの夜、姫蒲の亡骸を抱えながらティファが辞するとき、こう言っていたのだ。
『弟のことをよろしくお願いします』
それから、こうも言っていた。
『もしぞんざいに扱っていたら、お姉ちゃんがすぐに迎えに来ますから』
それから十年近く。
年にこうやって数回、定期報告よろしく呼び出したり呼び出されたりするのは、結局のところティファがこちらとの接点を持っていたいからじゃ? と千束は邪推している。
むろん会うたびに、アオイがどうしたこうしたと写真を始め各種メディアで見せびらかし、積極的にマウントを取りに行く千束もどうなのだろう。
その問いかけにティファは直接答えず、横の椅子に載せていたハンドバックから大事そうに一枚の紙片を取り出す。
テーブルの真ん中に置かれたそれに、千束は眉を顰める。
「…これ、ウチの店のじゃん!」
喫茶リコリコのロゴと住所を記したカードの表面にかかれたコーヒー無料の文字。
お客に迷惑をかけた際など、従業員の裁量で出すことが許されている無料券に間違いなかった。
そしてその筆致は忘れもしない愛息子、アオイの字。
「あんた、いつの間に…?」
意味するところは、本人がわざわざ変装をしてリコリコを訪れたであろうこと。そしてアオイが応対したこと。
しかしいつ来たものか、千束には全く思い当たる節がない。
「あの時は、あなたたちは座敷で盛大に相談してたわ。確か、買ってあげる携帯端末がどうとか」
ティファが笑いながら種明かし。
「ああッ、あんときのかー!」
不覚、とばかりに頭を抱える千束の前で、ティファは人差し指でテーブルの上のカードをクルクルを回す。
「貴女たちが
「…そりゃあどうも」
さすがに憎まれ口を返すわけにもいかない千束に対し、ティファは蒸し返すように呟く。
「どんな才能を開花するかは環境に左右される、か…」
「何よ今さら」
拗ねたように千束が言うと、浮かべていた笑いを引っ込めてティファは首を傾げた。
「え? もしかして気づいていないの?」
驚きながら彼女は卓上のカードをひっくり返す。
本来は無地のそこにも文字が書かれていた。
〝この無料券は無期限です。またいつでも来て下さい、お姉さん〟
「………ッ」
千束は目を丸くする。
ぶるると頭髪を左右に振り、我に返ったように言い返してくる。
「こ、こんなの! 一般的な意味でのお姉さんだと思うしッ!」
「あの子、ワタシの変装を見破っていたわよ?」
トドメというか、容赦のないティファの一撃。
千束の顔色が変わったのは、息子が変装を見破った理由に心当たりがあるから。
他者の筋肉の微細な動きすら関知し、次の行動を予測する千束の観察眼。
千束本人ですら見破る自信のないティファの正体を看破するその能力は、もはや…。
「強いていうなら透徹眼かしら?」
植物の世界にも交雑という言葉がある。
要は違う品種同士を掛け合わせて新しい種を作るということ。
もちろん人と花は全く異なるし、人間が育て方次第で新たな、もしくは全く別種の才能を開花させることもあるのは事実だ。
「まったく将来が楽しみだこと」
ティファがティーカップ片手にそう結ぶ。
すると千束はいきなり立ち上がり、胸元からラミネート加工されたシロツメクサの指輪を取り出し必死のアピール。
「ア、アオイは将来私たちをお嫁さんにしてくれるんだからッ!」
対してティファの浮かべた表情は、本日喫茶店で邂逅した直後の千束が浮かべたものと全く同じだった。
「それはもう聞き飽きたから」
□□□
「大丈夫、おじさん?」
自転車をとめて僕は河原へ。
「ん? 三人前作ったし、大丈夫だろ」
よく見ると三袋入り一パックのインスタントのパッケージのゴミ。
「それじゃ、ご相伴に預かります」
僕はペコリと頭を下げるとおじさんは笑った。
「随分と礼儀正しいな。俺のガキの時分は鼻水垂らして走り回ってたもんだが」
ますます興味をそそられたけど、僕は背中のバックからあるものを取り出している。
「なんだそりゃ?」
「フキノトウです」
パックの中には小さなクルミほどの大きさのフキノトウが三つ。
初物だよ、って八百屋のおじさんがサービスでくれた。
「すみません。もう少しラーメンを煮込んでもいいですか?」
僕の提案におじさんは眉間にしわをよせる。
「坊主、何をする気だ?」
一番小さなフキノトウを指で細かくむしる。本当は包丁で切った方がいいんだけどね。
細かくしたフキノトウを、鍋の表面に散らしてフタをして一煮立ち。
もう一度フタを開ければ、爽やかな春の香りだ。
「出来ましたよ、どうぞ」
「お、おう」
小さなプラスチックの御碗があったので盛りつける。鍋を傾けてお汁を満たす。
なんか不安そうな顔をして箸を御碗と受け取ったおじさんだったけれど、意を決したようにずびーっと麺を啜った。
「どうですか?」
「こいつは…美味いな。なんか知らんがほろ苦くていい味のアクセントになっている」
その評価がうれしくて、内心でガッツポーズ。
そして僕もラーメンを頂く。
うん、フキノトウ自体は天ぷらが一番好きだけど、次にお味噌汁の具にするのが好きだ。
インスタントラーメンのお汁だから、出来るだけ細かく、量も少なめにしたのであまり味を主張しすぎなくて良い塩梅。
「おじさんはいっつも具無しのラーメン食べてましたよね? 少しだけでも青物っていうか野菜もとらないと栄養のバランスが悪いですよ」
そういうと、おじさんは一瞬ポカンとした顔になる。
どうしたのかな? と思っていると、黒いコートを着た肩が震え始めた。
「はっはっは」
すごい大笑いだ。本当にお腹を抱えて笑っている。
けっこう長い間笑っていたおじさんは、笑いを引っ込めるとぽんぽんと僕の頭を叩く。
「いや、おまえの言う通りだ。バランスは大事ってもんだよなあ、おい?」
「え、あ、はい」
「その忠告の礼ってわけでもないが―――」
おじさんは僕を正面に見据えて、胡坐をかく。
「もしお前が困ったことがあったら、そんときゃあバランス抜きで助けてやらあ」
正直、言っている意味が良く分からなかった。
でも、ようは困ったことがあったりお願いがあったりすれば聞いてくれるってことだよね?
「じゃあ、一ついいですか?」
「おう、さっそくか?」
少しだけ緊張する。
僕は唇を一度だけ舐めてから、お願いをしてみる。
「あまり、母さんたちを困らせないで上げてもらえますか?
「―――あ?」
これにて最終回です。
お読みくださった方、応援して下さった方、ありがとうございました。
次は自作の「いなかっぺリコリス」の続きにも傾注してみたいと思うので、よろしければそちらも読んでやってくださいませ。