後編はすぐに更新できます、たぶん…。
「おいおい、今日は休みかよ~」
喫茶リコリコの前で、常連の米岡は悲鳴を上げた。
ドアノブにかけられた『CLOSE』の看板。単純に開店時間がズレているのかな、と一縷の望みをかけるも、中に灯りはなく、人の気配もなかった。
まあ仕方ないか、と米岡は
リコリコがこのように突発的に休みになることは珍しくはない。常連たちも皆それを弁えて通っている。
以前、いきなり閉店宣言したと思ったら営業再開、あげくしばらくハワイに社員旅行とかいうアクロバティックな休業の仕方にはさすがに驚いたけれど。
「は~。コメダにでも行くか」
店長の絶妙なアメリカンをループ補給しながらの方が全然捗るんだけどな。
これまた独り言ち、米岡はくるりと踵を返す。
「ハックション!」
しばらく歩いてから、背筋にゾクリとしたものを感じ、米岡は盛大にくしゃみをする。
「う~、風邪かな~。締め切り前に勘弁してくれよ~」
何気なく背後を振り返り、米岡は目を擦っていた。
一瞬、麗らかな日差しに照らされたリコリコから、瘴気のようなものが立ち上っている風に見えたのは気のせいだろうか?
そして、急遽閉店となったリコリコの中。
奥の倉庫の中のテーブルを、千束、ミカ、たきなの三人が囲んでいた。
「へ~、私、アオイを不当に拘禁していたんだ~。知らなかったな~」
満面の笑顔を浮かべながら、千束は弾倉に特製ゴム弾を詰め込んでいく。
手の動きと真逆で全く微動だにしない笑顔はどこかコラージュ染みていて、見たものに得体の知れない恐怖を感じさせる。
「ちょうど弾薬の整理をしたいと思っていたところだ」
ミカも軽く顔を伏せて、特製の弾丸の作成に勤しんでいる。
照明の加減から眼鏡が半透明になっており、はっきりと表情が伺えない。
だけに妙な迫力を醸し出していた。
千束の対面のたきなは無言。
テーブルの上に自分の愛銃を並べて、分解整備を繰り返している。
その手際はまるで精密機械で、平坦な表情には一切の感情が浮かんでいないところが逆に怖い。
―――リコリコへの襲撃計画だけなら、まだ理解出来た。
千束とてDAの権限を使って、かなり好き勝手にさせてもらっている自覚がある。
ミカも脛に傷を持つ身だ。
だがしかし。
要人救出と称して、こちらの保護している赤ん坊を奪取する?
しかも『将来のリリベル候補生』?
「もう。
千束は半ば棒読みの声で繰り返す。
声の調子とは裏腹に、手の甲にはビキィッ!? と青筋が浮かぶ。
内心の荒れくれ様を表現して余りある。
…よりによって、私ではなく、本来的な無関係な赤ちゃんを的にかけるなんてさ。
―――おい、ふざけるな。
ふざけるなよ。
許せるか。
許せるものか!!
もはや、逆鱗に触れる、などと言った生易しい表現ではない。
虎杖の代理を称する鬼灯の計画は、千束たちの逆鱗を掻きむしり、こねくり回したといっても過言ではなかった。いや、それ以上だ。
その結果。
三人揃って完全にブチ切れていた。
「ねえ、いっそ、こっちから攻勢をかけちゃわない?」
千束が言う。
浮かべる笑顔は慈母のそれ。
なのに、全身から吹き上げる禍々しいまでの憤怒のオーラよ。
総じてその姿は、己の子供を奪われたゆえに荒れ狂う鬼子母神そのものだ。
「落ち着け、千束。不可能ではないが名目が立たん」
穏やかに諭すミカだったが、こちらも口調と裏腹に、全身には見ているものの呼吸を止めそうなほどの圧迫感があった。軽く腕を動かす仕草すら、空気を歪ませているように錯覚する。
その風貌も相まって、今の彼は世界に破滅を告げる黒き魔神のようだ。
「そうですよ、千束。せっかく向うから来てくれるんです。歓迎してあげましょう」
静かにたきなが応じた。
顔つきこそ普段と変わらないが、見開かれた目は完全に瞳孔が開いている。
迸る雰囲気は、引き絞られた弓が放たれる寸前をギリギリ理性で繋ぎ止めているかのよう。
そして一度放たれれば、対象の喉笛に喰らいつくまで止まらない。
今のたきなは、ただしく魔界の猟犬だ。
「…そっか~、そうだね~。ごめんごめん。私ったら少し頭に血が昇っていたよ~。あはは」
「ははは」
「うふふ」
「あはは」
「ははは」
「うふふ」
そんな鬼神と魔神と魔犬の会合を、クルミは鳥肌を立てて眺めている。
ミズキもちょっと用事が出来たわ、と姿を消したので、彼女が赤ん坊の世話を引き受ける羽目になっていた。
「……鬼灯とかいうおっさんは破滅願望でもあるのか?」
呆然とクルミは呟く。
そこには普段の飄々とした態度もなく、顔色も完全に蒼白になっていた。
これまた珍しく膝をガクガクと震わせながら、クルミは赤ん坊の小さな耳に掠れ声で囁く。
「今のおまえの母ちゃんたちは、きっと世界で一番おっかないぞ…」
□□□
「はい、ありがとうございました。またどうぞ~」
今日も今日とてリコリコは商売繁盛。
最後の客を送り出した閉店前。
室内の掃除を済ませ、どっこいせとゴミ出しに行こうとした千束の背中にクルミの声が飛ぶ。
「おい、みんな。鳴子が鳴ったぞ」
千束とミカは無反応。たきなだけが僅かに肩を震わせたのは踏んできた場数の違いからか。
鬼灯司令代理の演習計画は、抜き打ちでDA支部のリコリコを襲撃しその危機管理能力を測るというもの。
もちろんそんな訓練は建前で、実態は歴代最強リコリスと言われる千束潰しと、楠木が指揮するDAへの牽制だろう。
だがさらにその建前の裏で、要人奪取計画として、千束たちが保護している赤子の
赤子に対する鬼灯の思惑はともかく、事前に楠木から知らされていた千束たちが何も対策を立てないわけがない。
実際にリリベルの作戦行動は極秘だ。
そこはウォールナットに探ってもらっても構わなかったが、万が一ネットを通じた攻勢を気取られては相手に警戒されてしまう。
なので、クルミが『鳴子』を称した通り、リコリコ周辺の防犯カメラやライブカメラに仕掛けが施してあった。
映像を通じて、緊急工事などの実施や急な交通規制を敷かれたとあれば、襲撃の把握は容易である。
「そっかそっかようやくか~♪」
ゴミを捨てて来てから、千束は店内で大きく伸びをした。
「これで枕を高くして眠れるというものだ」
ミカが応じる。
「ここしばらく閉店後のボードゲーム大会も出来ませんでしたからね」
たきなが微笑む。
その場面だけを切り取れば、まったくいつものリコリコの雰囲気だった。
だが、皆して目が違った。
誰一人として目が笑っていない。
「それじゃ、歓迎会の準備をしましょうか」
本当にパーティーを始めるような笑顔で千束はパチンと手を叩く。
応じるように、ミカが
たきなはツインテールをくくっていたゴム紐を外した。
そして千束は表情を改めた。
赤い瞳が危険な色に煌めく。
かつての旧電波塔のときのように。
□□□
「どうして動かないんですか、司令!」
DA本部にフキの声が響く。詰め寄られ、楠木は誰にも聞かれないよう「チッ」と舌打ちする。
…結局、私の忠告に従わないとはな。相変わらず、こちらの思惑を無視するクソガキだ。
内心で千束のことを
先日、千束からかかってきた電話の内容を思い出す。
『あ、楠木さん? 悪いけど私たち、鬼灯司令代理が売ってきた喧嘩を買うことにしたから~』
これである。
しかも一方的に通話を切られているのだ。かけ直して考え直せと詰め寄るのも業腹だ。
そして、目前のフキである。
「先日、喫茶店に行ったら、千束のやつから…!!」
からかうような笑顔はそのままに千束から手紙を渡された。
『フキへのラブレターだから、寮に戻ってから読んでね♡』
帰る道すがらで破り捨てても良かったけれど、店を出たときの変に神妙な千束の態度が気にかかる。
寮に戻ってからイヤイヤ開けてみて、フキは驚愕した。
拝啓 フキさまへ
近日中にリコリコはリリベル一個中隊により襲撃を受けます。万が一、本当に万が一私たちが不覚を取ったら、赤ん坊―――アオイのことをよろしく♪
かしこ
さばさばとした文体だが、内容的にはまるで遺言状だ。
「かしこじゃねえよ!」と手紙を放り出して、フキは司令室へと走る。
放り出された手紙を同室者のサクラが読み、それはエリカらにも共有された。
楠木としては、まったく頭が痛くなりそうな展開だった。
「あそこはDAの支部ですよね!? だったら私らが援護に行かないと…!!」
溜息を一つつき、楠木は応じる。
「なにをどう聞いたか知らんが、リリベルの襲撃など計画されていない。計画そのものが存在しない」
そう言うしかなかった。
第一に、鬼灯の申請は、
リコリスを動かす名分が立たない。仮にリコリスを動かせば、楠木の立場そのものが危うくなる。
ゆえに、楠木は動けない。
いま指揮する大多数のリコリスたちのためにも。
わざわざ忠告をしてやったのに、全ては無難な選択をしなかった千束らの責任だ。
ミカもそこは諫めるべきだろうに。
楠木は、乙女のように怒りの感情を弄んでいる自分に気づく。
現実へと立ち返ると、目の前で唇を噛むフキへと繰り返す。
「リコリコが襲撃されるなど与太話だ。おまえたちは全員部屋で待機していろ」
フキの背後、ドアの周辺でサクラたちが身体を震わせるのが見える。
楠木はリコリスたちへ背を向ける。
それで終わりだ。
終わりのはずだった。
何かが、得体の知れない何かが楠木の中で膨らんで、唇を動かす。
「少し訂正だ」
「…え」
「おまえたち、全員モードSで部屋に待機していろ」
□□□
場面は戻り、喫茶リコリコ内にて。
「…ミズキ、行くのか?」
「あたしは荒事専門じゃないからね」
「どの口がそんなこというんだ?」
苦笑するクルミに、ふん! と鼻を鳴らしてミズキは背中を向ける。
遠ざかる元リコリス情報部の背中に、クルミは餞別替わりの声を投げつけた。
「まあ、おまえのやりたいようにすればいいさ。露払いくらいはしてやるよ」
ミズキが出て行くのを見送ってから、クルミは通話アプリを操作。
かける先は《サイレントジン》。
「あ、もしもし? ボクだ。ちょっとおまえに依頼したいことがあって…なに? 荒事は断るって?
安心しろ。今回の依頼内容は『護衛』と『逃亡補助』だ。思っているほど危険はないぞー。…たぶん」
通話を切り、クルミはヘッドマウントディスプレイを装着する。
とりあえず打てる手は全て打った。その上でも準備は万端。
珍しく両手を組んで反らし、ぽきぽきと指の関節を鳴らす。
それから、ディスプレイの隅の小さなウインドウに、幼い口元を綻ばせた。
千束から送ってもらった写真データをランダム展開させれば、そこには赤ん坊にミルクを飲ませる自分の姿が。
亀の親子のように身動きが取れない姿にされたのは無様で恥ずかしかったが、決して悪い気分ではない。
成り行きで
デジタルな積み重ねだった日々に、人の温もりが思いのほか暖かいことを知った。
赤ん坊のアオイが加わったことで新たな感情も積み重ねられていて、そのことには本当に感謝している。
そこでようやく、この天才ハッカーは自分の心の変動に気づく。
「…そうか。ボクも怒っていたんだな」
チロリと小さな舌で唇を舐めてから、クルミは久しぶりに気焔を上げた。
「さあ、バックアップはウォールナットに任せろ…!!」