電子書籍の普及により、紙の本を取り扱う本屋は苦境に立たされている。
家に居ながら気軽に購入できる電子書籍は、置き場所に困らず、スマホやタブレットなどの端末で何十何百冊もの本を持ち歩ける。
その上タイムセールで2割引3割引は当たり前、半額や90%オフ、さらには百円や十円セールまであり、お買い得感もすごい。
そういったメリットを求めて紙媒体から電子書籍へ乗り換える人が増え、本屋を利用する人は年々減少。個人経営の小さなお店はおろか全国チェーンの大型書店まで閉店が相次いでいるのが現状だ。
もちろん、紙の本を取り扱う本屋もこの状況に手をこまねいているわけではない。
紙の本にも電子書籍にはないメリットがたくさんあり、それらを活かした新しいタイプの本屋も多数生まれていた。
お茶や軽食を楽しみながら本を読めるブックカフェは全国に広まり続けているし、雑貨屋と融合した本屋も多くなってきた。
最近では、ホテルと一緒になった『泊まれる本屋』や、本棚にプロジェクションマッピングを投影し『本棚劇場』とも言えるエンタテイメントを提供する図書館もある。
そういったこれまでにないタイプの本屋が登場するたび、リンは新たな時代の到来に胸を躍らせるのであった。
そして。
その日、リンが偶然訪れた本屋は、それら新感覚本屋の中でも群を抜いて衝撃的で、そのコンセプトにがっしりと心を掴まれることになるのである。
きっかけは、新しいキャンプ道具を買いに隣町の大型アウトドアショップへ出かけたことだった。
その買い物はつつがなく終わり、せっかく出てきたので少しぶらぶらして帰ろうとスクーターを走らせていたら、メイン通りから少し離れた場所にその本屋を見つけたのだ。
たくさんの花や花輪が飾られた外観から、新規オープンした本屋であることが判る。
この本屋不況の時代に新しい店がオープンしたというだけで珍しいが、その本屋の雰囲気は、よく見かけるお店とはちょっと違っていた。
敷地面積は近所のスーパーマーケットほどの広さで、特別広くはないが狭いわけでもない。
つまり、複合型の大型書店とも個人経営の小さな本屋とも違うのだ。最近流行りの新感覚本屋かもしれない。これは素通りできない。
リンは本屋の駐輪場にスクーターを駐めると、さっそく店内に入ってみることにした。
――が。
お店に入ろうとしたリンだが、入口に掲げられた看板を見て思わず足を止めた。
白地に赤のゴシック体で書かれたシンプルな看板には、『山梨○○書店』とある。
……なんで伏字なんだ。と、考えて、不意に思い当たった。
ひょっとして、エッチな本を専門に取り扱うお店だったのだろうか。
そう考えると、急に周囲の人の視線が気になりはじめた。
メイン通りから離れているとはいえ、人通りは少なくない。今も歩道を数人の人が歩いているし、信号待ちで停まっている車もある。
見て、あの娘。あの若さでもうエッチなことに興味津々なんだね。嫁入り前の娘がなんて破廉恥な――そう後ろ指差されているような気がしてくる。
身体中が熱くなり、血液が沸騰して蒸発しそうなほど恥ずかしくなってきた。
思わずその場から走り去りそうになったが、いや待て、と自分に言い聞かせてなんとか踏みとどまる。
少し冷静になって本屋の外観を観察すると、入口のある正面側の壁はほぼ全面ガラス張りで、中の様子を伺うことができた。
エッチな本屋なら、こんな堂々と営業はしていないだろう。
中にいる人も女性客や女性店員が多い。
どうやら大丈夫そうだ。
リンはホッとし、気を取り直して店内に入った。
てろりろーん、と入店を告げるチャイムが鳴り、「いらっしゃいませ」と、ワリと静かな挨拶で迎えられた。
店内のBGMも控えめな音量のクラシックで、かなり落ち着いた雰囲気だ。
大型古本店などの店内中に響き渡る威勢の良い挨拶とノリのイイBGMも悪くはないが、リンとしては、やはり本屋は静かな環境の方がふさわしいと思う。
リンにとって、本屋は本を買う場所であると同時に美術館でもある。様々な本屋を巡っては、店内のレイアウトや、扱う本の種類、並べ方、オススメポップなどを見て楽しむのだ。
いわば、それらひとつひとつが作品なのである。
さて、この本屋はどんな作品を見せてくれるのか。リンはワクワクしながら順に店内を巡ろうとした。
――が、すぐに、その異変に気が付いた。
この本屋、なにかがおかしい、と、直感的に悟った。
様々な本屋を巡ってきたリンの経験がそう告げている。
まず。
どんな本屋でも売り上げを上げないといけないため、店内入ってすぐの目立つ場所には、ベストセラー作家の新刊や話題の本、あるいは回転の早い週刊誌などを置くものだ。
しかし、この本屋にはそれが無い。
入ってすぐの本棚に並んでいたのは、多くの本屋でバイト経験があるリンですら聞いたことがないマイナー本ばかりだったのだ。
それも、小説もあればノンフィクション本やマンガもあり、文芸書に文庫本にムック本など本のサイズもバラバラで、作者や出版社も様々、そのうえ新品の本もあればどう見ても古本であろう薄汚れた本もある。
要するに、まるで統一感が無いのだ。
しかも、それがその本棚だけでなく、その隣にある本棚もまた同じような感じなのだ。
かと思えば、その隣の本棚には人気の作家さんの小説ばかりがズラリと並んでおり、さらにその隣は英語ドイツ語ロシア語知らない語など様々な海外書籍が並び、その隣の棚には中段に絵本が2冊だけ面陳され後はすっからかん、と、店主あるいはコーナー担当者の意図がまったくもって読めない、奇妙奇天烈な陳列なのだ。
さらにリンを困惑させたのが、各本棚に掲げられた札だった。
普通のお店なら、『新刊』『小説』『コミック』『女性誌』などのコーナー名を記すものだが、この本屋の札には『クマすけの本棚』『にゃすこいキープ』『シルクロードと黒船書店』『月の滴堂』などと記されており、なんの案内なのかさっぱり判らないのである。
なんだここは。
そこには大きな文字で
『あなたも本屋を出店してみませんか?』
とあった。
――本屋を出店?
リンはチラシを取る。
そして、その内容に目を大きく見開いた。
『山梨○○書店は、ひと棚ひと棚に店主がいるシェア型の本屋です。
それぞれの店主様がこだわり抜いた本の中からお選びいただくことはもちろん、
本を愛する心があれば、誰でもすぐに出店することが可能です』
――シェア型の本屋……だって……?
初めて聞く言葉だったが、すぐのその意味は理解できた。
そして、理解した瞬間、リンの胸の中に大きな音が響き渡った。
それは、これまでの『本屋の常識』が崩れ落ちた音だったのかもしれない。
あるいは新たな世界の扉を開ける音、もしくはこれまでの世界の扉を閉じる音のようにも思える。
ともかく、リンはチラシを持って入口正面の本棚に戻った。
『クマすけの本棚』という札が貼られたその本棚。小説やマンガや文芸書文庫などが混在する統一感のないこの本棚は、このチラシに書かれてあることから推測するにクマすけさんという人が出店した本の棚で、恐らく家にあった古本を処分するためのものだろう。
その隣の人気作家の小説が並んだ『にゃすこいキープ』の本棚は好きな作家さんの小説を集め、さらに隣の外国語の本ばかりが並んだ『シルクロードと黒船書店』の棚は海外書籍を、ほぼすっからかんの『月の滴堂』の棚は商品完売が間近なのだろう。
一見奇妙奇天烈に見えるこの陳列も、それぞれの本棚に店主ならぬ棚主がいるのならば納得がいく。
謎は全て解けた! やはりここは、これまでにない新感覚の本屋だったのだ!
得体の知れない不安感から解放されたリンは、鼻息も荒く店内を巡っていく。
『旅と歴史』という棚ではヨーロッパを中心とした国々の観光地を紹介した本と各国の歴史本が並び、
『星々のいざない』という本棚では太宰や芥川や漱石などの文豪の本と彼らの星座に関連した本がセットで置かれ(なぜその二つを関連付けたのかは不明だが、それも棚主の自由なのだ)、
『もう書店では買えない本』という本棚ではその名の通りすでに絶版となった激レアな本ばかりが陳列されている(めちゃくちゃ高い本ばかりだがそれも良し)。
古本が多いが新品もあり、海外書籍や絶版本だけでなく、同人誌や手作りのブックカバー付きのもの、小さな子供がクレヨンで書いた絵本まである(カワイイ)。
さらには本をオススメするポップも様々で、本屋でよく見かけるカードタイプのポップはもちろん、
読書感想文を書いた原稿用紙がブックカバーになっていたり(夏休みの宿題に便利そうだな)、
推理小説の表紙にいきなり『犯人はヤス』と書かれてあったり(普通の本屋でやったら絶対アウトだわ)、
恋愛小説に『別れた彼氏が家に置いていった本です。十年経ち、ようやく手放す決心がつきました。でも、もし売れなかった時は、もう一度彼に会いに行ってみようと思います』というポップが貼ってあったり(いや重いわ)、
そんな遊び心満載な本も多く、リンのツッコミも冴えに冴え渡った。
それはまるで様々な本屋を巡っているような感覚だった。
東京の神田というところに本屋がズラリと並ぶ本好きの
楽園だ。あたしはいま、楽園にいる――リンは心底そう思った。
「――いい本との出会いはありましたか?」
楽園の門が開かれたことに陶酔していたリンだったが、いきなり背後から声をかけられ、ビクッと大きく身を震わせた。
「ごめんなさい。すごく熱心に店内を回られてたので、嬉しくて思わず声をかけちゃいました」
エプロン姿の女性店員さんが申し訳なさそうな顔でそう言ったので、リンは慌てて両手を振る。
「いえ、とんでもないです。こちらこそスミマセン。ちょっと騒がしかったかもしれません」
いま思えば、まったく新しいタイプの本屋に興奮し、テンションが上がりまくったなでしこのごとく店内を駆けまわっていたような気がする。
ちょっと反省するリン。
「でも、すごいお店がオープンしましたね。こんなの初めてです」
リンは改めて感動を込めた声で言う。
「ありがとうございます」
店員さんはにっこりと笑った後、リンが持っているチラシを見て続けた。
「もしかして、出店に興味がありますか?」
「あ、いえ、どうかな……? あたし、まだ高校生なので」
本を仕入れて売るのには専門の許可証が必要なはずだ。詳しくはリンにも判らないが、恐らく未成年では取得できないだろう。
しかし、店員さんは
「大丈夫ですよ」
と笑顔で言う。
「すでにお持ちの本を売るのであれば、学生さんも未成年の方も問いません」
そして、店員さんはリンの胸に手のひらを差し向けて、さらに続けた。
「
本を愛する気持ち――その言葉が、リンの胸に刺さる。
もちろん、リンの胸は本を愛する気持ちでいっぱいだ。
ハッキリ言ってリンの心は本とキャンプで埋め尽くされていると言っていい。
素敵な本に出会うと他の人に勧めたくなる本好きの
好きな本はより多くの人に読んでもらい、その気持ちを共有したいものなのだ。
しかし、今までは同じ本好きの友達や図書委員の娘に勧めるか、SNSに感想を書くくらいしかできなかった。
いろんな本屋でバイトをしてきたが、高校生のアルバイトでコーナーを担当させてもらうのはまず無理だし、もしコーナー担当になったところで発注やレイアウトなど全て自由にできるワケでもない。
しかし!
この本屋ならば、それらが可能なのだ!
リンはこの本屋の看板に書かれていた店名を思い出した。
山梨○○書店――○○に入るのは、各棚主の名前だ。
そう。
その気になれば、山梨志摩リン書店を開くことも可能なのである。
なんて夢のある話だろうか!
「……あの、お客様?」
また楽園に旅立ったリンを心配する店員さんの声で、リンは現世に戻ってきた。
そして。
「判りました! あたし、また来ます! 絶対絶対、また来ます!」
リンは店員さんにそう約束すると、「あ、ありがとうございす……」と困惑気味の声で言う店員さんを残し、チラシを握りしめてばびゅんとお店を飛び出した。
そしてスクーターにまたがり、超特急の安全運転で家を目指す。
好きな本の素晴らしさを見知らぬ誰かに知ってもらう――その思いを胸に。
――山梨志摩リン書店……最高か!!
大急ぎで家に帰ったリンは、買ったばかりのキャンプ道具を開封するのも忘れ、部屋中の本をあさり回った。
しかし――。
二時間後、部屋中の本をかき集めて検討した結果、売りたいと思える本は、わずかに二冊だけだった。
「え? これだけ?」
目をぱちぱちと瞬かせるリン。
何百冊という本の中で、たった二冊。
まあ、それも当然かもしれない。
リンは自他ともに認める本好きだ。
だからこそ、好きな本を手元に置いているのである。
そう。好きな本を他の人に勧めたい気持ちがどれだけ大きくても、その本を売るとなると話は別なのだ。
どの本にも愛着があり、手放すわけにはいかないのである。
それにしてもたった二冊だけとは……出品数に制限はないと思うが、さすがに二冊では格好がつかない。
リンはガックリと膝をつき、肩を落としてこうべを垂れた。
リンが本屋を出店する日は、まだ遠い。