奥の倉庫で作業をしていると、突然、天井の電気が瞬いた。
駅近くにあるいつもの本屋での、夏休みを利用してのバイト中だった。
リンは天井を見上げる。古いタイプの蛍光灯で、切れかかっているのかと思ったが、見た感じでは取り替えたばかりのようだ。
――出たな妖怪電灯瞬き。
などと我ながら訳の判らないことを思っていたら、店の外のさらに遠くから、ごごーん、と、お腹の底に響くような重い音が聞こえてきた。
雷が鳴ったようだ。だとしたら、雨が降るのかもしれない。
リンは作業の手を止めて倉庫から出ると、出入口のドア越しに空を見た。
少し前までは薄曇りだった空は、どこから集まって来たのかと思うほど一面濃い黒雲に覆われている。
これはすぐにひと雨来るだろう。
店先には週刊誌を陳列したラックが置いてある。
雨や日差しを避けるためのオーニングテントはついているがそれだけでは不充分なので、透明のビニールをかけなければならない。
リンは倉庫へ戻り、ビニールを持って外に出た。
雲はさっきよりもさらに濃くなっており、ぽつぽつと雨粒も落ち始めている。
リンがラックにビニールをかけ終えるころには、本格的に降りはじめた。
なんとかギリギリ本を濡らさずにすみ、リンはホッとする。
本にとって水は天敵だ。
今の時期、こういった突然の雨には充分に警戒しなければならない。
特に、近年は雨の降り方がかなり不規則だ。
突然外が暗くなってきたかと思うとビニールを準備するヒマも無く降りはじめ、かと思うと、ビニールをかけ終えるころにはもうやんでいる、なんてこともある。
今も、すぐ頭上の空は雲に覆われているが、少し離れた場所――リンの自宅がある辺りには青空が広がっており、雲なんてほとんど無い状態だ。
ががーん、と、さっきよりも大きく、より近い場所で雷が鳴った。
リンは「うおっ」っと思わず声を上げて身を縮める。
雨脚がさらに強まる。空の様子を見る限りかなり局地的な雨ですぐにやむように思うが、その分、この地区に凝縮されたどしゃ降りになるかもしれない。
あまり強くなるようならラックは店内に収めた方が良いが、どうしようか。
リンが空の様子を見ながら考えていると、駅の方から女の子がひとり、駆けてきた。
小学校の高学年くらいの子で、傘を持っていない。
女の子は店の前で足を止めると、少し迷ったような様子でリンの顔を見ていたが、やがてリンの方へ走って来た。
「すみません、あまやどりしても、いいですか?」
少女は申し訳なさそうな声で言う。
この近くに雨宿りできそうな場所は他にない。
リンは「もちろん、いいよ」と笑顔で答えた。
ほっとした顔でオーニングテントの下に入る女の子に、リンはハンカチを取り出して貸してあげた。
ありがとうございます、と女の子が受け取ったとき、また雷が鳴った。
雨はさらに強くなり、風も吹いてきた。テントの下にいてもそれなりに雨が吹き込んでくる。
長くいるとびしょ濡れになってしまうかもしれない。
「ここじゃ濡れちゃうから、中に入る?」
返してもらったハンカチをポケットにしまいながら、リンは訊く。
女の子は少し迷ったような顔をして、やがて首を振った。
「いえ、大丈夫です」
「遠慮しなくてもいいのに」
「ここで大丈夫です。お金、もってないので」
と、女の子は断る。
本を買わされると思っているのだろうか?
どしゃ降りのなか傘が無くて困っている女の子を店内に誘いこんでムリヤリ本を買わせる――そんなあくどい商売をするような店員に見えているのかあたしは、と、リンが軽くショックを受けていると、駅の方から傘をさした男の子が歩いてきた。
女の子と同い年くらいだ。
女の子もその男の子に気づき、ふたりの目が合う。
「――あ」
ふたりは、同時に声を上げた。
「知ってる子?」
リンが訊くと、女の子はためらいがちに頷いた。
「向かいのおうちの子、です。クラスも同じ」
微妙に恥ずかしさを含んだような言い方だった。
男の子を見ると、こちらも微妙に恥ずかしそうな顔で、立ち止まったまま女の子を見ている。
リンがしばらくふたりの顔を交互に見ていると、男の子は女の子のところに走って来た。
そして、「……ん」と、舌足らずにもほどがある言葉と無愛想な顔で、持っている傘を女の子に差し出した。
カンタか、と、リンは思わずツッコミそうになった。
「……え?」
女の子は戸惑った顔をした後、「いらないよ、別に」と断る。
あらら、とリンが男の子を気の毒に思っていたら、男の子は負けじと、さらに傘を差し出した。
「いらないってば。どうせすぐにやむし」
女の子は頑なな様子でさらに断る。
「でも、今日は早く帰らないといけないんだろ? 妹の面倒を見ないといけないから」
「あんたが濡れちゃうじゃん。服、汚して帰ったら、またおばさんに怒られるよ?」
「オレはいいの。早く帰れよ」
「いいってば」
女の子も男の子も、それぞれの家庭の事情に詳しいようだ。
ただの幼馴染よりも、もうちょっと親しい関係、なのかもしれない。
なんとも微笑ましい光景に、リンはおもわずニヤニヤしてしまう。
その後も貸すいらないの押し問答を繰り返すふたりに、リンは、少しイジワルな口調で「相合い傘すれば?」と言ってみた。
「ぜったい、イヤ!!」
ふたり同時にそう言って、リンを睨みつけた。
「……スミマセン」
思わず身を縮めて謝りながらも、ホントに仲が良いな、と、リンはさらにニヤけてしまう。
なんて、可愛らしいやりとりに癒されている場合ではない。
傘を差し出している男の子はどんどん濡れてしまっている。
「あ、そうだ」
リンは、ぱん、と手を叩くと、店内に戻り、倉庫からビニール傘を一本持ってきて、女の子に差し出した。
「これ、お姉さんの傘、貸してあげる」
女の子はますます困惑顔になって、
「いえ、大丈夫です」
と首を振った。
「ホントに、お金が無いので」
いやお金なんて取らんわ、と言いかけて、すんでのところで飲み込む。
なでしこや千明ら野クルのメンバーと付き合うようになってから、ツッコミ癖がついてしまったのが今のリンの悩みだ。
もっとも、斉藤に言わせると昔からだそうだが。
リンは、「お金なんていらないよ」とやさしく言いかえた。
「今度また、返しに来てくれたらいいから」
「でも、傘が無いと、お姉さんが」
「平気平気。お姉さんが帰る頃には、もうやんでると思うから。早く帰らないといけないんでしょ?」
女の子はまだ警戒しているような様子だったが、恐る恐る傘を受け取ると、
「ありがとうございます」
とぺこりと頭を下げて、まるで爆発するのを警戒しているかのようにおっかなびっくりという様子でゆっくりと広げた。
そんなにあたしは怪しげなお姉さんだろうか、と、リンはまた落ち込みそうになったが、ふたり揃って帰っていく後ろ姿を見て、そんな気持ちもすぐに晴れやかになった。
――おっと、傘立ても出さなくちゃ。
リンはまた倉庫に戻り、傘立てを持って来る。
雷はいつの間にか鳴らなくなっており、雨脚もかなり弱まっていた。もうすぐやむだろう。
ふたりが歩いて行った方を見ると、道の先に並んで歩く姿が小さく見えた。
これで虹でも出てたら、シチュエーションとしては完璧なのにな、と思って空をぐるっと見回してみたが、残念ながらどこにも出ていなかった。
ただ、ところどころ薄くなった雲の隙間から射し込む陽の光は、キラキラと輝いて町に降り注いでいた。