としょキャン□   作:ドラ麦茶

4 / 17
最後の読書に選ぶ本

 その老人は、お店に入って来ると、棚の並べ替えをしていたリンの方へまっすぐやってきて、「探している本があるのですが」と言った。

 

 

 

 リンは作業の手を止め、「どんな本ですか?」と、目を輝かせて訊いた。

 お客さんが探している本を見つけるのは、本の知識量が問われる難しい仕事だ。

 特に、タイトルがうろ覚えだと柔軟な発想力も必要になってくる。

 時には『一〇〇万回()()()猫』や『一()()リットルの涙』など、ネットでバズって書籍化に至るような言い間違いに出会えることもある(リンはまだそこまで神がかったものに遭遇したことは無いが)。

 お客さんが探している本を見つけるのは書店員にとって腕の見せ所であり、そして、目的の本を探り当てたときはとても感謝される、非常にやりがいがある仕事なのだ。

 

 老人は「古い本なんですが」と前置きをすると、メモを取り出した。

「ディートリントという作家の『セシリア・フィッシェル夫人』という本です」

 

『セシリア・フィッシェル夫人』……どこかで聞いた覚えのあるタイトルだがいまいち思い出せない。

 老人も古い本と言っていたし、最近発売されたものではないだろう。

 まあ、作家名とタイトルが判っているなら、探すのは難しくない。

 

 リンは「少々お待ちください」と応え、まず海外作家の文庫本が並ぶコーナーを見てみた。

 しかし、『セシリア・フィッシェル夫人』という本も、ディートリントという作家の本も無かった。

 念のため新刊のコーナーも見てみるが、こちらにも無い。

 

 リンは一度老人の元へ戻ると、

「調べてみますので、こちらでお待ちください」

と、カウンターの前に案内し、スツールを出して勧めた。

 

 そして、カウンター内に入り、パソコンで在庫を検索してみる。

 本自体は老人の言う通りの作家名とタイトルですぐに見つかったが、一九五二年に発売された本で、残念ながらすでに絶版になっていた。

 当然、このお店に在庫は無い。

 

「申し訳ありません、この本は、もう販売が終了しているみたいですね」

 

 そう伝えると、老人は「やはりそうでしたか」と肩を落とした。

「もう、五十年以上前の本だと、妻が申しておりましたからね」

 

「奥さんが好きだった本なんですか?」

 

 リンが訊くと、老人は穏やかな笑みを浮かべて、「そうです」と頷いた。

 

 丘の上にある介護施設に、現在二人で入居しているという。

 

「妻には趣味と言えるほどのものもないのですが、唯一、本を読むのが好きな人なんです」

と、老人は遠くを見つめるような目で……いや、遠い昔に思いをはせるような目で言った。

 

 老人の奥さんは、もうすぐ九十を迎えるという。

 これまで大きな病気に罹ることもなく健やかに暮らしてきたが、最近は体調を崩しがちで、寝込むことも多くなってきたそうだ。

『セシリア・フィッシェル夫人』は、その奥さんが昔読んで好きだった本で、病床に伏すようになってから、やたらと読みたがっているのだという。

 

 老人は

「もう目も悪いから、本なんて読めやしないと思うんですがね」

と言って肩を揺らした後、

「人間、死ぬ時が近づくと、昔好きだったことをやりたがるものなんでしょうか」

と、どこか寂しさをにじませた声で付け加えた。

 

 リンがなんと言っていいか迷っていると、老人は「いや、失礼」と言って、席を立った。

「妻には、その本はもう売っていないと伝えます。わざわざ調べていただき、ありがとうございました」

 

 寂しさを深めた笑顔で言うと、老人は頭を下げた。

 大したことはしていないので、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 

 それに。

 

 人間、死ぬ時が近づくと、昔好きだったことをやりたがるものなんでしょうか――老人の言葉が胸に刺さった。

 それは『死ぬ前に何を食べたいか』という話題に似ていると思った。

 こういった話は、リンも友達とすることがある。

 

 もちろん、未成年であるリンたちは、死ぬ時のことなどまだリアルに想像することはできない。

 

 それでも、とてもおいしいものを食べると、

「これ、死ぬ前に絶対もう一度食べたい!」

と、思ったりするものだ。

 

 しかし、とても面白い本に出会えた時、

「この本、死ぬ前にもう一度読みたい!」

というのは、読書好きのリンでもこれまで考えたことはなかった。

 ないが、きっとこの先、リンもそういうことを考える日が来るだろう。

 

 その時、読みたい本が見つからない、なんてことになれば、その悲しみは計り知れない。

 老人の奥さんの願いを、どうにかかなえてあげたい――リンは、強く思った。

 

「……すみません。もうちょっと待ってください」

 

 帰ろうとする老人を引きとめて、リンはもう一度パソコンのキーボードを叩く。

 今度はインターネットを使って調べてみた。

 

 まず、隣町にある大きなリサイクルショップのホームページにアクセスしてみる。

 ここは、サイトから店内の在庫を検索することができるのだ。

 絶版になった本でも、古本としては販売しているかもしれない。

 リンは検索してみたが、残念ながらここにも在庫は無かった。

 

 続いてリンは、大手のネットショップやフリマサイトを検索してみた。

 いくつか見つかったが、どれも値段は一万円前後と、ちょっとオススメしづらい値段だった。

 

 それに、せっかくこのお店に来てくれたのに、古本屋やネットでどうぞ、と言うのもどうなのか、という気がする。

 奥さんが人生の最後に読みたい本。

 それを探すのに、老人は、街の大きな本屋でも、大手ネットショップでもなく、リンが働くこの小さな本屋を選んでくれたのだから。

 

 リンは少し考えた後、言った。

「二・三日、待っていただけますか?」

 

「手に入りそうなんですか?」

 

「必ずというお約束はできないんですけど、心当たりを当たってみます」

 

 リンは老人の名前と連絡先を訊くと、判り次第ご連絡しますと伝えた。

 老人は「お願いします、お願いします」と、何度も頭を下げ、帰って行った。

 

 安請け合いをしてしまった……そんな気もする。

 約束はできないと断りを入れたものの、老人は期待して待つだろう。

 もちろん、奥さんの期待はそれ以上だ。

「ダメでした」ということになれば、期待させたぶん、かえって落胆させてしまうことになる。

 

 とにかく、心当たりを探してみるしかない。

 

 

 

 翌日。

 

 リンは学校の図書室で、『セシリア・フィッシェル夫人』を探していた。

 七十年近く前の本にもかかわらず聞き覚えのあるタイトルだと思ったのは、学校の図書室にあったからではないか――そう思ったのだ。

 

「――志摩さん? あったよ。コレじゃない?」

 

 手分けして別の棚を探してくれていた同じ図書委員の()が、向こう側の本棚から言った。

 リンは走ってそちら側へ回り込む。

 

「なんだかすごく古い本だね」

 

 図書委員の娘は呆れ半分感心半分の顔で笑い、本を差し出した。

 

 その娘の言う通り、古本屋の十円コーナーで見かける本よりもふた回りほど年季が入ったような本だった。

 カバーは無く、元々は薄茶色だったと思われる表紙は日焼けと手垢にまみれてかなり黒ずんでいる。

 上部は火でも点けられたかと思うほど焼け焦げたような色になっているが、開いてみると、中のページはやたらとつるつるしていた。

 最近の本に使われている紙の質感とは、明らかに違う。

 

「どんな話なの?」

 

 図書委員の娘の質問に、リンは

「ちょっと、人から聞いて、気になってね」

と、曖昧に笑ってごまかした。

 バイト先のお客さんに貸す、とは言えない。

 もちろん違反だが、まあ、バレることはないだろう。

 

 次のバイトの日、リンが連絡を入れると、老人はすぐに来店してくれた。

 

 事情を説明して貸すと、老人は

「わざわざありがとうございます、ありがとうございます」

と、何度もお礼を言い、本当に嬉しそうに帰って行った。

 図書委員としてはもちろん、お店の利益にもならないから書店員としても正しい行為とは言えないかもしれない。

 それでも、帰って行くときの老人の笑顔に、これで良かったと思えた。

 

 

 

 

 

 

 老人はその後、二度と来店することはなく、本も戻って来なかった。

 

 

 

 

 

 

 リンは、図書室担当の先生に事情を話して謝り、フリマサイトで同じ本を買って返すことにした。

 先生にはそこまでする必要は無いと言われたが、それではリン自身が納得できなかったのだ。

 その月のバイト代を半分近く使うことになったが、仕方がない。

 

 あれ以降、老人には連絡をしていない。

 連絡をすると、なんだかとても悲しいことを知ってしまうような気がしたから。

 

 サイトで買った本が届いたとき、せっかくだから、と、リンは本を読んでみた。

 

 デンマークの貴族に生まれた一人の女性の数奇な人生を描いた物語だった。

 高貴な身分でありながら不倫に溺れ、しだいに没落していく、というような内容で、トルストイの『アンナ・カレーニナ』に似ている印象だった。

 

 ただ、現在も重版され、何度も映画化・舞台化されている()()名作と比べると、あらゆる面で劣ると言わざるを得ない。

 登場人物の設定が曖昧でぼやけているような印象で、ストーリ展開も少々ご都合主義なところが目立つ。

 少なくともリン自身は、これを人生の最後に読む本には選ばないだろう――そんな内容だった。

 

 ただ、読み終えた後、リンはなんだか無性に泣きたい気持ちになった。

 

 その翌日、リンは図書室の本棚に、『セシリア・フィッシェル夫人』を()()()

 リンがもう一度この本を読むことは、おそらく無いだろう。

 

 それでも。

 

 リンにとって、それは生涯忘れることのない本になったのである。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。