リンの一番の趣味は言うまでもなくキャンプだ。
バイトをして資金を貯め、冬になると各地のキャンプ場へ出かけていく。
そして、シーズンオフで人の少ないキャンプ場で、本を読んだり、景色を眺めたり、あるいはなにもせずただボーっとして過ごしたりするのを、何よりの楽しみにしていた。
ただし、キャンプ場で過ごすことだけが楽しみではない。
せっかく遠出するのだから、目的地周辺やその道中にある観光スポットに立ち寄ったり、ご当地グルメを食べ歩いたりするのも楽しみのひとつだった。
リンは、キャンプ前はネットなどで道中や周辺の情報をチェックし、気になるスポットやグルメがあれば、多少遠回りでも立ち寄るようにしていた。
今回、年越しキャンプの計画を立てていたリンが興味を持ったのは、海沿いの国道そばにある休憩所だった。
道の駅――と呼べるようなものではない。そこは、駐車場の奥にプレハブ小屋があり、中に十台ほどの自動販売機が設置された小さな休憩所だ。
ご当地グルメを提供する食堂も無ければお土産品を扱う売店も無い地味なところに興味を持ったには理由がある。
この休憩所には、今となっては珍しい調理済みの温かいうどん・そばを提供する自動販売機が設置されているのだ。
昭和レトロ感漂うその自販機はマニアの間では根強い人気があり、近年テレビやSNSで取り上げられたことで、ちょっとしたブームにもなっている。
リンが興味を持ったのもそれらの影響だった。
今回、キャンプ場へ向かう途中の国道沿いにその自販機が設置されている場所があったので、立ち寄ることにしたのである。
時折強い海風が吹き付ける国道を、愛用の原付スクーターで走ること数時間。目的の休憩所に到着したリンは、駐車場へ入った。
今日は大晦日なので国道は比較的
ほとんどは普通車だが、バイクも数台あり、大型のトラックも一台
そのうち半分は帰省途中と思われる他県ナンバーで、残り半分は地元ナンバーだ。
県境に近い場所の休憩所だが、長距離移動のドライバーさんだけでなく地元の人もよく利用するらしい。
リンは
暖房の効いた小屋内は、長時間海風にさらされて冷え切ったリンの体を温めてくれる。
ふう、と大きく息をつき、リンは小屋内を見回した。
四人がけのテーブル席が並ぶ食事スペースは、家族連れ、カップル、一人客などで、半分ほどが埋まっていた。
目的の自販機はその奥にあった。
一般的な自販機よりも一・五倍ほど横長で、正面には大きく『うどん・そば』のパネルがはめ込まれている。
さらに、その隣には同型の自販機がもう一台あるが、そこには『ラーメン』のパネルがはめ込まれていた。
飲み物やアイスやパンなどよく見かけるタイプの自動販売機が十台ほど並ぶ中でも、その二台だけは圧倒的な存在感を放っていた。
はやる気持ちを抑え、リンはゆっくりと自販機の前まで移動する。
近くで見ると、「年季が入った」としか言いようのないほど古い外観だった。
こまめに清掃してあるようだがその分全体的に色あせており、ところどころ表面に錆が浮き出ている。
『投入口』『返却』『取り出し口』などの文字はかすれてほとんど読めない。
買い間違いが無いようにか、メニューボタンの文字だけはクッキリと書かれているが、黒マジックの手書きだ。
何の情報も無く通りすがりにこれを見つけたとしたら、故障寸前の古ぼけた自販機だ、としか思わないであろう。
しかし、この自販機は、激動の昭和と平成の時代を生き抜き、令和となった現在もなお、訪れる人に温かい麺類を提供し続けているのだ。
そう思うと、その古い外観にも不思議と風格が漂ってくる。
うどん・そばの自販機のメニューは天ぷらうどんと肉そばで、ともに三百五十円と、格安と言っていい値段だ。
隣のラーメンの自販機は、同じく三百五十円のしょうゆラーメンと四百円のチャーシューメン。そちらもそそられるが、すでに口はうどんかそばになっている。
天ぷらうどんか肉そば……恐らく、これは今年最後の重要な選択となるだろう。
どちらかひとつを選ぶことは極めて難しい問題である。
ボタンをふたつ同時に押して出てきた方を食べるという方法もあるが、人目があるため、さすがに子供じみていて恥ずかしい。自分で決断するしかない。
散々迷った挙句、リンは天ぷらうどんを食べることにした。
ごめんなさい、肉そばさん。でも、あなたのことを見捨てるわけじゃないの。天ぷらうどんを食べてあたしのお腹にまだ余裕があれば、今度はあなたの番よ――リンは心の中で肉そばに詫び、お金を投入して天ぷらうどんのボタンを押した。
調理中のランプが点灯する。これで、三十秒ほど待てば温かい天ぷらうどんが出てくる……はずだったが。
三十秒たっても、一分たっても、二分たっても、愛しの天ぷらうどんは出てこなかった。
調理中のランプは点灯したままだ。お金が足りなかったわけではないだろう。
しかし、再度ボタンを押しても、返却レバーを捻ってみても、なんの反応も無い。
なんだ? あたしに食べさせる天ぷらうどんは無い、とでも言うのか? 舐められたものだ。
それならこちらにも考えがある。
バーナーであぶるかテント用の
「――出てこないの?」
と、近くのテーブル席で一人そばを食べていた年配の男性客から声を掛けられた。
リンが
「そうなんです」
と応えると、男性客は笑って、
「古い機械だからね、よくあるんだ。叩いたりしちゃダメだよ? 貴重な機械なんだから」
と言った。
リンは、
「そんなことしませんよ」
と、苦笑いで答える。
男性客は、小屋の隅にある『スタッフルーム』のプレートが貼られたドアを指さした。
「あそこにオーナーさんがいるから、聞いてみるといい」
リンは男性客にお礼を言うと、ドアをノックした。
出てきた愛想の良い中年の男性オーナーさんに事情を説明する。
「ああ、申し訳ありません」
オーナーさんは鍵を取り出し、自販機を開けた。
中にはらせん状のレールがあり、そこに
パチンコ玉がジェットコースターのように転がるおもちゃの上昇部分に似ているな、と、自分でも「判りにくいわ」とツッコみたくなるようなことを思った。
オーナーさんが機械を調べているのを、リンはそばで見ている。
すると、テーブル席でうどんを食べていた若いカップル客の女性がスマホ片手にやってきて、オーナーさんに声をかけた。
「すみません、中の写真、撮っていいですか?」
オーナーさんが快く承諾すると、女性客はスマホで何枚か写真を撮り、満足げな顔で席に戻った。
「珍しい機械だからね。写真を撮って行く人も多いよ」
と、さっきの年配の男性客が言った。
もしかしたら常連さんなのかもしれない。
男性客は、
「特に、中を見られるのは貴重だよ」
と続けた。
「商品を補充するときか、こうやって修理するときくらいしか見られないからね」
そう言われると、なんだか歴史的瞬間に立ち会っているような気がしてきた。
せっかくだからと、リンもオーナーさんに許可を取り、中の様子をスマホで撮影しておいた。
「すみません、直るとは思いますが、一〇分くらいはかかりそうですね」
しばらく自販機の様子を見ていたオーナーさんは、申し訳なさそうにそう言った。
「お急ぎでしたら返金させていただきますが、どうしますか?」
返金してもらってラーメンを食べるというテもあるが、さんざん悩んで天ぷらうどんと決めたので、やっぱり食べたい気持ちが
特に急いでいるわけでもないので、リンは待つことにした。
「ここの天ぷらうどんはうまいよ」
修理を待つリンに、さっきの男性客がまた話しかけてきた。どうやらかなりの話し好きらしい。
「ここらじゃ珍しい福岡系のうどんでね、コシがなくて柔らかいのが特徴なんだ。
天ぷらも大きなエビ天が一匹入ってて、三百五十円だからね」
男性客の話によると、自販機で提供されるうどんやそばやラーメンは、オーナーさん自身が調理して用意しているそうだ。
だから、オーナーさんのこだわりがメニューに現れる。
この休憩所のメニューは天ぷらうどんと肉そばとしょうゆラーメンだが、別の場所に設置された自販機では、きつねうどんやかきあげそば、しおラーメンやみそラーメンなど、全く別のメニューを提供していたりする。
中には、具だくさんのスタミナうどんやにしんそば、ちゃんぽん麺など、かなりこだわったメニューを提供している所もあるらしい。
同じ型の自販機でも、場所によってメニューや味が全く異なるのが、麺類自販機の最大の魅力だという。
「ここのオーナーさんは、昔は自販機のメーカーに勤めていたそうだからね。すぐに直してくれるよ」
話はうどんからオーナーさんの話になる。
オーナーさんは自販機の会社でメンテナンスに携わっていたが、訳あって退職し、地元に帰ってきてこの休憩所の営業を始めたそうだ。
自販機の修理はお手のものだが、それでも、状況は厳しいという。
うどん・そば・ラーメンなどの麺類の自販機は、昭和後期に数千台が製造され、全国各所で稼働していた。
しかし、すでに製造は終了し、その数は減少の一途をたどっている。
当然、故障などのサポート期間も終了しているので、何かあってもオーナーさんがなんとかするしかない。
内部の清掃や油をさす程度のメンテナンスで直る場合もあるが、部品を交換しなければならない場合は大変だ。
当然ながらメーカーからの部品供給も無いので、これも自分でなんとかするしかない。
ネジの交換程度ならホームセンターで調達できるが、専用の部品だと、代用品を見つけるのはかなり難しい。
破棄予定の同型自販機を保管しておき、部品を流用するという手段がとられているものの、当然、それにも限界がある。
「――昔は、こういった国道沿いの休憩所は、全国にたくさんあったけどね」
と、男性客は少ししんみりとした声になって続ける。
「今は高速道路が整備されたから、利用する人が少なくなって、どんどん無くなっていったんだ。
ほら、最近の高速道路のサービスエリアは、食堂や売店だけじゃなく、公園や温泉や博物館なんかもあったりするじゃない?
みんな、そっちの方へ行きたがるんだよね。
ああいうところもいいけど、ここみたいな、昔ながらの小さな休憩所にも、良いところがあると思うんだよ。
無くなったりすると、さみしいね」
話を聞きながら、リンは、なんとなく、本屋を取り巻く状況と似ているな、と思った。
リンがよくバイトをするのは、近所にある個人経営の小さな本屋だ。
昔はそういった小さな本屋は多かったが、大型のチェーン店に追われ、どんどん姿を消していった、と、店長はよくぼやいている。
最近では、電子書籍が普及したことで紙の本自体がどんどん減っており、小さな本屋どころか全国チェーンの大型書店でさえ閉店が相次いでいるほど厳しい状況なのだ。
確かに、電子書籍にはメリットは多い。
置き場所に困らないし、タブレットやスマホひとつで何十何百冊も持ち歩けるし、店に行かなくてもすぐ買える。
しかし、紙の本にも良いところはある。
充電切れを気にする必要が無いし、サービスが終了して本が読めなくなるリスクも無い。
袋とじや仕掛け本・付録など、紙媒体でしかできない本もたくさんある。
なにより、お店で直接店員とお客さんが接して購入するという点に魅力がある、と、リンは考えている。
「――お待たせしました」
自販機の扉を閉め、オーナーさんが言った。修理が終わったようだ。
返金してもらった三百五十円を改めて投入し、天ぷらうどんのボタンを押す。
三十秒経たず、今度はちゃんと出てきた。
長く待ち続けた愛しの天ぷらうどんとの対面に、リンは思わず頬ずりしたくなる。
熱いからやらないが。
オーナーさんにお礼を言い、席に着いてあつあつの天ぷらうどんを食べた。
煮干しと昆布の香りが効いたおつゆに、コシの無いやわらかいうどん、そして、どっぷりとつかっておつゆを吸いまくったひたひたのエビ天の組み合わせが、たまらなく美味しい。
うどんをすすりながら、リンは小屋の中を改めて見回した。
さっきの年配の男性客は、大型トラックの運転手と思われる若い男性客に「年末なのに大変じゃのう」と話しかけていた。
自販機の中を撮影していた若い女性客は、新たに入って来た別の女性客と目が合い、「あ、ひさしぶり!」と声をかけた。おそらく、帰省中の地元の知り合いに会ったのだろう。
地元のお客さんも、帰省中のお客さんも、通りすがりのお客さんも、皆、笑顔で麺をすする。
自動販売機は、人と接することなく商品を買うことができるものだ。
しかし、この場所には、人と人とが接する温かさが溢れている。
リンが働く本屋も、こういう場所でありたい。
うどんを食べ終え、おつゆの最後の一滴まで飲み干したリンは、容器と割り箸をゴミ箱へ捨てた。
そのとき、たまたまスタッフルームからオーナーさんが出てきたので、
「ごちそうさまでした、美味しかったです」
と伝えた。
「ありがとうございます」
オーナーさんは笑顔で答えた。
お互いがんばりましょうね――これは、心の中だけでつぶやいた。
小屋の外に出る。
潮の香りを含んだ強い風が吹き付けるが、休憩所で温まったリンは、それほど寒さを感じなかった。
帰りは別ルートにするつもりだったけど、せっかくだから、またここで食べて帰ろうかな、そう思う。
リンは原付にまたがると、エンジンをかけてアクセルを捻り、目的地のキャンプ場を目指してスクーターを走らせた。