店内に、新たな客が入って来た。
入口付近で作業をしていたスタッフが、
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
とあいさつをした。
すると、それに続くように、レジにいるスタッフも
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
とあいさつをし、さらにお店の奥にいるスタッフも、同じく
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
とあいさつをする。
それはまるで、山間部にやまびこが響き渡るかのようである。
カウンター内で作業をしていたリンも、同じように
「いらっしゃいませ、こんにちは」
と、少し恥ずかしげに言った。
リンはいま、全国的にチェーン展開する大手リユースショップでアルバイトをしている。
リンが住む街の郊外に新しくオープンしたお店で、広い土地を利用した地域最大級の売り場が魅力の大型店舗だ。
その、短期のオープニングスタッフである。
このリユースショップは、古着や家電、CDDVDゲームにおもちゃ、家具や雑貨からブランド品貴金属まで幅広く取り扱うが、リンがいま働いているのは、このお店のメインである古本のコーナーである。
普段バイトをしている個人経営の本屋とは比べ物にならないほどの広いフロアに、所狭しと本が並んでいる。
地域最大級と謳うだけあって、これまでリンが経験したどのバイト先よりも広く、品数も多い店舗だ。
もちろん、お客さんも多い。
特に、この週末は本全品二〇パーセントオフのオープニングセールを行っているため、リンもビックリするほどの人出だ。
比較的田舎のこの町のどこにこんなに人がいたんだと思うほど、広いフロアが人、人、人、でごった返している。
うちのお店にもこれだけのお客さんが来てくれれば助かるのに、と、一瞬思った後、いやあの狭い店にこんなに人が入ったらパンクして大惨事だわ、と、瞬時に自分で自分にツッコミを入れつつ、リンはあわただしく働いていた。
お昼のピークタイムが過ぎると、夕方にまたピークを迎えるまでは比較的お客さんの少ないアイドルタイムとなる。
この時間を利用し、スタッフは交代で休憩に入ったり、品出しや売り場の整理など接客以外の仕事を行う。
リンはカウンターで商品に値札を貼る作業をしていた。
値札の貼り付けにはラベラーという専用の道具を使う。
白紙のラベルシールをセットし、ダイヤルを回して値段を設定して準備完了。
グリップを握るとパチンと音がしてシールに値段がスタンプされ、グリップを緩めるとラベラーの先からシールがニョキッと顔を出すので、それで商品を撫でるとシールが貼りつく、という寸法だ。
リンはカウンターに並んだ本を鋭い目で一瞥すると、
「次に値札を付けられたいヤツ、前に出ろ……」
とクールにキメ(?)、一冊一冊手に取ってラベルを貼りつけては横に重ねていった。
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
入口付近で声がし、リンもそれに続いてあいさつをする。
年配の男性が段ボールを抱えて古本コーナーの方へやってきた。
買い取り希望のお客さんだ。
リンは作業の手を止めてカウンターを出ると、お客さんのところへ行き、
「お預かりします」
と、段ボールを受け取った。
ずしりと重く、かなりの量の持ち込みだ。
リンはよろよろしながらもなんとか買い取りのカウンターまで運んだ。
いろんな書籍関連の施設で働いてつくづく思う。本屋の仕事は肉体労働だ、と。
リンは段ボールを開け、中のものを取り出して確認する。
絵本や児童書・マンガなどが数十冊入っていた。
比較的新しいものもあれば、かなり古いものもある。
さらには、赤ちゃん向けのものや小中学生向けのもの、男の子向けのものもあれば女の子向けのものまで、対象年齢やジャンルなど、かなりバラバラだった。
「買い取ってくれるお店が近くにできて助かりました」
男性は腰をトントンと叩きながら言った。近所に住んでいるのかもしれない。
「お孫さんのものですか?」
本を取り出しながら、リンは訊いてみた。
「いえいえ」
と、男性は顔の前で手のひらを振った。
「私は、この近くで歯科医をしていましてね。そこの待合室に置いていたものです」
「歯医者さんですか? それにしては、すごい数ですね」
驚いて目を丸くするリン。
病院の待合室に本が置いてあることはよくあるが、それにしては量が多いように思う。
男性は笑いながら言う。
「歯科医は、どうしても子供たちから嫌われてしまいますからね。でも、虫歯になったら治療はしないといけない。なので、本を読んで子供たちの気が
なるほど。それで、いろんなジャンルや年齢層の本があるのか、と、リンは納得した。
「四十年ほど続けたのですが、歳が歳なので昨年廃業しまして、捨てるのも忍びないと思ってたので、持って来たんです」
と、男性は続けた。
リンは本を取り出しながら、一冊一冊、本の状態を簡単に確認していく。
状態は、決して良いとは言えない。
開き癖がついたものから汚れてシミになっているもの、破れているものまである。
査定はレギュラーのスタッフさんが行うので、リンに買い取り金額のことはよく判らないが、恐らくあまりいい値段はつかないだろう。
しかし、それらの本の痛みは、歯の治療前の子供たちによるものだと考えると、なんだか勲章のようにも見えてくる。
本の傷み具合を見ていると、待合室でワクワクしながら本を読む子供たちの姿が目に浮かぶようだ。
これらの本は、虫歯の治療という子供たちにとっての未知の不安を取り除き、安らぎへ変えてきたのだ。
それは、歯医者さんから治療前の子供たちへのささやかな贈り物だったのかもしれない。
リンは全ての本を取り出した後、
「では、査定が終わりましたらこちらの番号でお呼びしますので、少しお待ちください」
と言って、番号札を渡した。
「よろしくお願いします」
男性は番号札を受け取り、売り場の方へ歩いて行った。
リンは預かった本を査定のスタッフに渡した。
少しでもいい値段がつくと良いな、と思いながら元の作業に戻る。
やがて査定が終わったので、店内放送で男性を呼び出し、査定額を伝える。
その額は、スタッフのリンでも、もうちょっとどうにかなりませんか、と訴えたくなるレベルだったが、男性は快く承諾してくれた。
書類の記入や証明書の確認などの手続きを行い、リンは査定額の現金を渡した。
「いい人が買ってくれると良いですね」
リンが伝えると、男性は「ええ」と笑い、
「ではよろしくお願いします」
と、頭を下げた。
「ありがとうございました」
リンも笑顔で言い、男性を見送った。
買い取ったばかりの本にさっそく値札を貼り、売り場に並べる。
残念ながら、このお店では最低価格である百円のコーナーだ。
すると、すぐに男の子がやってきて、並べたばかりの本を手に取った。
リンも子供の頃読んだことがある、世界的に有名な童話集だ。
「あ、これ、歯医者さんで読んだことがある!」
男の子は目を輝かせて言う。
男性の病院に通っていたのだろうか。
なんだかちょっとうれしくなったリンは、
「歯医者さん、行ったことがあるの?」
と、声をかけた。
「うん!」
と元気良く頷いた男の子は、
「学校のみんなは歯医者さんが怖いって言うけど、僕は全然怖くなかったよ!」
と言って、真っ白な歯を覗かせて笑った。
「そう。偉いね」
リンも、笑顔を返す。
年老いた歯科医の贈り物は、確実に子供たちの心に届いている。
母親らしき女性がやってきて、
「買う本、決まったの?」
と、男の子に訊いた。
男の子は「コレ!」と言って、童話集を見せた。
お世辞にも奇麗とは言えない古びた本に、母親はちょっと顔をしかめた後、
「それでいいの? あっちに、もっと奇麗なのがあるんじゃない?」
と、二百円三百円のコーナーを指さした。
しかし男の子は
「これがイイの! これ買って!」
と譲らない。
母親は、
「せっかくのセールなんだからもっと良いのを選んでいいのに……」
と言いながら、渋々という顔で本を受け取った。
そして、手を繋いで販売レジへと向かい、精算を済ませる。
「ありがとうございましたー」
お店を出る男の子と母親の背中に向かって言うと、リンの声に反応して他のスタッフも言い、そして、店中に響いた。