としょキャン□   作:ドラ麦茶

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思い出がいつも笑顔であるために

 春休み、縁があってまた大学病院の図書館で短期バイトをすることになったリンは、年末と同じく忙しい日々を送っていた。

 貸出・返却の手続きをし、返却された本を本棚に戻し、本を探している人がいたら案内する。

 忙しさは相変わらずだが、ここでのバイトも二回目なので、それなりに慣れてもきた。

 前回はレギュラーのスタッフさんに何度も助けてもらったが、今回はほとんどリン一人でこなせている。

 あたしも成長したものだ、と、リンはしみじみと思った。

 と言っても、まだ前回と合わせても十日ほどしか働いていないのだが。

 

 午後になると少し利用者が減るので、リンは返却された本を本棚に戻す作業をすることにした。

 返却本の棚には、病院のお昼休みの時間帯に返却された本が大量に積まれてある。

 以前はその順番のまま一冊一冊各コーナーへ持って行っていたが、以前より大幅に戦闘力がアップしたリンは、まずコーナー別に本を並び替え、それから順にコーナーを巡って本を返すという技を取得していた。

 リンは返却棚に並んだ本に見下すような目を向けると、

「私の戦闘力は53万です。もちろん、フルパワーであなた方と戦う気はありません」

と上品な口調で言って、返却しやすいように本を並び替え、近くのコーナーから順に返却しはじめた。

 

 まず医学書のコーナーから返却し、文芸書、文庫本、と回り、手際よく返却して行く。

 最後に児童書や絵本のコーナーへ行くと、窓際の席に男の子がひとり座っているのが見えた。

 年末にも毎日女の子が座っていた席である。

 あのときの女の子と同じ十歳くらいだろう。

 なんだか暗い顔をしており、うつむいて本を読む姿が、あのときの女の子と重なった。

 

 その子の服はパジャマや部屋着ではなくお出かけ用の服だった。

 小児病棟の入院患者ではなさそうだ。

 お見舞いだろうか。

 親に連れられてお見舞いに来て、大人同士でお話している間、子供がここで時間をつぶす、というのは、よくあることだった。

 

 ただ、その子はどこか心ここにあらずといった様子だ。

 目は本を読んでいるが、心は本を読んでいない――とでも言うべきだろうか。

 何か大きな心配事があるのではないか、そんな風に思う。

 

 少年のことが気になったリンは、返却の仕事をしながらチラチラ様子を伺う。

 従業員用のエプロンをつけていなかったら完全に不審者だな、と思いつつ見ていると、入口から女性が入ってきて、少年の方へ歩いてきた。

 少年はそれに気づいて女性の方に目を向けたが、すぐにまた本に目を戻した。

 

「なにしてるの。お爺ちゃんにごあいさつしないと駄目でしょ」

 

 女性は少年のそばに立つと、腰に手を当て、怒ったような口調で言った。

 どうやら少年の母親のようだ。

 

 少年は本を見ながら、

「これ読んでから」

と、ふて腐れたような声で答える。

 

「本なんて後で読めばいいでしょ。早く来なさい」

 

 母親が少年の腕を取ったが、少年はその手を振り払った。

「やだ! 会いたくない!」

と、大きな声をあげる。

 

「この子は!」

 

 少年につられて思わず声をあげそうになった母親だが、ここが病院で、しかも図書館であることを思い出したのだろう、口元を抑え、周囲を見回してから恐縮するように身を縮めると、声を潜めて

「いいから、早く来なさい」

と言った。

 

 しかし、少年の方はお構いなしに

「やだ! 絶対行かない!」

と大声を出す。

 

 母親は、それ以上話しても周囲に迷惑になると判断したのか、少年を怖い目で見て、

「帰ったらお父さんに叱ってもらうからね」

と言って、図書館から出て行った。

 

 残った少年は、出て行った母親に向かってあっかんべーと舌を出すと、また本に目を戻した。

 しかし、その姿は、やはりどこか上の空、という感じだ。

 

 心配になったリンは、声をかけてみることにした。

 

「こんにちは。なに読んでるの?」

 

 リンが笑顔で聞くと、少年は少し戸惑ったような顔をした後、無言で本の表紙を見せた。

『三ツ星心霊スポット』という、以前リンも読んだことがある世界各地の心霊スポットを紹介するホラー系の本だった。

 いや病院でそんな本読むな! って言うかそもそも病院にこんな本置くな! と、少年と図書館の選書担当者へダブルでツッコミたくなるのをなんとかガマンし、

「どう? 面白い?」

と訊いてみた。

 

 少年は本に視線を落とした後、首を振って「あんまり」と言った。

 その本はどちらかというと大人向けであり、小学生には少し難しい、というのもあるだろうが、やはり、読書に集中できていないのではないか、と思う。

 

 リンは「そうなんだ」と言って小さく笑った後、

「ねえ、あなたのお爺ちゃん、この病院に入院してるの?」

と、続けて訊いた。

 

 少年は再びリンを見て、戸惑ったような表情になる。

 

「ゴメンね、さっき、お母さんとお話ししてるのが聞こえちゃって」

 

 リンが謝ると、少年は無言で頷いた。

 

「会いに行かないの?」

 リンはさらに訊く。

 

 少年はしばらく無言だったが、やがて「行かない」と言って、またまたふて腐れたような顔で本に目を落とした。

 ただ、そのとき少年がほんの一瞬だけ困ったような顔をしたのを、リンは見逃さなかった。

 本当に会いたくないというわけではないように思える。

 何か理由があるのなら聞いてあげたいが、ストレートに「なんで会いに行かないの?」と尋ねても、少年は正直に答えてくれないような気がした。

 

 そこでリンは、少し考えた後、

「お爺ちゃん、どんな病気なの?」

と訊いてみた。

 

 少年は首を振って「判らない」と答えた。

 まあ、小学校の低学年なら祖父の病名など聞かされていなくても不思議ではないし、聞いても判らないのが当然だろう。

 

 それでも少年は、

「お爺ちゃん、すごく痩せちゃったの」

と、悲しげな声で続けた。

 

 元気だった頃は、ふっくらした体つきで、優しい笑顔のお爺ちゃんだったという。

 

 お爺ちゃんの家は、少年が住んでいる街から少し離れた田舎にあるそうだ。

 車なら一時間ほどで通える距離なので、両親の車に乗り、月に一・二回の頻度で訪ねていたそうだ。

 そのたびに、一緒にゲームをしたり、本を読んでもらったり、公園で遊んだり、ショッピングモールで買い物やお食事をしたりした。

 一度、夏休みを利用して、一人でバスに乗ってお爺ちゃんの家まで行ったこともあるという。

 その時のお爺ちゃんは、本当に嬉しそうだった。

 ――そう話す少年も、さっきとは違って表情が明るくなり、何度も笑顔を浮かべている。

 リンが思った通り、やはり少年はお爺ちゃんのことが好きなのだ。

 

 しかし、一年ほど前、お爺ちゃんは病気になり、この病院に入院した。

 

 はじめのうちは、それまでと変わらず月に一・二度お見舞いに来ていたが、病状が進行しているのだろうか、お爺ちゃんはみるみる痩せていき、やがて、腕や鼻やのどにチューブを繋ぐようにもなった。

 会いに来ても治療中で話せないことが多いし、話ができる日でも、元気が無くなったせいで以前のように長い時間は話せない。

 加えて、お爺ちゃんの声は掠れて、よく聞き取れないという。

 

「だから、会いたくないの」

 

 少年は、胸の内の不安な気持ちを吐き出すように、そう話してくれた。

 

 話を聞いて、リンは気が付いた。

 

 おそらく、少年は『死』と向き合うのを怖がっている。

 

 少年の年齢では、まだ『死』というものを理解するのは難しいかもしれない。

 だが、幼い子供でも、幽霊やお化けの話を聞いて怖がることはある。

 どんなに幼くても、人は本能的に『死』を恐れるものなのだ。

 少年は日々憔悴していくお爺ちゃんを見て――恐らく生まれて初めて――『死』というものを感じ取ったのだろう。

 

 だから、会いたくないのだ。

 

 大好きなお爺ちゃんが『死』へと向かっているその姿を見たくない。

 その気持ちは、リンにも痛いほど判る。

 

 でも、判るからこそ――どんなに怖くても、そこから逃げてはいけないんじゃないか、とも思った。

 

「でも、お爺ちゃんに会えないと、寂しいでしょ?」

 

 リンが言うと、少年はまた無言で視線を落としたが、やがて、小さく頷いた。

 

「きっと、お爺ちゃんも、あなたに会えなくて寂しがってると思うな」

 

 少年は無言のまま、じっとうつむいている。

 

 遠くの病棟から医療スタッフを呼ぶ館内放送が聞こえてきた。

 窓の外の中庭からは、子供たちが元気に走り回る声が聞こえる。

 図書館内からは、時おり本のページをめくる音と、誰かが移動するときの足音や衣擦れの音がする。

 図書館内には、静かな時間が流れている。

 

 少年の目が、ふと、出入口の方に向いた。

 

 リンもそちらを見る。

 先ほどの母親と、母親が押す車イスに座る年配の男性――少年のお爺ちゃんだろう。

 落ち窪んだ眼下と頬、骨が浮き出た両手、そして、鼻やのどに繋がれたたチューブが、辛い闘病生活を如実に物語っているようだった。

 

 それでも。

 

 お爺ちゃんは少年の顔を見ると、元気だった頃と同じ笑みを浮かべた。

 もちろん、入院する前のお爺ちゃんの姿を、リンは知らない。

 それでも、その笑顔を見たリンは、そうだと確信したのだ。

 

 そして、戸惑う少年の顔にも――ほんのわずかだったが――笑顔が浮かぶ。

 

「――ほら」

 リンは、そっと少年の背中を押した。

 

 少年はリンに向かって頷くと、椅子から立ち上がり、お爺ちゃんの元へ駆けて行った。

 

「お爺ちゃん、久しぶり!」

 大声で言う。

 

 母親は

「こら、静かにしなさい」

と言って、周囲に頭を下げたが、少年をとがめる人はいない。

 利用者も、図書館のスタッフも、みんな微笑ましく見守っている。

 

「中庭に行ってみましょうか? 桜が奇麗よ?」

 

 母親が言い、少年はお爺ちゃんと一緒に図書館を出て行った。

 リンは少年を見送った後、彼が読んでいた本を本棚に片付けた。

 

 しばらくすると、少年とお爺ちゃんが中庭に現れた。

 少年が桜の木の下を駆けまわり、お爺ちゃんはそれを見つめる。

 リンは窓越しにその姿を見ながら、さわやかな気持ちで仕事を続けた。

 

 

 

 

 

 

 それから数日が経ち、リンのバイトの最終日になって、あの少年がまた図書館にやってきた。

 

 暗い顔をしていた。肩を落としていた。頬には、涙を流した跡もある。

 

 リンが、どうしたの? と訊くと、少年は、少し前にお爺ちゃんが亡くなったことを告げた。

 

 今朝早くに病院から連絡があり、少年の家族や親せきが集まって、お爺ちゃんにお別れを言ったそうだ。

 両親はお医者さんと話したりいろんなところに電話するのに忙しく、しばらく図書館に行ってなさい、と言われたらしい。

 

「そうなんだ……悲しいね」

 

 リンが言うと、少年は無言で頷いた。

 

 しかし、その後「でもね――」と言って、顔を上げる。

 

「すごく悲しかったけど、さいご、お爺ちゃんが笑ってくれたの。だから、僕も笑って、さようならって言ったの」

 

 少年は涙をにじませた目で、悲しみをこらえた声で、そう言った。

 

「……偉いね」

 

 リンは少年の悲しみに寄り添うように、頭を撫でた。

 

 そして、言った。

 

「きっと、天国のお爺ちゃんはあなたの笑顔をずっと覚えている。だから、あなたもお爺ちゃんの笑顔を、ずっと覚えていてね」

 

「うん――」

 

 少年は、さいごにお爺ちゃんに見せたものと同じ笑顔を浮かべ、強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 アルバイトが終わった帰り際、リンは、愛知に住んでいるお爺ちゃんに電話をかけた。

 

「今度、どこかツーリングに連れて行ってよ」

とおねだりすると、前からリンと一緒に行きたかった場所があるんだ、と、嬉しそうな声で言ってくれた。

 

「じゃあ、次の連休に連れて行ってね? 絶対だよ?」

 

 そう約束し、電話を切った。

 ちょうどお給料が入り、懐は春を過ぎて初夏のように温かい。

 お爺ちゃんが大好きな鰻だって、特上でご馳走することができるだろう。

 きっと、お爺ちゃんはすごく喜んでくれるはずだ。

 

 リンはヘルメットをかぶってスクーターにまたがると、駐輪場を後にし、暗くなりかけた家路を急いだ。

 

 

 

 

 

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