季節は六月。
クラスメイトとして名前と顔くらいしか知らなかった頃。
「……若菜さん? こんなところで何してんの?」
「…………」
「ええっと。俺、同じクラスの
「個人的事情による必然性に即した行動の結果としての滞在」
「はぁ……え? 何それ? どういうこと?」
放課後の屋上を訪れた
「…………」
(あ~、無視か。まあ、この子ってそんな感じの子だよな。……さて、どうするか)
何か会話を続けようかと数秒ほど思案した誰人だったが、すぐに面倒になってその考えを放棄することにした。
(放置でいいな)
クラスメイトとは言っても特に親しいわけでもない相手。
一般的な基準からしても顔立ちは整っている方だし、勉学運動共に成績も優秀なのにも関わらず明らかにクラス内で浮いている存在――つまりは、“美人だけど変人”が大多数のクラスメイト達の間での共通認識である“若菜 四季”という少女は、誰人にとっては彼女の親しい友人共々にわざわざ積極的に関わり合いになりたいと思えるような相手ではなかった。
もっとも、関わり合いになろうとしないのは相手の方も同じのようで、最初に一瞥した以降は誰人のことなどまるで存在しないかのように視線を向けることすらない。
(てか、何で屋上に? 科学部の実験か?)
昨今のセキュリティやら安全対策やらを考えれば立入禁止指定にされてもおかしくないのに、この学校の屋上は何故かいまだに普通に学生が出入り可能な状態である。だが、意外にも利用している人間は少なかったりする。
ぶっちゃけ、日除けも無い吹き曝しの屋上は夏は暑いし冬は寒い。その上、錆びだらけの古いベンチがひとつある以外には特に何か遊具や施設が設置されているわけでもない。景色はまあ多少は良いかもしれないが、都内に住んでいればもっと景観の良い場所や楽しい場所は幾らでもある。
結論。――放課後に学生がわざわざ過ごすような場所ではない。……誰人のような一部の物好きと何か特別な用件でもない限り(因みに今日は週末で明日は学校はない。「友達と遊ぶ予定とかはないのか?」とは決して言ってはいけない)。
(何してるのか知らないけど、もしかして当分居座るつもりか? 俺の憩いの時間なんだけど……できればどっかに行ってくれないかな~)
放課後に誰も来ない屋上で好きな音楽でも聴きながらひたすらダラダラと過ごす。
日々の授業や塾に行けば来月上旬に控えた定期試験やらそう遠くない未来に控えた高校受験やらと言う名の逃げようもない現実に直面しなければならない中で、誰人にとってこの放課後のひと時は精神の安定を保つための大事な時間だった。
「え~と、とりあえず俺はそっちの奥にあるベンチにいるんで……」
「…………」
(よし。ガン無視か。オケオケェ。じゃあ、俺も無視するんで、そっちもそっちで好きにしてくれ)
何やらスマホ弄りに注力している少女を放置することに決めると、誰人はいつもの定位置である屋上唯一のベンチへと向かう。
最近の気温の上昇具合を鑑みると、あと少しもすれば流石に直射日光の直撃に耐え切れなくなりそうな季節に突入するが、それまではギリギリまでこの場所での憩いの時間を楽しみたい。
鞄から愛用のヘッドフォンを取り出して装着すると、ベンチの錆びと汚れを軽く掃ってから仰向けに寝転べば準備は完了。外界情報をシャットダウンしていざや飛び込まん五線譜の海へ。
(お。今日配信されたばかりのテイラーの新曲メッチャ良いな)
受験生と言う現実から暫し逃避し、誰人は一頻り音楽の世界を堪能する。
「~~♪」
「……ねぇ」
(来年はフェスとかも行けたらな~。高校生になればバイトとかして遠征なんかも)
「ねぇ。聞こえてる?」
(…………うん?)
何か不思議な圧力を感じる。
最初はただの気のせいと無視していた誰人だが、時間を経ても消えることなく徐々に強まる感覚に遂には耐え切れなくなって閉じていた目を開ける。
「……え? え?」
開かれた視界の先には、いつの間にか移動していた四季がベンチに寝転んでいる誰人を感情の読めない瞳で見下ろしていた。
「な、なに? どうかした?」
ヘッドフォンを外し、深く透ける空色の髪を微かに揺らしながら黙然と見下ろしてくる四季へと視線を向けた誰人だったが、あることに気付いて思わず視線をあさっての方へと泳がす。
(いやいや! ダメだろこの位置取りは!! 普通に見えそうなんだけど!? 若菜さん気付いてないのか?)
屋上に風が吹くたびに揺れては舞う制服のスカート。
寝転んでいる誰人の位置からはそのたびに少女の健康的だがスラリとした太腿が視界に入り込み、更にはその先にある未知なる領域すらも見えそうになる。
「起きて。今すぐ」
「は? 急に何を――おわッ」
飲み込めない事態と突然の発言に混乱と訝しみの声を上げた誰人だが、有無を言わせぬといった様子の四季に突如として腕を掴まれると、予想外に強い力で無理矢理引き起こされる。
引き起こされた瞬間、動きの反動で大きく舞ったスカートの先に薄い白緑色の布地が見えた気がしたが、色々と混乱する頭の中でとりあえずはその正体に関する考察は一端保留としておくことにする。……家に帰って自分の部屋で一人になってからゆっくり考えよう。
「ちょっ、まっ、おい! な、何なんだ一体!?」
「こっち。来て。早く」
唐突な状況への混乱に思考も身体もまともに追い付いていかず、抵抗して引き剥がすといった至極当たり前のことすらもできずにただ引き摺られるようにして移動させられる誰人。
(この子、こんな強引なことをする子だったのか? 科学部で変な発明をしているらしいとは聞いたことがあるけど、基本的には大人しいタイプの子だと思ってたんだが?)
数ヶ月クラスメイトとして過ごした間での印象やそれまで聞いていた噂などから抱いていたイメージ。それとはまるでかけ離れた行動を取る四季に誰人の混乱がますます深まっていく。
「此処でいい。このまま隠れてて」
「隠れる? 何で「静かに」お、おぅ」
屋上に至る階段がある建造物――“塔屋”というらしい――の裏まで引き摺られてくると、誰人はそのまま有無を言うこともできずに壁へと押し付けられる。
(って、近い近い!?)
誰人を壁に押し付け、塔屋の出入口付近の様子を窺っている四季だが、その距離は異常なほどに近い。四季自身の身体で誰人の身体を塔屋の壁に押し付けるようにしていることもあり、殆ど密着していると言ってもいいような状態だった。
身長は四季よりも誰人の方が拳一つ分くらいは高い。だが、壁に押し付けられた不自然な体勢のせいか視線がかなり下がっていて、ちょうど四季の微かに乱れた髪が掛かった耳元や白くて細い首筋のラインがハッキリと確認できてしまう。その上、既に衣替えもしてお互いに薄手の夏服になっていることもあって、何か四季の体温すらも服越しに感じ取れるような錯覚に陥りそうになる。
(い、意味わからん)
何かの薬品の匂いに混じって誰人の鼻腔を擽るのは女子特有のどこか甘いような香り。特別な興味があった相手ではないが、それでも誰人の思考と情動を激しく揺れ動かすには十分すぎるくらいの威力があった。
(本当にどういうつもりなんだ? 何がした――ん?)
とにかく状況がまるで掴めない。
そして、今のこの体勢はいろいろと誰人の精神衛生的にも非常によろしくない。
現状打破の為にもせめて最低限の説明をして貰おうと口を開こうとした誰人だったが、誰かが屋上に上がってきた気配と同時に少しだけ身体を震わせた四季の様子に口を開くタイミングを逃す。
「それで、話ってのは何なんだよ?」
(誰だ?)
少し遠いが聞こえてきた若干聞き覚えのある声に少しだけ首を捻り、百聞は一見に如かずと身体を動かして先にピーピングトムを決行中である四季同様に誰人も塔屋の陰から顔を覗かせる。
(あれは……米女さん? もう一人は……見たことのない子だな。
覗いた先には、クラスメイトの米女 メイ(その特徴的な髪形は見間違いようもない)と見知らぬ女の子(おそらくは下級生)の姿。
(ああ、そうか。この二人は仲が良いんだっけ。一緒にいるとこをよく見るし)
四季の奇行の原因はどうやらクラスメイトである少々ヤンキーぽい雰囲気を持つ少女らしい。
(呼び出しをされた友達が心配で、わざわざその場所に先回りして少し離れた所から様子見、か。……ちょっと重くないか? いや、女の子同士だとそれくらいは普通なのか?)
残念ながら女心に明るくない(彼女いない歴=人生)野郎の感性では現状の四季の行動がまったく理解できず、誰人としてはますます下手に口を開けなくなる。
(つーか、今余計なことを口にして様子見の邪魔をしたら、その瞬間に謎の薬品を飲まされたり電気ショックをくらわされたりして問答無用で気絶させられそうだな)
右手に紫色に怪しく光る液体が入った試験管。左手に電気をバチバチさせているスタンガン。サイバーパンク作品に登場するマッドサイエンティスト達御用達の謎機能付きの眼鏡をかけて白衣を羽織った四季が無言無表情で迫ってくる姿を幻視し、思わず身震いしてしまう。
「なあ、大丈夫か?」
(え?)
不意に心配される声が聞こえ、一瞬自分に向けられたものかと誰人は思ったが、すぐに勘違いであることに気付く。どうやら呼び出しをしたにも関わらずいつまで経っても話を切り出す様子のない相手に対してメイが心配の声を掛けたようだ。
誰人は少しだけ目を凝らして覗き見ると、下級生と思わしき女の子は酷く緊張しているようだった。
(あれ? これってもしかして……)
天啓などと言った大仰なものではないが、なんとなく思い当たる状況が頭の中に思い浮かぶ。それは誰人としては突拍子もないことのような気もするのだが。
「あ~、もしかしてだけど。私なんかしたか? それなら「ち、違います!!」そ、そうか」
「米女先輩。あの……わたし……」
顔を赤らめ、真剣な眼差しでメイのことを見詰める下級生の女の子。
そして、
「ず、ずっと前から、先輩のことが好きでした!!」
多少の距離など関係ないくらいにハッキリと聞こえる声での告白。
いろんな不安や恐怖や葛藤を乗り越え、勇気を振り絞った女の子の行動に、
「マジかぁ」
誰人は反射的に思ったことを口から漏らした。