どうやって投稿したらいいのかの試しに過去に投稿した作品を掲載
利用にあたって他の方から見て気づいた不備、至らない点がございましたらご指摘いただけると嬉しいです。
Pixiv様とのマルチ投稿です
1
――はいつかの出来事を経てから何かに対し、目を背けるということはあまりしなくなった。
そう。あまりであり、つまりは少なからず目を背けてきたことがあるのだ。
2
「――プロデューサーさん、起きてください」
心地の良い、聞き慣れた声が男の耳に届き、沈んでいた意識が浮上していく。
男は閉じていた瞼を開いた。
「あ、起きましたね。おはようございます……プロデューサーさん、よく眠れましたか?」
男の視界に真っ先に映ったのは可愛らしく、優しい微笑みを浮かべる少女、島村卯月がいた。
どうやら男の顔を覗き込んでいたようだ。
「しま、むらさん――」
少女の名前を呼ぶと、にっこりとまた笑顔を浮かべる。
呆けた頭で男は横になっていた身体を起こし、周りを見渡す。
見慣れたデスク、テーブル。テレビに本棚に男が担当するアイドルたちが持ち寄ったグッズの数々――どうやらここは今となっては男の日常の一部と化したいつもの部屋であった。
おや、と男はなぜここで寝ていたのかを少し考える。
そうだ。
男は冬から今の春まで忙しくなり、あまり休息が取れずにいた。
その忙しさもようやく今日の仕事を終わらせれば落ち着く。だから一仕事を終えて少し休憩するためにソファーで横になっていたことを思い出した。
「――」
カチカチという時計の音を聞き少しだけ、寝汗ではない汗が背中を伝う。
自身が考えていたよりも寝ていたのでは、仕事が……いろいろな考えが巡って時間を確認するため腕時計を見る。
――よかった、そんなに時間は経っていない。
そのことに男は安心してホッと一息つくと、いまだ笑顔で見守っていた少女に話しかける。
「どうも、島村さん」
「はい、プロデューサーさん……大丈夫ですか?」
男の呼びかけに元気よく応えると、島村卯月は大丈夫ですかと尋ねた。
「……」
どうやら自分が心配されていることに男は気づく。
しかしなぜ大丈夫なのかと聞かれるのか分からない――わけではない。
今の自分は酷く疲れた表情をしていると自覚しているし、目の前の少女とは短い付き合いでもない。自分がソファーで横になって寝ていたことで、どういう状態なのか気づいてるのだろう。
「疲れてるんですよね。最近のプロデューサーさん、昔みたいに顔が怖いです」
だから卯月は心配そうな表情を浮かべて、そう聞いてくる。
男としては大丈夫です、と強がりたい所ではあるがそんな嘘は通用しない。しないが、卯月は騙された振りをして悲しい表情を浮かべてそうですかと言って、続き自分を気遣ってくれるだろう。
「……冬から忙しかったもので、疲れがあまり取れていないのは確かです」
だがそれは男としては嫌なので、正直に答えた。
それに本当に疲れていたから、そういう嘘をつくのも面倒というのもあった。
「……プロデューサーさんは、頑張り過ぎなんですよ」
卯月の言葉に、男は首を傾げた。
「そう、でしょうか」
「はい」
卯月は頷くと、寝ている男の側に座り言葉を続ける。
「私が、私達が始まったあのときから、その前から頑張っていて。今もこうして頑張ってる……頑張り過ぎなくらいです」
そう言われても確かに、とは男には思えなかった。
男としては自分の仕事をこなし、大切なアイドルたちのために、今に至るまでこなしてきた。ただそれだけだと。
「あれからとても時間が過ぎて、皆それぞれで活動して、昔みたいに皆と集まって活動することもある――そんな状況でもプロデューサーは今までみたいに、私達を支えてくれて」
しかし男の大したことないという考えを否定し、それはとても凄い事なのだと、少女は言った。
「――けど、頑張るのはいいんですけど、それで疲れて倒れてしまったら、元も子もないんですよ?」
だからと言って、卯月は起こしていた男の身体に手を添えて、自分の方へと倒し、さっきのように男は寝転がった。
違う点があるとすれば男の後頭部にソファーとは違う柔らかく、温もりを感じる感触。
男の今の状況は膝枕をされている状態だった。
男はその行動にキョトンとした顔を浮かべ、まさかの状況に視線をきょろきょろさせ、頬を少しだけ赤く染めた。それを見て卯月はクスリと笑う。
「島村さん、これはっ」
「今は休んでください」
羞恥から思わず男は声を荒げるが、卯月は真剣な表情で見つめる。
「プロデューサーさんのことですから、一仕事を終えてるんですよね」
「は、はい。そうですが」
「それで、余裕があるから休憩してたんですよね。だったら、次の仕事まで休んでください。大丈夫です、そのときには起こしますから」
「しかし――それに島村さん、今日の予定は」
「今日の私はレッスンと打ち合わせだけなので、それもすでに終えてます。だから私のことは気にせず、甘えちゃってください」
「……」
ふぅっと一息をつく。
自分の担当アイドルの膝枕というのが何とも言えない抵抗感があるが、この少女がここまで言ったら折れることはないだろう。
ならば仕方ない、そう考えて男は受け入れることにした。
今は、酷く疲れている。
お言葉に甘えて少しの間、寝てしまおう。
そう考えてしまえば早いもので、少し覚めていた眠気がまた戻ってきた。
「では、この時間に――」
「はい、分かりました」
本格的に寝てしまう前に男は卯月に起こしてもらう時間を伝えると、次第に意識が薄れていく。
薄れていく意識の中、男は額を撫でられる感触と、卯月が優しく微笑む表情を見た。
ああ、と男は思う。
――日に日に、困難になっていく。
様々な事を考える前に、男の意識は沈んでいった。
島村卯月は己の膝で安らかに眠る男の顔を眺めながら、やはりと思う。
それを自覚しながら、カチカチと鳴り響く時計の音を聞き、この心地良い空間に身を委ねながら約束の時間まで卯月は目を閉じた。
日に日に積もっていくそれは、目を背けるにはとても辛く、困難となっていた
だから――。
3
「すいません、今到着しました」
『分かりました、すぐに向かいますね』
インターフォン越しで卯月の母がそう言うと、ガチャりと玄関から見える扉が開き、卯月の父親と母親が出てきた。
「いやはや、どうもプロデューサーさん。いつも娘が世話になってます」
「いえ、こちらこそ島村卯月さんには助けられています」
「……お父さん。そういう社交辞令は大切ですけど、今は卯月を迎えに行ってくれませんか?」
「おお、そうだったな! プロデューサーさん、ちょっと失礼を」
「はい、お願いします」
そう言って卯月の父は男が運転してきた車の方へと向かっていった。
「ありがとうございますね、プロデューサーさん」
「いえ、お気になさらずに」
「卯月が起きなくて大変だったでしょう。車で送ってくださって、とても有り難かったんですよ?」
卯月の母は男の背後を見て、男も後ろを見る。
後部座席で寝かされていた卯月を、父が背負ってこちらへ歩いていた。
結局あのあと、男は卯月に起こされたまでは良かった。
しかしそのあと直ぐに卯月も眠ってしまい、一度起こしたが起きる気配もなく、男は一通りの仕事を終わらせて車で卯月を送ることにしたのだ。
ちなみに卯月を車に乗せたのは男ではなく、近くにいた高垣楓と千川ちひろに手伝って貰った。
「そうだ、プロデューサーさん。まだこれからお仕事ですか?」
母が良い事を思いついたという表情で、パンッと手を叩く。
「え……そうですね。仕事を終えたので、このまま家に帰ろうと思ってます」
「なら時間は大丈夫ですね? でしたら、少しだけ家に上がっていってくださいな」
「それは、お邪魔では……」
「いえいえ、別にお邪魔でも何でもありません。ねえお父さん」
母がすでに男の背後にいた父に話しかける。
「ああ、そうだな。プロデューサーさん、どうぞ上がっていってください。ちょうど、卯月のことでいろいろ話を聞きたいと思っていたんですよ」
「はあ……では、少しだけ」
卯月を送りに来ただけだったがまさかのお誘いに戸惑いつつ、卯月の両親の押しに負け、男はそれに頷いた。
父が卯月を部屋に連れて行ってる間、男はいつかの日にもてなされた部屋でソファーに座っていた。
「どうぞ、プロデューサーさん」
そうしている内に母が飲み物と菓子を持ち、目の前のテーブルへ置かれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ……しかし、こうしてプロデューサーさんとお話するのも何時以来でしょうか」
「そう、ですね……最後にこちらへお邪魔したのは、シンデレラガールズのイベントのご報告のときでしょうか」
「ああ、あのとき!」
男は思い出す。
あのとき、シンデレラプロジェクトのメンバーがシンデレラガールズとして選ばれたとき、所属メンバーの両親に報告して回ったことを。
「あのとき、私は急にお邪魔してしまいましたね」
「そんな、気になさらないでください。テレビでもあんなに大きく取り上げられて、娘の大事な出来事なんですから。それをいち早く報告してくださったんです」
「そうですよ、プロデューサーさん」
話していると父が部屋に入ってくると、会話に自然に混じってくる。
「あらお父さん。卯月はどうですか?」
「ぐっすりと部屋で寝てるよ……夜中には起きてくるんじゃないか?」
「そうですか……あの子が違う場所で寝るなんて、本当に珍しい」
「はは、そうだな……で、プロデューサーさん。ここへ来た時のことを話してくれるのも嬉しいんだが、卯月の話をだね」
「お父さんったら。本当に娘が可愛いんだから」
「はは、目に入れても痛くはない。あいつのために死んでくれと言われたら死ねると断言できる程可愛い、我が娘だからな!」
男を置いてけぼりで話し始める二人の姿を見て、男はやはりお邪魔だったのではと思い始める。
それを察したのか、二人は同時に咳払いをすると、照れた様子で話を進める。
「じゃ、じゃあプロデューサーさん。最近の卯月のこと、私達も知らない卯月のことを教えてくれるかな?」
「は、はい」
それから島村卯月という少女の頑張りを男は語り始めた。
「はは、卯月がそんなことをねぇ」
「ふふ、お父さんったら。笑ったらあの子に悪いですよ」
「だがなぁ、あの子が私達が見ていない所でそんなことをしていて、そんなことがあったわけだからなぁ。申し訳ないが笑ってしまうよ」
「――私も、島村卯月さんにそんな一面があったことに驚きました」
あれからしばらくの時間が経った。
それだけでとても盛り上がった。
男が卯月のことを話せばそれだけで両親は驚き、笑い、喜び。そして二人も男に向けて家での卯月を話し、それを聞いて男も驚く。
それなりに長い付き合いになったが、新たな一面を知って男は喜ぶ。
「子供の頃はお母さんみたいにお嫁さんになるって言ってたのに、いつの間にかアイドルになるんだーって言ってたんですよ?」
「そういえば子供の頃は母さんみたいになるってあれだけ言ってたのになぁ。何でアイドルになりたいって言い出したんだったかな」
二人が少しの間考える素振りを見せると、そうだと母が言った。
「確かテレビを見てて、アイドルが歌ってる番組を食い入る様に見てすぐに「ママ、わたしアイドルになる!」って」
「ああ、あのときか。あの頃は本当に卯月がアイドルになるだなんて思わなかったよ」
「ふふ……ええ、本当に。だからあの子がアイドルになれて本当に良かった……」
「ああ、そうだな」
男はやはり、目の前で笑いあう二人が島村卯月という少女の親で、あの少女はだからあんなにも素敵な笑顔が出来るのだと思った。
二人が微笑みながら娘の夢が叶って本当に良かったと口にする姿はとても優しさが溢れ、温もりを感じる。
「……プロデューサーさん」
母が少し目を潤ませて、男の顔を見る。
「はい、何でしょうか」
「アイドルのために努力して、一緒に頑張ってきた友達が諦めていっても、あの子は頑張ってきました」
「……はい」
「私達に弱音を見せることもありました。けれど、頑張って、頑張って……ある日、私に電話が来ました。私、アイドルになれます。デビューします!って」
「それが本当に嬉しくて……あの子の夢が叶うんだって、努力が実ったんだって」
母は泣いていた。
父も、母の言葉を聞いて目を潤ませていた。
「……ですが夢が叶ったことで、私達には新たな不安が生まれました」
「……私達も社会を見てきて、生きている人間です。皆が皆、成功するわけじゃない。アイドルになったからと言って、成功するとは限らない。輝けるとは限らないということを知ってる」
母が思い浮かんだ不安を、父が言葉にする。
それは人生を歩み、社会を生きていけば自然と学び、理解すること。
「もし、アイドルになってもその後成功せず、挫折してしまったら……娘はまだ学生で、社会というものをあまり分かっていない年頃ですから、とても不安でした」
両親はとてつもなく娘を愛していて、娘が傷つくのがとても恐ろしかったのだ。
「だから一度、卯月が悩んでいた時期はとても怖かったんです。ああ、その時が来たのだと……けれど」
それは私達の心配しすぎだったのだと、父と母が言った。
「私達はあの子の強い所も弱い所も知ってます。あの子は強い子ですが、弱くもあると」
「大切に育ててきた娘です。だから、心配しすぎだったんでしょうね。私達が何かを言う前にあの子は立ち上がったんですから」
「もちろん、私達以外の友達、もちろんプロデューサーさんにも助けられたのでしょう。それでも、あの子は乗り越えた。あの子は、卯月はいつまでも子供ではないのだと、そのときに分かったんです」
二人は真剣な表情で男を見る。
「だからプロデューサーさん、卯月をアイドルにしてくれて」
「卯月を支えてくれて、輝かせてくれて」
「「本当にありがとうございます」」
二人は男に頭を下げた。
両親の言葉を、その姿を見て。男は心から何か込み上げるものがあった。
「――はい、とても光栄です」
男もそう言って頭を下げた。
「本日は、お邪魔しました」
「はい、また来てくださいね」
「母さんも私も、プロデューサーさんならいつでも歓迎しますよ」
男が卯月の家に招かれてからそれなりの時間が経ち、頃合いだと思った男は帰ることにした。
父と母もそれを察し、男を玄関まで見送りにきている。
「プロデューサーさん」
男が靴を履いてる途中、母が男を呼ぶ。
男は振り向く。
「プロデューサーさんが家にご挨拶に来た日、私達がどうして卯月を選んだんですか、と聞いたことを覚えてますか」
「はい、覚えてます」
答えも男は覚えている。
それは今でも変わらない。
「選考理由は、あの子だけの笑顔だと……私達はそれで、プロデューサーさんにならあの子を任せられると思ったんです。ああ、この人はあの子を本当に見てくれてるんだって」
「そう、ですか」
「だからプロデューサーさん。あの子の事、これからもお願いします」
「……はい」
靴も履き終えて立ち上がった男は両親に頭を下げ、家を後にしようとしたとき、また母が言った。
「そういえばあの子、もう一つの子供の頃からの夢を諦めてないんですよ」
「? それは」
「いつか、お母さんみたいなお嫁さんになるっていう夢」
「――」
「アイドルだからそういう事は難しいし、大変でしょうけど……誠実な方で、あの子を理解してくれているのなら、その夢も叶ってくれたらと、私は思います」
「おい、母さん」
「ふふ、それではプロデューサーさん」
「――お邪魔しました」
悪戯が成功したような笑みを浮かべる母に呆れた表情を浮かべる父。
男は開けた扉をくぐり、ゆっくりと閉めると卯月の自宅を後にする。
男は気持ちが見抜かれていたと考えながら、男はいつもの癖で首の後ろを撫でた。
4
「ありがとうございます、プロデューサーさん。付き合って貰っちゃって」
「いえ、構いません。私も今日の休みの日にどうするかと考えていた所だったので、予定が出来てちょうど良かったんです……それでどちらへ行かれるのですか?」
「はい、その場所なんですけど――」
男が卯月の家で話した日から数日後。
男にとって久しぶりの休みの日。
休日を何をして過ごそうかと考えているとき、朝早くに卯月からメッセージが送られてきた。
メッセージは今日、お願いしたいこと、付き合って貰いたいという内容であった。
趣味もあまりなく、今日はどうするかと考えていたときに届いたメッセージ。男は特に何も考えず、大丈夫だと返した。
そのままトントン拍子に話が進み、ある場所へ行きたいということで今、二人は車に乗ってその場所へと向かっていた。
春となった季節、桜が咲き、花びらが少し舞っている風景が後ろに流れていく。
周囲の状況に気を配りながら男は助手席に座る卯月に気になっていたことを聞いた。
「……しかし、どうしてこちらへ?」
順調に進んでいると先の信号が赤となり、車をゆっくり止める。
卯月が示した場所に男は疑問を抱いていた。
「あ、もちろん。許可は取ってますよ? 電話したら「どうぞ、見学してください」って」
「それはいいのですが……その場所は今日はイベントもなく、何もありません。それを分かっていて島村さんは行くのですか?」
「はい」
卯月が頷いた。
「どうしても、今日ここへ行きたくて……プロデューサーさんと一緒に」
「私と、ですか?」
信号はまだ赤。目の前の横断歩道を行き来する人を見ながら男は卯月の自分と一緒に、という言葉に首を傾げた。
確かに、思い出の場所ではあるが。
「そうです、どうしてもプロデューサーさんと一緒に」
「……」
信号が赤から青になった。
ブレーキを踏んでいた足をアクセルへと切り替え、ゆっくりと速度を上げながら車はまた走りだす。
長く男が担当してきたアイドル、島村卯月。
卯月の事をいろいろ理解してきたが、今日の彼女に関しては男は読めなかった。
しかし、そんな彼女が男にお願いを、付き合って欲しいというのは稀な事であった。
だから今日、ここへ行くのはとても大事な事なのだろうと納得した。
徐々に目的地へ近づくにつれて、運転席からその場所が見えてきた。
「あと、もう少しで着きますね」
「はい」
見えてきた目的の場所、それはシンデレラプロジェクトのメンバーがシンデレラガールズとして大きな舞台に立った会場であった。
車を駐車場に停め、中に入ると卯月と男が進んでいく。
入り口を越え、階段を登り、廊下を進み。
「島村さん、どこに……」
「もうすぐ、着きます。もうすぐ……ここです」
そうして卯月が目的としていた場所へと辿り着く。
そこは大きな舞台へ続く扉だった。
「ここに?」
「はい、この先に……今日という日に、ここへどうしても来たかったんです。我儘を言ってごめんなさい、プロデューサーさん」
「いえ、私は別に構わないのですが。なぜここへ?」
けれど、男にはなぜこの場所へ来たかったのかが分からなかった。
「……どうしても、今日ここでやりたいことがあったんです」
「どうしてもですか?」
「はい、どうしてもです」
言って卯月は扉を開けると中へ入っていく。
男もそれに続いた。
人がいなければ大きな舞台もガランとしていて寂しいものだと、男は思った。
舞台は少々のライトで照らされ、多く設置された観客席が人がいないため、ガランとしている。
誰も、誰もいない今この場所には静寂が広がっている。
そんな中、少女が大きな舞台に立っていて……それを、男は最前から見ていた。
男に少女は舞台の上から話しかける。
「やっぱり大きくて広いですね、ここ」
「はい……ここで島村さんも、シンデレラガールの一人として舞台に立ちましたね」
「あのときの事は今でも思い出せます。沢山のお客さんが目の前に居て、歓声が、熱気が凄くて。皆頑張って……私は自分のことで必死でしたけど、とても凄い体験でした」
あのときの事を思い出してか、少女は穏やかな表情を浮かべる。
その表情はこの舞台に立ち、やり遂げた直後の表情とまったく同じで、それを見て男はあのときの想いをまた口にする。
「……プロデューサーとして、島村さん達をこの舞台まで導くことが出来て、本当に良かったです」
「私も、ここまで頑張ってこれて嬉しいです……本当に」
卯月はクルッと回って、男に背を向けた。
「だから、ここが全ての始まりなんです」
「始まり、ですか?」
「そう、始まりです」
少女は言葉を続ける。
「子供の頃から憧れていたアイドル。養成所でいっぱい練習して、未だ成果が出ずにいたとき、ある日イベントの手伝いを任されました」
「……」
「それがこの場所で、楓さん達がシンデレラガールズとして立つ舞台のお手伝いでした」
それはいつか聞いた話だ。
少女が大切にしている、思い出の一つ。
「その日はとても忙しくて、私はあたふたしながら手伝いをして」
少女が未だ背を向けているため男から表情は分からないが、声はとても優しく、穏やかで。
「そのとき、凛ちゃんと未央ちゃんと出会っていて――」
背を向けていた少女が男に向かって振り向く。
「プロデューサーさん、あなたとも出会ったんです」
「知って、いたんですね」
男の声が静かな舞台に響く。
そう、男はここで少女と出会っていた。
「ずっと、ずっと前に分かっていました」
少女が頷く。
「分かったのは私がこの舞台に立った日。さっきのあの階段の所で凛ちゃんと未央ちゃんとぶつかったとき。プロデューサーさんがガラスの靴を拾ってくれたときです」
とはいえそれは出会いと表現できるほど劇的ではなく、長くもない。一瞬の出来事である。
「まったく一緒だったんです。楓さん達の手伝いをしたときと、私がこの舞台に立ったときと。一回目も私は凛ちゃんと未央ちゃんとぶつかって、それで落とした備品を――ガラスの靴を誰かが拾ってくれて。その誰かがプロデューサーさんで……まったく一緒」
「はい。そう、そうですね。状況がまったく一緒でした」
「ぶつかって三人で笑いあって、プロデューサーさんも笑ってて……ふふ」
二人はあのときのことを思い出し、笑いあう。
「だから、私が初めてアイドルになって一緒に頑張ってきた人と、私をアイドルにしてくれた人と初めて出会ったのがここなんです」
「なるほど。だから始まりの場所なんですね」
「はい――けど、始まりなのはこの場所だけではないんですよ」
「というと?」
少女の始まりはこの場所だけではないという言葉が分からず、男は首を傾げる。
それを見て少女はまた笑う。
「あれから時間が過ぎて……」
――春がきて、夏がきて、秋が、冬が――そう言葉を続け。
「それでまた、今。春が来ました」
「春――」
あっ、と男は呟きを漏らした。
そうだ、と。今日という日は――。
「私が、島村さんへ会いに行った日」
「そうです、私とプロデューサーさんが養成所で会った日。本格的にアイドルへの第一歩となった日です」
昔を、大切な思い出を噛み締めるように目を閉じる。
「今日まで季節が巡って。大切な思い出がとても増えました。それは今も……それでも、私にとってアイドルへの道が見えた今日は、とても嬉しい記念日です――でも。時間が経つに連れて、今日という日は私がアイドルになれたから、ってだけじゃなくなって」
「……」
「とても大切な、大切な事に出会えた日だったんだって」
「島村さん……」
男が少女の名を呼び、少女の言葉が止まる。
「……」
「……」
また、静寂が広がる。
「……プロデューサーさん」
「……はい」
少女が目を開き、男を呼ぶ。
「まだ、大丈夫ですよね?」
「時間ですか? はい、まだ大丈夫ですが」
「だったら、少しの間だけ、ここで私の曲を歌ってもいいですか?」
「……それは、いいのですが。なぜ?」
「どうしても、ここで、私の歌を聞いて欲しいんです」
「……」
男は少女の頼みに少し考えて、「分かりました」と言って頷く。
少女はそれを見て、笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます、プロデューサーさん……では」
少女が改めて舞台の中央へ移動し、深く呼吸を整える。
そして男の顔を見て、笑いかける。
「島村卯月、歌います」
――少女の歌が響く。
音楽もない。もちろん、マイクもない。
――少女の歌が響く。
あるのは少女の歌声のみ。
観客は男ただ一人。
――歌が響く。
男は目を閉じて曲へ耳を傾ける。
今となってはグループの曲も、ソロとしての曲をいくつも少女は出してきた。
だから、今歌っている曲は最近あまり聞かなかったなと男は思う。
――歌が響く。
曲名は『S(mile)ING!』。目の前の少女そのものを表した曲だ。
――歌が響く。
少女が歩んできた道程を示し。少女の笑顔を象徴し。今、歩んできた道を思い出しながら笑顔で少女が歌う。
普通の女の子である、島村卯月を表した曲。
――歌が響く
聞いていて、男は昔のことを思い出す。
思い出すのは、目の前の少女がアイドルという夢を諦めかけたときだ。
――歌が、響く。
少女は何もないと言った。皆と比べて自分には何もないのだと。
――歌声が、響く。
けれど、少女は立ち上がった。
皆に助けられながらも、男が選択肢を委ねても、少女はそれを選び、立ち上がったのだ。
自分も、その先でキラキラ出来るのか確かめたいからと。
そして今、乗り越えた少女はここで歌っている。
――歌声が、聞こえる。
目の前の少女は両親に、友達に、いろんな人から愛されている。
そんな少女がとても眩しくて、輝いていて、男は綺麗だと思った。
もう一つの夢を諦めてないんですよ。
数日前、少女の母親から言われた言葉がふと頭に過る。
もう一つの夢、その先に自分は――。
――島村卯月の歌声が、聞こえる。
様々なことを考えている内に曲が終盤に差し掛かる。
ひとまず男は様々な考えを捨て、耳を一層傾ける。
良い曲だと、男は思った。
少女を最初の頃から見てきたからこそ、尚更この曲が良いと思えた。
なにせ島村卯月の全てが、この曲に詰まっているのだから。
――歌が、止んだ。
さあ、もうすぐ曲が終わる。
そう考えていると、昔と比べてとても上手くなった少女の声が止まった。
あと最後のフレーズだけを残して。
少女に、歌声に魅せられていた男はどうしたのかと思い、目を開く。
歌うのを止めた少女は舞台からいつの間にか降りていて、男のすぐ目の前に居た。
「……島村さん?」
「……プロデューサーさん、私は今、アイドルという夢を見ていて、それを信じて、生きています」
少女が言う。
「普通だから、私は皆と比べて何もないんだって考えて、一度は諦めかけたけど、私はここにいます」
少女が語る。
「私はキラキラできるんだって信じて、ここにいます――プロデューサーさん。私は今、キラキラしてますか?」
少女は問いかける。
男の答えは決まっている。
「はい、とても。とても輝いていて……星のように、キラキラしてます」
曇ったことはあっただろう。しかし、目の前の少女は輝いている。
それが答えだ。
「ありがとうございます、プロデューサーさん」
「あなたは今、前へ進んで、立派に輝いています」
「……でも、プロデューサーさん。私にはまだ、夢があるんです」
「それは、」
少女はまだ、夢があると言った。
「最初、私はアイドルになれて、それがゴールなんだって考えてました――けど、そこはゴールじゃなくて。その先があるんだって。だからこの世界でいろんなことに挑戦しながら、冒険しながら前へ進んで、その先へ進めて嬉しかった。だからこそ見えてきた、まだ叶えたい夢があるんです」
「……」
「その一歩として、私はこの曲を、私自身であるこの歌を歌ったんです……そう、愛を込めてずっと」
最後のフレーズを少し変えて、口にする。
「――あなたに向けて、ずっと歌いたいんです」
「――」
二人の付き合いは短くない。様々な困難を乗り越えてきた。だからお互いを信じ合い、気持ちを分かり合っていた。
だから。
男は気づいていた。島村卯月の気持ちに。
島村卯月は気づいていた。男の気持ちに。
男も島村卯月も気づいていた。自分の気持ちに。
気づいてなお、今日まで見過ごしてきたのだ。
「島村さん、それは、それは」
卯月が言葉を続ける。
「怖かった。今の関係が心地良くて、プロデューサーさんが私を見つけてくれたあの日からの魔法が、今の関係が無くなるのが、解けるのが怖くて……でも、私、決めたんです。先へ進もうって」
それから目を背けるのは、日々困難になっていった。
それはお互い様で。先に背けるのを止めたのは、真っ直ぐ見つめ始めたのは卯月だった。
「あなたのことが好きなんです。プロデューサーさん」
それから少しの沈黙が続く。さっきまで響いていた歌声は今はない。
言葉はなく、時間が過ぎていく。
沈黙を破ったのは卯月だ。
「――ごめんなさい、プロデューサーさん。あなたを困らせてしまって」
「島村さん」
卯月が顔を俯かせる。
「私、最低ですよね。プロデューサーさんの気持ちを分かった上で告白して、あなたの性格を知っていて、いろいろ話したあとに。あなたがとても悩むことだって、分かりきってるのに――最低です、私」
「島村さん」
次第に声が震え、男の目に映ったのは顔を俯かせて泣く少女の姿だった。
「今日告白してしまえば、始まりの日にしてしまえば、夢が叶わなくても新しく切り替えられるって考えて、そんな自分勝手な気持ちがあって、私……ごめんなさい、ごめんなさい、ぷろでゅー「島村さん」っ」
それが嫌で、男は優しい声で卯月を呼ぶ。
卯月はビクッと反応したあと、俯かせた顔を上げる。卯月が顔を上げた先で見えた男の表情は、いつかのとき、卯月が見た真剣な表情だった。
「失礼を」
男が卯月へと手を伸ばす。卯月はそれをじっと固まりながら見つめていて――男の指が卯月の目元へと添えられる。添えられた方の目を瞑り、身を任せると男は卯月の涙を拭う。
そしてそのまま手を上へと移動させ、安心させるように男は卯月の頭を撫でた。
「あなたの気持ち、お聞きしました」
「ふぇ」
「そして謝るなら私もです。私も、あなたの気持ちに気づいていて、今日まで見過ごしてきました。この関係が心地良くて――すいませんでした、島村さん」
「そ、そんな。プロデューサーさんの立場なら当然で、」
「だから、私も言わせてください」
少女が何かを言い切る前に遮ると男は目を閉じ、それから一呼吸して、卯月を見つめる。
「私もあなたのことが好きです、島村さん」
「あ――」
男の言葉を聞いて卯月の顔が、身体が、心が一気に熱く燃え上がった。卯月は今の自分がとてつもなく赤くなってるのを自覚して、男の言葉を自分の中へと染み渡らせる。
「あ、え、えっと」
「どうかされましたか?」
「え、えー。だって、私、てっきり駄目だと言われて、断られるんだって」
「……そう、ですね。昔の私なら、プロデューサーとして、聞かなかったことにして断ったと思います。そして、それが正しいのだと私は思います。ですが……」
男は優しく微笑む。
「あれから、あなたと出会ってから、時間が経ち過ぎました」
そう、時間が流れすぎたのだ。
「時間、ですか?」
「そうです。断るにはすでに、あなたの魅力を、人柄を、良い所を、駄目な所も知りすぎて……好きになって時間が経ち過ぎました。そうして日々が過ぎていって、あなたのことが愛おしすぎて、この気持を抑えるのは困難でした」
男は少し照れた様子で、いつもの癖で首の後ろを撫でた。
「今回の出来事は、正直私としてはとても嬉しいんです。このままこの気持ちがなくなるまで、あなた達をプロデュースしていくのだと。自分の気持ちに気づいていながら、そう覚悟していました」
「ですが、今のあなたの言葉でその覚悟を捨て、また覚悟を決めました。改めて島村さん」
――あなたのことが好きです。
「……何か、今になって私。プロデューサーさんの新しい一面を見た気がします」
「私も一人の男で、人間ですので……だからそうやって泣かず、笑ってください」
男は片手を自分の顔へ持っていくと、指先で口端を持ち上げて笑った。それはいつかの時にみせた仕草で――それを見て、卯月は感情の昂ぶりが抑えられなかった。
「う、うう」
「? 島村さん? 何かっ」
「――プロデューサーさんっ!」
卯月は男に勢い良く抱きつき男の胸に顔を埋める。
卯月の行動に男は驚きつつも、優しい顔でまた卯月の頭を撫でた。
5
大きな舞台を後にして男は足を進め、階段を降りた所で卯月の影が動いていないことに気がつく。
男が振り返る。
「どうかしましたか、島村さん」
振り返った先で、卯月は上で立ち止まり男を見ている。
「ここですよ、プロデューサーさん」
「……ああ、そうですね」
卯月の言葉で、男は理解する。
そう、この場所だ。
「ここで私達が出会って、プロデューサーさんがガラスの靴を拾ってくれて……本当に、お伽話みたい」
「確かに。ここから始まっていたのですから、魔法のような奇跡で、お伽話と言って差し支えないことでしょう」
「あのときガラスの靴を拾ってくれたプロデューサーさんは、本当に王子様みたいでした」
「……残念なことに、私は王子様のような顔でも、人間ではありませんがね」
少しだけ悲しそうな顔をする男を見て、卯月は微笑む。
「……プロデューサーさんは確かに、私達シンデレラプロジェクトの皆を担当して、私達をシンデレラガールズにしてくれたから、どちらかと言うと王子様じゃなくて、魔法使いかもしれませんね」
でも、と言って卯月は階段を下っていく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
男は見惚れた。綺麗な衣装を着てるわけではない。とびっきりの化粧をしてるわけではない。
だがその姿はとても綺麗で、まるでお伽話に出てくるようなお姫様、まさにシンデレラのようで。
――そして階段を降り終える直前で立ち止まり。
「私にとって、プロデューサーさんは王子様です」
「――」
「だから」
少女が、眺めていた男へ向けて手を伸ばす。
「選んでください、プロデューサーさん」
「今、私のこの手を取ってくれるのは、魔法使いですか? それとも王子様ですか?」
昔の自分なら、と男は思う。
それは決まっている。
なら、今の自分は?
それももちろん、決まっている。葛藤はすでにさっきの場所へ置いてきた。
「選んだその先で、また沢山の困難があるでしょう。ですが――」
男は少女の手を優しく取った。
「今は、あなたの王子様です」
男の答えに少女はまた微笑み、階段を降りる。
「ふふ、結構照れますね、これ」
「……あんまり言わないでください」
男は羞恥で顔を赤くし、卯月は嬉しさから頬を赤く染める。
「そう言えば王子様にまだ、私の名前を呼んでもらってませんね」
「……名前ですか?」
確かに、と男は思った。
今まで目の前の少女を数えきれないほど島村さんと呼んだことはあれど、卯月と呼んだことはなかった。
しかしそれは仕方がないことだろう。男はプロデューサー、少女はアイドルなのだから。
「プロデューサーとアイドルですから。私の質もありますが、名前を呼ぶのは抵抗があります」
「……でも、今のプロデューサーは私の王子様なんですから名前で呼んでも大丈夫のはず」
「いや、しかし」
「――そうだ! 今、私の名前を呼んでください!」
「えっ、今ですか?」
「はい、今です。今」
卯月の提案に男は戸惑った。
今まで名前で呼んだのは少ないため気恥ずかしさがあり、何より場所だ。
「……ここでは人に」
「大丈夫です、大丈夫ですから。私もプロデューサーさんの名前、呼んじゃいますから!」
しかし熱くなった卯月は止まらない。
「あー、いや……」
「お願いします!」
「……」
卯月の熱い押しに男は一つはぁと溜め息をつく。
こうなってしまっては折れることはないだろう。
目の前の少女はとても頑固だ。
答えが出た男は笑い、折れた。
「分かりました、いいでしょう」
「一緒に言いましょう、一緒に! せーの、でですよ! せーので!」
「ふふ。ええ、分かりました……では」
一度男はコホンと咳払いをして。
「「せーの」」
掛け声のあと、卯月と男の声が重なる。
「……ふふ」
「……えへへ」
そうしてしばらくの沈黙の後、二人で笑いあう。
「では、行きましょうか」
「はい、行きましょう」
そう言って、立ち止まっていた二人は進み始めた。
「……しかし、今日は私が休みではなかったらどうしたんですか?」
「あ、大丈夫です。ちひろさんが調整してくれたんで」
「えっ」
春に始まり、また春に始まる。
これから、いろんな困難があるかもしれない。
しかし、これがお伽話だと言うのであれば、その先はどうなるか決まっているだろう。
二人が目を背けるのを止め、正直になった。
ならばきっと、幸せがその先にある。