これは板垣が張勲という政敵を排除し、南陽袁家において事実上の指導者となったあたりの話である。板垣は南陽袁家の事情についてきちんと把握する事が出来たがその結果として判明したのが著しい武官文官の不足である。張勲がいた頃はそれでもよかったが板垣の野望の為には南陽袁家を大きくしないといけなかった。現在、板垣は様々な政策を実施地しているがそれを行う者すら不足しているのだ。それも長期的にではなく、短期で補充する必要があった。
「士官を募るか……」
そして、短期で一気に有能な人物を手に入れる策として戦国時代に行われた登用法を改良したものを実施した。これにより、南陽袁家の元には中華中より様々な才ある者達が集まってきていた。
「余程の人物でなければ、たとえ扱いづらい物でも才が本物であれば迎え入れよ」
板垣は基本的に集まった者達全てを登用するつもりであった。ただ、そこから更に才能を見せた物にはその分高い地位や褒章で雇うと宣言している為、見極めを行っている南陽袁家の者達はそれぞれの対応に追われる形となった。
「ここが南陽袁家……。故郷を失った私の第二の故郷となりえるか……」
そして、その中には後に南陽袁家の将として活躍する韋惇の姿もあった。だが、今の彼女は故郷で鮮卑を追い払っていただけの無名の人間に過ぎなかった。それでも、彼女もこの時代の人間らしく仕官先に対してそれなりの期待を抱いていた。自分の力を使う相手は自分で決めたい。決して無能に仕える気はないと逆に相手を見極めるつもりでこの場に来ていた。
とはいえそうやって選り好みしていてはいずれ仕官する先がなくなってしまうのも現実だ。これまで彼女は様々な勢力の下で客将として働いていた。幽州の公孫瓚に始まり冀州の袁紹、涼州の董卓・馬謄……。そしてこの南陽袁家であった。
「1年前なら訪れる価値もないと考える体たらくだったが今は……」
この1年以内に南陽袁家は様変わりした。それは内側だけではなく外側からも言われている事であった。少しでも情報収集を行っている者なら簡単に手に入るほどの南陽袁家の変わりようは多くの人物の興味を引いていた。でなければ板垣の策があったとはいえここまで人は集まらないだろう。
「成程、武官と文官で分かれて士官を受けるのか……」
会場は事細かな分野に分かれていた。武官と文官に分かれる事から始まり、武官はそこから腕に自信がある者、知略を得意とする者、兵の統率を得意とする者などに分かれており、自分が一番自身のある分野に挑むことが可能となっていた。更に面白いのが一度で終わりではなく、他の分野でなら再挑戦も可能という事だ。これは自分が得意としていたが他の分野の才能もあったという場合に備えての対応らしく、そういった面では韋惇は集まった人材を余すことなく抱えるつもりという事が簡単に理解できた。
「確かに面白そうな人物も多く参加しているわね……」
彼女が訪れた兵の統率の分野だけでも明らかに別格と言える人物がちらほら見受けられた。そういった者達は知名度がある者から完全な無名の者まで様々であったが彼女も負けてはいられないと火が付く結果となった。
「では集まった皆さんには盤上で兵に見立てた駒を動かし、競い合ってもらいます。勝者は加点しますがそれまでの兵の動かし方も加点対象となりますので価値を急ぎ、杜撰な指揮を見せない事をお勧めします」
監督官らしき男の言葉に韋惇は成程と用意された盤上を眺める。それは北部になだらかな平野が続き、東ではちょうど中央と分散するように運河が流れており、西ではそれなりの丘がそびえたっている。南では森林が生い茂り、兵の運用には難しい地形となっていた。
兵を指揮する者にとっては最高の条件がそろった盤面であり、人によって兵の動かし方、叩き方が如実に分かれる地形となっている。
「(私なら騎兵を生かすために中央から北部にかけてを戦場にするな。だが、相手が私の特異な場所を選んで戦ってくれるとは限らない。東側か南を戦場にしてくるだろう。そうなるとどうやって誘い込むかだな)」
韋惇は脳内で盤上での兵の動かし方を幾度となくシミュレートしていく。彼女の故郷ではこのように得意不得意が両立する地形はなかったためいつも以上に真剣だった。彼女の脳内には既に士官の件は消え去り、この盤面でどうやって自軍を勝利に導くかを考えるようになっていた。
そしてそれは他の者達も同じであり、皆一様に考え、作戦を練っている。そんな様子に監督官の男は満足げに頷き、その様子すらも加点していく。そもそも、指揮が得意とする者は優先的に雇う方向で話がついている。余程の人物でなければ追い返される者はいないだろう。故に、監督官はその例外を見極めつつより能力の高い人物を発見する事が目的だった。当然、その選ばれた人物の中に韋惇の名も存在した。でなければ士官後僅かな期間で総大将の代理を任せられる事はないのだから。
韋惇以外にも優秀な彼らは南陽袁家軍の中に散らばり、軍の底上げを図るとともにこれまでの南陽袁家ではありえない統率力を発揮させる立役者となっていくのであった。