「ええか華雄! 絶対に敵の挑発に乗ってはアカンで!」
「そのくらい分かっている! 私だってこの状況で敵の挑発に乗ったりなどしない!」
洛陽へと通ずる二つの関のうち、最初の汜水関を守る華雄と張遼は城壁の上に登り、迫りくる袁術軍の様子を見ていた。数は12万。汜水関を守る兵の約4倍の兵数であった。
「……やつら、精鋭だな」
「ああ。見ただけで分かるわ。兵の動きに無駄や乱れがあれへん。ほんでいて行軍速度は信じられへん程素早い。余程鍛えへんとあんな動きは無理や」
そして、二人の将軍の目に、袁術軍は油断できない、全力で挑まないと勝てない軍として映った。ただでさえ12万というのは董卓軍すら上回る兵数なのにその兵は見る限り強者ぞろい。生半可な兵では相手にすらならないというのが分かってしまったからだ。
「こりゃ討って出れば死ぬで」
「せめて噂の宰相が前に出てきてくれれば勝てるのに……」
「さすがにそんなアホな真似はせんとしょ?」
華雄の言葉に張遼は呆れたが展開した袁術軍の中から一人の男が出てきたことで流れは大きく変わることとなった。
「私は南陽袁家宰相、板垣莞爾である! 剛勇無双で知られる華雄将軍殿との一騎討ちを望む!」
「んなっ!? アホな!?」
「……ほう?」
まさかの人物の登場に張遼は目を見開き、逆に華雄は興味深そうに眼を細めた。板垣は矢が届かない場所にいるため若干の距離がある。それゆえに本人かどうかは怪しいところがあったがそれでも宰相を名乗る人物が一騎討ちを求めている事だけは理解できた。
「っ! 華雄! 決して出て行ってはアカンで!」
「分かっている。だが、地位ある者が危険を犯してまで一騎討ちを望んでいるのだ。これに答えねば武将ではない!」
「どう見ても挑発やろ! 絶対に行ってはあかん!」
「むぅ……」
張遼の説得に華雄は渋々ながら動きを止める。しかし、その目には今にも飛び出していきそうな感情が籠っており、張遼はこりゃ目が離せなくなってしもたと頭を抱えることになるがそこに板垣の次の手が放たれる。
「どうした? 噂に聞く華雄将軍はこの願いを聞き入れる御仁と聞いていたが嘘であったか?」
板垣は張遼達から見ても分かるほどの落胆の声色で話を続ける。
「それとも華雄将軍は噂でしか強がれない臆病者であったか?」
ギリッ、と華雄の右手が強く握りしめられる。
「それならば失礼した。臆病者にこの状況はキツイであろう。無理をする必要はない」
ガリリッ! と華雄は口をかみしめる。その勢いで若干だが歯が欠ける。
「我らは本日攻めることはしない。臆病者の華雄将軍殿はゆっくりと休まれるが良い」
フー! フー! と、華雄の鼻息は荒くなっていく。
「そして私は今日はここで休ませてもらおう。こう見えて私は度胸はある。敵の前に身を晒せる程度には、な」
目は血走り、今にも射殺さんとばかりに板垣をにらみつける。
「我が南陽袁家の兵たちよ! 今日はゆるりと休むと良い! 敵将華雄は我らの前に姿を晒せないほどに臆病者であったようだ。この調子なら汜水関の攻略も楽であろう」
張遼が必死に止めようとする声も華雄の耳には届かない。
「……華雄。フ、貴様をここに配置した董卓も程度が知れるな」
ブツリッ! 脳内で何かがはち切れる音と共に、華雄から理性は消え去った。
「……! どうやら挑発は成功したようね」
おおよそ1万の兵を率いる長沙太守孫策は南陽袁家の先陣として板垣の後方に陣取っていた。とはいえ板垣と兵の間には30歩程度の間があるためにそれなりの距離が開いていた。
「……それにしても板垣もよくやるわね」
臆病者と誹り、最後に主君を馬鹿にする。特に最後のは見えていなかったとはいえ表情は嘲笑を浮かべていたことが察せられた。そして板垣の様子からまだまだ挑発する言葉や行動は用意していたように見受けられた。
「周瑜とは違った形で口が達者なわけね。それに統治者としての能力も持っている」
そして板垣はこの場で武力さえ見せてくれるという。孫策とて板垣が南陽袁家で行ってきたことは周泰を通じて調べてあった。そのために板垣がただの文官ではなく、文武両方に秀でた人物であることは知っていた。しかし、実際に板垣が戦っているところを見たわけではない。
「(信じないわけじゃないけどやっぱり自分の目で見た方が疑う余地がないわ)」
果たして板垣の武はどれほどのものなのか? 孫策は兵をいつでも動かせるようにしながらも打って出てきた華雄と板垣の様子を見守る。華雄は自らの兵と共に出陣してきたようで門からは続々と兵が出てきている。そしてその先頭には顔を怒りで真っ赤にした華雄が居た。板垣の挑発に乗り、彼と一騎討ちをしに来たのだろう。
「板垣とやら! そこまで言い切ったからには覚悟はできているんだろうな!」
「これは驚いた。まさか本当に出てくるとは。臆病者だと思っていたが実際は戦況も見えない阿呆であったらしい」
「なんだと!?」
「正直に言って一騎討ちを申し込んだ私は恥ずかしい。この
「き、き、きさ、きさまぁぁぁぁぁっ!!!」
煽る。煽る。煽りに煽る。一体どれだけの言葉が出てくるのか。孫策は純粋に彼の人を怒らせる才能に感心した。ただ口で言うのではない。全身を使い感情を表すことで相手を怒らせて来るのだ。短気な華雄には一溜りもないだろう。
「その減らず口、直ぐに聞けなくしてやる!」
そして、そんな板垣に対して華雄は馬を駆け、己の得物である巨大な斧を振り上げる。板垣の直上に来ると同時にそれは振り下ろされる事となるだろう。にも拘わらず、板垣は動かない。ただ華雄の方を見ているだけであった。
その姿に孫策は危機を覚えると同時に馬を駆けていた。なぜそうしたのか孫策は分からなかったがこうしないと後悔すると本能のままに動いていた。しかし、今からではとても間に合わない。
「しぃぃぃぃ!!! ねぇぇぇぇぇぇっ!!!」
もはや絶叫と呼ぶに相応しい声量とともに華雄の斧が振り下ろされる。それは板垣の頭を勝ち割る軌道を描き、並みの将では受け止めきれないだろう重い一撃となって板垣へと迫っていく。
「っ! 板垣……!」
思わずそう叫んだ孫策だがその次の瞬間には驚きで目を見開いていた。
決して瞬きなどしていない。最後の最後まで目を開き、板垣の姿を見失わないようにしていた。それにもかかわらず、孫策は
「安心せよ華雄将軍。死人である貴様に何か言う事は二度と、ない」
板垣はそれだけ言うといつの間にか抜いていた剣をしまう。それは孫策も見たことがない曲刀であり、一種の美しい芸術作品にさえ思える武器であった。
「(……まさか、私でも追いきれない速さで剣を抜いてそのまま華雄の首を切り落としたの? そんなことが出来るなんて……!)」
あまりにもあっけなく、一瞬でついてしまった決着にその場の誰もが声を出す事はできず、呆然としていたが、主を失った華雄の兵たちの前に板垣が立ち、声を張り上げた。
「敵将! 華雄を討ち取ったりぃ! 華雄配下の兵たちよ! 我ら南陽袁家に降れ! さすれば、命の保証はしよう!」
「……う」
「「「「うおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」」」」」
板垣のその叫びを聞き、南陽袁家の兵たちは雄たけびを上げた。自らの主が瞬殺されたという非現実的な状況と、12万の兵士の雄たけびに華雄の兵士達は戦意を維持する事も出来ず、ただただ呆然としながらその場に武器を落としていくのだった。