袁家から始まる中華統一   作:鈴木颯手

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第三十八話「毒牙」

「もう嫌だよ!」

 

 荊州刺史、劉琦は自室にて泣きながらそう叫んだ。とっさのことだったのだろう。叫ぶと同時に投げ捨てられた書簡は甲高い音を立てながら地面にぶつかり、劉琦はハッとしたようにその書簡を取りに向かう。

 劉琦が投げ捨てた書簡は今回の反董卓連合で犠牲となった者たちの遺族に与える金銭について書かれており、簡潔に言えばこれを支払う余裕が劉琦陣営には存在しないというものだった。そもそも、彼女の父親である劉表が生きていた時でさえ財政はそこまでよくはなかったのだ。それなのに内乱が起こり、資金がほぼ劉宗側に持っていかれたうえでそれらは南陽袁家が持って行ってしまっていた。

 本当であれば内乱での傷を理由に反董卓連合の参加を見送りたいと思っていたが南陽袁家の板垣宰相より届いた書状がそれを阻害させた。

 

-発起人である袁紹様は荊州刺史である貴殿の参加を強く望んでおられる。もし、兵を出さずに参加しないのであれば董卓に通じる逆賊として討伐するとおっしゃられています。弟君と刺史の座を巡って殺しあったばかりで苦しい状況だとはわかっているつもりです。しかし、袁紹様の命令である以上参加することが賢明だと愚行致します

 

 嘘であれ本当であれ、参加しないのであれば南陽袁家が動き出して自分たちはつぶされる。劉琦はそう考えてしまい、結果的に1万だけとはいえ出して参加することとなったのだ。

 

「どうして僕ばっかりこんな目に……!」

 

 書簡を机に戻した劉琦は布団に入るとそのまま毛布で自分を包み込んだ。その姿は雷におびえる幼子のようであるが目を見開き、体を揺らす姿からそれ以上の何かを感じさせた。

 反董卓連合に参加した結果、劉琦軍の損害は大きく、それでいて遺族に支払う金がない。近いうちに彼女の陣営は崩壊する可能性すらあったのだ。

 

「何か、何かないのかな? このままじゃ駄目なのに……!」

「劉琦様」

 

 コンコン、と扉がノックされる。劉琦が入るように促せば一人の女性が入ってきた。名は

司緒といい、内乱から幾ばくも無い時に雇った文官である。同性の劉琦ですら見惚れそうになるほどの美貌を持ちながら文官としての腕前は高く、僅か半年も満たない期間で彼女は劉琦含めて様々な者たちに信用・信頼されていた。

 

「どうしたの?」

「それが……。いえ、まずは見てもらった方がいいかもしれません」

 

 司緒はそう言って一枚の書簡を渡す。高価な紙を用いたそれを受け取った劉琦が中身を見れば、それは揚州の刺史である劉繇からのものであった。内容は南陽袁家に攻め入るため、貴殿も荊州から攻め込んでほしいというものだった。更に成功した暁には荊州の全土と豫洲の半分を渡すというものであり、劉琦にとっては破格の条件が書かれていた。

 

「なんで……!? こんな……!」

「……無礼を承知で申し上げますが私はこれを受け入れるべきと判断します」

 

 驚き固まる劉琦の背中を押すように傍に控えた司緒が話し出す。口調はとても穏やかで、幼子をあやす様な温かさを感じる一方でそこには否と言わせない圧力があった。

 

「このままでは劉琦様は支払いすら出来ず、兵の信用を失ってしまいます。そうなれば諸侯を味方につけることさえ出来なくなり、劉琦様の陣営は瓦解するでしょう。そうなってしまえば劉琦様は諸侯の手によって殺されるか、正当性を維持するために婚姻を無理やりさせられるでしょう」

 

 司緒は劉琦のベッドに腰かけると劉琦を抱きしめる。彼女の全身からは甘い香りが漂い、劉琦の思考を鈍らせていく。

 

「ですがここで南陽袁家を、板垣を倒すことが出来れば解決します。彼の者は財を蓄え、それを背景に広大な領地を統治しています。もし、板垣を倒すことが出来ればその財を劉琦様が手に入れることが出来るのですよ」

「広大な、財を……。僕が……」

「その通りです。そうすれば支払いも可能となるだけではなく、真の意味で荊州の刺史となれるのです。そうすれば弟君も報われるでしょう……」

「そう、かな……。そう、だよね」

 

 司緒は劉琦をゆっくりと押し倒す。媚薬がしみ込んだ香を思いっきり吸い込んだ劉琦の体は真っ赤に染まり、苦し気に呼吸をしていた。その瞳は夢現と呼ぶにふさわしいほど蕩け、司緒を誘っていた。

 

「司緒。僕、頑張ってみるよ」

「ええ、劉琦様ならいけますよ。私も応援しています」

 

 そういって司緒は劉琦と一つになる。その際、劉琦の部屋に近づく者は誰もいない。彼女の体すら用いた手練手管により劉琦の陣営は司緒に半ば乗っ取られていた。諸侯の一部すら彼女の前に屈した現状で、彼女が下した“劉琦の部屋に近づくな”、という命令に逆らう者など現れなかった。

 

 こうして、劉琦は司緒の言うがままに南陽袁家との戦いに踏み切ったのである。裏で糸を引いている人物がいるとも知らずに。

 

 

 

 

 

「万事うまくいったようね」

「ええ、劉琦は板垣の意表をついて侵攻。南郷や襄陽を占領しつつあります」

 

 兗州は陳留にて。曹操は荀彧からの報告を受けて満足げに頷いた。彼女たちが見下ろす先には中華南部、荊州、揚州、豫洲の全土が書かれた巨大な地図があり、そこに各陣営を模した駒がおかれている。南陽袁家の駒は劉繇の方に向いており、劉琦側には一切視線が行っていなかった。

 

「劉繇も沛や安豊に侵攻していますがこちらは軍が展開しているために思うように行っていないようです」

「仕方ないわ。劉繇はそういう予定でいたのだしこの際だから完全に使いつぶすつもりでいきましょう」

 

 荀彧の申し訳なさそうな表情を楽しみながら、曹操は多少の予定変更を決定した。本来であればまだまだ使う予定であったがここで使い切っても問題はない。曹操は頭の中で変更に伴う今後のずれを修正していく。

 

「ですが驚きました。華琳様がこのような諜報組織を有していたことに」

「正確には私ではなく父様が作ったものだけどね」

 

 曹操の父である曹嵩は漢王朝に仕える政治家であり、十常侍が権勢を誇っていた時期から宮中を渡り歩いてきた傑物である。反董卓連合時こそ家族を連れて避難していたがそれも落ち着いた現在では漢王朝に戻り政治家として働いていた。

 そんな彼が宮中を渡り歩くために使用していたのが曹操が譲り受けた諜報組織である。ここには美男美女だけではなく西方の少数民族や北方の騎馬民族も属しており、様々な事に対応できるようになっていた。曹嵩はこれを宮中で働くために使用していたが陳留の太守になったことで譲り受けた曹操はこれを自身の勢力拡大の為に使用した。河北袁家や南陽袁家、劉琦に劉繇。陶謙、王匡、劉岱、公孫瓚と様々な勢力に諜報員を送り込み情報を得たり、篭絡して傀儡にするなどしていた。

 しかし、もともと宮中を渡り歩くためだけの組織であり規模はそこまで大きくはない。更に南陽袁家ではたった一週間で連絡が取れなくなり、河北袁家では新参者が入り込む余地がなさ過ぎてやるだけ無駄という状況だった。公孫瓚の所は得られる情報がなさ過ぎる上に遠いために監視のため以外の人員は下げていた。

 とはいえうまくいったところもあり、劉岱、劉繇、劉琦の所では本人から信用を得られるところまで入り込むことが出来、王匡は多少の影響力を行使できるところまで、陶謙の場合は反対勢力に入り込むことに成功していた。更に孔融に至っては本人を含めたほぼすべての諸侯を骨抜きにすることに成功していた。

 

「父様がこんな組織を持っていたなんて知らなかったけどおかげで助かったわ。こうして、一番厄介な板垣に出血を負わせられるのだから」

 

 曹操は板垣を最大の敵として認識している。反董卓連合で唯一得をしたといって過言ではない彼が揚州を手に入れてしまえばだれも対抗すらできない勢力になってしまう。曹操はそれだけは何とかして阻止したかった。せめて自分が勢力を更に拡大するまでは。

 

「本当なら板垣の反対勢力を焚きつけたいけどあそこにはそんな勢力はいないわ。あれだけ広大な領土を持っているのに板垣の下で結束している」

「それだけ板垣の力が大きいという事でしょうか?」

「いいえ、反対勢力をなくしていくのがうまいのよ。きっと彼には誰が不平不満を持っているのかわかるのよ。そしてそれをつぶすのではなく時には取り込み、自分に心酔させているんだわ。もしかしたら私が送り込んだ諜報員すら取り込んでしまっているかもね」

「それは、流石に……」

 

 ない、と言い切れない所が板垣の怖い所だ。と荀彧は思う。男嫌いの彼女でも板垣という存在の異常さは理解している。

 

「とにかく、これで時間が稼げるわ。今のうちに私たちも勢力を拡大するわよ。先ずは劉岱ね。あの男の方から動いてもらいましょうか」

「分かりました。諜報員に連絡して彼の華琳様への敵愾心を煽って兵を出すように仕向けます」

「それでいいわ。それでこそ私の軍師よ」

 

 曹操は荀彧を愛でながら心の中で思う。必ずや、板垣を降し、中華を統一してみせると。

 後に反板垣包囲網と呼ばれるようになる反板垣の流れは、この時から始まり、形成されつつあるのだった。

 

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