「いけぇぇぇっ!!! 敵中突破だぁぁぁっ!!!」
右翼に展開する孟端は初手でそう叫ぶと一気に前進を開始した。猪武者である彼女にこれ以外の策はなく、ただ敵を突破して敵の陣形をズタズタに引き裂くという事しか考えられない。故に彼女の突破力は高いがそれ以上に返り討ちにされる事も多かった。
「敵は突進することしか能がない孟端だ! 左右から挟み込んですり減らせ!」
そして、そのことはここまで戦ってきた劉琦軍にもバレている。結果、相手である文聘によってあっさりと対応策をとられてしまう。前方ではなく左右から挟み込んで敵を削り倒す。孟端には最も効果的な策と言えた。
だが、そんな事は孟端にも理解できていた。故に、彼女は彼女なりの対策をとっていた。
「予備隊! 左右の敵を迎撃!」
それは単純なもので左右に予備隊を置くというものだ。予備隊と言ってもその数は本体とほぼ同じにしている。よほどのことがない限り左右から挟みこむ敵兵はそこまで多くはない。故に本体と同規模の予備隊ならば余裕で対応可能だった。
「どうだ! 僕だってやればできるんだよ!」
「猪武者だが浅知恵は働くようだな! ならば更に策を繰り出して対応できないようにするまで!」
敵陣深くに入り込み、戟を手に敵兵を葬っていく孟端に対処するべく文聘はさらなる策を講じ始めるのだった。
孟端が突進を続ける右翼とは違い、閔叙率いる左翼はとても静かな攻勢だった。韋惇のように騎兵を大胆に用いた用兵術でも、孟端のような苛烈な突撃もない閔叙は堅実な戦い方でもって攻撃をしていた。そもそも、対する敵は王威軍4千であり倍近い差があった。下手に策を弄するよりも数の差を生かして敵に圧をかけながら戦う方が無難だと判断したのだ。
「でも予備隊は周囲を警戒して。敵の奇襲がないとも言い切れないし逆にこちらが敵を横から攻撃すると思わせることも出来るから」
閔叙は優勢だからこそ慢心せずに周囲を警戒していた。こういう時にこそ敵に虚を突かれた際の混乱と隙は大きく、こちらが負ける可能性すら出てくるものとなることを閔叙は知っていたからだ。というよりも経験者であり、かつてはその行き着く結果として討ち取られる寸前までいっていた。二度とあのような経験はしないと閔叙は視野を広く持ち、それでいて足元にも気を配った。
「くっ! 敵は堅実だな。それにこの数の差では攻勢も難しい。……仕方ない。防御に徹しつつ後退する! 総崩れだけは避けるぞ!」
堅実な閔叙の戦い方に王威は攻勢は難しいと判断し、防御に徹することを決めた。自分では目の前の敵を倒すことは出来ない。攻勢はほかの味方に任せて自分は目の前の敵をくぎ付けにすることを選んだのである。
「敵兵がゆっくりと後退していきます!」
「そう。ならばこちらも陣形を崩さずに前進。敵に反撃の機会を与えずに確実に倒すよ」
閔叙の戦い方では敵を短期でつぶすことはできなくとも反撃することさえ難しくしている。閔叙もまた自軍による敵への攻勢は諦めて味方に託すことにしたのである。
互いに攻勢は他力本願ともいえる現状故に、ここの戦いはほかの戦線とは違いゆっくりと、静かな戦場となっていたのである。この二人の戦闘は全体の勝敗が決まるまで続くこととなる。
本陣から全体の様子を見ていた板垣は戦況を優勢と判断した。韋惇や孟端などの右翼は敵に対応されて攻勢する力をそがれていたがそれでも敵を押し込んでいることに変わりはない。史忌に至っては敵の将軍を囲い込む事で身動きが取れない状況に追い込んでいた。討ち取ることが出来れば敵の士気は大きく減少することになるだろう。閔叙に関しては手堅く敵を追い詰めて攻勢も反撃も許していなかった。とはいえ手堅過ぎて決着がつくのはまだまだ先のように見えてしまっていたが。
「となると鍵は史忌の場所か」
劉琦のいる本陣に雪崩れ込むための攻勢地点。板垣はそれは史忌の場所だと判断した。実際それは史忌本人にも分かっているのだろう。明らかに後方に予備兵を多く配置して攻め時を見計らっている。それどころか隣の韋惇も一部の騎兵を左側に配置していた。史忌の戦場で何かあれば突入できる準備であった。
「孟端は相変わらず突撃して他を見る余裕はなさそうだ。閔叙に関しても同様だな」
板垣はそこまで予測を立てると本陣5千の兵にいつでも出陣できる準備をさせた。攻め時が来れば自ら劉琦の本陣を落とすためであり、今回は板垣も戦場に出て敵兵を切るつもりでいた。
「さて、凡そ一年ぶりの戦場だ。勘が鈍っていなければいいが……」
そう呟きながら未来より持ってきた刀を振るう。未来においてコネと権力と金をふんだんに使い仕上げたこの刀はこの世界では破格の切れ味を持っていた。剣どころか鎧ごと敵兵を真っ二つに切り裂けるくらいには。
「手入れが難しいがそのための予備も用意してある。使いつぶす気で今回は暴れるか」
久しぶりの戦場であるためか、板垣は闘争心を高ぶらせる。総大将のそんな姿を見た兵たちもまた士気を高め、闘争心を高ぶらせていった。
南陽袁家軍は、準備を整え、その時が来るのを今か今かと待ち続けるのであった。
「司緒、本当に大丈夫なんだよね?」
「もちろんですよ。劉琦様」
板垣と相対する劉琦軍の総大将である劉琦は不安げな表情をしながら司緒にしがみつき、心配そうに何度も訪ねていた。そのたびに、司緒は赤子をあやすようにやさしく大丈夫だと返答していた。それでも、戦いが進めば進むほどに劉琦の不安は募っていく。
司緒によって篭絡され、脳の働きを阻害する特殊な薬が含まれた香をかがされ続けた劉琦に刺史として苦心しながら統治をしていた面影は残されていなかった。今の彼女は司緒により与えられる快楽におぼれ、すべてのことに不安と恐怖を感じるただの人形と化していた。その点でいえば板垣に麻薬付けにさせられた袁術に似ているが彼女は幸福を感じ続けているだけまだマシと言えるだろう。こうして司緒によって骨の髄まで使いつぶされそうになっている劉琦よりも大分マシだろう。
「(そろそろ限界ね)劉琦様。ではその不安を無くすために黄忠と魏延を出しましょう。猛将である魏延と弓の名手である黄忠を前面に出せば不安も消えますよ」
「そ、そうかな? なら、その通りにして。お願い……」
「ええ、お任せください。劉琦様は何も考えずにただ安らかにいてくれればいいですから……」
そういって司緒は劉琦を胸元に抱きしめる。劉琦と司緒の年齢と身長に差があることもあり、仲のいい親子のようにも見えた。しかし、そんな雰囲気は伝令兵がやってきたことで終わりを告げた。
「報告します! 呉巨様が討ち死に! 呉巨軍が乱れ敵兵に突破されました! 更に、敵本陣が前進を開始! 呉巨軍の場所よりこちらに向かってきています!」
「っ!!?? し、司緒……!」
「大丈夫ですよ劉琦様。黄忠に本陣の指揮を任せます。魏延は副将。本陣が来るという事は敵の総大将である板垣も来るでしょう。必ずや討ち取るように厳命しなさい」
「はっ!」
伝令兵に指示を出した司緒は改めて劉琦の方を見る。先ほどまで落ち着いていた劉琦は顔を真っ青にし、体を震わせ始めた。恐怖で心が押しつぶされそうになっているのだ。司緒はそんな劉琦を再び抱きしめるのだった。
南郷決戦は佳境に入り始めるのであった。