「全軍! 進めぇ!」
「「「「「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」」」」」
板垣の咆哮とも取れる大声に後ろからついてくる5千の精鋭が答える。馬に乗り、地を駆けた板垣の目の前には史忌により陣形を崩された呉巨軍の姿があった。本来であればそれを纏める呉巨がいるはずだが彼はこの世に存在していない。正確には槍をいくつも刺され、首を切り落とされた状態で野に転がっているがそれが存在しているとは取れないだろう。
そう、呉巨は史忌の軍勢に討ち取られたのである。一人前に出すぎていたこと、武勇が思ったよりもなかったこと、史忌の率いる兵たちがそれなりに戦える者たちであったことが重なり、呉巨はあっけなく討ち取られたのである。
当然率いる大将の死は率いる軍勢の士気に大きく影響した。本陣で全体の指揮をしていた人物が必死に態勢を立て直そうとしていたがそれをさせないと史忌の軍勢が攻勢を強めたのである。
結果、呉巨の軍勢は士気を低下させ、史忌の攻勢に成す術なく壊滅してしまったのである。
その様子を一部始終見ていた板垣は本陣の兵を動かすと前進を開始。本来、本陣が動き、敵に突撃するなど愚策でしかない。本陣が敗れればそれまでの勝敗はあっけなく覆るのだから。日本の戦国時代では終始圧倒していたはずの今川義元が織田信長に本陣を奇襲されて討ち取られている。それだけ本陣は大事な存在なのである。
だが、あえて板垣はその愚策を用いて攻撃を開始した。その結果として敵は予想外の奇襲に対応などできずに5千の兵を突破させることに成功してしまったのである。誰もが予想できるはずがない本陣同士の戦闘が始まろうとしていた。
「宰相様! これ以上は危険です! お下がりください!」
「問題ない」
付き人である若い男に板垣は諭されるが一蹴してそのまま軍の先頭を駆けていく。そんな板垣を仕留めようと矢が放たれるがそれを最低限だけ迎撃していく。
「……矢の数が多いな。黄忠か?」
とはいえ予想外であったのが思いのほか放たれた矢の数が多かったことである。この理由を板垣はすぐに黄忠によるものだと判断した。彼女の弓の実力は中華において五指に入るほどの実力を持っている。そんな彼女が率いる弓兵もかなりの練度を誇っていた。事実、板垣以外の者で矢を避けたり迎撃出来たものは少ない。板垣を諭そうとした若い兵も複数の矢を受けて落馬していた。
「だが、問題はないな」
矢が飛んでくる方向は前方からのみ。四方八方から浴びせられるわけではない以上矢を避けたり撃ち落とすことは板垣にとって造作もない事だった。唯一の懸念は黄忠本人による攻撃だがそう思ったせいだろうか? 板垣は何かを感じて頭を右にずらした。
直後、板垣の頭の脇を矢が通り抜け、後ろの兵の頭部を打ち抜いた。兜をつけていた兵を貫く一撃に板垣はその攻撃の主が黄忠だと理解できた。
「……あそこか」
目を細め、劉琦の本陣を凝視すればはるか後方、劉琦本人がいそうな場所に台車に乗った黄忠の姿があった。既に矢をたがえ、いつでも放てるように準備を終えていた。
「っ!」
瞬間、黄忠より放たれた矢が板垣に迫る。心臓部を狙ったその一撃を板垣は刀で払う事で撃ち落とした。しかし、正直に言えば今の一撃は完璧に見えていたわけではなく、直感の下に行ったに過ぎなかった。
「……厄介だ」
そして、まもなく敵本陣と衝突するという所で板垣は現状に眉をひそめた。今後、乱戦が始まれば多少は弱まるだろうが黄忠から狙われ続けることになるだろう。目の前の敵と戦いながら矢の攻撃に気を付けるなど至難の業だ。それも移動されて見失ってしまえば避けることはほぼ出来なくなる。
「厄介だが仕方ない。囮となる。お前らは劉琦を捕えよ!」
「「「「「おおぉぉぉっ!!!」」」」」
想像以上に黄忠が危険だと判断した板垣は自らは囮となる事を即決した。自分が見えるところに居れば余程の事がない限り黄忠は自身に攻撃を集中するだろうと。たとえ他者を狙おうとしてもそれをすれば自らが大暴れ出来るような位置に居ればいいと黄忠の動きを制限することを決めたのだ。
無論、黄忠の矢は板垣ですら目で追えない必中必殺の一撃である。板垣もそう何度も防ぎ躱すことが出来ないだろう。そんなことは板垣とて百も承知であり、最悪の場合、次の一手で命を奪われる可能性すらあった。そういった厄介な相手だからこそ身動きを封じるように動いていたがそれも失敗に終わっている。
「盾では防げない上に見切れるわけでもない。ならば、カードを一つ切るしかないな」
板垣はそう呟くと懐から何かを取り出すしぐさをすると兵に指示を出した。
「今から起こる
「っ!? は、はっ!」
突然の指示に兵たちは困惑するが説明する時間が惜しいと板垣は懐から取り出したそれを前方に思いっきり投げ込んだ。瞬間、投げたことでずれた頭部の位置に矢が飛んできた。板垣が懸念した通り見えなかったそれは投擲を行っていなければ板垣の頭部に深々と突き刺さっていただろう。
「散会せよ!」
そして、投げたそれ、スモークグレネードは見事作動し周囲を黒煙で包み込んだ。補給が出来ない物資をこの程度の戦で使用する事に板垣は戸惑い、苛立ちを覚えつつもこういう時のための物資だと無理やり納得させ、敵から見えなくなったのを確認し、自らも突破の準備を行うのだった。