「呂布に張遼、孫家の抑え、ご苦労であった」
「構わへんで。うちらは元々虜囚の身やったからな」
「久しぶりにたくさん動けた」
板垣が総大将として率いた10万の兵は予定通りに襄陽には入り、旧董卓軍3万と合流した。旧董卓軍は主だった将が呂布と張遼だけとなっても変わらぬ強さを発揮し、押し寄せる孫家の兵と互角に戦っていた。とはいえ軍師として活動していた賈詡や彼女たちの精神的支柱である董卓、そして汚れ役を買って出て縁の下の力持ちとして活躍していた李傕の脱落は大きく、人材豊富な孫家相手に互角に持ち込む事しかできていなかった。
「(呂布は兵を率いられるタイプではない。張遼は指揮も卒なく熟すが前線で暴れるタイプだ。呂布には陳宮という軍師がいるらしいがそれでもここまで少ない被害でよく戦ってこれたものだ)」
とはいえ、板垣は旧董卓軍の力を侮れないと評価していた。精神的支柱と軍師を失ってこれなのだ。もし健在のまま自らの勢力下にはいった場合、最悪の場合対処しないといけなかったかもしれない。
「(幸いなのがこの世界の董卓が史実とは似ても似つかない、争いを好まない性格な事だろう)」
現在は板垣の侍女の一人として南陽で仕事に励む董卓を思い出し板垣は目を細めた。あの幼げな容姿には史実のような苛烈さは一切感じられない上に演技をしている様子も見られない。それだけに最初は困惑したが今ではそれにも慣れ、そういうものだと受け入れる事が出来るようになっていた。
「(近いうちに旧董卓軍を解体し、俺の力にしなければ……)戦況はどうなっている?」
「それに関してはこの音々音がやってくれるで」
「お初にお目にかかるのです! 恋殿が一の軍師! 陳宮なのです!」
「分かった。ならばお前から聞こうか」
板垣が戦況を聞こうとすると張遼が詳しい人物を紹介してきたがまさかの陳宮であった。だが、この面々で言えば軍師である彼女が全体を率いていてもおかしくはなかった。まだ幼い彼女を侮る人物はいるだろうがこの世界で外見や年齢で実力を把握することは出来ない事は重々承知している板垣は特に不安や不満を感じる事無く陳宮に説明を求めた。
「現在、孫家は一部の兵を前線に残して全軍で長沙に引き返してしまったのです! 恐らく、兵力差を少しでも埋めるために勝手知ったる長沙の地で守りを固めていると思われるのです!」
「成程。まぁ、普通ならそうするな。むしろ一か八かで奇襲を仕掛けてこないだけマシか……」
「ご安心くだされ! 長沙に続く道全てに偵察を出しているのです! 何かあればすぐにわかるようにしております!」
陳宮の行動の速さに流石は呂布を支えた名軍師だと板垣は思いながら荊州南部が描かれた地図を見る。地図には複数の駒が置かれ、紫の駒が南陽袁家軍、赤が孫家の兵を現していた。他にも長沙の南側は緑の駒が置かれているがこれは既に板垣に降伏した太守達の勢力圏であった。盤面だけを見れば孫家は完全に包囲されていると言っても良い状態にあり、唯一の逃げ道は揚州のみとなっていた。
「それと、まもなく黄祖殿の兵が到着すると先ほど伝令が来たのです。黄祖殿は率いておらず、江夏で守備の構えをしているそうなのです!」
「……そうか」
板垣は黄祖の動きに眉をひそめたが最初からただでは済まない相手であることは理解しており、この程度は予想外でもなんでもなかったがそれでもチクリと心に苛立ちの感情が生まれていた。
「戦況については理解した。ならばまずは前線に残された兵を対処するとしよう。孟端、3千の兵を率いて追っ払ってこい。史忌は孟端の補佐につけ。無いとは思うが孫家が一斉に攻撃してくる可能性もある。臨機応変に対応しろ」
「はっ! お任せください! 敵を粉みじんにしてきます!」
「孟端殿のお目付け役、お任せください」
相も変らぬ猪突猛進な孟端だがこの状況においては最適な人材だろう。そこに老練な史忌を合わせれば余程の事態が起こらない限り問題は起きないはずだ。そう考えての板垣の采配だった。
「前線の兵を退けたのち全軍で長沙に入る。先陣は引き続き孟端と史忌が対応せよ。2万の兵を与える故に先陣を見事勤めよ」
「はい!」
「かしこまりました」
「中陣は旧董卓軍に担ってもらう。先陣では対処が難しいと判断したらその力を存分に振るえ」
「了解したで」
「分かった」
「お任せくださいなのです!」
「次は韋惇、4万の兵を与える。遊軍としてどこの補佐にも入れるようにしろ」
「お任せください」
その後も大まかに陣容を決めると黄祖の兵を待ち、全14万の兵で出陣した。孫家2万を討ち取る為だけなら過剰とも言える戦力だが板垣を含めその事に対して不満や疑問を持つ者は少なかった。それだけ、孫家の実力を全員が理解しているという事でもあった。
「……韋惇」
「? どうかしましたか? 宰相さん」
そして、出発直前、板垣は韋惇を呼ぶととある事を命じ、更に張遼や呂布にも同様の内容を話すのだった。
一方、絶望的以外に状況を言い表せない孫家は決戦に向けて準備をしていた。孫策含め誰もがただ守っているだけでは駄目だと判断し、最初の一戦に全てを賭ける事を決めたのだ。
「……」
「どうかしたか? 雪蓮」
最後の軍議を終え、解散した中で孫策だけは部屋に残り、自軍の展開図を見ていた。2万の兵全てを動員するこの決戦では緻密な作戦はなく、ただ一撃の下で雌雄を決するためのものとなっていた。
そんな図面を見ていた孫策を不思議に思ったのか周瑜が訪ねてきた。一時期は食事も喉を通らない程憔悴していた周瑜だったがこの決戦に居たり、活力を少し取り戻していた。だが、目元には隈が出来、体はやせ細ってしまっていたが。
「……この戦は負けるわ」
「それはそうだろう。いくら雪蓮とはいえ14万の軍勢を相手にどうにかなるわけではないからな」
孫策の言葉に周瑜は当然といわんばかりに同意する。最早孫家に未来はない。だが、少しでもいい方向に向かわせようと藻掻いているのだ。だが、孫策が言いたいことはそんなことではなかった。
「違うわ。決戦において私たちは完膚なきまでに負ける。そんな気がするのよ」
「つまり、我々の決死の一撃を板垣は迎え撃てると?」
続いて飛び出した孫策の言葉に流石の周瑜も同意する事は出来なかった。もしそれが本当だとするなら板垣はこちらの策を返り討ちに出来る策を用意している事になる。いくら何でも大軍を率いている者がそのような事を行うとは思えなかった。だが、同時に孫策の直感の鋭さは周瑜とて認めている。彼女の獣の如き直感で窮地を脱したことだってあるのだ。無下にする事は出来なかった。
「……わかった。ならばきちんと見極めてから行動しよう。その分蓮華様達には負担を強いる事になるが」
「仕方ないわ。恐らくだけどそれが良策よ」
この状況において本当の意味で良策と言えるものはないがそれでもマシな策であることに変わりはない。だが、それでも孫策は己の内からあふれてくる違和感をぬぐう事が出来なかった。それは日に日に大きくなり、孫策の心を蝕んでいった。
そして、そんな孫策の不調こそあれど決戦の日は近づき、ついに長沙北部のとある城邑の前で両軍は対峙するのだった。最初で最後になる、孫家の全力を賭けた決戦が今まさに始まろうとしているのであった。