第四話 別離
現れた大海賊は一人の人魚の男を連れていた。その男には、何人かが覚えがある。
「“海災”アルキディクスか」
「ふむ、貴殿らは私を知っているのか。光栄だ」
「人魚のならず者ともなれば、知らない者はいないだろう」
そう言葉を吐くのはブルーノだ。ははは、とアルキディクスが笑った。
「ならず者か。それも致し方なかろう。この海において、世界において。我ら人魚が何者かに“成る”ことなど不可能だ。なあ、世界政府?」
「だからシキについたのか」
ブルーノは問う。この世界において、人魚や魚人に対する差別は根深い上に過酷だ。その恨みのためにシキの下に降ったということか。
「いいや?」
だが、それをその人魚は否定する。
「私は降りかかる火の粉を払い続けただけだ。オトヒメ王妃が何かを喚き、ジンベエが“七武海”に入って橋渡しをしようと考えていようが関係ない。私が振り払った火の粉の中にお前たちがいて、私は戦える場が欲しいから今ここにいる」
なるほど、ならず者。
この男の論理はあまりにもシンプルで、そして世界とは折り合えない。
だから政府は、彼を賞金首とした。
「だがまあ、この場の主役は私ではない。すまぬシキ殿。私を知っていると聞いて少し嬉しくなって話し込んでしまった」
「ジハハハハ! いいさ、面白ェ話が聞けた。それに、アルキディクス。おめェはおれが戦場を用意している限りこちら側だってことだろう?」
「無論だ。私とて眠らねばならず、飯を食わねばならん。その両方を満たした上で戦場があるというのだから、私にとってシキ殿の旗下は天国に近い」
無茶苦茶な論理である。だが、無法者とはこういうものだ。
己の我をどこまでも貫き通し、それによって生じる影響については一切省みることをしない。そして己にとって最も都合のいい場所に身を置く。
どうしようもない男だ、とブルーノが呟いた。だが、その言葉はこの場の全員の意見でもある。
「さて、面白ェ話も聞けたところで本題に入ろうじゃねェか。なあ、ベイビーちゃん」
シキの視線がウタを向く。それに対し、ウタが口を開いた瞬間。
「おっと、それを使われちゃたまらねェな」
シキとアルキディクスが、イヤーマフラーを取り出して装着した。海楼石を仕込んだそれは、ウタウタの力を無効化する。
海軍内で、彼女と作戦を共にする海兵が標準装備とする道具だ。何故それを、とウタは驚愕の表情で二人を見つめる。
「“情報”だベイビーちゃん。今の世は時代が変わった。海軍ってのは因果なもんだ。どうしたって人目に触れ続ける。そして、お前たちは一枚岩じゃあねェ。こんな時代だ、金で転ぶ奴なんざいくらでもいる」
お前たちはよく知ってるだろう、と揶揄するようにシキは言う。ルフィも、ウタも。英雄と呼ばれる影でそういう不正をいくつも暴いてきた。故に、海軍の中の全てが正義であると思っているわけではない。
だが、状況は悪くなった。ウタウタの実は届きさえすればどんな格上、それこそ“四皇”さえも喰らうことも可能な力だ。しかし、通じなくなった瞬間にウタは一海兵となってしまう。
「さあ、戻って来いベイビーちゃん。状況がわからねェほど頭が悪いようには見えねェが?」
「おい」
ずっと黙っていたルフィが、声を上げる。
「ウタに手を出して、無事に済むと思うなよ」
「ジハハハハ! それほどの利用価値のある女、手を出すなと言う方が無理だ! 守りてェんならしっかり守れ!」
まあ、とシキは嘲笑うような表情でルフィを見る。
「それができなかった奴が何を吠えようが、負け犬の遠吠えだ」
それが海戦の合図になった。一気にフルスロットル、ギアを上げたルフィは体から溢れる蒸気を身に纏いながら、シキへと突っ込んでいく。
「手は?」
「おめェには悪いが、出す必要はねェ」
アルキディクスとの短い会話。ルフィの放った拳は、直前までシキのいた宙を叩く。
隣を通った拳が放つ空気に、ほう、とアルキディクスが楽しそうに笑った。
「鬱陶しいガキだ。力の差は教えたはずだが」
「“嵐脚・凱鳥”」
空へと飛んでルフィの拳を避けたシキ。そこへ、巨大な鳥の形をした斬撃が迫る。軍艦の分厚い鉄にさえ切れ込みを入れるその斬撃をしかし、シキはその右脚の剣で弾いた。
放ったのはルッチだ。チッ、と彼は小さく舌打ちを零す。
「ほう。中々」
「お前らウタを頼む! “ゴムゴムの”!」
ルフィが自身の部下へ指示を飛ばしながら両腕を伸ばし、シキの服を掴む。
「あん?」
「“丸鋸”!」
自身の体を回転させ、シキへ体当たり。だが、直撃はシキの腕によるガードで防がれた。
「前よりは気合が入ってるようだな、ガープの孫。だが、まだ足りん」
「くっ、うおっ!」
ルフィの肩を掴むと、力任せにシキは地面へ彼を叩きつけるように投げ飛ばした。轟音が響き、小さなクレーターができる。
くそっ、と呟きながらルフィが立ち上がる。シキの視界に、オリンたち海兵がウタを逃そうとする光景が目に入る。
「おいおい、そりゃ興醒めだろう」
右手を中空へ出し、何かを捏ねるように動かす。その瞬間、彼らの行く手に地面から迫り上がる巨大な壁が立ち上がった。
彼の持つ悪魔の実の能力だ。
「こっちへ!」
オリンが指示を出し、別のルートを行こうとする。その姿を見て、ブルーノが動いた。
「おれがフォローする」
「ああ、任せる」
CP9の二人のやり取り。ルッチはルフィへと声をかけた。
「おれも協力する。“歌姫”の確保が最優先任務だ」
「気が合うな!」
そんな二人を見て、ふむ、とシキは頷く。そして、ようやく合点がいったというように手を叩いた。
「おめェ、ロブ・ルッチだな。なるほど、そりゃあベイビーちゃんを助け出せたのもわかるぜ。政府も大した男を送り込んできたもんだ。どうやらおれを相当恐れているらしい」
ルッチは応えず、上着を脱いだ。
二人の男がシキヘと迫る。
「飛ぶ指銃、“撥”!」
ルッチから放たれる飛ぶ斬撃。それをルッチはシキに迫りながら連発する。
それをシキは両足の剣を蹴り技の要領で回し、防ぎ切る。そこへ、彼の背後からルフィが迫った。
「“JET銃”!!」
「おうっ!」
背中に拳が入る。だが、大きなダメージはない。感触でわかる。
「即席にしちゃあいい連携だ」
シキはルッチの追撃を更に高く飛ぶことで避け、二人を見下す。
「“新時代の英雄”と“殺戮兵器”とは豪華なボディーガードだ。まあ、ベイビーちゃんの利用価値を考えれば当然とも言えるが」
「ウタは道具じゃねェ!」
「そうだ、道具じゃねェ。おれの大事な仲間になる女だ」
笑うシキ。だが不意に、おいおい、とため息を零した。
「興が削がれるじゃねェか」
その言葉に、二人もシキの視線の先へと目線を送る。そして、驚愕の表情を浮かべた。
「牛のおっさん! お前ら!」
その視線の先では、ウタがアルキディクスに取り押さえられるように地面に押し付けられていた。その周囲にはオリンたちルフィの部下とブルーノが倒れている。
「すまぬシキ殿。出過ぎた真似であったか?」
「いや、目的を考えれば熱くなったおれが悪ィ。礼を言うぜ、アルキディクス。……ただまあ、興が削がれたのも事実だ。ここでお開きとしよう」
はあ、とため息を吐くシキ。その彼に、ルフィが吠える。
「お前が勝手に決めるんじゃねぇ!」
「決めれるのさ。いつだって決定権ってのは強者が持つ。──“獅子威し”」
シキが右手で、何かを掴む動作をする。
同時、地面が揺れた。ルフィとルッチ、二人の周囲の地面が揺れている。
「なんだ」
ルフィが言うと同時、巨大な土砂の壁が二人を取り囲むように地面から噴き出した。
「まさか、この質量を」
流石のルッチも表情を険しくする。だが、すでに二人の周囲には脱出不可能な規模の土の壁が雪崩の如く押し寄せてきている。
徐々にその土の雪崩が形を変え、何かを形作り始める。それは、無数の獅子の頭を持っていた。
「“地巻き”!!」
そして、二人を大質量の土砂が飲み込んだ。
「ルフィ!!」
ウタの悲痛な叫びが響く。シキの笑い声が響いた。
「ジハハハハ! しばらく土の中で眠ってもらうぜ!」
巨大な、渦を巻いた山。二人の姿は見えない。
そんな、と呟くウタの近くにシキが降りてくる。
「勘違い野郎には困ったもんだ。さて、ベイビーちゃん。自分の置かれている状況を理解したか?」
「…………ッ」
取り押さえられた状態のウタがシキを睨む。だが、その瞳の力は以前よりは弱まっている。
「いい目だ。おれは気の強ェ女は好きだぜベイビーちゃん」
直後。
「おおおおッ!」
土砂の山を突き破り、ルフィが飛び出してきた。見れば、その奥に小さな空間があり、そこにルッチが座り込んでいる。
おそらく、二人であの質量の圧の中で安全地帯を作ったのだ。大したもんだとシキが思うが、しかし。
「シキィィィィッ!!」
いい加減鬱陶しいと、彼は断じる。
鈍い、肉を貫く音が響いた。
「しつけェ男は嫌われるぜ、ガープの孫」
シキの右脚の剣が、彼を正面から貫いていた。
「ルフィ!!!!」
ウタが彼の名を呼ぶ。だが彼に、それに応じる力はない。
彼が背負った“正義”をも貫く刃。シキは無造作に足を振るい、彼を地面へと投げ捨てた。
「なァ、ガープの孫。この世にはどうにもならねェことなんざいくらでもある。呪うなら、自分の無力を呪うんだな」
うつ伏せに倒れるルフィの体から、血が溢れる。身を捩るウタはしかし、アルキディクスの手から逃れられない。
「離してやれ」
その彼に、シキがそう言葉を紡いだ。アルキディクスは逡巡するが、ウタから手を離す。
「ルフィ!! しっかりして、血を止めるから!!」
彼の体を抱き起こし、彼女は自身が羽織っている正義のコートを体に巻き付ける。とにかく血を止めなければ。
自身も血に塗れながら、ウタはルフィの傷を塞ごうと手を尽くそうとする。布を押し当て、少しでもと。
そんな、彼女の手を。
震える手で、彼は掴む。
「…………ウタ、は……渡さ……ねぇ……」
「……ルフィ……」
もう、意識もほとんどないだろうに。
彼は、確かにそう言った。
泣くな、とウタは己に命じた。泣いちゃダメだ。ここで泣いたら、誰も。誰も助けられない。
「執念だけは大したもんだ。そんなに死にてェんなら」
「待って!」
こちらへ歩み寄ろうとしたシキを、ウタが止める。
「待って、ください」
ルフィを抱く手に力が篭る。
涙が溢れるのを、必死で堪えた。
「私が仲間になれば、これ以上誰も傷つけませんか?」
「そうだな、そいつらは見逃してやる。だがまあ、誰もってのは無理だ。ベイビーちゃんも知ってるだろう? おれは東の海を滅ぼす。それはもう、決定事項だ」
ギリ、とウタは奥歯を強く噛み締めた。
様々な思い出が、彼女の中に蘇る。死にかけたことは何度もある。辛いことも、苦しいことも、泣いたことだって数えきれない。
だけど、いつだって。
この人が。
この幼馴染が、側にいてくれた。
「東の海に、手を出さないでください」
「それをおれに頼むなら、その前にするべきことがある。前にも言っただろう? 敵なら話を聞くことさえしねェが、仲間なら聞いてやれることもあると」
その言葉に、ウタは一度目を閉じた。何かを堪えるように、俯いて。
そして、自身の手を握ってくれた彼の手を、ゆっくりと解いていく。
ごめんね、と。
そんな、言葉と共に。
「私を」
ルフィの体を地面に優しく下ろし。
ウタが、シキへと頭を下げる。
「仲間に、入れてください」
それは、屈辱だった。
力が足りぬ己のせいで、大切な人たちが傷ついたという事実。
憎悪さえ抱く海賊に、頭を下げなければならない事実。
その全てが、ウタの心を砕いていく。
「ジハハハハ! ようやくその気になったか!」
大いに笑うシキ。そのまま彼は、ウタへと音貝を投げ渡した。
「おれも薄情じゃねェ。海賊にも通すべき筋ってもんがある。別れの言葉を残してやれ」
それを両手に持ち、ウタは。
静かに、言葉を紡いだ。
それは決して長い言葉ではない。だが、全てを語り終えたシキが笑う。
「いい挨拶だ。……最後の慈悲だ。ガープの孫にも挨拶してやれ、赤髪の娘」
この男はどこまで知っているのか、とウタは思った。だが、その前に。
ウタは倒れ伏し、意識のないルフィの側に座り込む。
「ねぇ、ルフィ。今まで、本当にありがとう」
泣くな。泣くんじゃない。
「私、あなたのことが好きだった。……大好き、だった」
彼を助けるためには、みんなを守るためには、こうするしかないのだ。
だけど、もし。
もしも、許されるなら。
「さよなら」
音貝を、彼の側に置く。そして、そんな彼の耳元で。
「────」
小さく、彼以外の誰にも聞こえないように呟いた。
そして、倒れる彼の麦わら帽子を手に取り、被る。
「行きましょう」
「ジハハハハ、麦わら帽子を持っていくのか。まあいい」
楽しそうに笑うシキから視線を逸らすウタ。彼女は、彼女を守ろうと倒れた者たちを振り返り。
「ごめんなさい」
小さく、呟いた。
折角のラスボス戦、色んなオマージュを入れたい思いがあったり。
シキの強さも盛り盛りです。